#10
……
……
ロンドンを囲う長大な塀の外。
ついに帰国へと発つ日を迎えたイタリア王国使者団の一同の姿があった。
大荷物を搭載した馬車内を避けるため、ガットネーロ隊、ウィリアム、マルコの五人はそれぞれ自分で手綱を引いて騎乗している。すでにウィリアムらにとって、馬を操ることに何の問題もない。
エイハブはヘンリーの隣、つまり御者席でご満悦の様子だ。中にいろと皆から言われていたが、席から立ち上がらない、備付のボウガンには触らない、ヘンリーの邪魔をしない、の三つの約束を守れるならそこに座ってもいいとウィリアムが許可した。
馬車、つまり戦車の速度も重装甲のわりには中々のもので、疾走させなければ駆け足の馬にもついてこれている。
行きとは違い、帰りにそう多い日数は必要としないだろう。
「バレンティノ様、ローマに着くまで大丈夫そうですか」
分隊長のチェザリスがウィリアムの右手に馬を並べてきた。
彼が言っているのは身体の疲れの事だ。歩きに比べれば楽なのは当然だが、長旅となれば馬の上でも手足や腰、尻にも負担がかかる。辛ければいつでも馬車に戻って欲しい、ということだろう。
「問題ない。マルコやカンナバーロが俺よりも先にギブアップしないか見ものだな」
「はは、マルコ殿はともかく、うちの伍長はやりかねませんね。馬術の稽古もアイツだけは度々サボっていましたし……困ったものです」
二人が最後尾のカンナバーロ伍長に目をやる。視線に気づいた彼は一際大袈裟に敬礼を返してきた。
「やれやれ」
隊列はウィリアムとチェザリス、マルコが先頭。中ほどに馬車、最後尾はカンナバーロとアマティといった並びだ。
「叔父貴、ローマってのはどんなとこですか」
続けてマルコが声をかけてきた。
彼はこちらの世界ではロンドン以外の街を知らない。
「拍子抜けしちまうのは間違いないだろうな。ロンドンよりも小さくて、文明も少々遅れている」
「はぁ……コロシアムでもあって、剣闘士達が猛獣と試合をしてる情景がなんとなく頭をよぎりました」
「そりゃ古代ローマだ。まぁ、中世程度の街並みだからパッと見は大差ない。安心しろ。ロンドンより遅れてるってのはファッションや機械的なものだな。エレベーターや製紙の技術はまだないはずだ」
それも、ヘンリーの商売によって少しは緩和するだろう。スーツなどの生地はもちろん、木で出来た紙も珍しがって仕入れているはずだ。
「エレベーターなんてありましたっけ?」
「バッキンガムにな。あの煙突みたいな建物内部はエレベーターで昇降する。そうだ、約束してた壁画の写真を撮ってきたぞ」
ほら、とウィリアムがマルコに携帯電話を手渡す。
不安定な馬上からこんな小さな物のやり取りが簡単に出来るのも訓練の賜物だと言える。
「おぉ、中々見事なもんですね。ヨーロッパ旅行のいい手土産になるんじゃないですか」
「そうだな。今から帰る先がローマじゃなくてニューヨークだったら最高なんだが」
「まさかとは思いますが、ローマでの叔父貴の借り住まいは王宮なんですか?」
使者団を束ねているという高い身分から、確かに城内に部屋を与えられていてもおかしくはない。
「いや、陛下から王宮の近くに一軒家を与えられてる。一軒家とは言っても、元は交番みたいな物だったらしくてな。ワンルームの狭い小屋だ」
「何……!叔父貴をそんな犬小屋に押し込めるだなんて、イタリア国王にはきっちり礼をさせてもらいますよ」
「バカヤロウ。陛下にはこれ以上ないくらいのご恩を賜わった。悪く言ってくれるな。それに、城内に住まうより気楽で案外俺には合ってる」
マルコも本気でイタリア国王に憤りを感じているわけではない。だが、屋敷くらいは与えてくれてもいいはずだと考えているのだろう。
「ううむ、帰国後に少しは待遇が良くなればいいんですが」
「まぁ、お前は近くに好きな部屋を借りろ。生活費用は俺が面倒見てやる」
「叔父貴、いくらなんでもそれは……俺だってガキじゃないんです。何か新しいしのぎを探しますよ」
マルコが苦笑しながら返す。
「じゃあ、それまでの間だ。舎弟の面倒見るのは兄貴分の務めだろう。ただし、俺の面に泥塗るような真似はするなよ。こっちじゃ王宮に仕える身分なんだからな」
「わかってます。俺も日の当たる場所を歩きます。とはいえ、殺しぐらいはやらないと無法者扱いされないでしょう、この世界では」
「さあな。図書館でイタリア王国の法典でも探してみろ」
二人は会話を英語に切り替え、チェザリスに聞き入られないようにしている。
「翻訳はどうします?あちらに戻っても続けるのであればお手伝い出来ますが」
「仕事が見つかるまでは好きにしろ。ただ、恐らく俺はあまり部屋に籠る時間が無くなる」
人間と魔族の歴史、大魔王の存在、クラウディアの策、ドイツが和平したアジア圏の国々、イギリス新王の意向……
ウィリアムにはイタリアの、むしろ人類の為の仕事が山積みである。それに加えて研究も翻訳もとなれば、身体が一つでは足りなくなる。ベレニーチェやマルコに任せっきりになる可能性が高い。
「そのくらい心配には及びませんよ。叔父貴はご自分のやりたいように動いて下さい」
「わかった」
「さぞ、盛大に迎えられるんじゃないですかね」
「いや、それはないな」
ウィリアムがため息混じりに返すと、マルコは首を傾げた。
「はい?」
「出発の時も見送りはほとんどいなかった。俺たちがロンドンに行ったお題目は魔族の調査だ。たまたま色んな情報を手に入れはしたが、果たして大手柄かどうかは怪しいところだ」
たとえ評価され、称賛を浴びることになるとしても、それは報告が終わってからの話だ。イタリア国王はまだ何も聞かされてはいないはず。出迎えは少数で済ませ、晩餐を催すくらいの事ならやってくれるかもしれない、といった程度だ。
「そうだ、少尉」
「はっ」
イタリア語に戻し、チェザリスに声をかける。
「今回の旅で俺は何度もお前達ガットネーロ隊に助けられた。陛下とタルティーニ中将には活躍を報告しといてやる。褒賞を楽しみにしておいてくれ」
「なんと……ありがとうございます」
ガットネーロ隊だけではない。ウィリアムは、彼を助けてくれた全ての仲間達の働きも、報告事項の最後に付け足すつもりである。最悪、国から何も出なければ自分のポケットマネーから何か与えても構わない。この世界での財力など求めてはいないからだ。
この使者団は、本国に帰着次第解散となる。二度と、同じメンバーで仕事をする事はないだろう。
そう思うと感慨深いものがあるが、いざ渡米するとなれば多くの者達が随伴を志願してくるはずだ。大所帯で向かうならば、また新たな出会いもあるに違いない。
「叔父貴、お電話を」
「あぁ」
携帯電話が戻ってくる。今となってはただのカメラだ。銃弾の研究は出来ても、電話を利用可能な状態にする事は不可能だろう。
「じきに日が落ちそうだな。少尉、ここらに街はあるか?」
広大な草原に一本のあぜ道が続いている。
「しばらくはありません。イギリス兵の関所くらいでしょう」
「次の関所付近で休憩しよう。人がいる場所の方が安心だ」
「承知いたしました」
……
ホー、ホー、とフクロウの鳴き声が聞こえる。
イギリス兵の関所は目と鼻の先だ。初めての夜営に、焚き火を囲んだ食事、エイハブは大はしゃぎである。
「キャンプは楽しいかい」
彼の隣に腰を下ろしているアマティ上等兵が優しく頭を撫でながら言った。口にパンを頬張っていたせいで返答は出来ず、こくこくと何度も頷いている。
皆一様にそれを微笑ましく見ていた。
「バレンティノ様」
これはベレニーチェだ。
「エイハブの帰国後の事か」
「はい」
ベレニーチェの護衛という名目だが、そのまま騎士団に入団させるには早すぎる。
「しばらくは少尉らに稽古をつけてもらうぐらいしか出来ないだろうな。陛下がお許しになるのなら研究室に置いてやったらどうだ?」
この言葉に安心したのか、少し寂しげだったベレニーチェの表情は柔らかくなった。
「寝泊まりは王宮内の私室に。そのお許しをいただければと思いますわ」
「それは陛下に訊いてくれ」
苦笑で返すと、はっと右手で口を塞いで彼女が恥ずかしそうに笑う。
「本人は何と?」
「特に何もこれから先の事は伝えてはいませんわ」
「まぁ、話したところでよく分からないと答えられるのがオチか」
ふとエイハブに目をやると、錬金術師ムッソリーニのローブの中に隠れて遊んでいる。
「城内は大人ばかりなので、暇を与えた時に遊び相手が見つかるかどうか不安ではありますわ」
「大人相手でも勝手にやるさ。あんな風にな」
「えぇ、そうだと良いのですが」
ここで、気前のいい関所の兵士長から酒の差し入れがあった。彼はウィリアム達が近くで夜営する事も二つ返事で了承してくれた。
差し入れは先日通りかかった行商人からのおこぼれとの事だ。たった一本のワインボトルだがありがたい。
カンナバーロ伍長とマルコが大人げなくそれを奪い合ってはいるが。
「あぁいうガキみたいな大人がいるから大丈夫だろう……」
やれやれ、と肩をすくめるウィリアムと、くすくすと笑うベレニーチェであった。
……
……
「おい!悪いが許可は出来ん!」
翌日の朝、出発の準備をしていると、関所から怒号が聞こえてきた。
「何の騒ぎだ?」
馬具の点検をしていたヘンリーに訊く。
「あぁ、近くに住む人間でしょう。通行証を持たないせいで隣町にも行けないんじゃ不便なもんでさぁ」
確かに、十人程度の民衆が関所の兵士らに詰め寄っているのが見えた。酷く怯えた様子で「助けてくれ」「通してくれ」と口々に叫んでいる。
「様子がおかしいな。おい、マルコ」
「どうしました、叔父貴」
「様子を見に行く。来い」
かつての舎弟を呼びつけ、関所に近づいた。
「兵士長、何の騒ぎだ」
「あぁ、使者団の頭領さんか。彼等の村の田畑が昨夜、魔族の襲撃で燃えてしまったらしくてな。通してやりたいのだが、規則では許せず困っていたところだ」
若い兵士長は苦い顔で返した。
「関所を越えずともいくつか別の町や集落はあるはずだが、そちらでは買い付けが出来なかったのか」
「こっちに来る方が近かったみたいでな。それに魔族の事を我々に知らせたかったんだろう」
