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#9

「ベレニーチェが、使者団を抜ける……?」

 

「はい。お聞き入れ下さらないならば。私は本気です」

 

 呆然と立ち尽くすウィリアムに、ベレニーチェはもう一度強く言い放った。

 

「てめぇ……このクソアマが……」

 

 近寄って肩を掴もうとしたマルコの右手を弾き、ベレニーチェは駆け出して行った。

 

「あ!おい待て、コラぁ!」

 

「マルコ!もういい!一人にしてやれ」

 

「はぁ……まぁ、そう仰るんなら」

 

 納得いかない様子でマルコが引き下がる。

 

「……バレンティノ様、放っておいてよろしいのですか」

 

 アマティが言った。問われることなく彼が自らの考えを伝えるのは珍しい。

 

「俺も少し考える時間が欲しいところだからな」

 

「彼女なくして研究が進む事がありましょうか」

 

「無い。しかし、子供を引き取る事を安易に許容も出来ん」

 

 ベレニーチェは確かに本気だった。だが、重要な仲間である彼女が使者団を抜ける事などウィリアムには考えられない。 

 彼女の要求を飲み、左腕を失った幼子を養う事自体は難しくはないだろう。

 

 問題はその先だ。

 ベレニーチェが関わり、不運な運命を迎えた者を目の当たりにした時、必ず同じことを繰り返すはめになる。もし百人の子供が一挙に孤児になったとしたら……?ベレニーチェはそれすらもどうにかしてやろうと考えるはずだ。

 

「……帰るぞ」

 

 明確な答えを出せないまま、来賓用宿舎に戻る。

 

……

 

「ベレニーチェは、また診療所か」

 

 宿舎、ベレニーチェとアーシアの居室。

 

「そうだと思いますが……何かあったのですか?」

 

 ウィリアムがここを訪れる事など滅多にない。気が回るアーシアが異変に気付かないはずがなかった。

 

「辞める?この使者団のお勤めを、ですか?」

 

 すべての経緯を話したウィリアムに、アーシアは目を丸くしてそう返した。

 

「俺がこうして頭を抱える理由としては十分だろう。彼女が間違っていると言いきれないのが難しいところでな」

 

 窓の外の街並みを見て黙るアーシア。

 

「子供は……引き取ってあげて下さいませ。私に考えがございます」

 

 そしてぼそりとそう言った。

 

「どういう事だ?」

 

「ベレニーチェ様はこの使者団になくてはならない存在。あの方を行かせてしまう事は絶対に避けなければなりません」

 

「その通りだ」

 

「しかし彼女がそれを望むならば、その対価として誰かが去れば良いのです」

 

 今度はウィリアムが目を丸くする番だ。

 

「まさか……」

 

「私が去りましょう。それが最善の手です。私は只の侍女に過ぎません。代わりなどいくらでも見つかりますから」

 

「待て!そんなことをしても意味が無い!誰一人として欠ける事は許さないぞ!」

 

 焦るウィリアムの顔を見て、アーシアはいつものように柔らかく笑った。

 

「大丈夫ですよ。私がその話をすれば、ベレニーチェ様もお考えを改めて下さるはずですわ」

 

「それでもあの子を救いたいと言う可能性だってあるんだぞ!」

 

「その時は私が本当に去るだけです。ふふ、一足先にローマへ帰るだけですよ。どなたかイタリアと商売をなさっている方々を頼って同行させていただきましょう。ですから危険はありません。安心して下さい、バレンティノ様」

 

 確かにどちらに転んでもアーシアのその行動によってベレニーチェが考えを変える確率は高い。

 

「くっ……」

 

 他に考えも浮かばないまま、ベレニーチェの帰りを待つ事になった。

 

……

 

……

 

「バレンティノ様、お待ち下さっていたのですね」

 

「あぁ。部屋にまで押しかけてすまないな。……それで子供の件だが、受け入れる事にした」

 

「えっ?」

 

 夜遅くになってようやく帰ってきたベレニーチェは、予想外の言葉に驚いた。

 もちろんその後ろに含みがあるわけだが、先に条件は言わない。ウィリアムの交渉術のスキルが試される場面だ。

 

「ただし、その代わりにアーシアが使者団を抜ける事になった。それが条件だ」

 

「……っ!」

 

 ベレニーチェの視線が同室のアーシアに向く。彼女は無言のまま柔らかく笑うばかりだ。

 

「そんな、バレンティノ様!それはあんまりでございます!彼女には何の落ち度もありません!去るのは私だけで十分ですわ!」

 

 怒りを帯びた視線が戻ってきた。

 

「その決定権は俺にしかないだろう。それに、この条件はアーシア本人が出したものだ。彼女の思いを無駄にしないで欲しい」

 

「そんな……」

 

「子供をどうにかしてやりたいというお前の考えは間違っていない。だが、我々の目的は難民の保護ではないんだ。確かにアーシアやマルコは俺が望んで仲間にした。悪い言い方だが、有用だと思ったからだ。保護とは違う。言うなれば雇用みたいなものだろう」

 

 ベレニーチェがうつむき始めた。迷っているのが分かる。

 

「だが、お前の意思を汲んだアーシアは自らの身を退いてでも、お前の考えを尊重してやって欲しいと言ってな。自分がどれほど大きな事を望んでいるのか、理解してくれればありがたいんだが」

 

「……承知しました。明日の朝、お返事をいたします。一人にしてもらえますか」

 

「あぁ」

 

 ウィリアムとアーシアが退室する。

 

……

 

「どう思う?」

 

「分かりません。残っていただければ嬉しいとしか」

 

 アーシアは一夜だけ、ウィリアムの自室での宿泊をすることになった。紳士らしくウィリアムはベッドを明け渡して床に転がっている。

「寝場所は逆でないとおかしい」というアーシアを説得するのにかなりの問答があったのは言うまでもない。

 

「同感だ。しかし、やはりベレニーチェとアーシアを天秤にかけるようで気乗りしないな」

 

「ふふ、私はしがない侍女ですよ。代えの利かない優秀な魔術師の方とは違います」

 

「哀しいな。まるで俺達みんながそう思っていると言われたようで」

 

「バレンティノ様……今日までお仕えさせていただいて、本当にありがとうございました」

 

「おいおい、やめてくれよ。今はまだ、別れの言葉を聞かされる時じゃないぞ」

 

 ひやりとした夜風が窓から入ってくる。

 ウィリアムは目を閉じたままアーシアからの返事を待っていたが、すぐに穏やかな寝息が聞こえ始めた。彼女は眠ってしまったようだ。 

 起こしてしまわないように静かに立ち上がり、ウィリアムは一服入れようと宿舎の一階の玄関前まで移動した。

 

「ベレニーチェ……信じているぞ」

 

「おっ?どうしたんです、旦那?」

 

 先客がいたようだ。

 御者のヘンリーがくしゃくしゃの紙煙草を口にくわえて、馬車の荷台からこちらを見ている。

 

「ヘンリーか。こんな遅くまで作業を?」

 

「えぇ。やり始めると止まらない性分なんでさぁ。早く旦那に完成品を見てもらいてぇ、ってね」

 

『戦車』の完成までは残り半分といったところだろうか。荷台部分は未着手だが、御者席を含む車体前方は出来上がっている。

 

「無理するなよ、と言ったところで通じないんだろうな」

 

「へへ、よくご存知で。それで、旦那こそどうしたんです?煙草ならご自身の部屋でもいいじゃねぇですか」

 

「今日はわけあって相部屋でな。アーシアが同室で寝てるんだ」

 

 よほど意外に感じたようで、ヘンリーは眉をひそめて怪訝な表情を返した。

 

「はぁ……あのマダムが、ですか?」

 

「彼女は素敵な女性だとは思うが、妙な考えが浮かんだんならもちろん不正解だぞ」

 

「そうですよね。すいやせん」

 

 ヘンリーが荷台から地面に飛び降りる。

 

「問題なのはアーシアよりもベレニーチェでな。この使者団を抜けるつもりだと騒いでる」

 

「初耳ですね。お嬢ちゃんに何か?」

 

 ガットネーロ隊、特にカンナバーロ伍長あたりが仲間に言いふらしているかと思ったが、ヘンリーは経緯を知らなかった。

 

「あの、大怪我をした子供だ。引き取ると言って聞きやしねぇのさ」

 

「いっそ、あっしの旧友にでも頼んでこっそり拐いましょうか?ガキがいなくなっちまえばどうしようもねぇはずでさぁ」

 

「おい、馬鹿言うな。人拐いが怪我した子供を誰かに売れるはずもないだろう。すぐに山奥へ棄てて終わりだ。それに、ベレニーチェが事件を嗅ぎつけたら?それこそ彼女がいなくなる理由にしかならんぞ」

 

 ヘンリーが「冗談でさぁ」と両手を広げた。

 

「結局、子供は受け入れてもいいと言ったんだが、代わりにアーシアが去る。それを引き合いに出して、ベレニーチェがどうにか考え直してくれないかと期待しているんだが」

 

「それで、お嬢ちゃんは自室に閉じ籠ってるってわけですか。確かにそいつは難儀な話でさぁ」

 

「アーシアもベレニーチェも大事な仲間だ。どちらも失いたくはない」

 

 暗がりの中ではヘンリーの表情は見て取れない。

 

「どちらかを失うのと、どちらも失うのではどうです?」

 

 唐突なヘンリーからの質問。ウィリアムには質問自体の意味が理解出来ない。

 

「どちらかと、どちらも?」

 

「へい。旦那はどちらかを失う、あるいは二人が残る結果しか見てねぇようですが」

 

「当たり前だ。今回の件に、二人共去る選択肢なんかないだろう」

 

「いいえ。十分危険な綱渡りです。あっしなら、涙を飲んでお嬢ちゃんを切りまさぁ」

 

「……!」

 

 ウィリアムがバッ!と顔を振ってヘンリーの表情を覗こうとするが、やはりそれは叶わない。

 

「お前は、何を言ってるんだ!?」

 

「最悪の事態を考えて、被害を最小限に止めるのも頭の仕事でさぁ」

 

 その、最悪の事態が起こる可能性がやはり分からない。

 

「……もういい。どちらにせよ、ベレニーチェを切るなんて俺には出来ないからな」

 

「そうですかい。ま、これ以上に口を挟むのはやめときまさぁ」

 

「さて、俺は部屋に戻るぞ。お前もあまり頑張り過ぎて疲れないようにな。……戦車の完成、楽しみにしてるぞ」

 

「へへっ」と鼻を鳴らし、ヘンリーは再び荷台によじ登っていった。やはりまだ休む気はないらしい。

 

 宿舎の階段を上がり、自室に戻るウィリアム。

 出てきた時と同じように音を立てないように扉を開け、滑り込むように部屋へ入った。

 

 すぅすぅと規則的なアーシアの寝息は続いている。起こしてはいないようなので、ウィリアムは安心した。

 

……

 

……

 

 翌朝。

 

 ウィリアムが目覚めると、すでにアーシアの姿はなかった。

 

 時刻は午前十時。少々寝すぎてしまったようだ。


「叔父貴、おはようございます」

 

「おう」

 

 部屋を出ると、スーツを着たマルコが立っていた。

 別に入室を待っていたわけではなく、ちょうどウィリアムの部屋を訪ねてきたところだろう。

 

「ベレニーチェを見たか?」

 

「いや、見てませんね」

 

 まだ部屋にいるのかもしれないが、自ら話しに来るまで彼女にはじっくり考えさせるつもりだ。

 

「そうか。朝飯は済んだか?食ったなら先に翻訳作業をやっててくれ」

 

「わかりました」

 

 階下へ向かい、食堂に入る。他の国の来賓の姿はちらほらあったが、イタリア使者団の面々は誰一人いなかった。そういえば部屋にも朝食は運ばれてなかった。珍しいこともあるものだと思いながらも、仕方がないので建物から出る。

 

 朝食をやっているレストランやパブは稀だ。大抵はランチやディナーのみの提供で、今の時間は開店準備に追われている頃だろう。

 ウィリアムはパン屋や果物屋を探そうと、あまり足を運ばない路上市場に向かった。

 

……

 

 石畳の通りの両脇にテントを張った露店がずらりと並んでいる。やはりこちらは午前中でも活気があり、買い食いを楽しむ若者達や、今日の昼食や夕飯の材料を求める主婦で賑わっていた。 

