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♯8

 暗い地下牢から出されたかつての舎弟は、みすぼらしいという表現を通り越して、汚ないだけの姿だった。 

 擦りきれたストライプ柄の黒いスーツ。土汚れで茶色に変色してしまっている。髪やヒゲは手入れされているはずもなく、身体中から強烈な悪臭を漂わせていた。

 

「叔父貴ぃ、よかった……ご無事で本当によかった……!」

 

 チェザリスが待機していた馬車の前。 

 そこで相変わらず鼻水を垂らして男泣きをしているマルコ。

 

「マルコ、悪いがまずは水場に向かうぞ。川でも井戸でも何でもいい。話はそれからだ」

 

 もちろんウィリアムも嬉しいのだが、先ずは舎弟の身なりを整える事を優先させた。

 不潔な容姿はウィリアムが最も嫌うものだからだ。

 

「あ……すいません……こんな姿になっちまって……ファミリーの看板が汚れちまいますね」

 

「仕方ねぇさ。生きてただけでも儲けもんだ。よく頑張ったな」

 

 再び大粒の涙をこぼして嗚咽するマルコを支え、馬車の後部、幌内への入り口の縁に座らせた。

 ウィリアムはその横に、ヘンリーが御者席、チェザリス少尉が白馬に騎乗したのを確認すると「ヘンリー、身体を洗える所へ頼む!」とウィリアムがイタリア語で前方へ向けて叫んだ。

 

 馬車が停車したのはテムズ川の一角だった。

 現世におけるテムズ川はロンドンを貫いて海へと流れ出る大きな河川である。しかし、今ウィリアム達がいるこのロンドンは海とは近くないようで、川幅は狭く、流れているのは透明度の高い淡水であった。

 

「ひゃあ!寒い!」

 

 全裸で川に飛び込んだマルコがすぐさま岸に上がる。

 

「おい、マルコ。しっかり身体を洗え。お前はあんな便所みたいな場所にいたんだぞ」

 

「は、はい……」

 

 震えながら川に戻るマルコ。

 

「少尉、石鹸と何か身体を拭くものを調達してこい」

 

「持参しております。こちらをどうぞ」

 

 木綿の手拭いと、紙に包まれた粉末石鹸を差し出す。

 

「優秀な部下を持つと鼻が高いな」

 

 囚人を召し抱える事を予測していた少尉は、ウィリアムが驚くほどの気配りを見せた。

 

「マルコ!石鹸だ!」

 

「は、はい……!」

 

 放り投げた紙包みをキャッチし、中身を身体中にふりかけて手でゴシゴシと擦る。 

 テムズ川の水は真っ白な石鹸泡ではなく、どす黒い泡を流していった。身体についていた垢だろう。

 五分ほどで岸に上がる許可を出し、濡れた身体を拭いて馬車の幌内へ全裸のマルコを入れ込む。

 

「服を新調してやる。それまでは猿のままだな」

 

 車内の木椅子に座るウィリアムとマルコ。

 

「何から何まですいません、叔父貴」

 

「しかしラッキーだったな。このわけのわからん世界にもスーツくらいはある」

 

 匂いのきつい衣服は全て川岸で破棄してしまったので、そのまま衣料品を購入する為に馬車を走らせた。


……

 

「叔父貴、やっぱり俺達は異世界に……?」

 

「らしいな。暮らしてる人間も妙だし、街の雰囲気も古くさい。それに、魔族は見たか?あれは残念ながらバーチャルな生き物じゃなさそうだ。人を喰らう様は正に悪魔だ」

 

「魔族?なんですか、そりゃ」

 

 幸運と言うべきか、はたまた不運と言うべきか、マルコはこちらの世界に飛ばされてからの数ヶ月、魔族と遭遇する機会が無かったらしい。

 

「知らないのか。だが、いずれ嫌でも目にする事になるぞ」

 

「このふざけた時代劇の世界には、ドラゴンやゾンビがいるとでも言うんですか?」

 