村人らに近づく。ほとんどが若い男女だ。
元気があるのは結構な事だが、嫌々ながらそれを止める必要がある兵士達も気の毒である。
「通してくれないのなら食料をくれ!」
「そうだ、すぐに飢え死にする人間が出てきてしまうぞ!」
「今この場で何か与えるのは簡単だが、村人全員を次の収穫時期まで何ヶ月も養えるはずがないだろう」
ウィリアムがそう言いながら割って入る。
「あん?誰だ、アンタ?その身なりは役人か?」
一人の青年が言った。
「そんなところだ。しかし、この関所を通らずに解決出来ないのか?」
「それが、村を襲った一匹の飛竜は、近くに住みついてしまってるみたいなんだ。昨日で二度目だからな。今のところ人は無事だが、安心は出来ん!」
なるほど。それならば彼らの行動も理解出来る。
「田畑だけを……?意図が理解出来ないが」
「まれに見る野良飛竜じゃないですかい」
いつの間にか後ろにいたヘンリーが言った。確かに以前、クラウディアも「人間世界で暮らす魔族は存在する」と話していた。
「野良飛竜?迷惑なものだな。飛竜は魔族にとって馬のような存在だと聞く。会話が出来るトカゲの化け物とは違って、本能的に動く畜生だと考えて間違いないんじゃないか」
「その畜生が面白半分で俺たちの食料を燃やしてるんだよ!冗談じゃないぜ!」
助けてやりたいところだが、飛竜ともなれば簡単にはいかない。下手をしたら全滅だ。
「叔父貴。ドラゴン退治だなんて、首突っ込むのは良くないと思います」
マルコがイタリア語で言う。ヘンリーも同意のようだ。
「もちろんだ。さすがにそこまで危ない橋は渡れん。しかし、ベレニーチェの耳には入らないようにな」
彼女はこの悲惨な状況を無視しないだろう。
「そりゃ難しい要望ですぜ、旦那。何かあったってのは、もう感づいてるはずでさぁ」
「なに、買い出しに行きたいのに通してもらえず、村の若者が騒いでるだけの話だ。簡単だろ。嘘をつくわけでもない」
その後、何食わぬ顔で関所を通過する使者団だったが、すぐに安寧はひっくり返される。
……
ウィリアム達が飛竜を退治してくれると勘違いした村人がついて来てしまったのだ。しきりに「助かった」「早くやっつけてくれ」などと言うものだから、ベレニーチェから「何か仕事を請け負ったのですか?」と訊かれる事となった。
「さあな。外国の使者が珍しくて騒いでるんじゃないか」
ベレニーチェが英語を理解出来ないのを良いことに、なおも隠し通そうとするウィリアム。
「ではなぜ彼等は笑顔で先導しながら手招きを?どこかに案内しようとしているように見えますが……」
「知らん。いいから、もう窓を閉じてろ」
心の中で舌打ちをしながら返すと、ウィリアムの馬と並んで進んでいた馬車の窓がゆっくりと閉められた。
「おい、俺たちは魔物退治なんてやらないぞ!早く道を開けろ!」
強行突破しようにも、前を歩かれていては不可能だ。特に、馬車は間違いなく身動きが取れなくなるだろう。
「冗談だろ?それじゃ困る!」
「助けてくれよ、役人さんよぉ」
「クソ……調子のいい奴らだな」
しばらく無視したまま進行していたが、やはりと言うべきか、別れ道で問題が起きた。
「おーい、そっちじゃないぞー」
「曲がって曲がって!」
ウィリアム達、使者団はそのまま街道にそって行きたいのだが、村の若者達は脇道へ導こうと通せんぼしてきたのだ。おそらくその先に彼らの村があるのだろう。
「バレンティノ様、いかがいたしましょうか」
チェザリスが伺いを立ててくる。
「退けるしかないな。俺が話す」
馬を降り、若者達と向かい合う。
「何度も言うが、お前らの望みは聞いてやれんぞ」
「だったらここを通すわけにはいかないな」
リーダー格らしき、すらりと背の高い男が片手斧を構えて言う。
「やめろ。怪我人が出てはお互いの得にならない」
「だろうな。お偉いさん……それも外国人だよな?何の落ち度もない村人とやり合ったとなれば、大問題になっちまうんじゃないか?」
「俺を脅すつもりならやめておけ。お前ら全員の死体ごと埋めるか、沈めてしまえばそれで終いだ」
予想外の返答に男の顔がゆるむ。
「はは、あんた……普通の役人じゃないな!まったく面白い事を言いやがるぜ!」
「面白いのはお前らだろう。こちらには兵士や魔術師がいるのは分かっているはずだ。そんなオモチャと人数でどうやり合うつもりなのか」
その時、上空に大きな影が伸び、太陽の光を遮った。続けて、ゴウッと風を切る羽音。
全員が一斉に空を見上げる。
「で……出やがった!コイツだ、村の田畑を焼いた飛竜っ!」
男が叫ぶ。
「グォォォッ!」
薄い朱色の飛竜は彼らの真上をグルグルと周り、咆哮を上げた。
村の若者達は一斉に逃げていくが、間近で見る飛竜に馬が驚いて暴れ、それを抑えるのにウィリアムは必死だ。
「バレンティノ様!早く離脱しなければ!」
「叔父貴!逃げましょう!」
チェザリスとマルコが叫ぶ。
飛竜は威嚇こそしているが、今のところ攻撃はしてこない。
「いや、待て……!コイツは……」
田畑だけを焼いたという話を思い出す。つまり、人や家屋を襲うような真似はしていない。
個体それぞれに性格があるのは人間も動物も同じだが、この野良飛竜は人を食わずに暮らしてきたのではないか。
「バレンティノ様!」
異変に気づいたベレニーチェが馬車から飛び出してくる。
「下がってろ!心配ない!」
「何を仰ってるんですか!早く逃げなくては!ヘンリーさん、馬車を遠くへ!」
「へい、お嬢様」
馬車を引く馬達は暴れるわけでもなく、打たれた鞭に反応して進み出す。ヘンリーの横のエイハブはあんぐりと口を開けていた。
馬車が離脱した事で、その場にはウィリアム、チェザリス、マルコ、飛び出してきたベレニーチェが残った。そこに後衛をしていたカンナバーロとアマティが合流してくる。
「げぇ!飛竜だ!さすがにあれは倒せませんよ!」
「射ますか、隊長」
今にも勝手に隊列から離れてしまいそうなカンナバーロと、弓を構えるアマティ。
「グォォォッ!」
何度も咆哮をあげながら、飛竜は未だに旋回を続けている。
「コイツは……やはり何もしてこないな」
「叔父貴!何を!」
ウィリアムは馬が落ち着いたところで地面に降り、両手を広げて上空の飛竜を仰いだ。
「捕まえて手懐けられないかと思ってな」
「正気ですか!」と、他の五人から一斉に返ってきた。元々は慎重派であるウィリアムの行動とは思えないからだ。
だがもちろん、何の勝算もなく無鉄砲な事を言っているわけではない。先程から飛竜の行動を見ていても、鳴いているばかりで距離を詰めたり火を吐いたりはしない。田畑を焼いたのも、グルグルと飛び回るのも、遊んでいるように思えてならないのだ。
しかし、手懐ける方法は分からない。エサを与えようにも野生の飛竜が何を食べるのか分かるはずもない。
そうこうしている間に、ドシン!と轟音を上げながら飛竜が着地した。馬の二倍ほどはあろうかという巨体である。
「グルル……」
時折、鼻先から小さな炎が見える。攻撃するぞと威嚇しているというよりは、無意識の内に呼吸に火炎が混じる生態なのだと思われる。ウィリアム達が逃げない事に興味を抱いたのか、首を下げて匂いを嗅ぐような素ぶりを見せた。
「危険です!撃退します!」
「待て、少尉!」
「なぜです!このままでは!」
チェザリスの声を無視して、ウィリアムはゆっくりと飛竜の顔に近づいた。
「グォゥ!」
「おっと、ビビる事はねぇぞ」
刺激しないように飛竜の顔の下側から手を伸ばし、軽く顎に触れる。問題ない。
「いい子だ。腹は減ってないか?いや、それなら噛みついてくるか……」
「なんてこった、叔父貴、本当に大丈夫なんですか」
マルコが近寄ってきた。
「見てみろ。大人しいもんだ」
「メシでも与えちゃどうです?」
すると、飛竜は顔を少し上げて舌を出した。可愛らしいとは到底思えないが、メシという言葉に反応したようにしか見えない。
そして、ウィリアムはマルコとの会話に英語を使用している事に気づく。
「そうか、野生とはいえ元々は魔族に飼い慣らされていた可能性がある。多少は奴等の母語を理解出来るのか」
「なるほど……馬車から何か取ってきます」
「頼む。吊るした鶏が何羽かあったはずだ」
マルコが行くと、ベレニーチェやガットネーロ隊の面々もウィリアムと飛竜のもとへ集まってきた。
「驚きましたね……飛竜と言えば、火を吐く姿と人を喰らう姿しか見た事がありません」
チェザリスが言う。
カンナバーロとアマティも同調して大きく頷いた。
「要は飼い手の育て方次第なんじゃないか。確信は持てないが、コイツは英語に反応したように見えた。野生とはいえ、以前は誰かに飼われていた可能性がある」
「英語……イギリス人でしょうか?」
ベレニーチェが訊いた。
「魔族だと思うが、イギリス人でもおかしくはないな」
「人に慣れているのならば、魔族ではない気がします。彼らの手に渡っていたら、人喰い竜になっていたはずですわ」
「確かにな。しかしこの地にいるんだ。魔族ならば、以前話したエルフ族のような友好的な人物とも考えられる」
……
「叔父貴、持って来ました」
マルコが戻る。しかし、鶏だけを持ち帰ったのではなく馬車がついて来ている。
「話したのか」
「すいません、鶏をよこすように言ったらさすがに化け物に食わす餌だとバレてしまいました」
馬車は少し距離を置いて停車した。ヘンリーが両手に鶏を二羽かかえて走って来る。
「旦那、前代未聞の餌付けに立ち会わせてくれないのはいただけませんぜ」
「まさか。魔物になんて興味ないくせによく言う」
「へへ、今回ばかりは話が違いますぜ」
そう言うヘンリーから鶏を受け取ると、飛竜は待ちきれない様子で首を上下に振った。
「ほら」
一羽を放る。
開け広げた口で丸飲みだ。中型犬くらいまでの大きさなら簡単に平らげてしまうだろう。
馬車から遠目にエイハブが見ているのが分かる。ウィリアムは物欲しそうにしている飛竜に、そのまま続けて二羽目を与えた。これもやはり一飲みだ。
こうして、ほんの一瞬で餌付けは終わってしまった。
「グルル……」