 スーツ姿に帯刀したウィリアムは少々場違いだが、店先から彼に声をかけてくる商人も多い。

 

「兄さん、そりゃかなりの上等品だね。背広の仕立て直しならウチで頼みますよ!」

 

「お客様、靴磨きなどいかがでしょう。銅貨一枚で承りますが」

 

「そこの紳士さん!あんた、軍の幹部かい?武器が要り用なら見てってくんな!昨日仕入れたこの剣なんか、フランスの名工の力作だぞ!」

 

 もちろんそれらに用もあるはずのないウィリアムは、愛想笑いを浮かべて店の前を通過するだけだ。 

 一軒の果物屋を見つけ、バナナをひと房手に取る。少々小振りだが、朝食の代わりにするには問題なさそうだ。

 

「こいつをくれ、マダム」

 

「銅貨二枚だよ」

 

 店主のハキハキと喋る女性に代金を渡し、ウィリアムが振り返ると、そこにはエプロン姿のアーシアがいた。

 

「あ、バレンティノ様。おはようございます。申し訳ございません。まだ起きておられなかったバレンティノ様とベレニーチェ様、ちょうどお二人分の朝食が足りずに、今買い出しに来ていたところです。お目覚めになるまでにはご準備するつもりだったのですが」

 

「おはよう。なるほど、俺はこいつで済ませる事にするから、ベレニーチェの分は持っていってやってくれ」

 

「承知いたしました」

 

 アーシアは藁で編まれた買い物カゴを手に持っており、その中には新鮮な野菜や魚が入れられている。

 

「もしかして、昼食の分も一緒に?」

 

「え?あぁ、そうですね。確かにお二人の朝食にしては多すぎますわ。ふふふ、来賓用宿舎はキッチンを借りれるので、ついつい楽しくて食材を買いすぎてしまいますね」

 

「俺が持とう。まだ他にも要り用があるんだろ?」

 

 遠慮して断られる前に、アーシアが持つ買い物カゴをウィリアムは半ば強引に奪い取った。

 

「そんな、悪いです!私が好きでやっている事じゃありませんか。むしろ、お目覚めまでに朝食をお出し出来なかった私は責めを負うべきだと思います」

 

「ではこうしよう。朝を我慢してやる代わりに、昼食は唐辛子のきいた肉料理とパスタだ。異論は認めん」

 

「まぁ……!ふふふ、承知いたしましたわ」

 

 やはりこの侍女は去るべきではない。彼女の代えなど何者が来ようときかない。口元を右手でおさえて穏やかな笑顔を向けてくるアーシアに、ウィリアムは改めてそう強く思ったのであった。

 

「……そうと決まれば、乾物屋に製麺屋と精肉店も探さないとな。場所は分かるか?」

 

「もちろんですわ。では、ご一緒お願いしてもよろしいでしょうか」

 

「喜んで、レディ」

 

 社交ダンスのパートナーを相手にするかのように、曲げた手を自らの腹に当ててウィリアムが恭しくお辞儀をする。

 

「うふふ、お手は握りませんよ」

 

「それは残念だな」

 

 冗談を投げ合って、二人は歩き出した。

 

 市場は広いが、ほんの少し歩くだけでお目当ての店は簡単に見つかった。

 むしろ、ウィリアムが言ったような専門店よりは同じ商品を幅広く取り扱う店が何軒かあるせいで、値段や商品の質の違いにどこを利用するか迷ってしまう程である。


「さらに凄い量になったな……さすがに一人だったら厳しかったんじゃないのか」

 

 ウィリアムが両手に抱えた食材の山の横から顔を覗かせながら言った。

 

「えぇ、そうですね。本当に助かりました。ありがとうございます」

 

「……どうした?」

 

 心なしか、アーシアの笑顔が曇っているように感じる。

 もちろん明るく振る舞っている方が圧倒的に不自然な状況なのは承知しているが、ウィリアムは敢えて尋ねた。

 

「これが……皆様の為にお食事の支度をさせていただく最後のお務めにならない事を祈るばかりですね。もし去ることになったら……私のいない所で皆様が体調を崩したり、お怪我をなさらないか心配でなりません」

 

「心配いらないさ。ベレニーチェはきっと俺の気持ちを分かってくれる。彼女はまだ若すぎるが、それ以上に賢く、仲間想いだ」

 

 だが、すぐに訪れた結果は意外なものだった。

 

 宿舎に到着したウィリアムとアーシア。

 アーシアはすぐにベレニーチェの遅めの朝食を作り、彼女の居室へ届ける。

 しかし、返答がない。ゆっくりと扉を開けると、そこにベレニーチェの姿はなかったのである。 

 その足でアーシアはウィリアムとマルコの所へと報告に駆けつけてきた。


「返答を先伸ばしにしたがってるだけじゃないんですか?」

 

 この楽観的な意見はマルコのものだ。

 

「いや、やはり俺の要求が受け入れられずに飛び出したのかもしれない。ガットネーロ隊に診療所を見てくるように指示しよう」

 

「いいえ、私はそうは思いません。きっと何かあったんです!強盗にでも襲われたのかも……!」

 

「落ち着け、アーシア。宿舎内にそんな輩が侵入してくる可能性は薄い」

 

 ベレニーチェではなく、今にも自身が飛び出してしまいそうな勢いのアーシアと、その腕を掴むウィリアム。

 

「……っ!」

 

 乱暴にしたつもりはないが、アーシアが軽く呻いたのですぐにそれを離した。

 

「先ずは診療所だ。もしベレニーチェが見つからなければ、それから考える。いいな?」

 

「……」

 

 反応がない。

 

「いいな?」

 

「……はい」

 

 華奢な両肩に軽く触れると、ようやくアーシアはゆっくりと頷いた。

 

「マルコ、チェザリスを呼んでこい」

 

「はい、叔父貴」

 

 マルコが退室し、ガチャンと音を立てて扉が閉まった。

 目の前にいるのはアーシアだけだ。

 

「自分の部屋で待っていろ。理由は分からんが、ベレニーチェの身に危険が迫っていると決めつけるには早すぎる」

 

「分かりました……」

 

「一応言っておくが……あんたまでどこかへ行ったりしないでくれよ?」

 

 マルコの時とは対照的に、音もなく扉が閉められる。

 

 先日ブライアン准将から届いていた紙巻き煙草に火をつけ、二、三回煙をくゆらせたところでノックが響く。

 

「入れ」

 

 もちろんチェザリスを連れたマルコが入ってくる。 

 灰皿代わりにしている花瓶に煙草を入れると、その中の水に火種が触れてジュッと微かな音がした。

 

「お呼びでしょうか」

 

 チェザリスが手順書でもあるかのようにそう訊いてくるが、彼も内容はよく理解しているだろう。

 

「ベレニーチェが部屋から消えた。診療所を見てきてくれ」

 

「承知いたしました。上等兵に行かせます」

 

「それでいい。子供の所在も確認してくれ。もしベレニーチェが見つからなければ街全体に捜索範囲を広げる。行け」

 

「はっ!」

 

 手短な命令に緊急性を見出だしたチェザリスは、素早く敬礼をして出ていった。

 

「叔父貴はどうされるんです?あのお嬢が心配なんじゃないですか?」

 

「心配だが、アマティから報告が上がってくるまでは仕事をするつもりだ。お前も手伝ってくれ」

 

「分かりました」

 

 開きっぱなしの資料を手に取り、二人は席についた。

 

……

 

……

 

「結果から申し上げます。ベレニーチェ様は、子供を引き取ると申し出て、そのまま二人一緒に診療所を後にされたそうです……」

 

 チェザリス少尉とアマティ上等兵が並び、ウィリアムの部屋で報告を行う。ウィリアムにとって思わしくない結果となってしまったわけだ。

 

「……彼女の所在は?」

 

「未だ分かっていません。ロンドンのどこかで暮らすつもりなのか、はたまたローマへと引き返されたのか」

 

「見つけたところで戻ってくる可能性は低いかもしれませんよ、叔父貴」

 

「確かにな……しかし放っておくわけにもいかんだろう。まったく……バカな事をしやがって」

 

 確かに彼女を強制的に連れ帰るのは不可能に近いだろう。

 

 アーシアにも知らせなければなるまいと考えていると、タイミングよく彼女が入室してきた。

 ガットネーロ隊の帰還に気づき、ウィリアムの部屋の前で聞き耳を立てていたのは言うまでもない。

 

「申し訳ありません。悪いとは思ったのですが……」

 

「いいさ、気にするな。聞いての通り、ベレニーチェは出ていってしまった。アーシアに迷惑をかけたくないと思ったのかもしれんが……しかし、これではどうにもならないな。翻訳の仕事は今まで通り問題なく出来るが、研究はムッソリーニだけだと間違いなく滞ってしまうぞ」

 

 

 カンカンカン……!

 

 

 その時、室内に届いた警鐘。

 

「……!」

 

 無論、それが意味するのは魔族の襲撃。

 明らかにその間隔が短くなってきているのは、先代国王の戦死が絡んでいる可能性が高い。

 

「最悪のタイミングだ……!」

 

 ベレニーチェの行き先が判明していない上、製作途中の馬車をすぐには出せない。

 一同の視線がウィリアムに集まる。

 

「そんな……ベレニーチェ様……!」

 

 アーシアが顔を手で覆う。

 

「少尉、他のみんなは宿舎にいるのか!?」

 

「御者のヘンリーは今しがた馬車の開発を行っているのを見かけました。ムッソリーニ殿は今朝からお見かけしていません。伍長は……」

 

「はい、隊長。俺ならここにいますけど?」

 

 チェザリスが話している途中でカンナバーロのゆるい声が返ってきた。

 薄手のシャツとチノパン姿で、腕を組んだまま部屋の入り口に寄りかかっている。

 

「いたのか!よかった!」

 

「……確かによかったですね。非番だったのに近くにいた俺を誉めて下さいよ。ちなみに錬金術師のじいさんはついさっき便所で顔を合わせました」

 

 その言葉の通り、ムッソリーニはそれから数秒遅れて登場した。

 

「また、魔族が侵入してきたようですな……」

 

 深いため息と共に、しみじみとムッソリーニが言う。

 ベレニーチェがいない事に気づいているはずもなく、慌てた様子はない。

 

「救出に向かわれますか」

 

 チェザリスが訊いた。

 

「当たり前だ。しかし、馬車は出せない。少人数で騎乗して出るしかないだろうな……」

 

「はて、救出とは……まさか!ヘンリー殿とベレニーチェ様ですか!」

 

 ムッソリーニが声を荒げ、ウィリアムが首を横に振る。

 

「ベレニーチェだけだ。彼女はついさっき、この使者団を離反した」

 

「なんですと……!」

 

 ムッソリーニは口をあんぐりと開けたまま固まってしまう。

 

「バレンティノ様、編成のご指示を」

 

「チェザリスとアマティ、そして俺の三人で向かう。完全武装の騎馬二頭を準備しろ」

 

「はっ」

 

 そして、やはり意見してくる男が一人。

 

「叔父貴、俺を置いていくのは勘弁してください」

 

 舎弟のマルコである。

 

「俺だって連れて行ってやりたいが、現状では馬を駆れるのはチェザリスとアマティだけだ。四人では向かえない」

 

「どうしてですか?二人乗りなら四人まで大丈夫でしょう」

 

「帰りはどうする。俺は一時的にでもベレニーチェを馬に乗せて安全な場所まで連れていくつもりだ。たとえ強く拒否されても彼女の命には代えられんからな」

 

 その為の三人編成だ。

 

「しかし……!それなら叔父貴はこちらで待っていて下さい!俺か、伍長が行けばいいだけです!」

 

「えっ、なんで?行きたくないな……」

 

 思わぬところからお呼びがかかったカンナバーロが顔をしかめる。

 非常事態でもお構い無しの体たらくな発言、やはり彼はどうしようもない男だ。

 

「いいや、俺が行く。悪いが俺にも責任者としての意地があるからな」

 

 当然ウィリアムはマルコの意見を却下した。

 ベレニーチェを連れ戻すチャンスがあるとしたら、確実にこれが最後だろう。その役目を自分以外の誰かに負わせる事など出来ない。

 

「バレンティノ様がこう言ってるんだから、諦めなって。なぁ、あんちゃん?」

 

 カンナバーロは上機嫌だ。

 

「それなら……せめてこのハジキを持って行って下さい、叔父貴。俺は納得出来てないんですから」

 