「いや……信じなくてもいい。お前の考えは正常だ」

 

 言いながら紙巻煙草を一本差し出し、マルコにくわえさせて火をつけた。

 

「ありがとうございます。ふぅ……煙草なんて何日ぶりだか」

 

「何をやってブチ込まれてたんだ?」

 

「なに、街で食い物を盗みまくってただけですよ。何が何だかわからねー状況だったんですが、とにかく死んじゃダメだと思いまして。あ!そうだ!叔父貴、金が……!組の金が!」

 

 マルコが騒ぎ出す。

 

「落ち着け。金ってのは、中国人から受け取った代金の事だろう?」

 

 この世界に飛ばされる直前。麻薬の取り引きで儲けた金の話だ。

 

「は、はい!この街で鎧を着た兵隊にしょっぴかれる時に取り上げられちまったんです!あぁ!どうしよう!せっかく生き延びたのに、このままじゃ親父に殺される……!」

 

「落ち着けと言ってるだろうが!」

 

 ゴッ!

 

 ガシャン!

 

 革靴の底で腹を蹴りつけると、ウィリアムが思った以上にマルコは軽々と吹き飛んでしまった。丸テーブルを壊し、侍女のアーシアが車内で皆のために使っていた食器類が割れて散乱する。

 

「……うぅ」

 

「ここじゃどうせ米ドルなんて使えやしねぇんだ。文字通り、ただの紙くずなんだよ」

 

「し、しかし……」

 

「くどいな……仕方ない。そんなに心配なら取り返してやる」

 

 確証などないが、幸いウィリアムはロンドンにおいてそこそこ顔が利く。マルコの気持ちが少しでも救われるのならば試してみる価値はあるだろう。

 

「旦那、服屋に着きましたぜ」

 

 御者席と車内を繋ぐ小窓からヘンリーの声が入ってくる。

 

「よし。マルコ、お前はここで少し待ってろ」

 

「はい、叔父貴」

 

……

 

 数時間後。

 多少やつれてしまってはいるが、ウィリアムの良く知る舎弟はかつての姿を取り戻した。 

 薄いストライプ柄のブラウンのスーツ。インナーのシャツは真っ黒だが、オレンジ色のネクタイとチーフがよく映える。 

 髭を剃り、栗色の髪は肩につく程度に整えてポニーテールに結んだ。

 

「うん、格好は問題ねぇな。おい、もう少しビシッとしろ」

 

「はい!ありがとうございます!」

 

「サングラスは準備出来そうにない。我慢してくれ」

 

 漂う雰囲気には、汚ならしい囚人の面影など微塵も無い。大変身したマルコに、ヘンリーとチェザリスは大層驚いた様子だ。

 

「そうだ、お互いに紹介してやらんとな」

 

 馬車の前に集まった四人。

 ウィリアムが舎弟と部下達を向かい合わせ、全員に通じるイタリア語でそう言った。

 

「ヘンリー、チェザリス。コイツの名前はマルコ、俺とは古い付き合いでな。幼なじみでもあり、俺の舎弟だった。今は俺の兄貴の下で働いてる。永らく連絡が取れなかったが、こうして再会出来たわけだ」

 

「よろしく頼む。兵隊さんに馬車乗りのおっさん」

 

 マルコが二人と握手をする。

 

「少々ガラの悪い風体だが許してやってくれ」

 

「あっしは特に気遣いしなくて良さそうでさぁ」

 

「バレンティノ殿のお知り合いとは……驚きました」

 

 反応はまずまずと言ったところだ。

 

「マルコ、この二人は俺の今の部下に当たる。御者のヘンリーと護衛隊長のチェザリスだ。他にも仲間がいる。こっちの世界で俺はイタリア人でな。運良く国王に取り入ってもらえて、このロンドンには使者として来てたところだ」

 

 マルコは腕を組んで唸った。

 

 盗みを繰り返していたということは、こちらに飛ばされてからは人付き合いをしていない可能性が高い。それでは自分が置かれていた状況を理解出来ないのも当然だ。

 