もう食べ物がないことを理解した飛竜は、翼を寝せて座り込んだ。道の真ん中だがお構いなしだ。
「乗って連れて帰れたら一番だが、どうだろう」
「馬用の手綱を繋いでみますかい?二頭分を結べば長さは足りるはずでさぁ」
「あぁ、頼む」
馬車に手綱の余りならばいくらかあるはずだ。
「しかし……一度飛び立ってしまえば、どこに連れて行かれるか分かったものではありませんよ」
「私もそう思いますわ。やはりおやめになった方が……」
乗り気なヘンリーとは違い、チェザリスとベレニーチェは心配そうにそう言った。
「本人に訊いてみようか」
会話こそ出来なくとも、何かしら意思は示してくれるはずだと飛竜と向き合う。
「あらら、とうとう頭がおかしくなっちまいましたか」
カンナバーロ伍長がボヤいているが、気にせずウィリアムは英語に切り替えて続けた。
「話は分かるか?この言葉は通じるか、という意味だ」
「グァウ!」
火炎混じりの鼻息と共に飛竜が頷いた。
「おぉ。なかなか賢い生き物ですね、叔父貴」
「良かった。やはり英語は分かるみたいだな」
そのまま続ける。
「実は、俺たちはお前と仲良くしたいと思ってる。主人がいなければ一緒に行かないか?食い物は保証しよう」
「グルル……」
「お前が嫌ならば諦めるしかないが、こんなところで暮らしていても、いつかは怯えた住民達から射かけられてしまうぞ」
これはいずれ事実となるだろう。村の住民達はすでに討伐依頼を出していた。
「どうだ?悪い話ではないと思うが……それに、俺はアメリカ大陸へ渡る気でいる。準備にしばらくかかるが、お前が望むならば故郷へ向かうその船に同乗させてやる」
「グルル……」
「あぁ、いずれ自分で飛ぶつもりだったのならばこの話は大して魅力的じゃないか」
ヘンリーが馬用の手綱を繋ぎ合わせた飛竜向け手綱を完成させて持ってきた。
「つけてもいいか」
飛竜は首を縦にも横にも振らない。ウィリアムに従うべきか否か、迷っているのは明らかだ。
「叔父貴、村の連中が仲間を引き連れて戻ってきたみたいです」
まずい。確かにマルコが指差す先には先程逃げていった若者たちと、その三倍近い村人の姿があった。
「チッ……あれに捕まると面倒だ。まずは俺を乗せて飛べるか?話はその後で構わない」
「グァウ!」
乗れ、という意味で間違いない。
ヘンリーとチェザリスに手伝ってもらい、手綱や鞍などの装備を手早く取付ける。
「お前達も急いで離脱しろ。俺はコイツと上から追う。後から適当な場所で落ち合おう」
飛竜が翼を斜めにして、ウィリアムが背に登りやすいようにしてくれた。やはり誰かを乗せた経験があるようだ。
「よし、頼んだぞ!」
「グォォォッ!」
激しく風を巻き起こしながら、飛竜は一気に上昇した。ウィリアムの身体は重力に引っ張られ、まるで飛竜の背に吸いつくように押さえ込まれた。そのおかげで落ちてしまう事は無かったが、逆に下降する時は注意が必要だ。
上昇が終わると、緩やかに滑空し始める。ウィリアムは上体を起こして、しっかりと手綱を握り直した。
村人たちがウィリアムを指差して騒いでいるのと、イタリア王国使者団の馬車や馬が動き始めたのが確認出来る。他には一面に広がる草原とあぜ道ばかりだ。
「こりゃ壮観だな」
眼下に広がる景色に、ボソリと独り言をつぶやいたつもりだったが、飛竜が首を少し回して彼を見た。聴力が非常に優れているのが分かる。爬虫類のような見た目だが、やはり中身は大違いだ。
「しばらくはこのままの高度で俺の仲間を追いかけてくれ」
「グォゥ!」
言葉が通じる点では、馬に比べて意思疎通がしやすい。乗り手が英語を話せるならば、という条件はあるが。
今のところ、村人たちが使者団を追う気配はない。
魔族と手を組んでいる、などと言いふらされてはいい迷惑だが、そう思われた可能性は低いだろう。
仲間達が二つの関所を越えたところで道をそれて森に入った。日が落ち、追跡が難しくなりそうなところだったが、木々の間から光の玉がゆらゆらと上がってきた。ベレニーチェかムッソリーニが放った魔術だ。降りても危険はない、という合図だろう。
「頼めるか」
「グァウ!」
飛竜の視界にも光球の目印は問題なく入っていたようだ。そしてそれが味方のものだという事も理解している。細やかな場所を指定せずとも、その一点を目指して降下し始めた。放り出されないように、ウィリアムが全身に力を込める。
だが、降下する速度はゆっくりとしたものだった。必要以上に注意していたウィリアムが拍子抜けしてしまう程だ。
その気になれば急降下も可能なはず。つまり、上昇した時の切羽詰まった状況と、今の余裕を持って降りれる状況を理解している。もしくは、振り落とされ易い降下時にはウィリアムが落ちないように配慮してくれている、という事になる。
木々の間に巨体を滑り込ませて飛竜が着地した。
側にはキャンプの準備を始めていた仲間達の姿がある。
「おぉ、よくぞご無事で!」
「叔父貴、空の旅はどうでしたか」
チェザリスとマルコが言い、ウィリアムと飛竜は一同に囲まれる。
「見晴らしは最高だぞ。しかし上は肌寒いから厚着と、双眼鏡が欲しいな」
「双眼鏡でしたらあっしのをお貸ししますよ。大して精度は良くないですが」
あまり見かけない貴重品のはずだが、やはり珍しいものに目の無いヘンリーは所有しているらしい。
「さすがだな。明日、出発する前に貸してくれ」
「ただし、ローマに到着次第、真っ先にソイツの背中に乗せてくれるならってのが条件でさぁ」
「わかったわかった。ガキじゃねぇんだから、あまりはしゃぐなよ」
そこまで言って、ウィリアムの視界の端にがっくりと肩を落としたエイハブが見える。
「あー……ヘンリーが乗るときは一緒にエイハブも乗せてやる事にしよう」
「本当!?やったぁ!」
乗せて欲しいとは、なかなか言い出せなかったのだろう。エイハブは太陽のように笑った。
「グォゥ……」
「お?コイツもエイハブを乗せてやりたいってよ」
薪に火打ち石で火を起こそうとしていたカンナバーロ伍長が飛竜を指差しながら言った。かなりの近距離に飛竜がいるのだが、仲間達も恐怖心が和らいできている。
「ん、火の点きが悪いな……ムッソリーニさん、ちょいと魔術をお願い出来ませんか?」
「もちろん、お安い御用ですよ」
カンナバーロが組んだ薪から少し離れ、ムッソリーニが杖を振り上げた瞬間だった。
「グァウ!」
飛竜がまるで唾を吐くかのように小さな火炎弾を飛ばしたのだ。
それは見事に薪に命中して発火する。火炎を飛ばす勢いが強すぎて、傘状に組み上がっていた薪が崩れてしまったが、それでも見事なものである。
おぉっ、と一同が驚いたのは言うまでもない。
「まさかイタリア語も分かるのか?」
ウィリアムが飛竜に訊く。カンナバーロとムッソリーニの会話はもちろんイタリア語だった。
しかし飛竜は首を一度だけ右に振る。左右に往復はさせなかったが、否定を表していると考えて良さそうだ。
「言葉は聞き取れなくても、火を起こそうとしているのが分かったのか。本当に賢いんだな。お前には驚かされてばかりだぞ」
「グォゥ」
ふん、と飛竜が鼻を鳴らすと、鼻の穴から火が漏れた。
「だがこれで分かったな。やはり俺たちの仲間として申し分ない知性と慈愛を兼ね備えているという事だ」
「確かに、飛竜がこんなにも賢いとは思いませんでした」
飛竜を最も危険視していたはずのベレニーチェが返す。
「穏やかだというのは間違いなさそうですね。しかし、常に監視しておく方が良いかと」
チェザリスが続ける。
「げぇっ!休憩できるはずの夜にも当番で見張りですかぁ?」
不満そうに口を尖らせるのはもちろんカンナバーロ伍長である。
「当たり前だ。我々ガットネーロ隊が交代で見張る」
「そんなぁ……恨みますよ、バレンティノ様」
「すまないな、それなら俺も加わろう。四人いれば一人が起きている時間も短くて済む」
起床するまでに六、七時間あるとしたら、見張りは一人当たり一時間少々の計算になる。
「叔父貴、誰か忘れちゃいませんか」
「手伝ってくれるのか、マルコ?」
「もちろんです。これでもう文句は無ぇよな、伍長さんよ?」
どうやらマルコはカンナバーロが吐いた冗談に、少なからず怒りを覚えたようだ。睨みを利かせて彼を威嚇しているようにも見える。
「ま……仕事なら仕方ないさ。出来れば自分は一番手でお願いしたいんですが、どうですかね隊長?寝てる途中で起こされるよりはマシなんで」
「そのくらいは許可してやる」
チェザリスの返答に、カンナバーロが小さくガッツポーズをしている。
「決まりだな。上等兵、森の中に野鳥やウサギがいないか探して来てくれないか?メシ時にはコイツにもエサが必要だ」
「かしこまりました」
一連の流れには一切参加せずに黙々とテーブルや椅子の準備をしていたアマティが敬礼をし、弓を担いで森の奥へと消えていった。
……
アマティがウィリアムの指示通りに野鳥を二羽仕留めて戻ってきたところで晩餐が始まった。
野営なので豪華な食卓とはいかないが、侍女のアーシアとエイハブが懸命に準備してくれた野菜スープに一同は舌鼓をうった。
飛竜向けの野鳥は加熱するかを尋ねてみたが、生で問題ないという意思表示をしてきたのでそのまま与える。ただ、量はもう少し欲しいらしい。しかし、道すがらそう簡単に大量の鳥や動物は手に入らない。ローマに帰着するまでの数日間だけは我慢してくれと伝えてある。
野菜や穀物ではどうだ、とも訊いたが、飛竜は完全肉食だという事が分かった。
「そろそろイタリア国内か」
「へい。国境は明日にでも。ローマ市内に入るまではまだまだでさぁ」
ヘンリーがスープを木のスプーンですくいながらウィリアムに返す。
最後の最後に飛竜を手懐けるという最大の手柄を得たイタリア使者団は、今回の遠征において充分過ぎる知識と結果を手に入れたと言えるだろう。
「ローマって楽しいー?」
これはもちろんエイハブだ。
「そうだな、少なくともベレニーチェの研究室にはガラクタ……いや、興味深いものが馬車の中よりもたくさん転がってるぞ」
「まぁ!ガラクタとは心外ですわ!バレンティノ様と共に電気製品の開発にあたった証ではありませんか!」