 マルコが拳銃を差し出す。

 ウィリアムは少し迷ったが、結局それを受け取った。貴重な弾丸を使うつもりはないが、それでマルコの気を少しでも紛らわしてやれるならばと思っての行動である。

 

「……銃ってのは、こんなに軽かったか。洒落た棒切れ振り回してばっかりで、俺もすっかり現地民だな」

 

「弾を作るんでしょう?グッとみんなの死亡率が下がるでしょうし、あのお嬢が戻ってきてくれるといいんですがね」

 

「連れ帰るさ」

 

 ウィリアムはそう言いながらスラックスのベルトに拳銃をねじ込む。

 

「バレンティノ様、準備が整いました」

 

 チェザリス少尉と共に騎馬を準備していたアマティ上等兵が部屋に戻ってきてそう告げた。

 なめし革製の茶色い鎧兜に、今日だけは薄い鉄製の胸当てを装着している。 

 ウィリアムが馬に完全武装を命じる事など、まずない。もちろんそう言われなくとも、任意でガットネーロ隊がそれをやっているからだが、わざわざ指示を出した意味を理解してくれているようだ。

 

「甲冑をお召しになられてはどうでしょう」

 

「気持ちは分かるが、俺はお前たち程タフじゃない。馬にも上がれなくなるし、1フィートも歩けなくなるぞ」

 

 そう返し、スーツのままで宿舎の前へと出ていく。

 チェザリスがすでに騎乗しており、「私の後ろへお座り下さい」とウィリアムに促した。

 

「どうぞ」

 

 アマティがその馬の側で両手を組んでくれたので、それを踏んで馬上によじ登る。

 そのまま彼もすぐに自分の馬に跨がった。

 

「行き先はいかがいたしましょう」

 

「まずはもう一度診療所へ向かう。警鐘を聞いてベレニーチェが戻っている可能性があるからな」

 

「承知いたしました。それでは……やっ!」

 

 チェザリスが手綱を握って馬の腹を強く蹴った。彼が愛用している白馬が駆け足で進み始める。

 

 早馬ならば診療所まではそう遠くない。

 しかし運悪く、途中の路地で出動するイギリス兵の隊列に行く手を遮られてしまった。

 

「チッ……こんな時に、と言ってやるわけにもいかんか……」

 

 悪態は寸前で飲み込んだ。前に座るチェザリスも苦笑している。 

 彼らを迂回しようにも二列の長い縦列である。モリガン元帥がいればウィリアム達を先に通すくらいの融通はきくかもしれないが、彼の姿はない。

 

「バレンティノ様。一つ、案が浮かびました」

 

 アマティが流れる川のように通りすぎていくイギリス兵を見ながらそう言った。

 

「なんだ?」

 

「ベレニーチェ様にお会いできるかどうかは分かりませんが、彼らの流れに乗って同じ方向へ進まれてはいかがでしょう?少なくとも、魔族がいる辺りには辿り着けるのではないでしょうか」

 

「なるほどな」

 

 ベレニーチェが今回も戦場に取り残されているかは定かではないが「危険地帯にはいるかどうか」という確認だけは可能だという事だろう。但し、少数で分散している敵にまでは手が届かない。

 

 今一度、目の前の兵隊に目をやる。

 大盾を持つ重装歩兵が通過すると、後続の槍兵、弓兵と長蛇の列が続いていた。じっと待っていても、数分は足止めを食らう事になるだろう。

 

「バレンティノ様?」

 

「あぁ。お前の意見をきこう。左手に向かう。イギリス兵の隊列に沿って進行しろ、少尉」

 

「承知いたしました……やっ!」

 

 馬が鼻を鳴らして軽やかに駆け始める。

 真横を並走してくる二騎の完全武装の騎馬に、イギリス兵らからは怪訝な目が向けられた。

 ウィリアム達の速度は歩兵の進軍速度に勝る。隊列の途中で騎乗した指揮官らしき男を追い越したが、特に声をかけられる事はなかった。

 

「バレンティノ様、味方の兵の最前列に出ます」

 

「速度を落として突出しないようにしろ。彼らの行き先が知りたい」

 

 チェザリスが手綱を軽く引き上げ、駆け足から早足へと減速する。

 

 最前列の兵もやはり、兜の下からウィリアム達をギロリと睨みつけてくる。しかし、ウィリアムはまだしもガットネーロ隊の二人と騎馬を見れば一般人では無いのは明白だ。加勢にでも来てくれたと勘違いしたのか、ここでも咎められはしない。

 

「バレンティノ様、敵影を確認しました。別のイギリス兵団と交戦中。この味方らは敵の背後をつけそうです」

 

 位置取りは有利なようだ。だが、強靭な魔族にはそれだけでは勝てない。

 

「……挟撃の為の全速前進か。彼らには悪いが、乱戦に乗じてベレニーチェを探すぞ。敵への攻撃は最低限、進行方向のみに抑えてくれ。無論、身の危険を感じたら撤退する」

 

「了解しました。衝突までこのまま並走します」

 

……

 

「全隊!扇状に散開しろ!敵を漏らすなぁ!」

 

 二百前後の数からなる魔族の背後に眼前まで迫ろうというところで、号令が飛んできた。

 目的が敵の殲滅ならばこのまま突撃させたはずだが、まずは包囲を優先するようだ。それにしては号令のタイミングが少々遅い気もするが、ウィリアムにとってこの場での勝ち負けはあまり関係ない。

 

「少尉、イギリス兵の散開に乗じて横に走れ!敵の中に彼女がいないか確認する!」

 

「ははっ!」

 

 ここで魔族の中にも、背後からの奇襲に気づく者がちらほらと出てきた。くるりと反転して、およそ五十体の魔物がこちらへ向かってくる。

 

「盾構え!前へ!」

 

 重装歩兵の面々がそれに呼応し、一斉に大盾によるバリケードが完成すると、辺り一面に土煙が上がった。 

 さらに、槍兵が盾と盾の間から得物を飛び出させ、迂闊には近寄れないように防御陣を張る。

 

「弓隊!」

 

「放て!」

 

 言葉を二つに区切って、さらなる号令が飛んできた。放て、の合図が終わる頃には、無数の矢が空へと飛び立っている。 

 矢が地に突き刺さる、ダダダッ!という大きな音が鳴り、こちらに向かっていた魔族の集団に直撃した。

 

「グァォ!」

 

「ガァァッ!」

 

 敵が雄叫びを上げる。

 運悪く目や口に矢が刺さったわずかな者達は倒れたが、身体に当たった程度では敵の動きを封じれない。

 

「怯むな!第二射!」

 

「放てぇ!」


 ウィリアム達は扇状に広がる味方部隊の一番左隅で待機している。

 まだベレニーチェの所在は確認出来ないので敵地内部へ進む必要がある。敵味方がぶつかり、入り乱れている時がチャンスだ。対峙している間は突出した瞬間に孤立してしまう。

 

「やはり止めきれんな」

 

「来ます……!」

 

 馬上からウィリアムとチェザリスがそう言った。

 

「来るぞぉ!」

 

「盾を突破させるな!押し返せ!」

 

 弓矢による先制攻撃の甲斐も虚しく、すぐにイギリス兵の防御陣と魔族は衝突する。

 

「ガゥァ!」

 

「ニンゲン……!コロセ!」

 

 味方の部隊に肉薄しているのは、オーガと呼ばれる灰色の巨体を持つ魔族だ。

 大盾を構える最前列の兵士らに計り知れない恐怖感が芽生えたのはいうまでもない。

 

 ガァンッ!

 

 扇の中央部、かなりの重量があるはずの大盾と甲冑を着た兵士数人が軽々と吹き飛ばされてしまった。

 

 当然、防御が崩れた箇所からは次々と敵がなだれ込んでくる。

 

「うわぁっ!来るなぁ!」

 

「あぁぁぁぁっ!」

 

「怯むな!ここが正念場だぞ!」

 

 間近でそんな怒号が飛び交う。 

 数人がかりでようやく一体のオーガを食い止める事が出来ているという状況である。

 無論それは何ヵ所にも及び、食い止めるだけではなく倒さねば徐々に味方の数は減っていくばかりだ。

 

 やはりイギリス軍のモリガン元帥や、イタリア王国騎士団のタルティーニ中将のような英雄、豪傑がいなければ反撃に転じて敵を殲滅するのは難しいと改めて認めさせられた。一般兵ではまるで歯が立たない。 

 元帥がここにいない理由は分からないが、他の場所でも大きな戦闘があっているとウィリアムは直感的に思った。

 

「動かれますか?」

 

「まだだ」

 

 目の前の兵士の首が吹き飛び、返り血がウィリアムの頬にわずかにかかった。危険を感じたチェザリスが抜刀する。 

 アマティは弓を右肩にかけてはいるが、まだ矢をつがえて構えるまでには至っていない。

 

 陣形の隅にいるウィリアム達の近くにはあまり敵が集中しているわけではない。

 魔族の雑兵は考えも無しに力任せな戦い方をする者が多く、やはり中央部の味方に大きなしわ寄せがきている。戦術も戦略もあったものではないが、それをものともしない強靭さに人間は舌を巻くばかりだ。

 

「あんたら!手を貸してくれるんじゃないのか!」

 

 近くにいた槍兵がチェザリスに向かってそう叫んだ。

 当然、チェザリスはそれを理解できず、ウィリアムは「無視しろ」とだけ告げる。

 

 だが、この槍兵の悲痛な叫びはすぐさま近くにいたイギリス兵らに飛び火した。

 

「そうだぞ!どこの国のどこの部隊かは知らんが、突っ立ってるだけで許されると思うなよ!」

 

「加勢しない気なら馬を寄越せぇ!このままここで死ぬなんて俺は耐えられない!」

 

 士気が急降下したイギリス兵がウィリアム達を取り囲むように殺到する。

 敵の手が多くは伸びてきていない箇所にも関わらず、そのせいで一気に防御陣が崩壊した。

 

「待て!バリケードが崩れるまでは我々は攻撃出来ない!そのくらい見れば分かるだろう!」

 

「そんな嘘に騙されるか!」

 

「恥を知れ!高みの見物とは!」

 

 憤った者達が三人の足を引っ張り、馬から引きずり下ろされそうになる。

 

「おっと、いかん!上等兵!」

 

「はい、隊長!離脱致します!」

 

 チェザリス少尉とアマティ上等兵はやむを得ず馬を動かした。

 しかし予想外の運びとはなってしまったが、乱戦状態に遷移した事には変わりない。

 

「少尉、このまま敵中を突破しろ!ベレニーチェの存在の有無を確認しつつ、対面するイギリス兵の所まで走れ!」

 

「承知いたしました!突撃します!」

 

 すでにこちらの防御陣へと食い込んできた魔族は少なくない。

 それらを無視して反対側へとたどり着くのは難しいが、もはやそうする他に道は無かった。

 

「見ろ!あいつら逃げるぞ!」

 

「ふざけるなぁっ!」

 

 背後から届いたのは敵ではなく味方の悲痛な叫びであった。

 

……

 

……

 

「はぁっ!」

 

 チェザリスが士官用の片手剣を振り下ろし、スケルトン兵士の槍を弾き飛ばした。

 他の敵に囲まれないよう、馬は常に疾走させている。

 

 幸いにもほとんどの敵は崩れたイギリス兵の陣へと向かおうとする者が多く、隅を駆けるウィリアムらにはあまり気づいていない様子だ。

 

 移動中もウィリアムは目を凝らしてベレニーチェの姿を探したが、見つかる事は無かった。

 

 ヒュッ!

 

 ウィリアムの顔、ギリギリの場所を通る一本の弓矢。後方からやってきたそれは、アマティ上等兵が放ったものに間違いない。

 無論、わざとウィリアムに当たりかねない一矢を放つはずはない。それはウィリアムに襲いかかろうとしていたリザードマンの口の中に刺さった。

 

「ギィァァウ!!」

 

 痛みに苦しみながら、そのリザードマンは手斧をがむしゃらに振り回した。

 チェザリスとウィリアムが乗っている白馬を捉えそうになった凶刃が、士官用の片手剣で弾かれる。

 

 ガンッ!