「手始めに道すがら、俺が知る限りでこの世界の事を説明してやるか」

 

「お願いします」

 

「ヘンリー、チェザリス、憲兵の詰所に向かえ。コイツの持ち物が押収されてる。それを取り返すぞ」

 

 再びウィリアムとマルコは車内に戻り、一行は移動を始めた。

 

……

 

「まず、ここは過去ではなく異世界だってのは確実だ。魔族なんてふざけた生き物や、人間にも魔術を操れる奴がいる。地形も違えば歴史も違う。唯一、国家や言葉が同じなのは救いだな」

 

「叔父貴はイタリアに?」

 

「あぁ。スタテンであの妙な光に包まれて、気づいたらこの世界のローマの近くに倒れてた。いきなり現れた城や騎士に驚いたぞ」

 

 理由も原因も解らないが、自分一人だけがおかしな事件に巻き込まれたとばかり思っていた。それはウィリアムもマルコも同じである。 

 だが、お互いが同じ異世界に飛ばされたと知った事でそれは間違いだと分かった。

 

「そうだ……親父や、他のみんなは一緒じゃないんですか?」

 

「いや、周りには誰もいなかった。お前はどうだ?ウチの組員を見たか?」

 

「見てません。俺はこの辺りの牛小屋で目覚めたんですが、近くに金の入ったケースがあっただけです」

 

 そうか、と返しながらふと、ウィリアムはアメリカ大陸で出会ったエルフ族の言葉を思い出す。

 

『バレンティノ・ファミリー』

 

 確かに彼はあの時そう言った。

 

「マルコ。がらりと話は変わるが、お前、まさかエルフ族の知り合いはいないよな?」

 

「は……い?」

 

「そうなると他にも誰かがこの世界にいる可能性が高い……か」

 

 期待より不安が強い。慎重で真面目なウィリアムは決して楽観的に考えられなかった。

 

「どうしたんです、叔父貴?誰かがいるって」

 

「そうか。そいつは魔族の国に飛ばされて……」

 

 ウィリアムとマルコが目覚めた場所は近くはなかった。 

 他にも仲間がこの世界、それもアメリカにいるとして、果たして魔族と上手く渡り合えるのか。人間である以上、いずれは殺され、食われてしまう可能性も考えておかねばならない。 

 マルコはウィリアムが深く考え込んでいる様子に気づき、それを黙って見つめている。

 

 カチャ。

 

「旦那、憲兵の詰所に着きましたぜ」

 

「ファミリー全員が散らばっているのか?しかし全世界を巡って探し回るのは……」

 

「旦那?」

 

「黙ってろ、おっさん!叔父貴は何か思案中だ!」

 

 ウィリアムはマルコの怒鳴り声でハッとした。

 

「なんだ、着いたか?ぼうっとしてて悪かった、ヘンリー」

 

「お気になさらず」

 

 マルコを従えてウィリアムは車外に出た。 

 詰所は小さな交番程度の広さしかない木造の小屋で、二人の憲兵が入り口で談笑しているところだった。

 

「ごきげんよう、ミスター。どうされましたか?」

 

 若い兵士がウィリアムとマルコに話しかけてくる。

 悪くない対応だ。身なりや馬車を見て、位の高い人物だと判断したらしい。賢明だと言えるだろう。

 

「彼が持ち物を憲兵に取り上げられたとて言っていてな。探してもらいたいんだが」

 

「なんと、何かの間違いでは?何の理由もなく取り上げるなど……」

 

「いや、確かにそう言っている。我々はイタリアから来た使者団だ。責任者として困っている部下を見捨ててはおけん」

 

「承知しました。押収品は本署に集まりますので、そちらへご案内いたします」

 

 その兵士が詰所の裏手から馬を引いてきた。

 

「ヘンリー、その兵士を追ってくれ」

 

「へい、旦那」

 

 再度、ウィリアムとマルコは車内に戻り、短い移動時間を過ごす事になった。

 