ベレニーチェは顔を真っ赤にして抗議している。ウィリアムは肩をすくめた。
「ねぇ、僕も魔術が使えるようにならないかな?」
今度はベレニーチェの服の裾を引っ張りながらエイハブが訊く。
「あら、魔術が使える戦士になりたいのかしら」
「うん!強くなれるなら剣も魔術も使いたいなぁ!」
片方しかない腕をぶんぶんと振りながら言うエイハブ。しかし、失くしてしまった左腕を見て、すぐに意気消沈してしまった。
「あ……そうか。僕は剣か杖、どちらかしか握れないのか……」
ベレニーチェがエイハブに歩み寄り、しっかりと抱きしめた。
「大丈夫。魔術が知りたければ私が教えます。必ず覚えられるものではないけれど、もし上手くいったなら剣と杖は持ち替えながら使えばいい。気にしなくていいのよ」
「そうだぞ。魔剣士はイタリア国内では希少な存在だ。きっとみんなのヒーローになれる。頑張れよ」
ベレニーチェとウィリアムの励ましに、エイハブは小さく頷いた。
……
……
イタリア王国。ローマ市内。
ウィリアムが懐かしいと感じられるくらいの愛着が既にこの地にはある。突然飛竜で押しかけては魔族の襲来に間違えられてしまう危険性がある為、街の外れにマルコとカンナバーロを残して見張ってもらっている。
帰郷の直前でお預けを食らったカンナバーロは不満そうだったが、ボトルを一本手渡してやると即座に地べたに座り込んでいた。今頃はマルコと仲良く酔っ払っていることだろう。
城門での迎えはやはり寂しいもので、衛兵数人と大司教だけだった。
しかし、玉座の間では国王陛下をはじめとする面々が待ち構えており、使者団の帰着を大いに労ってくれた。
「よくぞ戻ってくれた。早速報告を受けたいところだが、今日くらいはゆっくり休んで欲しい。どうだろう」
「お心遣いありがとうございます、陛下。しかしながら、実は王宮に入れずに郊外に待たせてある者がおりまして」
跪いた状態でウィリアムが国王に返すと、横に立つタルティーニ中将がハキハキとした声を上げた。
「おぉ、そうか!俺が預けた部下は三人だったはずだと思っておったところだ!くたばったわけではないようだな!安心したぞ!」
「中将閣下、道中で魔族に襲われた時、ロンドンが大惨事となった時、ガットネーロ隊に使者団は何度も命を救われた。彼らは真の戦士だと言える」
「それは鼻が高いな!おっと、失礼。陛下のお言葉を遮ってしまいましたな」
国王自身は薄っすらと笑みを浮かべているが、右大臣の冷たい視線がある。
「その兵を待たせているのが、すぐに休むわけにはいかない理由……というわけだな。それで、何の為に待機させているのだ?それに、見慣れない子供がいるようだが」
カンナバーロとマルコ以外の使者団全員が謁見している。もちろんエイハブも連れてきていた。
「この子は戦争孤児です。故あって引き取ることになりました。どうか王宮研究室で面倒を見る事をお許しいただけませんか、陛下」
ベレニーチェがウィリアムの代わりにそう言って頭を下げた。
「なるほどな。構わんが、責任は其方に預けるぞ」
「承知しております。ありがとうございます、陛下」
「それで?ウィリアムよ」
「はい。実は飛竜の懐柔に成功し、引き連れて来ました。兵はその見張りに」
「何っ!」
国王はもちろん、中将、右大臣、大司教も驚きの声を上げる。
「でかしたぞ、ウィリアム!早ようそこへ連れて行ってくれぬか!」
そう言って誰よりも喜んでいるのは大司教である。
「陛下のお許しがいただければ直ぐにでも。しかし、街に入れるとなれば嫌でも目立ちます。どこか、飛竜を置いておける場所はありませんか?」
「馬小屋のような場所でよければ、我が軍のを使うといい。どうでしょう、陛下」
「まずはその飛竜が安全かどうかを確かめたい。王宮で暴れられては国が傾きますぞ」
中将、右大臣がそれぞれ発言した。国王が顎に手をあてる。
「うーむ、ともかくそこへ向かうとするか。見張りの兵が心細い思いをしているだろう」
国王自ら足を運ぶ……ウィリアムはカンナバーロにボトルを渡した事を後悔した。
……
薄い朱色の飛竜はいびきを立てて眠っていた。
酔ったカンナバーロとマルコも、何と飛竜の後ろ足を枕にして寝てしまっているではないか。
この場には国王と大司教、中将、そして玉座の間の近衛兵がやって来ている。使者団からはウィリアムとチェザリスだけだ。
「伍長!貴様ぁ!」
早速、ガットネーロ隊の分隊長であるチェザリスの雷が落ちた。見張りをサボっていたのだから当然だ。ただ、ウィリアムはマルコを叱る気にはなれなかった。彼らに酒を渡したのは自分なのだから。
「はぃ……?隊長……?何ですか、いったい……」
「さっさと起きんか!陛下の御前だぞ!」
「陛下……?って!親父も!」
飛び起きるカンナバーロ。親父とは最高指揮官のタルティーニ中将の事だろう。
もちろん血縁関係があるわけではなく、兵士や下士官から親しみを込めてそう呼ばれているだけに過ぎない。
「グルル……グァウ!」
まどろんでいた飛竜も目を覚ましてしまった。続いてマルコが起きる。
「叔父貴!す、すいません!」
「今回は許してやる。シャンとしろよ。イタリア国王陛下御一行だ。飛竜を見たいんだと」
カンナバーロとマルコが気をつけの姿勢を見せたところで国王が口を開く。
「本当に見事な飛竜だな。人が寝ていても襲わないのであれば、確かに懐いているようにも見える」
幸か不幸か、国王はそう判断してくれた。
「して、その男は?何やら英語で話していたようだが」
「マルコと言います。俺の古くからの知り合いで、舎弟みたいなものだと思っていただければ」
「古くからの……まさか、アメリカ人か?」
これは国王ではなく大司教からだ。
「叔父貴、国王さんはどっちですか?」
英語でマルコが尋ねる。冠を被った人物が二人いては、大司教が国王に見えても仕方のない事だ。
「若い方だ。悪いが今は私語を慎め」
「あ……すいません」
「もちろんマルコはアメリカ人だ、大司教。コイツとは腐れ縁でな。それで……陛下、飛竜ですが、あらためてご覧になってみて、街に住まわせる事は可能でしょうか」
うむ、と国王が頷く。
「ありがとうございます。無論、世話と監視は責任を持ってやりますのでご安心下さい」
「背に乗って飛んだか?」
「はい」
「ほう!それは羨ましい限りだ!」
マルコは目を丸くした。彼は一国の長と話すのはこれが初めてだ。
王ともあれば、厳格なイメージを持たれて当然である。イギリス先王もかなりの変わり者だったが、イタリア国王もまた然りだ。
「お乗りになりますか?」
「良いのか!ではすぐにでも頼みたい!」
「陛下、後でアダムからぶつぶつと説教されても知りませんよ」
タルティーニ中将が腕組みをして渋い顔をしながら言った。飛竜に乗って飛んだとあれば、右大臣の耳にはすぐにでも入るだろう。
「ふむぅ……こっそり、だ。こっそり飛べぬか、ウィリアム」
「無理です、陛下。嫌でも目立ちます」
「そうか……ならば仕方ない、諦めるとしよう……」
国王は誰の目にも分かりやすく元気を失ってしまった。
……
「家が決まったぞ。飛べるか?」
「グァウ!」
中将は先に王宮へ戻って、馬小屋に飛竜が入れるスペースを作ってくれている。そろそろ頃合いだ。
国王と大司教は飛竜が飛び立つ様子を見ようと残り、今か今かと待ちわびていた。
「頼む」
腹を蹴らずとも、言葉で動いてくれるのは有り難い。これからは近場であれば愛馬を、遠出であれば愛竜をと使い分け出来そうだ。
ゴゥッ!っと旋風を巻き起こして飛竜が上昇する。
人が近くにいるのを配慮しなかったわけではないが、やはり飛び立つ時は、ある程度の勢いが必要だ。
「おぉーっ!見事じゃ!」
「明日は兵や民の間で飛竜の話題は持ちきりであろうな!」
大司教、国王が手を叩いて喜んでいる。
馬小屋は王宮の片隅にあり、そこを目指すには当然、周りにある市街地の上空も通過する事になる。
少しでも騒ぎを小さくする為、ウィリアムは飛竜の高度を上げて、人目につかないようにした。
城内を守る兵士には既に指示が回っていたようで、矢を射かけられたり魔術が飛んでくることもなく、無事に着地する事が出来た。
「そこに入れてくれ。少し狭いか?」
数人の兵士と待ち受けていた中将が言った。馬小屋は五頭を中に入れるもので、仕切などは取り外されている。高さには少々不安があるが、面積は問題ないはずだ。
「いや、十分だ。助かる」
「屋根が低いように見えるな」
「慌てて飛び立とうとして頭を打たないように言いつけておくよ」
ウィリアムの冗談に中将はガハハ、と笑った。
気づくと、勤務中だと言うのに大勢の兵士が集まってきていた。意外と、仲間になった魔族に対して批判的な者はおらず、好奇の目を向けている。
そしてその連中に紛れて、ベレニーチェに手を引かれたエイハブの姿を見つけた。手招きをすると飛んでくる。
「明日か明後日にでも乗せてやろう。今日はコイツも俺たちも疲れてるからな」
「うん!今日はお姉ちゃんと同じ部屋に泊まるんだよ!楽しみだなぁ」
「そうか。飛竜以外にも、城の中は珍しいものがたくさんあるだろう?探検するのは認めるが、あまり色んなところを触ったりしないようにな」
「わかった!」
ベレニーチェがウィリアムとタルティーニに向けて一礼し、戻ってきたエイハブの手を再び引いて去っていった。
「引っ張りだこだな」
「あぁ、アンタの兵隊からも要望が出てきそうだな。基本的には断るつもりだが、良からぬ考えを起こす輩が出ないか心配だよ」
王宮内部の人間に限られはするが、鍵や扉があるわけではないので、誰でも飛竜に触れられる状況である。
「馬小屋で寝泊まりでもするか?俺は一向に構わんぞ」
「遠慮させてくれ。もし小屋の改装が可能ならば、高さを上げたり寝泊まりできる部屋をくっつけても良いが」
そうなれば真っ先にヘンリーに声がかかる。飛竜小屋という人類初の建物に関わる事を彼は喜んで請け負うだろう。
「改装?工事中は飛竜の居場所が無い。どうせならここを使ってる間に新しく建ててしまえ」
「そう簡単にはいかないだろ。他人の金だからと言いたい放題だな」
「なんだ、知らないのか」