 

「失せろ!怪物め!」

 

 やはり、彼らはタルティーニ中将に選び抜かれた手練れの精鋭だ。確かに化け物じみた英雄や豪傑ではないかもしれない。魔族をばったばったと斬り伏せる事は出来ないかもしれない。

 しかし、戦場を生き延びる術をしっかりと心得ている。

 

 もちろん、ウィリアムも彼らに負けてはいない。大した訓練も受けていない現世の人間が、放り出された魑魅魍魎の世界でこうも永く生き延びてきているのだ。

 それも、彼はこそこそと人里を離れて逃げ回っているわけではない。わざわざ魔物の中に飛び込むような判断を何度も何度も繰り返しながら未だ五体満足を保っている。

 

 ゴゥッ!

 

 抜刀した魔剣が、ウィリアムに向けて手を伸ばしたオーガの指を斬り落とし、そこから炎と血が噴き上がった。赤と緑が混ざり、何とも言えない色合いを生み出している。

 

「お見事です、バレンティノ様!捕まるかと一瞬、ひやりとしました!」

 

「いいから前を見ろ、少尉!」

 

 死の匂いが蔓延するこの場所で、場違いな言葉が飛んできた。 

 視界の先にある味方の部隊まではあとわずかだ。安堵するには早いが、チェザリスにも多少の余裕が出てきているのが分かる。 

 ウィリアムは一度だけ後ろを向いて、追従しているアマティの様子を伺った。

 

 弓矢を次から次へとつがえて放つその様は勇猛果敢な事この上ない。しかし、背負った矢筒の中、弓矢の残数が少なくなってきているのが気がかりだ。三、四本しかないように見える。

 それが尽きれば丸腰も同然だ。弓兵であるアマティの装備は軽装で、接近戦に適した鎧も直剣も無い。今回は特別に装着している胸当てだけはあるが、武器はせいぜい短剣程度しか持っていないはずだ。

 

……

 

 カンッ!

 

 奇妙な音がして、ウィリアムは前方に視線を戻した。

 どうやら前にいる味方の放った矢が、チェザリスとウィリアムの乗る白馬の鉄鎧に当たったようだ。

 幸い馬は走り続けているが、味方の遠距離攻撃が脅威になるのは予想外だった。

 

「おい、大丈夫か!?」

 

「今のところは……としか!しかし、矢が断続的に飛んできています!万が一、馬が潰れたらご足労いただきますがご勘弁を!」

 

 カンッ!

 

「くっ……!?」

 

 そう言っている間に飛んできた弓矢が、今度はチェザリスの兜に弾かれた。

 一歩間違えば即死だ。しかし、チェザリスは上体を伏せようとはしなかった。

 後ろにいるウィリアムの盾となるつもりだからだ。

 

……

 

 再び乱戦の中に巻き込まれる。

 結局ベレニーチェどころか、一般人の姿は見つからないまま戦場を抜けた。

 

 全員の無事を確認すると、チェザリスとアマティが馬を停める。

 

「おや、もしやイタリアの使者の方ではありませんか!?」

 

 今しがた突破してきた部隊の最後尾。迷彩柄のマントを羽織った若い士官が声をかけてくる。

 確か、モリガン元帥の副官だ。ジャクソン大尉と言ったか。 

 兜は外して右手に携えており、栗毛のポニーテールとベビーフェイスは丸出しの状態だ。

 

「まさか、あの中を突破されて来られたのですか?」

 

 返答をする前に、ウィリアムは下馬して地に足をつけた。

 チェザリスやアマティもそれに習う。

 

「ちょっと用事があってな。邪魔させてもらった」

 

「なんと豪胆な……元帥にお伝えしておきますね。きっと喜ばれます」

 

「やめてくれ。コイツらだけならまだしも、俺まで訓練に付き合わされるのがオチだろう」

 

 ウィリアムの冗談にジャクソン大尉は白い歯を見せて笑った。

 

「それで、用事とは?魔族の生態調査でしょうか」

 

 モリガン元帥から聞いたのか、彼はウィリアム達の訪英の目的を知っているようだ。

 

「そんなところだ。では悪いが、まだ用事が済んでいないので失礼する。敵の撃退は頼んだぞ、大尉」

 

「かしこましました。他にも魔族がうろついている可能性があります。どうかお気をつけて」

 

 ジャクソンの敬礼に見送られる。


 二、三分程度馬を駆けさせると、診療所にたどり着いた。

 ベレニーチェが子供を看る為に通っていた場所だ。

 ここに戻っているとは考え辛いが、無視するわけにもいかないだろう。看板も何もあがっていないので、パッと見た感じではただの民家である。 

 当然ながら魔族の襲撃のおかげで扉は固く閉ざされている。

 

 ドンドン!

 

「すまない!」

 

 ウィリアムが煤で黒ずんでいる木の扉を叩いた。

 前回マルコらと訪れた教会では門前払いだったが、診療所の扉は内側からゆっくりと押された。

 

「どうなさいましたか?お怪我でしょうか。外は危険です。早くお入り下さい」

 

 背が高い、白髪混じりの男が半身を覗かせる。

 

「悪いが、怪我ではなくてな。人探しだ」

 

「あぁ……あの、イタリア人のご婦人ですね?ここにはおられません」

 

「信じないわけではないが、一応中を確認してもいいか?」

 

 慈悲深い人格者である上に頭の回転も早そうだ、とウィリアムは直感的にこの男を評価した。いたずらにウィリアムの頼みを断る理由など無いはずだ。

 

「……お引き取り下さい。誠に申し訳ありません」

 

 しかし、意外にも男は首を横に振った。閉められようとした扉にウィリアムが革靴を挟む。

 

「どうしてだ?失礼だがそう大きな診療所には見えない。直ぐに済む」

 

「室内をドカドカと歩き回られては他の患者様方の迷惑になります。怪物が街に出ているのでしょう?」

 

 口ぶりから、彼はこの診療所の従業員、或いは責任者か、少なくとも医者や看護士である可能性が高いと分かる。

 

「それでは我々はここを去れない。中に入れてもらえずとも、この扉の前で待機する事になるぞ。すぐそばで我々が魔族に襲われるところを見たいと言うのか?」

 

「なぜそこまで?どなたに命令されているのかは知りませんが、自らの命よりもお勤めが大事だと言うのですか」

 

 質問に質問で返してきた。問答にも慣れているのか、やはり頭がキレる。

 

「命令ではない。自らの意志だ。彼女の安全を確認出来るまで帰るわけにはいかない。先ほども軍と魔族が戦っている中を、命からがら馬で抜けてきたばかりなんだ。自分の命を軽いとは思わん。だが待つといったら本気で待つぞ」

 

「……」

 

 男の目が細くなった。これは……哀れみか、それとも他の何かか。

 

「もちろん、ここに彼女がいなければ他で捜索を続ける。大事な仲間だ。無事が確認出来ればそれでいい」

 

「お仲間……?どこかへ連れていこうというのではないのですか」

 

「そうか……まだ名乗っていなかったな。勘違いさせたならばすまない。俺はウィリアム・バレンティノ。イタリア使者団の責任者で、一時的にだが彼女の上司としてその身を預かっている者だ」

 

 深いため息が返ってくる。

 無言で扉が開かれた。どうやら折れてくれたらしい。

 

「邪魔させてもらうぞ」

 

 外に置いてはいけないので、ウィリアムは手招きをしてチェザリスとアマティも診療所の中に入らせた。


 診療所内の病室。

 男に案内されたその部屋にはベッドが六つ置いてあり、その内の五つに怪我人や病人が横たわっていた。

 

「バレンティノ様……」

 

「意外だな。戻っていたのか」

 

 ベッドの脇にある椅子に、子供を抱いたベレニーチェの姿があった。男の対応から、もしかしたらと怪しんでいたところだ。

 

「毎日ここに通って、言葉も通じないのに身ぶり手振りでこの子を引き取りたいと言うものですから。何か事情があるのだろうとは思っていたのですが、彼女について詳しいことは何も分かっておりませんでした」

 

 男がそう言った。

 

「それでよく子供を預けたな」

 

「善人かどうかぐらい分かりましょう」

 

 ベレニーチェは哀しげな表情だ。こうして見つかってしまった事を悔やんでいるようにも見える。 

 魔族による被害者のことは忌むべきだが、ウィリアムにとっては魔族の襲撃があったおかげでベレニーチェを見つける事が出来たのは結果として好都合であった。

 

「……警鐘を聞き、慌てていたのですが、今の私にはここ以外の避難場所は思い当たりませんでした」

 

 何も訊いてはいないが、彼女が話し始めた。

 男は思い出したかのように他の患者の包帯を替え始める。平服なので分かりづらいが、やはり彼は医療関係者だった。

 

「黙って出ていけば何事かと思ってしまうだろう。こうして無事だったのはよかったが、本当に心配したんだぞ。その子を想う気持ちがあるなら尚更だ」

 

「えぇ……」

 

「ローマに帰る気だったのか?それともロンドンで?」

 

「分かりません……」

 

 消え入りそうな声だ。後ろにいるチェザリスやアマティは兜のせいで聞き取れなかったかもしれない。

 

「無一文で路頭に迷って野垂れ死なれては困る。一度、宿舎に戻ってきて欲しい」

 

「……しかし、私がこの子を連れていけば、必ずアーシアさんが出ていってしまいますわ」

 

 ベレニーチェは片腕の幼子の頭を撫でた。

 イタリア語が理解出来ないからか、先ほどから目をぱちくりさせている。

 

「……このお姉ちゃんは好きか?」

 

 ウィリアムはベレニーチェではなく、幼子に向けて英語でそう尋ねた。

 

「えっ?」

 

「お前を引き取りって一緒に生活したいんだとさ」

 

「んー……よく分かんないや。でも、僕は大きくなったら強くなりたい」

 

 戦場を渡り歩いた記憶は鮮明に残っているようだ。

 

「騎士になりたいのか?」

 

「きし?んー……よく分かんない」

 

 同じような言葉が返ってくる。

 

「強くなったら、みんなを助けられるかな」

 

「もちろんだ」

 

 ここでふと、ウィリアムに一つの考えが浮かんだ。

 

「じゃあ、強くなってそのお姉ちゃんを守ってやれるか?」

 

「うん!」

 

 これには一切迷うことなく即答してきた。決まりだな、とウィリアムが頷く。

 

「ではお前にはベレニーチェの護衛を任命する」

 

 イタリア語でそう宣言すると、ベレニーチェがハッと顔を上げた。

 

「なに、すぐにとは言わんさ。大きくなったら強くなりたいんだと。お前を守ってくれるそうだ、ベレニーチェ。だからこの子を訓練兵として迎える分には、誰も文句は言えないだろう」

 

「いざ訓練となれば、我々が手解きを?」

 

 これはチェザリスだ。

 

「まぁ、いずれな」

 

「承知しました。成長が楽しみですね」

 

「文句は無いな?俺はこの子を保護ではなく、雇用するわけだ」

 

 ベレニーチェにあらためて問うと、目にいっぱいの涙を浮かべてコクリと頷いた。

 

「ありがとう……ございます……」

 

「礼ならその子に言うんだな。腕を失っておいて、誰かを守るために強くなりたいだなんて……ただ者ではないぞ?俺達の誰よりも立派な人物かもしれん」

 

 ウィリアムはベレニーチェの腕の中にいる幼子の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 

「さっきから知らないことば話してるね」

 

「あぁ、だがお前もすぐに覚えるだろうな。それに、英語なら俺が話せる。心配いらない」

 

 人間の幼少期は言語理解が凄まじく早い。心配しなくとも完璧なバイリンガルになるだろう。

 

「そういえば名前を訊いてなかったな。俺はウィリアムだ。お前は?」

 

「ぼく、エイハブ」

 

「そうか。エイハブ、お前はそのお姉ちゃんを守る戦士であり、俺の部下になる。よろしく頼むぞ」

 

 ここでようやく本人に状況を伝えた。

 驚くかと思ったが、あまり意味が分からないようで固まっている。

 

「せんしで、ぶか?」

 

「難しいか……まぁいい。とにかく今日からは俺達みんながお前の家族だ」

 

「わぁ!でも、みんなって?」

 

 ウィリアムとベレニーチェが新しい家族になるという事は通じたが、さすがにこの場にいない面々の話はエイハブにとって疑問点になる。

 

「後ろに立っている二人の兵隊さんもだ。それに、ウチにはまだまだたくさんの家族が待ってるぞ」

 

「へぇー!大きなおうちに住んでるんだねぇ!」

 

 純真無垢な反応にウィリアムの顔は綻んだ。大所帯には大きな家、当然といえば当然である。

 

「そうだな。それと、俺達はイタリアという国からやってきた。いずれロンドンを離れる事になるが、問題ないか?」

 

「イタリア……?うーん、とおいの?」

 

 不安になるのも無理はないが、伝えるべき事はすべて伝えておく。

 

「遠いな。簡単には帰ってこれない。離れたくない友達でもいるのか?」

 

「うーん、分かんない」

 

 まだ両親の手を離れて近所のちびっこ達と遊び回る年頃ではないはずだ。

 

「エイハブ、今いくつだ?」

 

「よっつ」

 

「……そうか」

 

 上手く指が曲げれないのか、右指は三つだけで立ってしまっている。おそらく四歳が正解なのだろう。

 

「街の安全が確保されたら家に戻るぞ。馬に乗せてやろう」

 

「おぉー!乗りたい乗りたい!」

 

「もう少しの辛抱だ。今、外では勇敢な兵隊さん達が悪者を追っ払ってくれているからな。いい子に待てるか?」

 

「うん!」

 

 ベレニーチェの腕をするりと抜け出し、エイハブは空いているベッドにちょこんと座った。

「いい子」は誰にも抱かれず一人で座るものらしい。


 ガシャン!