「すいませんね、叔父貴」

 

「謝るなら泥棒なんてみすぼらしい真似をしてた事を謝るんだな」

 

「返す言葉もありません。しかし、叔父貴はどうやってイタリアに仕える身になられたんですか?」

 

 これは痛いところをつかれた、とウィリアムが苦笑する。

 

「実はな、偉そうな事を言ってる割には俺もぶち込まれるところではあったんだよ。異端者じゃないかってな」

 

「異端者?」

 

「あぁ、言動や見た目が怪しいってな。ローマはここロンドンよりも技術的に遅れている。そんなものをすぐに現実だと受け入れるのは難しいだろう?なんだその中世時代のコスプレは、なんて言ってたらすぐに御用さ」

 

 ウィリアムの言葉にマルコが笑う。

 

「ははは!なんですか!確か俺も最初に話しかけた商人の男に言ったんですよ!なんだそのコスプレじみた格好はってね!」

 

「奇遇だな。まぁ、その相手が兵士だったかどうかって違いだ。結局、王宮の地下にあるらしい牢獄に連れて行かれる前に、大司教に見初められてな。聖職者の目には邪悪な異端者だとは映らなかったらしい」

 

「なるほど。そこから事態が一転したわけですか」

 

 ウィリアムが頷く。

 

「国王に謁見し、丁重に扱ってもらった。特に俺がアメリカ人だって話が国王の興味を引いて、今じゃ使者団を預かる代表だ。だが、この世界のアメリカは魔族の住み処なんだよ。そこでまずは、人間の街で最先端の情報が集まるロンドンで、少しでも何かを得ようとやって来たのさ」

 

「何だか難しい話ですが……とりあえず叔父貴はこの世界のアメリカを目指すんですか?そうすれば元の世界に帰れるかもしれないってわけですね」

 

「もちろん確信してるわけじゃないが、そんなところだな。イタリア国王も承認してくれた。アメリカを根城にしてる魔族ってのは文字通り化け物で、人間とは敵対関係にある。厳密に言えば人間同士ですらヨーロッパ諸国とアジア諸国は戦争状態で、ヨーロッパ内でも最近ドイツ帝国が協定を破棄してる。つまり世界情勢は最悪。アメリカに強行して渡る手もあるが、他にも課題が山積みだ」

 

 まさに八方塞がりな状況だが、ロンドンへの遠征は様々な成果を得た。

 惜しくも散ったイギリス国王、強敵ハインツや旧イタリア王家に仕えたエルフ族のクラウディアとの出会い。そして何よりマルコとの再開はこの機会が無ければ叶わなかったはずだ。

 

 到着した本署は、国王の葬儀の折に訪れた大聖堂の近くだった。 

 美しい石畳や花壇の並ぶ通りに、真っ白な外壁を持つ円筒形の三階建ての造りで、形だけならば宮殿のミニチュア版ともいえる軍の本部に似ていた。

 

 案内してくれた兵士が去り、ウィリアムとマルコが建物に入る。 

 バッキンガム宮殿や軍部と違うのは、開け放たれた扉のおかげで誰でも自由に出入り出来る点であるとまずは挙げるべきだ。

 

「おい、押収品はここで返してもらえるのか?」

 

 一階では何もないフロア内を人が往来しているばかりで受付らしきデスクが見当たらない。

 仕方なく憲兵を一人呼び止めてウィリアムが訊いた。

 

「押収品?集まるには集まるが、そうそう出てこないぞ」

 

 鎧を着た壮年の兵士がそう応える。

 

「まぁ、そうだろうな。だが、念のため確認を頼めないか。大事なものなんだ」

 

 どこの世界でも警官による押収品の横領など常識だと思いながらもウィリアムはそう告げた。

 

「身なりからは考えられないが……いつ、どこで捕まった?それから、その物品の特徴を教えてくれ」

 

「マルコ」

 

「はい」

 

 ここでようやくマルコが前に出る。

 