中将が意味深な言葉を吐いたが、ウィリアムは首を傾げる。
「明日、陛下から直接賜るとは思うが……お前への食客扱いはお終いだ。王宮お抱えの役人になるんだよ」
「ほう、有り難い話だ」
いくら目をかけて貰っていようが、使者団を率いる為にイタリアの国籍を与えられようが、ウィリアムはあくまでも友好的な外国人という立ち位置だったはずだ。給与も大司教や国王から個人的にではなく、国から受け取る事になる。その初任給が今回の遠征の報酬となる、という話だろう。
「小屋の建て替えくらい何とかなるはずだ。誰の目にも必要だと言えるからな」
役人ともなればその意見は個人の域には留まらない。
「とはいえ、王宮の資金難に拍車をかけないよう気をつけるよ」
「しかし大手柄だったな。まさか飛竜とは……他にも土産話はたくさんあるんだろう?」
「まぁな。しかし今日はクタクタだ。これで失礼させてもらうよ」
ウィリアムがネクタイを緩めた。
「承知した。そうだ、飛竜の警備にまで人員は割けないが、ガットネーロ隊は明日、陛下から使者団の解散を仰せつかるまではお前の直属だ。見張りが必要ならアイツらを使え」
「いや、彼らも休ませてやるつもりだ」
「そうか」
飛竜にしばしの別れを告げる際に、英語で語りかける。
「ここは安全だとは思うが、もしお前に危害を加えようとする者が現れたら迷わず逃げろ。間違っても暴れないでくれよ?」
「グルル!」
「お前が本気を出せば王宮内は大混乱だ。しかし、せっかくの食い扶持を捨てるのは利口とは言えないからな」
パンパン、と首元を触ってやる。しかし、飛竜は「ふん」と火炎混じりの鼻息をしてそっぽを向いてしまった。
「明日の朝、市場で大量に肉を買ってきてやる。牛がいいか、豚がいいか」
「グルル……」
「唸られてもどちらか分からんな……それとも鶏がいいか」
「グアゥ!」
これはウィリアムにも伝わった。
「任せておけ。二十羽は持ってきてやる」
「グォォォッ!」
「喜んでくれて何よりだ。また明日な」
再び軽く飛竜の首元を叩いて振り返ると、真後ろに中将が立っていた。
「なんだ?まだいたのか」
「まさか、英語ならば会話が理解出来ているのかと興味津々でな」
「どうだろうな。確かめたければ自分で勉強して話してみたらいい」
皮肉っぽく軽口を吐くと、タルティーニ中将が少し苛立ちを含ませて「そうするか」とだけ返した。
……
王宮を出る直前。正門をくぐって城下町に入るところで、ガットネーロ隊とマルコが待ち受けていた。
「お前たちは好きに休んでくれ。マルコはウチに来い」
「ありがとうございます、叔父貴」
「バレンティノ様、我々は待機でよろしいですか?」
これは分隊長のチェザリスである。
「もちろんだ。明日、陛下に謁見するが、その時が使者団が集まる最後の機会となるだろう」
「いよいよですね。最後の大仕事というわけですか」
カンナバーロ伍長が言った。身分の隔たりなく、ウィリアムは全員を集めるように国王から指示を受けている。
「仕事と言っても報告は俺が陛下にするからな。他のみんなは同席するだけだ。晩餐会も予定されているが、お前達はその後、個別に将軍から話があるんじゃないか?」
「うへぇ……なんだか一気に嫌な気持ちになりましたよ……」
「では、そろそろ我々は失礼いたします。バレンティノ様、短い間でしたがお世話になりました」
チェザリスが敬礼をする。
アマティ上等兵は続いたが、うなだれたままのカンナバーロ伍長の尻にチェザリスが蹴りを入れ、強制的に習わせた。
「ご苦労だった。これからのお前達の活躍に期待しているぞ」
ウィリアムが敬礼を返して帰路につく。
ウィリアムとマルコの姿が見えなくなるまで、ガットネーロ隊の面々はその姿勢のまま見送ってくれたのだった。
……
しばらくの間、放置されていた愛しい我が家は薄っすらと埃を積もらせていた。
「汚ねぇ部屋になっちまってるが、くつろいでくれ」
ウィリアムがベッドに座りながらマルコに言った。
「とんでもない。豚箱にいた俺にとっては天国みたいなもんです」
そう言った矢先、マルコは埃を吸い上げたのか、激しく咳き込んでいる。
「……ダメだな。今晩は近くで宿を取ろう。寝てる間に病気にでもなりそうだ」
「まぁ、叔父貴がそう仰るなら」
ウィリアムの家がある王宮の側は中心街の為、数分と歩かずとも宿は見つかる。
まさか家の側で外泊するとは思わなかったが、空いている部屋を二つ探し、二人はそれぞれのベッドで休憩を取った。
……
翌朝、謁見の前に一仕事こなす必要があり、ウィリアムはマルコを引き連れて市場にやってきていた。
もちろん、飛竜の食糧を調達する為である。
「悪いな、荷物持ちに使っちまって」
マルコは両手一杯に十羽以上の鶏を抱えている。
「はは、叔父貴も同じだけ持ってるじゃないですか」
そして、ウィリアムも同じ状況だ。飛竜と交わした約束の二十羽分になるにはやむを得ない。
ヘンリーに馬車を借りる手は早朝という事から憚られ、ウィリアムかマルコの馬を引いてくるのは、王宮への往復に時間を取られるよりは直行したほうが良いという結論から却下されるに至った。
王宮に向かうと、正門に立つ衛兵が大量の鶏を抱えた二人組に驚いていた。
「あ、おはようございます。バレンティノ様、マルコ様」
「ん?あぁ、おはよう」
声をかけてきたのは侍女のアーシアだった。研究室での仕事とは異なるが、王宮内の草むしりをしている。
おそらく自発的なものだろう。
「すごい量の鶏……あの子の朝ご飯ですね」
「そうだ。今後はヘンリーが城に出入り出来るよう、陛下にお願いしたいところだな」
「確かに、毎日となると骨が折れますもの」
言うまでもなく、商売人の出入りには制限がある。
ただ、この程度ならば人力の荷車の使用許可が出るくらいの対応だろう。
「ではまた後ほど」
「えぇ、ご機嫌よう」
彼女と別れて馬小屋に到着すると、そわそわとせわしなく首を上下に動かす飛竜の姿があった。
「待たせたな。ほら、メシを持ってきてやったぞ」
「グォォォッ!」
ウィリアムとマルコは鶏を地面に置いた。たまたま居合わせた数人の兵士や貴族が、突然の咆哮に飛び上がっている。
「よしよし、お前に悪さをする奴はいなかったようで安心したよ」
こうして飛竜が大人しく座っているのが何よりの証拠だ。
「マルコ、メシを投げてやれ」
「はい。いくぞ、ドラゴン」
「グァウ!」
マルコが一羽ずつ鶏を放ると、見事に全てを口でキャッチして丸飲みにしていく。拒否しないので、餌付けは誰の手で行っても問題ないようだ。
「なかなか楽しいですね、叔父貴」
「そうか、なら餌やり係に任命してやる」
「えぇっ!?」
「冗談だ」
そうこうしている内に飛竜は餌を平らげてしまった。人間のように三食はしないはずだが、やはり大食らいである。
「満足か?それとも不満か?どれくらい準備してやればいいか教えてくれ」
「グォゥ!」
火炎の鼻息を出す飛竜。不満ではないと取れる。
「俺も仕事があるからな、昼食は準備するのが難しいんだが、夕食は必要か?」
「グルル……」
これは分かりやすく首を横に振ってくれた。
「一日に一回で大丈夫ということか。朝と晩ならどちらがいい?朝か?」
「グルル……」
「晩だな。了解した。明日からは晩に二十羽の鶏を準備するとしよう」
「グォォォッ!」
こうして少しずつだが、飛竜の生態が分かっていくのは貴重な知識となる。
「おや、朝早くから精が出ますな」
錬金術師のムッソリーニがやって来ていた。旧友であるクレメンティ大司教も一緒だ。今日の予定の事もあり、昨晩は彼のところに泊めてもらったのだろう。
「腹を空かして逃げられては敵わないからな」
「いやぁ、誠に見事な飛竜じゃな。して、お主はこれをどのように用いる気だ?」
大司教が訊いた。
「渡米の足がかりになる、といいたいところだが……コイツの意志確認も必要だ。それに、多くの人間を運ばせるのは不可能だろう」
「何か手を考えねばな」
「まぁ、移動が楽になるだけでも大助かりだ。しばらくはそれで十分さ」
「うむ……ところで朝食は取ったか?今から我々は食堂に向かうところだったのだが」
特に断る理由もないので、四人で食堂へと向かう。
久しぶりのローマ王宮での食事は以前よりも美味く感じた。旅の道中のアーシアの手料理や、ロンドンのレストランやパブの味もなかなかのものだったが、肉や魚、野菜の質は段違いだ。
「その男、マルコ……と言ったかの」
「あぁ」
「俺に何か用か、じいさん?」
大司教はウィリアムと近しいマルコの事が気になるようだ。
「ウィリアムはお主に会うまで、さぞ孤独であっただろうと思ってな。無論、お主も同じ。同郷の人間が見つかって何よりだわい」
「偶然見つけてな。俺はローマ、コイツはロンドン。まったく、何がどうなってるのか未だにチンプンカンプンだ」
「アメリカ大陸に全ての答えがある……そう信じるしかありませんな」
これはムッソリーニだ。
しばらく経つと、他にも使者団のうち、王宮で生活をしている者たちが集まってきた。先程すれ違ったアーシア、そしてベレニーチェとエイハブである。
ガットネーロ隊は兵舎で食事を取っているはずなので、ここには顔を出さない。
「いま飛竜があくびしてたよ!」
飛び跳ねながらエイハブはウィリアムに笑いかけてきた。
「おはよう、よく眠れたか?」
「あんまり!でも遅くまでお姉ちゃんとお話して楽しかった!」
「嘘おっしゃい。バレンティノ様、ご心配なさらないでください。この子ったら、昨夜はすぐに眠っていましたわ」
エイハブにとっては夜更かしのつもりだったのだろうが、実際はさほど起きていられなかった、というわけだ。
「遅くまで起きていられるのは大したものだが、あまりお姉ちゃんを困らせないように早寝早起きしないとな」
「えー?うーん、わかったぁ」
「ではみんな、またな」
一同がウィリアムに向けて手を挙げたり頭を下げた。マルコだけを引き連れてその場をあとにする。
ベレニーチェがエイハブにそうしていたように、謁見の前に王宮内を見せてやるつもりだ。
「バレンティノ様、ご機嫌麗しゅうございます」
「バレンティノ殿、お帰りなさいませ」
「お久しぶりです!バレンティノさん!」