 

 前触れもなく、近くで大きな音が響いた。どこかの窓ガラスが割れた音に違いない。

 

「シッ……!大声を出すなよ、敵かもしれない……!」

 

 エイハブの口に手を当て、ウィリアムは院内にいる患者達にも伝わるように英語でそう告げた。

 

「いい子だな。じっとしてろよ」

 

 エイハブは震えながら頷いた。

 

 チェザリスが無言でアマティにハンドサインを送って指示を出している。

 忍び足で彼らは行動を開始した。まずは割れたのがこの建物の窓ガラスかどうかを確認して回るらしい。

 

 一分と経たずに確認は終わった。

 しっかりと雨戸まで閉じられた診療所の窓に異常はなく、隣接している民家から聞こえた可能性が高いようだ。

 

「バレンティノ様。周辺の安全確認はどういたしますか」

 

「あぁ、頼む。何かあったらすぐに戻れ」

 

……

 

「グギャァウ!」

 

「いやぁぁぁっ!」

 

「……!」

 

 二人が表の扉を開けた瞬間だった。

 明らかに魔族のものと思われる鳴き声と女性の悲鳴が入ってくる。だが、その姿は確認出来ない。 

 チェザリスが振り返ってウィリアムの指示を乞うが、それよりも先に杖を手にしたベレニーチェが滑るように外へ出た。

 

「待てっ!」

 

 ベレニーチェが一瞬だけ足を止める。

 

「ガットネーロ隊のお二人も来ていただけますか?救出が不可能であれば住民を見捨てる覚悟は出来ています」

 

 ベレニーチェの口から出たとは思えない言葉だ。

 無鉄砲な考えで飛び出すつもりではないらしい。

 

「くっ……俺も行こう!少尉、ついてこい!上等兵は残り、ここの安全を確保しておけ!」

 

「ははっ!」

 

「了解です、診療所を死守します」

 

 三人が飛び出す。診療所の前に停めていた二頭の馬がせわしなく荒々しい息を吐いている。

 近距離なのは明らかなので、騎乗はせずに徒歩で移動を開始した。

 

「いたぞ……!あれか!」

 

 魔族による襲撃を受けたのは診療所の二軒隣の民家だった。

 無惨にも窓ガラスが破壊され、そこから町娘が外に引きずり出されようとしている。娘は必死に窓枠にしがみついているが、割れたガラスのせいでその手は血みどろだ。

 

 彼女を襲ったのは光沢のある真っ黒な身体に蝙蝠の羽を持つ小型の魔族。インプと呼ばれる個体だ。他に敵の姿は見えない。

 

「私が魔術でやります!」

 

「やめろ!まずはあの娘を引き離さないと、術に巻き込むかもしれない!」

 

 ベレニーチェにそう言いながら、ウィリアムは走ってインプに接近した。

 

「ギィッ!?」

 

 その動きを察知したインプが町娘から手を放した。

 

 ゴゥッ!

 

 そのまま天高く飛翔し、ウィリアムが素早く引き抜いた魔剣は空を斬る。

 

「チッ!」

 

「キキキッ!ここまでは届くまい!」

 

 耳障りな、かん高い声でインプが笑った。

 

「放電!」

 

 ドンッ!

 

「ギャアァゥ!」

 

 その頭上に稲妻が落ちた。ベレニーチェが放った一撃である。

 

「やったか!?」

 

「ギィッ!」

 

 直撃したはずだが、インプは落ちてこない。余裕の表情で羽音を響かせている。

 魔術に強い性質の個体なのかもしれない。

 

「上等兵を呼びましょうか!」

 

 遠距離戦ならばとチェザリスがそう言った。

 

「いや、もう矢が無いように見えた」

 

「確かに……」

 

「放電っ!」

 

 ドンッ!

 

 めげずにもう一度、ベレニーチェが攻撃する。

 

「ギィッ!」

 

 やはり魔術が効いた様子は無い。

 

「キキキッ!では、こちらからもいかせてもらうぞ!」

 

 インプの指先が光り、人間の手のひら大の火の玉が飛び出す。

 

「まずい!」

 

「……はぁっ!」

 

 ドンッ!

 

 火の玉はウィリアムを狙って降ってきたが、寸前のところでベレニーチェが結界を張ってそれを防ぐ。 

 チェザリスが石を拾ってインプに向かって投げるが、まったく届かず地面に落ちた。

 

「ギィッ!なかなかやるな……!」

 

 インプも意外な強敵の登場に驚いている。

 

「どうした!高いところにいないと戦えないのか!」

 

「キキッ!下等生物が吠えおるわ!」

 

「……挑発にも乗らねぇか」

 

 先ほどイギリス軍と衝突していた敵の集団はあまり利口ではなかったが、この個体は単独で動いているだけの事はある。

 

「放電……!やぁっ……!」

 

 ベレニーチェが三度目の魔術を放った。

 威力を高めようと集中しすぎたのか、明らかに疲れが出ている。

 

「キキキッ!何度やっても同じだ!」

 

 インプはヒラリと身をひねり、頭上からの落雷を避けてみせた。

 当たっても効かないものが、ついには当たりもしなくなってしまった。

 

「ベレニーチェ!攻撃の手を止めろ!お前の結界が張れなくなったら全滅だぞ!」

 

「は……はい……申し訳ありません……」

 

 ベレニーチェが肩で息をしながら膝を地面に落とした。チェザリスが駆け寄って彼女の肩を抱く。

 

「うん?どうした、もう終わりか?精強な連中かと思ったが、こけおどしだったか。キキッ」

 

 インプの指先が赤く光る。

 

「ベレニーチェ!奴の魔術が来るぞ!」

 

「あ……えぇ……少々お待ちを……」

 

「まずい……!急げ!」

 

 ウィリアムが叫ぶが、ベレニーチェはふらついてチェザリスに支えられた。

 

「クソッ!」

 

 懐から拳銃を取り出す。貴重な弾薬だが、背に腹は代えられないと引き金を引いた。

 

 パァンッ!

 

 一発だけの銃声が響き、インプがギョロリとした巨大な目を見開いた。その胸には小さな穴が開き、緑色の血液が溢れ出してくる。

 

「……ギィッ!がはっ……!」

 

 指先に点っていた火の玉が消え、体勢を崩してまっ逆さまに落ちてくる。

 

「当たったか……」

 

 ふぅ、と息を吐き、どさりと地面に転がったインプに近寄った。

 

「……」

 

 魔剣を鞘から引き抜く。

 

「貴様……何をした……!ぐぅっ」

 

「悪いな」

 

 質問には答えず、ウィリアムはインプの腹に深々と剣を突き刺した。

 

 ゴゥッ!

 

 口、鼻、耳と、あらゆる場所から炎が噴き上がる。

 

「ギィァァァァァッ!!」

 

 あまりの痛みにインプがバタバタと暴れながら叫ぶ。剣の刃を掴む両手が切れ、そこからも血液と炎が漏れる。

 

 ウィリアムはその声が止むまで、インプの身体を貫いて地面にまで届いているその剣を抜きはしなかった。

 

……


「お見事でした、バレンティノ様。やはりその……銃という武具は優秀なのですね」

 

 診療所に戻って開口一番そう言ったのはチェザリスではなくベレニーチェだった。遠距離戦で魔術が他のものに遅れをとるとは到底思っていなかったようだ。

 

「そう感じてもらえたならありがたい」

 

「え……?あぁ、研究開発しろということですね。ふふふ」

 

「多くの命を奪うが、同時に多くの命を救う代物になるのは確実だ」

 

 ベレニーチェに加えてチェザリスも頷いている。

 

 エイハブがベレニーチェの足元に寄ってきた。

 

「大丈夫だった……?」

 

「心配してくれたのかしら?ありがとう」

 

 もちろん英語の問いかけにベレニーチェはイタリア語で応えるしかない。

 しかし、気持ちはすれ違っていないようだ。

 

「お帰りなさいませ」

 

 奥で診療所の医師と思われる男と佇んでいたアマティが敬礼をする。

 

「脅威となる対象は討伐出来たのでしょうか」

 

「あぁ、一体だけでな。命拾いした。襲われていた女も手のひらを切った程度だ」

 

 町娘には念のため診療所での手当てが必要かを訊いたのだが、血止めの薬と包帯で対処できるとの事だった。他に、家の中には娘の父親がいたが、老いたその父親は寝たきりの状態だった。彼のために医療用品は色々と蓄えがあったらしい。

 

「それはなによりでした。しかし単独で動かれると、いよいよ収拾がつかなくなりますね」

 

「奴等の中にも何度かロンドンを訪れている奴はいるはずだ。いくらかは土地勘がついてきていると考えておいて間違いない」

 

 頻繁になった魔族の襲撃。人間世界の中心であるロンドンがこの調子で蹂躙され続ければ、いよいよドイツ帝国やアジア諸国が本腰を入れて侵略してくるかもしれない。そうなればイタリアも飲み込まれてしまうだろう。 

 そして、その混沌は魔族の侵攻を助長する。人間が滅ぶ未来は簡単に想像できた。

 

「イギリス軍から借用したすべての文献を翻訳できたわけじゃないが、帰国を急いだほうがいいかもしれないな」

 

「いつでも出立出来るように準備しておきます」

 

 理由も訊かず、チェザリスがそう返した。

 

……


「あぁ……ベレニーチェ様……お戻りになられたのですね……」

 

 明くる朝。

 魔族の撤退を確認した後、宿舎へ戻ると、涙ながらにアーシアがベレニーチェを抱きしめた。彼女らしからぬ行動にベレニーチェは驚いた顔をしたが、すぐに両手を回して抱きしめ返す。

 出迎えはアーシアだけのようだが、それもそのはず。ウィリアム達が帰還したのは早朝の四時前である。無論、一睡もせずに帰りを待っていたのだろう。だが、ウィリアムが言いつけた通りにこの宿舎を離れないでいてくれたのは助かった。内心、もしかしたらアーシアが消えているかもしれないと思っていたのだ。

 

 ガットネーロ隊が馬を引いていく。 

 エイハブはウィリアムの腕の中で寝息を立てている。

 さすがに片手で子供を抱いたまま馬に揺られる役目はウィリアムがベレニーチェから奪った。


……

 

 その日の正午過ぎ。 

 近くのパブで円卓を囲み、全員で昼食を取る。いつしか恒例行事となっていたものだ。

 その場に、新しく小さな仲間が加わることとなる。

 

「わぁー」

 

 エイハブはキョロキョロとせわしなく、集まった皆の様子を伺っている。

 身体が小さいせいで、大人用の椅子に木板を何枚も積み重ねて席についている姿はなんとも可愛らしい。

 

「みんな仲間だ。新しい家族だと思ってくれて構わないぞ」

 

 エイハブの両脇にはウィリアムとベレニーチェが座り、不安感を少しでも和らげようと努めた。

 

「ほんとに大家族なんだね!」

 

「あぁ、すごいだろ?そうだ、俺以外にもそこの二人は英語が通じるぞ。困った事があれば言うといい」

 

 ウィリアムの右手に座るマルコとヘンリーを指差してそう伝えた。

 

「そうなんだ!わかった!」

 

 緊張よりも嬉しさが勝っているようで、物怖じしたりはしなかった。ウィリアムには子育ての経験など無いので、ここまで素直だと大助かりだ。

 