「パクられたのは二、三ヶ月前くらいだ。場所はこの街って以外はよく分からねぇ。ブツはジェラルミンケース。銀色で、このぐらいの大きさのカバンだ。分かるか?」

 

「銀色?変わったカバンだな。中身は何だ?」

 

「お前が知る必要はねぇ。どっちみち原始人に開けれる代物じゃねぇからな。無くしてたらお前の命は無いと思え」

 

「あんた、何を言ってるんだ……」

 

 憲兵が鼻頭を掻く。

 

 グッとウィリアムがスーツの襟を掴んでマルコの身体を引いた。そして、よろけたマルコの顔面に左の拳を叩き込む。

 

 バキッ!

 

「……ぐぁっ!」

 

 突然の事に驚くマルコ。もちろん憲兵も目を疑う。 

 だが、ウィリアムは構うことなく続けてマルコの腹に蹴りを食らわせ、さらにうずくまった背中へ肘打ちを落とした。

 

「お……叔父貴……っ!?ぐはっ!」

 

「おらぁ!」

 

 地面にうつ伏せになったマルコの背中を何度も何度も踏みつける。

 

「が……はっ!や、やめて下さい……!」

 

「黙れ!馬鹿野郎が!」

 

「ちょっと!突然どうされたのだ!そのくらいにしておきなさい!」

 

 騒ぎに気づいた憲兵たちが押し寄せ、ウィリアムは三人がかりで羽交い締めにされる。

 

「立て!マルコ!」

 

「は……はいっ!」

 

 切れた口から血を足らしながら、マルコが立ち上がる。

 せっかくの新しい一張羅は土汚れでズタボロになってしまっていた。

 

「コイツは昔から俺の舎弟でな。憲兵相手に無礼な口をきいたから躾をしたまでだ」

 

「やり過ぎだ……正気とは思えんぞ……」

 

 ウィリアムを押さえていた手が解かれ、始めに声をかけた憲兵が呟いた。

 

「とにかく、早くしてくれないか。取り上げられたのは大事なものなんだ。何度も言わせないでいただきたい」

 

 ぱんぱん、とシワになってしまったスーツをはたき、ウィリアムがネクタイを締め直す。

 

「……承知……しました」

 

……

 

「大丈夫か?悪かったな」

 

 憲兵らが去ると、ウィリアムはマルコに謝罪した。

 

「いえ……悪くない考えだと思います」

 

「まぁ、俺の腕力じゃ、お前には大して効きやしねぇだろ」

 

「へへ、久々ですね。叔父貴にしごかれるのは。いてて……」

 

 特に畏まった態度を取らなかった相手に使者団だと名乗るのはあまり意味を成さないだろう。そこでウィリアムはマルコの非礼を利用し、憲兵に『只者ではない』と印象づけたのである。

 押収品の返還要求などよくある話だ。しかし、今の憲兵にウィリアムをその他大勢と同じ括りであしらう勇気は無い。

 

 数分後、ウィリアムは驚く事となった。

 

「おぉ!それだそれだ!」

 

 戻ってきた憲兵に駆け寄るマルコ。 

 なんと、ジェラルミンケースは奇跡的に残っていたのである。

 

「やはりこれか。では、確かに返したぞ。使い難そうな盾か何かにしか見えんが、まさかこれがカバンだとは……」

 

 そう言いながら憲兵は歩いていった。

 マルコからこれを押収したのは別の者だろうが、その兵士もケースに大して興味を示さず署に預けてしまったのだろう。

 

「中身は……無事です!良かった!親父もこれなら文句なしでしょう!」

 

 ズラリと並んだ百ドル札が顔を覗かせている。

 

「さぁな。そんなに心配ならもう放すんじゃねぇぞ」

 

「はい!叔父貴、本当にありがとうございました!」

 

「じゃあ行くか。他の仲間にも会わせてやる」

 

……

 

 来賓用の宿舎。

 