日が高くなってきた。うろうろと散策している途中で、顔見知りの侍女や兵士から時折そんな言葉がかけられる。
「さすが叔父貴。城で有名人とは驚きです」
「すぐにお前も覚えられちまうさ」
本人が城下町で仕事を見つけ、それを続けたいとでも言い出したら話は別だが、そうでもなければ基本的にはウィリアムと行動する事が多いだろう。
そうなれば自ずと王宮への出入りは増える。マルコ一人で入城が認められるかは微妙だが、ウィリアムの舎弟として付き従う限りは何の問題もない。
マルコが有名人になるのに、そう時間はかからないはずだ。
「どこか、見てみたい場所はあるか?玉座の間だけは無理だが」
「うーん、何があるのか分からないですね。お嬢ちゃんの研究室ってのは面白いですか?」
「研究室自体は診療所みたいなもんだが、彼女のデスク周りだけは本やガラクタが散らかってるな。面白いかと言われたら微妙なところだが……」
マルコは一瞬考え、首を左右に振る。
「大聖堂はどうだ?なかなか見事な造りだぞ」
「散らかったオフィスよりはマシですね」
ベレニーチェがこの場にいなくて良かったと思うばかりである。
……
聖堂は魔族との戦闘後だけは兵士の遺体で埋め尽くされてしまうものの、それ以外であれば静粛で荘厳な佇まいである。
女神像に向け、二人は久方ぶりの祈りを捧げる。大司教やムッソリーニがここへ戻ってくるかと思ったが、結局現れなかった。
次は兵舎へと足を運ぶ。ガットネーロ隊の面々の姿は見えず、タルティーニ中将や副官の中佐も訓練との事で不在だったが、留守を預かっていた若い将校に呼び止められ、飛竜の事を根掘り葉掘り質問される。やはり、話題になっているらしい。
すると、次から次へと兵士や下士官が集まってきて、ちょっとした人だかりになってしまった。留守番ということは家には帰れずとも非番のようなものだ。暇を持て余していた彼らにとって、これ以上の話は無い。
「飛竜が気になるのは分かるが、我々もまだ調査中でな。そこまで大した話はしてやれそうもないぞ」
「嘘をつくなよ、バレンティノさん!」
「面白い話、あるんでしょう!」
「全員、整列!」
突如、背後からそんな声が響き、わらわらとウィリアムの周りに群がっていた全員が気をつけ、の姿勢を取った。たかが号令一つだが、これは大助かりだ。
「さて……バレンティノ様、どうしてこちらへ?何か我々にご命令でしょうか」
声の主はガットネーロ隊、分隊長のチェザリスだった。どこからか戻ってきたところらしく私服である。
「マルコと王宮観光していたところだが、彼等に捕まってしまってな」
「なんだ、お前……チェザリスじゃないか!」
最初に質問してきた若い将校が、号令を飛ばしたのはチェザリスだったと気づいて怒鳴り声を上げる。
「何でしょう、中尉」
「貴様、上官に向かって命令するとはどういうつもりだ!」
「我が主人が皆に詰め寄られ、困っておられたようなので」
中尉と呼ばれた男がハッとした。
「そうか、確かにお前にとっては……使者団の頭領様だからな。だが、その道理は俺たちには通用しない」
「だからといって囲んでしまうのも失礼ではありませんか?解任されるまでの間は、私にとってバレンティノ様の御身が第一ですので、困らせるような真似はご遠慮いただきたい」
「まったく……クソ真面目なのは相変わらずだな、チェザリス。別に俺たちは、この人を責めてたわけじゃないんだぞ?飛竜について教えてもらいたかっただけだ」
「飛竜については現在も調査中の事が多く、バレンティノ様であっても、お応えすることは難しいはずです」
チッ、と舌打ちをして将校は退いた。
「んじゃ、またポーカーの続きでもやるか。チェザリス、お前も参加しろ。話題を奪った分、お前の財布からいただくぞ」
「やれやれ……承知いたしました、中尉。それではバレンティノ様、何もなければ私はこれで」
チェザリスが、敬礼を向ける。
「逆にたっぷり稼いでやれ」
マルコが冗談を吐くと、チェザリスは「当然だ」と返した。
……
それから数時間後。夕刻へと近づく中、ウィリアム達はついに玉座の間へ呼ばれた。
昨日の帰着時の謁見とは違い、これは正式な報告の場となる。
金色の玉座に座る国王、その側に右大臣と大司教が控えている。それに対面して、床に片膝をついてひれ伏した使者団一同。十二近衛と呼ばれる騎士達はいつもの如く、使者団の左右で直立不動のままだ。
「使者団代表、ウィリアム・バレンティノ」
国王の、若く、ハキハキとした声が響く。
「はい」
「まずはご苦労だった。昨日聞けなかった報告を聞こう。ただし、書簡や資料として持ち帰っているものは後で目を通すから省いてくれ。あまり長いと余がくだびれてしまうからな」
軽い冗談のように言ってくれるが、疲れるのは皆も同じだ。国王の人柄が見える。
「では、お渡しするものを先に」
パン、と手を叩く。すると、数人の従者がイギリスからの贈り物、ウィリアムが買いつけた土産物や翻訳した書物などを運び入れ始めた。それは次々と使者団の周りに置かれていく。
なかなかの物量なので、王宮内の従者に手伝ってくれるよう、少し前に頼んでおいたのだ。
そして、最後にウィリアム本人が、ジャケットの内ポケットからイギリス新王の書状を取り出し、両手で高く掲げた。
「どうぞ、全てお納めください。献上された品々の事で、何か分からない事があればいつでもお申しつけ下さい」
「クレメンティ」
「はっ、我が君」
大司教に命じ、書状だけは先に受け取らせた。イギリス国王からのものだと一目で理解出来たからだろう。
「我が君」
「うむ、ご苦労」
受け取るだけで後から読むというわけではなく、国王はすぐに書状を広げた。しばしの沈黙が場を支配する。
「なるほど……筆跡は先王と似ても似つかぬが、確かにマンチェスターのせがれからだな」
「はい、俺の目の前でしたためておられたので間違いありません。陛下宛に言伝をと仰せでしたが、国同士のお話ならばとお断りしました」
「ふむ、イギリス国王の考えは大いに理解した。後で返答を送っておく」
もちろん、手紙の内容を国王は開示しなかった。気にならないと言えば嘘だが、ウィリアムがおいそれと首を突っ込んで良い領域ではない。
「だが、それにはお前の許可が必要なのも付け加えておく」
「……?」
「まぁよい。では聞こう」
ウィリアムはイギリスで体験した出来事を話した。
やはりメインとなるのは魔族との大規模な戦闘。逃げ惑う民衆、殺される兵士、勇猛果敢な元帥の戦いぶり。そんな中、ウィリアムの目の前でハインツという魔族の手によって命を落としたイギリス先王……
イタリアからも国王を含めた有力者達は葬儀に参列していたが、そのあたりの話は初耳だったようだ。
もうひとつは、クラウディアとの出会いだ。これには国王も目を見開いた。
イタリアが、世界の国々がかつて魔族と暮らしていたという歴史。大魔王を中心とした現在の魔族の姿。そして、彼女に連れられて実際に訪れたニューヨーク。荒廃した大地に禍々しい城。魔族との争いに終止符を打つには、その大魔王を倒す必要があるということを説明する。
さらに、クラウディアから大魔王の子供、屋敷の情報を得た。大魔王は絶対の存在であり、簡単に打ち倒す事は出来ない。その為に弱みを握る必要があると伝える。
しかし、国王は良い顔をしなかった。たとえ相手が憎っくき魔族の首領とはいえ、 そんな外道に成り下がるわけにはいかないという事か。この辺りは元々裏街道を歩いてきたウィリアムと考えが異なる。正に、イタリア国王は聖人君子と呼ぶにふさわしい人柄だということだ。
だが、ウィリアムも退かなかった。戦争をする以上、利用出来るものは利用するべきだと。綺麗事ばかり並べるならば殺生すらも許されない事にはならないのか。弱みを握らずして馬鹿正直に戦い、数多の民と兵を犠牲にするのか、と。
「貴様!陛下にたてつくとは不敬にも程があるぞ!」
右大臣アダムの怒号が飛ぶ。
「よい!ウィリアムの申すことにも一理あるのだからな」
「ははっ……余所者が大きな顔をしおって……」
アダムは国王に叱られたが、やはりウィリアムを睨みつけたままだ。
「右大臣」
「ふん、何か?」
「国の未来がかかってるんだ。アンタの私怨じみた嫌がらせは遠慮してくれ」
「調子に乗るなよ、小僧が」
「おい!!」
一際大きな声を出したのはマルコだった。勝手に立ち上がり、ズカズカと玉座に向かって歩き出す。
もちろん国王ではなく、右大臣の襟首を掴んでやろうとしての行動だが、十二近衛の内、四名が素早く動いてマルコを取り押さえる。
「な、なんだ!俺は王様に用事があるわけじゃねーぞ!横にいるハゲのおっさんと話があるだけだ!おい、放せ!」
近衛兵は何か反応するわけでもなく、マルコを地面に押しつけたまま黙っている。
「マルコ、そのくらいにしておけ。陛下、舎弟がお騒がせして申し訳ありません」
「放してやれ」
近衛兵が一礼し、配置に戻る。
「叔父貴。なんなんですか、アイツは……」
「アダムか?今は気にするな」
「はぁ……」
マルコが再び跪いたところで、ウィリアムが話を戻す。
「陛下、今後どういった方針にするかはさておき、大魔王という強敵を討つ必要があるのはご理解いただけたと思います」
「うむ」
「ヨーロッパ、そしてアジアの国々とも手を結び、人間の力を一つにしなければ難しいでしょう」
ここで、国王や大司教らが目を見合わせた。ウィリアムは、何かおかしな事を言っただろうかと首を傾げる。
「いや、無理もない。つい先日入って来たばかりの情報があってな」
「どんな情報でしょう」
「大アジア大陸の国々の内、半分に迫ろうかという数の諸国が魔族の手に落ちた」
「……!!」
確かに、アジアはアメリカから渡るには最も近い位置にある。欧州各国のように時折魔族の襲撃はあっただろう。多少の侵攻も頷ける。しかし、あっと言う間に半分を掌握するとは、全く予想していなかった。
「先に、アジアに攻め込んできた魔族を追い返す必要がある……と。すぐにヨーロッパにも奴らの手が及ぶかもしれません」
「しかし、アジアの国々と手を結ぶのには好機かもしれんな。今は藁にもすがる思いであろう」