「叔父貴、つまらねぇ事を訊くようですいませんが……」

 

「どうした、マルコ?」

 

 マルコの顔は険しい。

 

「そのガキは叔父貴が息子としてお育てになるんでしょうか?」

 

 なるほど。血縁を結ぶかどうかを気にしているらしい。養子にするのならばマルコもそれ相応の礼儀を尽くす必要があるからだ。

 

「安心しろ。この子はあくまでもベレニーチェの護衛を任せる戦士だ。いずれ、大きくなったらの話だがな」

 

「はぁ……護衛、ですか」

 

 腑に落ちないが、逆らう理由もない、といった様子だ。

 

「適当に理由つけとかなきゃ、お嬢さんの顔が立たねぇって話でしょう、旦那」

 

 ヘンリーが助け船を出す。

 半分正解で半分不正解だ。エイハブにはきちんと戦いを学ぶ未来が待っている。

 

「ガットネーロ隊に鍛えてはもらうが、何年後の話になるかは定かじゃないってところだ。もちろん甘やかしてくれとは言わないぞ。自分で出来る事は自分でやってもらう。雇用なんだからな」

 

「はは、支払いはキャンディでも与えとくんですか」

 

 少しだけマルコの表情が和らいだ。

 ウィリアムとヘンリー、ムッソリーニを除いた使者団全員には申し訳程度の「給料日」が存在する。王宮外部の人間で同行しているヘンリーやムッソリーニはローマを出発するより先に前金が支払われ、帰着時に残りの契約金が支払われるらしい。

 責任者であるウィリアムは始めにイタリア国王から賜った活動資金の内、余った金額を返上するとそこから報酬が与えられる。無論、使いきってしまえばタダ働きになるが、彼は金欲しさに活動を行っているわけではないのでさほど敏感ではない。

 

「エイハブ。今まで両親に大事に育ててもらったんだろうが、家の手伝いをやったりはしてたか?」

 

「おかたづけ?」

 

「そうだな。何でもいい」

 

「おかたづけなら出来る!」

 

 やたらと強調してくるので、片付けの他には何も無いのだろう。

 

「よし、ではしばらくは片付けの仕事を手伝わせよう。大抵はアーシアの側にいてもらうとするか」

 

「だれー?」

 

 ここで、エイハブに一通り仲間を紹介した。

 一度で覚えきれるはずもないので、しばらくは苦労するだろう。

 それに、アーシアは英語が話せない。彼女も多少はエイハブに分かる言葉を覚えようとするかもしれないが、基本的にはイタリア語で構わないと伝えた。習うより慣れろだ。

 

 他にはベレニーチェとムッソリーニに読み書きを教える事と、ガットネーロ隊には簡単な運動をさせてやるように頼んだ。


 結局、使者団総出でエイハブの面倒を見る事になってしまったが、誰からもエイハブ本人や、受け入れを進めたウィリアムやベレニーチェに対する不満はあがらなかった。

 というのも、エイハブ自身の能力が予想以上のものだったからである。

 

 彼は一日と経たずに片付けや掃除を覚え、次の日にはアーシアの作った料理を運んでいた。 

 一週間程度で簡単な返事や挨拶をイタリア語で話すようになり、一ヶ月経つ頃には日常会話をこなせる程になった。 

 特に運動は好きなようで、片腕ながらに構えた木剣を振り回し、チェザリスやカンナバーロとの模擬戦を飽きもせずにほとんど毎日こなしている。 

 逆に勉学は関心が薄いらしく、ベレニーチェとムッソリーニは手をやいている。ただ、イタリア語の読み書きくらいならば既に問題ないそうだ。

 一度、英語もどうだとウィリアムが誘ったが、エイハブは「うーん」と唸るような返事をしただけだった。

 

……

 

 ある日、バッキンガム宮殿から使いがやってきた。

 ウィリアムはようやく来たかと胸を撫で下ろす。

 

 王宮の使いはウィリアム・マンチェスター二世からの呼び出しがあったと伝えた。

 先代の逝去により、かなり混乱していた王宮内部だったが、ウィリアムを呼びつける程度の余裕は出てきたということだ。

 

「殿下……いや、失礼。陛下さえ良ければすぐにでも伺うが、日取りなどの取り決めはあるか?」

 

「ございません。但し、モリガン元帥閣下からも伝言を預かっております」

 

 深々と頭を下げ、使いの男は地面に向かって話し続ける。

 

「同行させろ、か」

 

「左様でございます」

 

「別に構わん。宮殿に向かう前に、軍部に立ち寄ることにする。他者の謁見は?」

 

「叶いません。お一人でお願い致します」

 

「確かに承った」

 

 使いが去る。 

 応対していたのはウィリアムの自室の前で、入室すると作業中だったマルコがちらりと一瞥してきた。

 

「王様直々なんて……そう聞くとこちらの世界での叔父貴の地位が高いってのも嘘じゃない実感がわきますね」

 

 これから先、扉一枚で密談は出来なそうだ。

 

「そうだな。滅多に無い機会だ。せっかくならお前も連れていってやりたかったが」

 

「そんな。牢屋にいた人間ですよ。あ、もちろんニューヨークの話じゃなく」

 

 現世ではウィリアムにも逮捕歴くらいある。それを気遣ってマルコは最後に一言付け加えた。

 

「宮殿までは来るか?観光にしかならんが」

 

「どちらでも。あのマッチ棒みたいなビルでしょう」

 

 マルコの方がロンドンにいた期間は長い。バッキンガム宮殿を目にしていないはずがなかった。

 

「そうか、中が見れないんじゃ大して意味はないな」

 

「中?」

 

「あの宮殿は最上階まで吹き抜けでな。内壁には見事な壁画が描かれてる」

 

 壁画に題名をつけるとすれば、イギリス合衆国建国までの道のり、とでも呼べそうな見事なものだ。

 

「ほう、それはおもしろそうですね。では、手土産にその動画をお願いしてもいいですか」

 

「写真くらいなら何枚か撮っておく」

 

 ウィリアムの古いノキア製の携帯電話には、写真を撮る機能しか備わっていない。

 

「もちろんそれでも。楽しみにしておきます」

 

「あぁ」

 

 ウィリアムはすぐに支度にとりかかった。

 支度と言っても普段からスーツを着ているので、真新しい銀色のネクタイを結んだ程度だ。

 とはいえモリガン元帥の都合は彼と話してみなければ分からない。そのまま宮殿まで行けるかは不明だ。

 

……

 

「ヘンリー」

 

「へぇ、旦那。王様がお呼びですかい?」

 

 宿舎から出て裏手に回ると、ヘンリーが握り飯を食べながら一息ついているところだった。

 馬車の手入れをしていたわけではなく、市場で仕入れた反物等を荷台から下ろしていたようだ。ロンドンでは珍しい米食品もそこで手に入れたのだろう。

 

「使者とすれ違ったか?」

 

「いいえ。タイを締めてらしたんで。当たりですかい?」

 

「驚いたな。大した観察眼だよ、まったく」

 

 そんな些細な事にも気がつくばかりか、王宮への呼び出しまで言い当てられてしまっては苦笑するしかない。

 

「車を出しますか?少しばかり片付けがあるんでお待ちを」

 

「そうだな……馬を使うつもりだったが、来賓らしくそうするか」

 

 ウィリアムの乗馬技術もいよいよ板についてきたところである。

 

「スーツの材料か?」

 

「えぇ、まぁ」

 

 ヘンリーにも近々帰国する事は伝えてある。少しずつ商品を仕入れ始めたのはその次の日からだ。

 彼がどことなくバツが悪い顔をしているのは、荷物で車内が狭くなるからだろう。

 

「帰国時はなるだけ騎乗するようにする」

 

「えっ?いやぁ……はは、旦那こそ観察眼は鈍っちゃいないようでさぁ」

 

「そうか?」

 

「ま、床下なり天面なり、うまいようにやりまさぁ。最悪、ヨーロッパを横断してる行商に依頼するんで。奴なら顔馴染みで信頼も厚い」

 

 確かに彼なら馬車に追加で荷置きを作るくらいの細工はやってのけるだろう。

 それでも積めない程に仕入れるつもりなのは驚きだが。

 

「さすがに顔が利くな」

 

「これで終わり……と。仮置きで部屋に入れて来るんで、少々お待ちを」

 

「あぁ」

 

 約十五分程待たされ、ヘンリーが準備を整えた。

 白いワイシャツに紺色のスラックス、赤いサスペンダーをベルトから肩にかけ、つばの短い紺色のハットを被っている。

 ウィリアムが目を丸くしているとヘンリーが笑いかけてきた。

 

「せっかくなんでおめかししてみたんでさぁ。どうです、旦那。最先端のロンドンのファッションは」

 

「よく似合ってるぞ。この馬車に乗るのは大臣か、将軍か、はたまた王族かと思われてしまうな」

 

 戦車は完成を迎えている。

 強固な作りは明らかに戦闘用で上品な感じはしないが、ヘンリーの格好ならどんな高貴な人間を乗せた車を引いていてもおかしくはない。

 

「へへ、ありがとうございます。行き先は宮殿で?」

 

「いや、先に軍部へ寄ってくれ。元帥にフラれたら謁見は延期だ」

 

「それじゃ出しますんで、後ろにどうぞ」

 

 車内に入ってウィリアムはさらに驚いた。 

 食事や研究に利用していたテーブルや椅子は全て新調されている。

 テーブルの脚は床に固定され、悪路の揺れにも耐えれそうだ。いくつかある椅子は固定されていないが、柔らかいクッションが縫いつけてある。

 

 全体的に強固な鉄製になっているが、内張りにはアジア原産の竹編みを採用している。鉄製の骨組みや鎖を仕込んだ幌が熱を溜めてしまうのを危惧して通気性を高めようとヘンリーは一工夫凝らしたのだ。そして極めつけは上にスライドさせて開けれる可変式の窓と、そのガラス面に×印に張られた鉄格子である。まさに安全性と快適性を考え抜いた答えだ。

 

 他には幌の上に登る梯子。これは車の最上部にある大型クロスボウ、バリスタの射出台につながっている。

 御者席との小窓は広げられ、普通の扉になっていた。

 

「やっ!」

 

 パシン!と鞭が打たれて馬車が動き出す。

 六頭立ての超大型のそれは、我が物顔でロンドンの石畳の道のりを進んでいく。

 ウィリアムは車内左右の窓をどちらも全開にし、座り心地のよい椅子に腰を下ろして煙草をくゆらせる。

 酒があれば最高に優雅な気分だが、謁見の可能性がある今は控えておく。壁際の食器棚で揺れているスコッチのボトルが恨めしく思えた。

 

……

 

「旦那」

 

「着いたか?」

 

 車が停止し、ヘンリーが扉を開けた。

 

「いえ」

 

 力なく笑ったヘンリーを見て、ウィリアムは御者席に出る。

 

「なんだ?」

 

 軍部は目の前だ。しかし、イギリス軍の騎兵隊が四名、戦車の行く手を阻むように散開して槍を向けていた。

 

「おい!どういうつもりだ!」

 

 兵士らを睨み付けながらウィリアムが叫んだ。

 

「それはこちらの台詞だ!その兵器は何だ!基地を狙っているのか!」

 

 一人が返してくる。 

 彼らは見たことも無い巨大な武装馬車を目の前にして、たまげてしまったらしい。

 この時、街中を走る為に車軸から横に突き出した刃だけは取り外していたが、それでもこの巨大兵器が与えるインパクトは絶大だ。

 

「馬鹿が、反乱者に陛下からのお呼びがかかるか!どけ!俺はモリガンに会わなくちゃならん!」

 

 面倒に感じたウィリアムは、敢えて自分の身分を高く見せるような発言をした。

 国王の指示ならば大きく出たところで支障はないだろうと踏んだわけだ。

 

「どうした、嘘だと思うなら宮殿にでも訊きに行くんだな!」

 

 こそこそと耳打ちで相談し始めた兵士を一喝する。

 しかし、彼らは道を譲らなかった。残念ながら全員がウィリアムの顔を知らないのだろう。

 

「だが……現時点ではその証拠が確認出来ない!お引き取り願おう!」

 

「チッ……どうしても通せないならモリガンのジジイをここに連れてこい。すぐそこだろう?」

 

 さらに耳打ちをして相談をした後、最も若い男が軍部の迷彩柄の建物へと駆けて行った。

 

……

 

「いやぁ、これは本当に快適だな!田舎者が使うにはもったいない乗り心地だ!いっそ、これを陛下に献上したらどうだ?」

 

 馬車内。ウィリアムの向かいに、鎧を着たモリガン元帥が座っている。その後ろには副官のジャクソン大尉が控えているが、彼は甲冑ではなくスーツにダークブラウンのコートを羽織った正装だ。

 中世的な格好と近代的なファッションが共生する、現世の日本のような不思議な光景である。

 

「相変わらずまたそれか。乗せてやってるのに礼も言えんのか、この偏屈ジジイは?」

 

 モリガン元帥にではなく、ジャクソン大尉の顔を見ながら言うと、申し訳なさそうに目を伏せた。

 

「ふん、冗談に真面目な言葉を返しおって!可愛いげのない奴め」

 

「そりゃどうも」

 

「だいたい若い衆が日に日に貧弱な……」

 

「閣下」

 

 ウィリアムがわざとらしく両耳を指で塞いでいると、ジャクソンが口を挟んだ。

 

「ぬぅ?なんじゃ」

 

「こちらの使者様ですが、先日の魔族侵入の際、激戦区において敵中を突破されているのを拝見いたしました。軍人ではない御身でありながらそのような偉業を成し遂げられ、私は感服していたところです」

 

 前線で指揮をとっていたジャクソン大尉に出くわした時に、ウィリアムが言わなくて良いと告げていた話だ。悪態に歯止めがきかなくなっている元帥の興味を引こうと持ち出したのだろう。

 

「ははは!それは誠か!面白い!なぜ黙っておった、田舎者!」

 

「あんたが手合わせだの訓練だの言い始めるからだろうが、筋肉バカが。むさ苦しいのは勘弁してくれ」

 

「呆けたふりをしても騙されんぞ、田舎者!これはもう、魔剣士とて侮れんな」

 

 ウィリアムは舌打ちをしてジャクソンを睨み付けるが、さっと目線をそらされてしまった。

 

「だから黙ってろと言ったのによ、このクソガキめ……」

 

 イタリア語で悪態をついたところで、馬車が停車した。 

 御者席の扉が外側に開く。

 

「着きましたぜ、旦那。世界のお膝元、バッキンガム宮殿でさぁ」

 

 軍部とは違い、目の前まで車を寄せる事が出来たようだ。

 

「助かった。確か、裏手に駐車場があったな。そこで待機しててくれ」

 

「へい。あ、お出口はこちらじゃありませんぜ」

 

 ついつい癖でそちらから出ようとしたウィリアムをヘンリーが押し止める。

 

「あぁ、すまん。では来賓らしく、お前が後部を開けるのを待ってるか」


 ヘンリーとジャクソンの随伴はここまでだ。 

 モリガン元帥と二人で金色の扉から王宮内部に入り、エレベーターに揺られている間に携帯電話で何枚か壁画の写真を撮った。

 

 かけ声と共に屈強な男二人がエレベーターの昇降レバーを引き合っている。

 それに加えて同乗しているのはモリガン元帥だ。暑苦しい事この上ない空間である。エレベーターのゴンドラの入り口に扉が無い事をありがたいと思わざるをえなかった。

 

「それは壁画に向けて何をしておるのだ?」

 

「気にするな。それよりどうしてついて来たんだ、じいさん」

 

 質問に質問で返す。

 

「簡単な理由じゃろう。陛下はまだお若い。先代のように武芸を極めておられるわけでもない」

 

 確かに前回このバッキンガム宮殿を訪れた時とは違い、今回は入り口で武器を預ける必要があった。

 それも、ウィリアムだけでなく元帥もだ。城内は帯刀禁止。徹底した警戒体制である。

 

「玉座の間にいる衛兵も非武装なのか?以前とは違って今はいるんだろう?」

 

「知らん。いたとしても木剣程度の装備だろうな」

 

 これは意外だった。

 元帥ならば幾度となく王の元を訪れていそうなものだが、近況は知らないようだ。

 

 ゴゥン……

 

 エレベーターが最上階に到達する。

 高々とユニオンジャックを掲げる初代国王らしき人物の絵を最後に撮り、ウィリアムは携帯電話をスーツの内ポケットにしまった。

 

 部屋の前に小振りな金色の扉が待ち構える。

 

「陛下!モリガンでございます!異国の客人をお連れ申した!」

 

 ノックでもしようかと思ったが、モリガン元帥が大声でそう言った。

 

 ギィィ……と軋む音と同時に内側へと扉が引かれる。

 

 まず、黒いローブを着た一人の侍女が視界に入った。彼女が扉を開けてくれたようだ。

 先代国王と茶会をした際に用いたテーブル類は全てなくなっており、代わりに壁際にはびっしりと書籍が並んだ本棚がいくつも置かれている。

 

「よく来て下さいました。父が世話になったようで、礼が遅れて申し訳ない」

 

 最奥部の玉座から立ち上がった少年が言った。

 

 他には誰もいないようだ。

 護衛がいるという見立ては外れた。侍女が拳法の達人であれば話は別だが。

 

 そして、新王は意外にも地味なスーツ姿だった。王冠は玉座の脇の手すりにかけられており、被る気はないらしい。もっとも、先代から譲り受けたものであればブカブカで被れたものではないだろうが。

 

 モリガン、そしてウィリアムの順で床にひれ伏した。

 

「陛下、此度はお招き頂き誠にありがとうございます」

 

 ウィリアムが言う。

 

「顔を上げて下さい。礼を言うのはこちらの方です。色々とありがとうございました」

 

 少年なのは間違いないが、気さくな先代とは違って落ち着いた人物のようだ。

 本棚の数からも、元気に外を駆け回るよりは黙々と勉学に励むタイプの子供だと予想出来る。

 

「もったいないお言葉でございます。申し遅れました。ウィリアム・バレンティノです」

 

 ゆっくりと顔を上げると、新王はすぐそばまで歩いてきていた。

 栗色の短い髪と、両頬のそばかすが目立つ。肥満児というほどではないが、少し体格には幅がある。身長はウィリアムの肩ほど。さすがに王子として栄養のある物を食べ続けてきたのであろう、他の子供達と比べて身体の成長は早いようだ。

 

「お噂はかねがね伺っております」

 

「恐れ入ります」

 

「陛下!こやつはこう見えてなかなかの豪傑らしいですぞ!武道大会でも催して、出場させてみてはいかがでしょう?」

 

 はっはっは、と高笑いをしながら元帥が言った。

 

「それは確かに一見の価値はありそうですが……客人の意見も訊かずに事を進めるのはいかがなものでしょうか、モリガン元帥。彼は亡き父にとって、大事な恩人なのです。失礼な言動は控えて頂くとありがたいのですが」

 

「なんと……陛下は身分に隔たり無く慈悲深い御方ですな。このモリガン、心を打たれましたぞ!」

 

「身分など所詮は人が作った決め事です。王とて斬られれば死ぬのです。神とは違う」

 

 落ち着いた面持ちでそう話す新王。

 よくぞ言ったと誉めても良いのだろうが、ウィリアムは冷めた印象を受けた。

 勢いのあった先代とはあまりにも対照的だ。父親のカリスマ性が飛び抜けすぎていたせいで、これからの世界を背負わせるには少し頼りない。

 いや、先代と比べてはどれほどの人物が後を継いでも見劣りしてしまうだろう。それほどの名君だった。

 

「バレンティノさん」

 

「はい」

 

「お礼を申し上げるのが第一の目的ですが、実はもうひとつ御用がありまして」

 

「何なりとお申し付け下さい」

 

 これは予測していた。一国の王が直々に民草を呼んでおいて「ありがとう、それではさようなら」などといった馬鹿げた話があるはずがない。

 

「ありがたい。今の我が国にはイタリアの力が必要不可欠ですから」

 

「お待ちを。個人の範疇を越えるお話でしたら、俺はその話を陛下から預かれる程の者ではありません。書状であれば我が君に届けますが」

 

「あぁ……それもそうですね」

 

「馬鹿者!陛下のご意向に楯突く者があるかぁっ!」

 

 新王がウィリアムの言い分に理解を示しているにも関わらず、モリガン元帥が唾を飛ばしながら抗議した。彼はいつの間にか立ち上がり、顔をしかめているウィリアムを見下ろしている。今にも脳天に拳骨が降り下ろされそうな勢いだ。

 

「モリガン元帥。失礼な言動は控えて頂きたいとお伝えしたばかりのはずですが」

 

「いいえ、陛下!こればかりは見過ごすわけには参りませんぞ!陛下のご意志は世界の意志、陛下の敵は世界の敵でございます!」

 

「やれやれ……」

 

 新王がため息をつく。

 

「陛下!」

 

「僕の客人を卑下するのは、僕を卑下するのと同意ですよ。こう言えば……納得していただけるでしょうか?」

 

「ぐぬっ!?滅相もございません!わしはただ……」

 

「わかっています。庇ってくれようとしている事は。ありがとうございます。しかし、無理な話をバレンティノさんに押しつけても悪いでしょう。マランツァーノ国王陛下に書状を届けて下さるとのお返事だけでも十分です。むしろこちらにその辺りの配慮が足りなかったと言うべきだ」

 

「くっ……」

 

 悔しそうな元帥を尻目に、新王は顎に手を当てて何かを考えている。

 

「陛下」

 

「あ、すいません。どう書状をしたためようかと。すぐに終わるのでお待ちいただけますか?椅子がなくて申し訳ないのですが、どうかご起立下さい」

 

「承知いたしました」

 

 ウィリアムが立ち上がると、侍女が紙とペンを持ってきて新王に渡した。

 

「ジジイ。あんたよりよっぽど陛下の方が大人だな」

  

「チィッ……!やかましいわ……!」

 

 小声による小競り合いが始まる。

 

「武道会も模擬戦もなしだ、いいな?王の客人に粗相の無いようにせいぜい気をつけるんだな、じいさん」

 

「おのれぇ……!調子に乗りおって……!」

 

 いい気味だ、とウィリアムが鼻を鳴らしたところで、壁際の机で書状を作っていた新王が「よし」と呟いた。

 書状をくるくると巻き、上下を細い紐で結んだ。さらに火で熱して溶けた赤い蝋を垂らし、中心に封をする。

 

「バレンティノさん、帰国は近いのでしょうか?」

 

「えぇ。そう遠くはありません」

 

「ではこちらを」

 

 蝋に獅子を模した判が押されている。恐らくこのデザインは王家のものだろう。

 国王直々の書状だ。この世界ではウィリアムの命よりも重いと言っても過言ではない。

 

 ウィリアムはまだ冷えて固まりきっていない封の部分を避けるように書状の端を掴んだ。

 

「確かにお預かりしたしました。我が君からの返答をお待ちください」

 

「せっかくです。今宵、食事などいかがでしょうか」

 

 新王が言う。

 

「喜ばしい限りです。どちらへ伺いましょう?」

 

 王宮は玉座の間以外の部屋もなく、王だけならまだしも、客を迎えての晩餐には適していないように思える。

 

「モリガン元帥」

 

「はっ」

 

 元帥が屈む。

 

「どこか、バレンティノさんをお迎えできる場所はありませんか?」

 

「いかようにも準備出来ますぞ。席数はどのくらいでしょう」

 

「もちろん二つです。料理は運ばせずとも、お店で構いません」

 

 顔色を真っ青に変えたが、必死に意見を押し殺す元帥。

 

「で……では、軍部の側に将官や大臣らがよく利用するレストランがあります。個室もございますので、そちらをお使い下さい」

 

 民間の店舗だが、敷居の高い店であれば王族が利用しても恥ずかしくはないだろう。

 

……


 新王に一時の別れを告げてエレベーターに乗るや否や、モリガン元帥がウィリアムの肩を掴んで前後に揺らした。

 

「田舎者!貴様、食事中に陛下に不忠など働いてみろ!すぐにその首をはね飛ばしてやるぞ!」

 

「何の意味があってそんな事をするかね。手を放せ、馬鹿力が。あんたの言い分が通るんなら、まず玉座の間にいる侍女の首でもはねれば良いんじゃないか」

 

「ぐぬぬぅ!わしは外国人を信用できんだけだ!」

 

 余所者に抵抗があるのというのは古い人間にはよくある話だ。

 新しい物や外界の物に興味を持ちやすい若者とは相対的に、老いは変化への順応を鈍らせる。

 