「お許し下さり、ありがとうございます。早速にでも準備に……」
決して遊んでいたわけではないが、一刻を争う事態にウィリアムはこれまで以上の素早い行動が必要だと判断した。
しかし、国王は右手でそれを制する。
「待て待て。アジアへの使者ならば別の者に依頼しようではないか。お前達に必要なのは少しばかりの休息だ。違うかね」
「陛下の寛大なご慈悲には感謝の言葉もございません。しかし、任務を終えて帰着した今、新しい役目を賜わりたいという気持ちが勝っているのは事実です」
「未だ翻訳の仕事が残っていると聞いたが」
ウィリアム本人ではなく、ベレニーチェやアーシアとでも話したのだろう。
「魔術、技術の研究に飛竜の件もあろう。何も外に出ることばかりが近道ではないぞ」
「しかし……」
「アジアに出向きたくて仕方ない、というのなら話は変わってくるが、そうなのか?」
「魔族の侵攻を許せない、ただそれだけです」
これは半分は嘘である。魔族の侵攻のせいで、アメリカに渡れなくなっては困る、が真意だ。
「……使者は先行させる。だが、同盟ではなく従属という形を取らせたい。魔族に攻められている状況で、こちらにメリットは薄いのだからな」
「同意します」
ウィリアム、右大臣、大司教から同じ返答があった。大魔王に対して卑劣な手を使うことをためらった国王だが、交渉には躊躇なくそう決断した。
「その後、どうするのか決めようではないか。それで構わないか、ウィリアム?」
「分かりました」
全ての報告を終える。
以上です、とウィリアムが告げて使者団一同はさらに深々と頭を下げた。
「うむ、余の予想を遥かに上回る見事な働きだった。褒美を与えねばならんな」
多くの面々が待ちに待った瞬間である。ウィリアムも、物欲しさに動いていたわけではないが、やはり何かを貰えるならば嬉しいものだ。
「まず、代表のウィリアムだが……今回の働きを評価し、爵位を授ける。以降は子爵を名乗るが良い」
おぉ、と玉座の間がざわついた。役人として取り立てられるとは聞かされていたが、それ以上の待遇である。爵位を与えるという事は、貴族の身分を認めるという事だからだ。
「俺に、爵位を……?ありがとうございます、陛下」
子爵は下級貴族ではあるが、最下級ではない為、これは驚くべき出世である。
アダムが少しばかり苦い顔をしているのは言うまでもないが、ウィリアムは努めて無視する。
ここでは官僚が必ずしも貴族であるわけではない。タルティーニ中将や右大臣アダムは高い地位の役職にはついているが、家柄は至って普通だということだ。それはつまり、国王が家柄や身分よりも能力を重視して身の回りを固めている事を意味する。
ちなみに研究室長のベレニーチェは小さくも名家の令嬢である。身分は士爵か男爵程度だったはずだ。但し、両親が存命の間はベレニーチェに何か位が与えられるわけではない。
大司教は聖職者であり妻帯を許されないため、身分や家柄があったところで何の意味も為さない。
国王はウィリアムに対して、役職ではなく爵位を与えた。これは彼を王宮に縛りつけておかない為の、国王の気遣いなのかもしれない。
「それから、次に護衛隊」
「ははっ」
分隊長のチェザリスが代表して返答した。
ガットネーロという分隊名は、おそらく国王の記憶に無いためそう呼んだのだろう。
「不在のタルティーニ将軍に代わり、余から話しておく。アダム」
右大臣から巻物が手渡される。
「えー……ガットネーロ隊、その功績に対して、各員に一階級の昇進を命ずる。本日を持ってその任務を完了したものとし、原隊に復帰せよ……との事だ」
「確かに、承りました」
「ご苦労であった。これからも国の為、民の為に忠義を尽くしてくれ」
これで、チェザリスは中尉に、カンナバーロは軍曹に、アマティは伍長へと昇進したことになる。彼らの素晴らしい働きを考えれば当然だ。
他に、地位や階級に関連する褒美を与えられたものはいなかったので、ここからは金貨や宝物などの授与となる。
一括してウィリアムが受け取るが、平等に分配する事を仲間達には告げている。色々と考える事はあったが、最終的にはそう決断したのだ。もちろんこれには多くの反対意見が飛んだ。アーシアなど、自分の取り分は全てウィリアムに返上するとまで言い出す程だった。
しかし、誰か一人でも自分の働きが受け取る褒美に至らなかったと思うのであれば、皆平等にする為、褒美は国王へ全て突き返す、というウィリアムの言葉で渋々納得させた。
貨幣はもちろんとして、装飾を施された宝剣や色とりどりの反物など、煌びやかな品々が並べられる。
イギリス新王からイタリア国王への贈り物にも引けを取らない、価値の高い物ばかりだ。
「ありがたくいただきます」
「うむ」
「我が君、わしのほうからもささやかながら菓子を準備させて頂いております。この後の晩餐会で振舞わせて貰おうかと」
これは大司教だ。何度か焼き菓子を貰った事をウィリアムは思い出す。
「ほぉ、それは楽しみだな。では、そろそろそちらへ向かうとするか。褒美は今日中にどこかへ運ばせておいてくれ、ウィリアム」
「畏まりました。ヘンリー、頼めるか?」
「へい。部下に言って、一時的にあっしの会社の金庫に入れときまさぁ」
これだけの人間が見ているのだ、ヘンリーも国からの褒美を手下にくすねさせる様な馬鹿はしないだろう。
皆の移動よりも一足早く、王宮の従者達がそれらをヘンリーの馬車へと運び出し始めた。
馬車は王宮内ではあるが、少し離れた場所に停めてある。そこまでなら、とヘンリーの部下も特別に入城させてもらっているのだ。
ウィリアムも彼らとは顔を合わせたが、やはりと言うべきか、荒くれ者を体現したような連中だった。小傷やタトゥーが四肢、首筋、顔などところどころにあり、野盗上がりなのは誰が見ても想像に難しくない。
だが、意外にも礼儀はしっかりしたもので、ヘンリーと共に更生していったのだろう。今では真面目が売りのビジネスマンだ。
……
国王を先頭に、大司教、右大臣、そして使者団の面々が食堂へと向かう。
人数が少し多いので、特別に将校用の食堂を使う事になった。普段ならば来賓や王族、貴族用の部屋だが、さすがに全然入ると狭い。
他には、使用人や侍女など、王宮で働くもの達の食堂や、兵士用の大食堂が存在する。しかしそちらは逆に広すぎる上、雑多な部屋で王に食事をさせるのは憚られる為、最低限の場所として将校用の食堂が選ばれたわけだ。広さだけで言えば舞踏会などが催されるホールも候補だが、国王が全員で同じ卓を囲むのを希望していたのも大きい。
「全員が王様と食事だなんて、本当にすごい事をやったんだ、って思わされますね」
マルコの言葉に、ウィリアム以外では唯一英語を理解できるヘンリーが「うんうん」と頷いている。
ウィリアムやベレニーチェ、それから大司教の旧友であるムッソリーニほどの人物ならば分かる。しかし、他の面々は玉座の間に通された時点で身に余る待遇なのだ。
言うまでもなく、使者団全員は最上級の正装をもってこの場に来ている。ウィリアムとマルコは真新しいタキシードで、意外にもヘンリーが慣れないスーツを着用していた。最新のファッションをさっそく採用したわけだ。
他に、ベレニーチェは真っ赤な、アーシアは淡緑の煌びやかなドレスに身を包み、ガットネーロ隊は縫いつけられた階級章と金属製の徽章、少しばかりの勲章をつけた漆黒の軍服姿である。
将校用の食堂。イタリア王国旗をそこら中に飾り、壁には剣や槍がかけられている。床は石畳みだが、卓や椅子が並ぶ部屋の中央部にのみ、黒いカーペットが敷かれていた。
灯りは壁際の松明が数本と、卓上の燭台のみ。窓がないせいでうす暗く、怪しげな部屋に見えてしまう。
そんな中、全員が席に腰を下ろす。
「ベレニーチェ」
「はい、承りました」
ウィリアムが言うと、ベレニーチェが裸電球を取り出した。下部に小さな木箱が据えられたそれは魔術ではなく、蓄電池を利用して発光するものだ。将校用の食堂を利用すると知らされていたウィリアムが、急遽用意させたものである。
「発光」
「はは、いちいち言わなくてもちゃんと光るぞ」
ベレニーチェがカチリとスイッチを入れると、柔らかでありながらも松明や燭台に勝る光量で電球は光を放った。
「ほう」
国王が感嘆の声を漏らす。
「陛下、まだ改良の余地はありますが、これをいずれは王宮内に行き渡るよう、天井に吊るして周りたいと考えています」
木箱に取りつけられた電球は卓上に置かれ、上を向いている形だ。木製という事もあり大した質量ではないので、このまま吊り下げる事も可能だろうが、ウィリアムはもう少しスマートなものにしたいと考えている。
「おぉ、素晴らしい。直ぐにでも取り掛かってくれ」
「分かりました」
国王が上機嫌で笑う中、料理が運ばれ始める。
「電気ですか、懐かしいと感じるくらいに久しいですね」
これはもちろんマルコだ。
「研究分野での当面の目標は、コイツの量産だろうな。しかし、このティッシュケースに生えたキノコみたいな見た目はいただけない」
「中身はバッテリーですか?」
「正解だ。充電は魔術だけどな」
「城の中に電線引いて回るわけにもいかないでしょう。その辺で手を打つのが上策だと思いますよ」
これはウィリアムと同じ考えだ。電気というものが、普通であればどうやって流れているのかを理解しているからこそ、同じ答えにたどり着く。電線を張り巡らし、発電所を構えるというのはあまりにも飛躍した話だ。それこそ、何年、何十年とかかってもおかしくはない。無論、この世界に永住する前提であれば推し進めたかもしれないが。
「これは美味そうだ」
運ばれた一品目の料理に、国王が両手を擦り合わせながら言った。
カボチャをくり抜いて器とし、その中にポタージュの様なスープが入っている。
「ほぉ、珍しい料理ですな。見るだけでも楽しくなってきます」
右大臣のアダムが肯定的な意見を言う方が珍しいがな、などと考えながら、ウィリアムはポタージュの良い香りに笑みを漏らす。
晩餐会が始まると、それに続いて鶏肉と山菜のサラダ、川魚とキノコのソテー、イノシシ肉に香草と胡椒をまぶしたステーキが続く。どれもこれも絶品ばかりでウィリアムやマルコですらも舌を唸らせた。
しかし、あまりの美味さにより強く驚いているのはガットネーロ隊のカンナバーロとアマティ、侍女のアーシア、そしてはしゃぎっ放しのエイハブだった。
「こら、落ち着いて食べなさい。はしたないですよ」
隣のベレニーチェから、エイハブの口元に真っ白いナプキンが当てられる。仕事や訓練は少しずつ覚えているが、テーブルマナーについては彼が知るはずもない。
「可愛い坊や、お菓子はいかがかな?」
そんな二人のもとに、しわくちゃの笑みを浮かべた大司教が歩み寄る。
「だれー?すごいお髭」
現世に生きる子供であれば、サンタクロースが来たと言われても全く疑わないであろう大司教の容姿は、エイハブの興味を引くのに充分の迫力だった。
「こら!」
ペチンッ、とベレニーチェに左手の甲を軽く叩かれる。
「うー」
「も……申し訳ありません、クレメンティ様」
「よいよい。それより、わしの手作り菓子はどうだね?ウィリアムに助言をもらってな。砂糖がたっぷり入ったバタークッキーじゃ」
大司教が差し入れをくれる時に必ず使う木網のバスケットには、一口サイズの黄金色の焼き菓子がこれでもかと盛られている。
「えぇ、では遠慮なくいただきますわ。ありがとうございます」
「ほれ、坊やも一つどうだね」
「ありがとう、ござい、ます」
エイハブがたどたどしい敬語を使って礼を言った。
使者団の面々に対して礼節をわきまえるような事は強要していなかったので、これは成長と見ても良いのかもしれない。
「お主もどうじゃ、ウィリアム」
大司教はそのままウィリアムとマルコの近くまで菓子を持ってきた。
「いや、俺はいい。だいたい、甘いものは食事の最後だろう。まだ何品か残ってるって話だぞ」
「つれない事を言うでないわ。せっかく砂糖を大量に手に入れたんじゃぞ。甘いほうが良いと言ったのは誰だったか」
「わかったわかった。一枚だけもらうよ」
大司教がいじけてしまう前にと、ウィリアムはクッキーを一枚つまんで口に放り込んだ。なるほど、確かに以前の乾パンのような味気無さは微塵もない。正真正銘、クッキーだ。
ててて、と小走りで接近し、その横から追加でクッキーを奪っていく人物。エイハブである。
「なんだ、じいさんの菓子が気に入ったのか」
「うん!甘くて美味しいよ!」
「おぉ、そうかそうか。それは良かったわい。作った甲斐があったと言うものだ。好きなだけお食べ」
甘い菓子を初めて食べたのだろう。ベレニーチェに拾われた時の状況から見ても、エイハブの両親が裕福だったとは考え辛いからだ。
「おーい、余とアダムの分は残しておいてくれないか」
「これは我が君、つい子供の愛らしさに我を忘れておりましたわい」
すでにエイハブの小さな右手には何枚かのクッキーが握られてしまっているが、バスケットの中は国王が心配するほどの状況ではない。
「アーシアも遠慮せずに一枚もらったらどうだ?菓子の作り方の参考になるかもしれないぞ」
そうでも言わなければ彼女は手を伸ばさないだろう。緊張や遠慮をしないほうが難しいはずだ。
「あ、はい……いただきます」
ガットネーロ隊の三人は黙々と食事をしている。酒もあるが、カンナバーロは手をつけていない。
「中尉」
「……」
「おい、チェザリス!」
「あ、はい!申し訳ありません、昇進したてで呼ばれ慣れておらず」
確かにそれもそうだろう。しかし、自分達には場違いだと感じて固まってしまっているのは明らかだ。
「国王陛下と話してみたらどうだ?将軍がいなくて良かったじゃないか」
「えぇ、閣下がお見えでしたら、今以上にカチコチになっていたでしょうね」
タルティーニ中将は、気さくで温和な国王と比べると厳しい人物だと言える。無論、ウィリアムを相手にする時の話ではなく、直属の部下である兵士に対してだ。
「それでも陛下に御用もなくお声掛けするなど、畏れ多くて出来ません。見てください、ウチの伍長……もとい、軍曹がこんなに畏まっているくらいですから」
確かにカンナバーロが騒いでいないのは奇妙なものだ。彼はチラリとウィリアムとチェザリスに視線を送り、力なく笑った。
「いや、俺たちの功績を称えていただいてるのは嬉しいんですがね、隊長。口を滑らせるくらいなら黙っておこうかと。ほら、俺たちみたいな平民上がりじゃ上流階級相手にもお上品な言葉なんて使えないじゃないですか」
「そんな心配が要るのはお前だけだ」
チェザリスから軽い叱責を受けるカンナバーロを見ながら、自分の言葉遣いも褒められたものではないがな、とウィリアムは苦笑する。
……
大司教が国王のもとに菓子を差し出している。ウィリアムから見ると卓の真正面だ。
「さて、マルコ。俺たちも我が君に挨拶するぞ」
「はい、叔父貴」
「中尉、陛下と話したいなら今がチャンスだと思うが、お前も来るか?」
「あ……はい、お供いたします」
マルコとチェザリスを連れ、国王の席に近づいて頭を垂れた。おそらく止められる為、ひれ伏しはしない。
「おぉ、ウィリアム。よく来てくれた。部下達との最後の会話が忙しいようだな」
解散となった使者団の面々との別れを惜しんでいると思ったのだろう。
「いえ、ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「解散後は少し残ってくれ」
「はい」
皆がいる場所で話せないのならば、何か重要な用件なのは間違いないだろう。
「改めて、これは舎弟のマルコと言います。偶然にもロンドンで再開しました」
「王様、よろしくお願いします」
「信頼の置ける男なので、今後とも俺の従者として王宮への出入りをお許しいただければありがたいのですが」
「うむ、問題ない。自由に出入りするがよい。して……」
そっちの兵士は?との言葉が続く前に、国王の視線に気づいたチェザリスが慌てて敬礼を向けた。
「い……イタリア王国使者団の護衛隊長の任を賜っておりました、チェザリスでございます!陛下のお側に立てる機会など滅多にございませんので、バレンティノ様について参りました!」
「そう緊張せずとも良い。確かイギリスへ出発する際もそうだったか、こうして側にいる機会を何度か経験しているではないか」
「は、はぁ」
気楽にしろと言われても、チェザリスのように序列を重んじる人間には難しい話だろう。
「お主は護衛隊長だったか?将軍も夜には戻ってくるはずだ。しっかりと労うように伝えておこう。美味い酒でも飲ませてもらうのだな」
「ありがとうございます」
ガットネーロ隊は解散したが、三人はもともと同じ隊だったと聞く。今回の遠征で多くを学んだ彼らはきっと、原隊復帰後も精鋭兵として珍重されるだろう。
「さて、料理が出尽くしたらお開きとしよう。もうしばらく、この場を楽しんでくれると嬉しい」
そして一時間後、イタリア王国使者団最後の集いは幕を下ろした。
……
……
皆が退室し、ガランとした将校用の食堂。いるのは正方形の卓を間に挟んで座るウィリアムと国王の二人だけだ。
室内は燭台の炎だけが揺らめき、元の薄暗く怪しい雰囲気に戻っている。電球はベレニーチェが出て行くときに持ち出してもらった。
右大臣が最後まで残ると言い張っていたが、国王が何とか説き伏せて追い出した。しかし、扉の前で聞き耳を立てているのは想像に難しくない。
「我が君、お話があるというのは」
ウィリアムは出来る限り小さく、かろうじて国王に届く程度の声で尋ねる。
「……アダムか。困ったものだな。しかし、あれくらいの警戒心がある者が一人くらいは手元に必要なのも道理だ。許してくれ」
国王も全てを理解して小声で返す。
「もちろんです。好きにはなれませんが、理解は出来ます」
「爵位はどうだ、気に入ってくれたか?もし要らぬと言うならば返してくれても構わないぞ」
「いえ、とても嬉しいですよ。まさか俺が貴族様だなんて」
「屋敷くらい構えても良かろう。それくらいの報酬は与えたつもりだ」
いつまでも小さな部屋で暮らして欲しくはないという事か。確かに早々に家を購入しなければ、爵位を与えた国王の顔に泥を塗る事になる。
しかし、残念ながらそれは叶わない。
「実は、褒美の品々は全員で平等に分配するつもりなんです」
つまり人数分で割ってしまえば、家を買えるほどウィリアムの手元には残らないという意味だ。
「何と!ううむ……だがお主がそう決めたのならば、余は口出し出来まい」
「申し訳ありません。いずれ必ず、賜った身分に見合う男になります」
「期待しているぞ。それで、残ってもらった理由だが……イギリス新王の書状の件だ」
「なるほど。しかし、国の政には関わるつもりはありません」
伝言ではなく書状にしてもらったのもそれが理由だが、結局ウィリアムに戻ってくる結果となってしまったようだ。
「安心してくれ。あのボウズの個人的な頼みだ」
「……何と?」
「イタリア使者団の頭目、ウィリアム・バレンティノ殿のやるべき事、それにこの身をもって協力させて欲しい。とな」
ウィリアムは衝撃を受けた。確かにアメリカへ渡る話をした時に、イギリス新王が一緒に来たいと言ったのは覚えている。もちろんそれは難しいと返したのだが、書状を受け取ったのはその話をする以前だったはずだ。どこまで理解していたのかは不明だが、ウィリアムが重要な使命を背負う事を看破していたのだろうか。
しかし、そこまでの考えをウィリアムは否定する。新王の意志には先王の話が絡んでくるはずだ、と。
先王はウィリアムを守る必要があると息子に話していた。つまり、新王は盲目的にそれに従った……いや、それも違う。
ウィリアムが人類にとって何か重要な使命を背負う事を新王は理解していた。それを後押ししたのが先王の言葉だった、というのが一番納得のいく解釈だ。何にせよ、二代揃って有能な人物である事が分かる。特に先王の威光は絶大だ。死してなお、国を動かす。
「イギリス国王は……俺を買い被り過ぎです」
「よいではないか。アジアを取り戻す時、アメリカへ渡る時、連絡を取るとしよう。無論、イギリスに負担がかからない程度にな」
恩のあるイタリア国王にそう言われては、ウィリアムは頷くしか無かった。