「仮に、俺がイタリアの王族だったとしてもか?」

 

「馬鹿を言うな!貴様にそんな身分なぞあるわけがないわ!」

 

 黙らせてしまおうとしたが通じない。先代の葬儀に出席していたイタリア国王らへのウィリアムの対応は元帥も見知っている。

 

「たとえ話だ、たとえ話。我が君がイギリス国王陛下と食事をするとしても同じ事を言えるのか、ってな」

 

「ふん!減らず口め!」

 

「答えになってないぞ、クソジジイ」

 

 エレベーターが地上に到着する。

 国王よりも若い従者の少年に大扉を開けてもらい、直立不動の騎士達による無言の見送りを受けて馬車に戻る。

 

 結局、軍部に到着するまでガミガミと自己中心的なモリガン元帥の説教は続けられ、最後はジャクソン大尉に引っ張られるような形で下車していった。

 

「ヘンリー」

 

「へい。大変でしたね、旦那」

 

「あいつはいつもだいたいあんな感じだからな。いちいち気にもならん。それより、夜にまた車を出してもらう事になった。忙しそうなのに悪いが、時間を作ってくれ」

 

「もちろんです。今のあっしは御者が本業。物の売り買いは副業でさぁ」

 

……

 

……

 

「いい店ですね」

 

 新王がローストされた牛肉をつつきながらにこりと笑う。

 四方を壁に囲まれた個室には彼とウィリアムの二人だけだ。新王の顔は未だ民衆の間でそれほど広まってはいないと思われるが、他の客に感づかれないようにと扉の前に護衛すら立たせていない。無用心だが、王の命令とあらば絶対だ。店を陰から見ている複数の兵士はいるだろうが、ウィリアムが到着した時にはその気配すら無かった。

 

「人払いまでされて……逆に身構えてしまいますね」

 

 ウィリアムはまだ一口も料理に手をつけていない。

 

「バレンティノさん。僕は国王かもしれませんが、ただの子供です。誰かがいれば儀礼的なものはあるかもしれませんが、今はそう畏まらないで下さい。生前から死後に至るまで、父がお世話になった御方。僕はその息子。あなたとはそういった間柄ですから」

 

 やはりこの少年は達観している。

 

「まぁ……そこまで言われるのであれば俺も応えますが」

 

「ありがとうございます」

 

 言いながらも再び牛肉に舌鼓をうつ新王。見た目の通り、食欲は旺盛だ。

 ウィリアムもようやくフォークを口に運んだ。

 

「うん?これは……酒もあるんですか」

 

「えぇ。お嫌いですか?」

 

 白い土瓶にワインが入っている。子供、大人といった区別はあるが、未成年だからと飲酒は禁じられていない。もちろん、王ともあればたとえ法律があってもそれに縛られているはずがない。

 

「好きです。陛下は?」

 

「僕は飲みませんよ。判断力が鈍ります。ですが、遠慮なくどうぞ」

 

 これには苦笑を返すしかない。


「先代のお話ですが、気をかけて下さった人ならば他にもごまんといるはずです。なぜ、俺にここまでの礼節を尽くして下さるんです?」

 

「父から、バレンティノさんの話を少し聞かせてもらっていまして」

 

 ドキリとした。先代が新王に自分の話を言って聞かせたなど、到底信じられる話ではない。

 

「な……なぜでしょう?」

 

「完璧な理由は本人にしか解りません。しかし、気をかけているのは一目瞭然でした。あなたから何かを感じていたようです」

 

 感じていた……?

 ウィリアムは何を、と言いかけて口をつぐんだ。

 

「あの男を守らなければならない、失ってはならない、そう言っていました。ならばその意志は継ぎましょう」

 

 ウィリアムには心当たりがあった。

 たとえば、初めて元帥と刃を交えた時もそうだった。偶然を装ってはいたが、人知れず先代はウィリアムを守っていたのだ。魔術にも秀でていた彼は、異世界から来たウィリアムに何かを感じていたに違いない。

 もっとも、ウィリアムは自身が救世主の類いだとは思わないが。

 

「他には……何か仰っていましたか?」

 

「それだけです。父があなたを守ろうとしていた理由、ご自身ではわかりませんか?」

 

 少し悩み、ウィリアムは首を縦に振った。隠さず話す事にする。

 

「先王がどう考えておられたのかは別として、俺は誰とも何も変わらない凡人です。ただ、一つ皆と違うとしたら、この世界の人間ではない」

 

「……」

 

 何も返さず、じっとウィリアムを見てくる。

 

「もしかしたら、感じていたのはその事かもしれませんが……俺が思うのはそれくらいです」

 

「……」

 

 思い出したかのように水を一杯飲み、新王は頷いた。

 

「一度、古い文献で読んだ記憶があります。いや、おとぎ話だったか、そのくらい定かではなく淡い記憶です。おそらく乳飲み子の頃の記憶でしょう」

 

「何をです?」

 

「『この世界は、いくつかの顔を持っている』と」

 

 理解し難い話だが、ウィリアムやマルコは現実の出来事としてそれを体験している。

 

「何らかの理由で、俺はそこからやってきてしまった……という事でしょう」

 

「えぇ、それ以外に考えられません。いつかそこへ帰るのをお望みですか?」

 

「もちろんです!こちらの世界も素晴らしいとは思いますが、やはり故郷が恋しくなりますから」

 

 ついつい力がこもり、ワイン入りのを瓶を傾けた。

 

「どんな魔術で世界を移動したのか思い出せませんか?それから、その理由も。何かの大罪による流刑などでしょうか」

 

 新王はウィリアムが虚言を吐いているとは微塵も思っていないようだ。本気でそれを知りたいと考えている。

 

「魔術……?強い光を浴びたのを覚えている、それくらいです。罪……身に覚えはありません。百歩譲って何かの罪に問われていたとしても、こんな処罰は聞いたことがない」

 

 現世の話であれば魔術によるものとは考え難い。しかし、言われて初めてウィリアムはその可能性もあると思った。むしろ現代人の技術によるものである可能性は極めて低い。

 

 罪に対する処罰。これは妙に引っかかった。事の発端の際にFBIが絡んでいたからだ。

 確かにヘリコプターから奇妙な箱が投下され、光を放った。

 

「光ですか……魔族の用いる空間転移術は闇に似た空間を生み出すと言われています。世界間を転移するとは、それに相反する術なのでしょうか」

 

「さぁ、魔術には疎いもので。というより魔術なんてものは存在していませんでしたよ、あちらの世界では」

 

「そうなんですか?では、人々はどんな文明を築き上げているのでしょう?どんな街がありますか?食べ物も気になりますね。それに魔族はどうです?やはり敵対しているのですか?」

 

 新王はとうとう紙と筆を取り出してしまった。

 

 根掘り葉掘り、現世の生活等の話を訊かれ、可能な限りウィリアムはそれに応えた。 

 逆に別の世界の話を訊ねたが、確かにそれは存在している、という事以外は不明との事だった。

 

……

 

「陛下、はるか昔、魔族と人間が手を取り合って暮らしていた話はご存知ですか?」

 

「あなたの世界には、魔族はいないというお話ではありませんでしたか」

 

「実は、これはこちらの世界の話なんです」

 

「えっ、それは初耳です」

 

 クラウディアから得た知識だ。古い文献の情報を持つ新王でもやはり知らなかった。

 しかし、それでもこの少年は学者顔負けの知識人である事は間違いない。

 

「なぜ、その話を余所者であるあなたが?……いや、失礼。余所者とはあまりいい呼び方ではありませんね。僕も元帥を叱責出来る器では無いようだ」

 

「どうぞお気になさらず。何か話の続きを期待させたなら申し訳ないですが、こちらに来てから、とある人物に訊いただけの話です」

 

「それが出鱈目、という可能性は?」

 

 新王が幼さの残る顔で眉をひそめた。

 

「少ない、と思います」

 

「なぜでしょう?」

 

「とある……友好的な魔族から訊いた話だからです」

 

「なんと!そんな魔族が!」

 

 やや批判的な態度とも取れるが、次の言葉がそれを完全に打ち消す。

 

「僕もその者に会う事は出来ませんか!」

 

「残念ながら……今は行方が知れないのです。可能であれば俺もまた会いたいとは思っているのですが……」

 

「臣下の者共や民には言えませんが、僕は魔族との決着に、暴力以外の手段があるのであれば迷わずそちらを取ります」

 

 クラウディアが両者間の使いとして対話を取り持ってくれると思ったのだろう。だがそれは不可能だ。彼女はハッキリと種族間のいさかいには関わらないとウィリアムに告げた。

 

「素晴らしいお考えかと思います」

 

「ご理解いただきありがとうございます。他に、魔族の中にも話の分かる者がいれば良いのですが。しかし、我が国の臣下、周辺諸国の国王達も魔族を滅ぼす事でしか人類の未来は無いと思っています。父もそうでした」

 

「対話が難しい状況であれば、そうでしょう。それに、魔族との戦争は人類が彼らを迫害したものによると聞きました。我々が奴らに抱いている恐怖よりも、奴らが我々に抱いている憎悪の方が遥かに強大だ」

 

「なんて事だ!そのような歴史が……!長い月日で廃れていった……いや、これは意図的に隠されていたのか!魔族との共存から、魔族の迫害……しかし先人達はなぜ魔族を疎んだのでしょうか」

 

 やはり、新王は真相が隠されていたと一瞬で見抜いた。彼は自らが知らない歴史書などない、と言い切れるに違いない。

 

「魔族の力を恐れた人間の有力者達が、魔族を遠いアメリカの地へと追いやった、と聞きました。魔族の中には何千年も生き続けられる者がいるそうで、その当時の出来事を記憶しているのです」

 

「魔族が長寿だとは知っていましたが、まさかそこまでとは……そして今、その者達が満を持して人間に復讐を開始したのですね」

 

「仰せの通りです」

 

「つまり、今の状況は我々人類の自業自得ではないですか。魔族への攻撃を正当化する大義名分など……無い」

 

 若すぎる新王を絶望感が襲う。

 理由もなく殺戮を繰り返す獣が相手ならどれだけ良かったか。だが魔族は違った。かつての恨みを晴らす為に、幸せを取り戻す為に、立ち上がった弱者なのだ。

 

「では、非を認めて降伏でもなさるおつもりですか?失礼ながら、陛下の御首一つで事足りる話ではありません」

 

「父なら……どうしたでしょうね」

 

「分かりません……しかし、いかなる理由があろうとも、国と、民を守るのが王の務めかと存じます」

 

 知識はあっても経験は足りない。足りないどころか皆無だ。新王は魔族の驚異にどう立ち向かっていくのか、手腕が試される。

 

「大義無き戦を民に強いる事は、果たして正しい事でしょうか。魔族と同じくらい、民もまた、怖いんです。いつ反旗を翻すか分からない有能な家臣も。僕の判断一つでイギリス王家を失墜させては、父に顔向け出来ません」

 

 王室内では口が避けても言えない悩みだ。自分にここまで打ち明けていいのだろうか、とウィリアムは思った。

 

「……」

 

 多くの部下がいたところで、主導者は常に孤独なのだと思い知らされる。

 

「バレンティノさんは、これからどうなさるんですか」

 

「イタリアへ戻り、魔族に対抗するため世界の国々を一つにする進言を我が君に、そして俺自身は魔族の巣食うアメリカ大陸へ渡る準備を進めます」

 

「アメリカへ?正気ですか?」

 

 自ら死地へ向かうようなものだ。正気を疑われても無理はない。

 

「そこに、元の世界へ戻る答えがある気がするんです」

 

「魔術が絡んでいれば尚更……という事ですか。確かに魔族の方が何かしらの情報を持っていそうではありますが……それにしても危険過ぎます。たどり着く事すら叶わないかもしれませんよ」

 

 新王には外海の知識もあるようだ。

 

「覚悟の上です、陛下。荒波を安全に渡る為にドイツや中国、他にも世界中の技術力を結集させたいところではありますが、いざ出航する時にどうなるかは分かりません」

 

「……勇敢と言うべきか、無謀と言うべきか」

 

「はは、無謀だと笑っていただいて結構です」

 

 ワイン入りの土瓶をあおったが、すでに空になっている。

 

「我が国の海軍も、参加させてもらう事は?」

 

「なんと、それはありがたい」

 

「ならば、僕も行きます」

 

 ウィリアムは手を滑らせ、床に落ちた瓶が音を立てて割れた。

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