 ウィリアムの自室にイタリアの使者団一同は呼び集められた。ウィリアムの隣に立っている、見慣れない人物を皆が興味深そうに見ている。

 

「すまんな、夕食時に集まってもらって」

 

「その殿方は?」

 

 ベレニーチェが訊いた。

 今日の彼女はいつもの魔女服ではなく、白いブラウスに朱色のロングスカート姿だ。長い黒髪は額にかかる前髪だけをヘアピンで止めている。

 

「あぁ。実はようやく翻訳の仕事を手伝ってくれる者を見つけてな」

 

「まぁ、それは良かった。これでバレンティノ様のお仕事も捗りますわね」

 

「それから、この男は俺と面識があってな。昔からの付き合いだ」

 

 すぐに反応したのは錬金術師のムッソリーニ。

 

「なんと!では彼もアメリカ大陸の出身ですか!」

 

「一応はそうなるな」

 

 少々疲弊した様子のマルコが一同を見渡す。

 牢獄から出て、あちこちへと連れ回され、さらにはウィリアムにしごかれた後なのだから無理もない。

 

「マルコと言います。えーと、お世話になります」

 

 ぼんやりしていたのか、マルコは英語を使ってしまった。

 

「おい。イタリア人相手に何を言ってるんだ、てめえは」

 

「あ、すいません!」

 

 唯一、話を理解出来る御者のヘンリーだけが笑いを噛み締める。

 

「マルコです。ウィリアムの叔父貴とはガキの頃からの腐れ縁みたいなもんでして。まぁ、これからよろしくお願いします」

 

「……というわけだ。翻訳家として使うのは当然だが、正式にイタリア使者団へ迎え入れたいと思っている。完全に私情ではあるがな。もし、反対意見があるなら遠慮せずに言って欲しい」

 

 珍しい人物から手が挙がった。

 

「なんだ、伍長」

 

 使者団いちのお調子者、カンナバーロ伍長である。

 

「この人を使者団に正式に迎えるってことは、新入りなんで下っ端扱いでいいんですか?それとも、バレンティノ様の旧友だってんなら上司になるんですかね?最重要の護衛対象が増えると大変なんですよ」

 

「伍長!貴様はいつになったらその甘ったれた考えを正せるんだ!仕事が増えるのなら喜ぶくらいの……」

 

「えーと、問題ありません!バレンティノ様!」

 

 本人は真面目な質問をしたつもりだったが、伍長は上官であるチェザリス少尉の怒鳴り声に耳を塞ぎながらそう叫んだ。

 

「なんですか。面白い奴がいますね、叔父貴」

 

「間違いなくお前とは馬が合うだろうな」

 

 ウィリアムが肩をすくめる。

 その口ぶりから、マルコも昔はよくふざけていたらしい。

 

「さぁさぁ、皆さん!お仲間も増えたことですし、今宵の晩餐をする店に移動いたしませんか?ロンドンでも石焼きのピザが食べれる所を見つけたんです」

 

 侍女のアーシアが笑顔でそう言った。今日は彼女が夕食の段取りをしてくれたらしい。

 

「おっ!やった!ようやく臭くないメシにありつけるんですね!」

 

 マルコは当然大喜びである。

 

「え、まさか囚われていらっしゃったんですか?バレンティノ様のお知り合いのはずでは?」

 

 ベレニーチェが訊く。

 表情に出しはしないが、わずかな警戒心を抱いたのは言うまでもない。

 

「それも含めて後程、俺の方から話そう」

 

「えぇ、承知いたしましたわ」

 

「何はともあれ腹が減ったな。ヘンリー、すまんが馬車を出してくれないか」

 

「へい、旦那」

 

……


 店に到着し、馬車の後部から外に出たところで偶然にもイギリス軍総司令、モリガン元帥に出会った。

 やはり取り巻きの一人も連れずに単独行動である。

 

「おっ!田舎者ではないか!馬車で酒場通いとは贅沢な一団じゃのう!」

 

 白銀の鎧と緑色のマント。

 ウィリアムに気づいたモヒカン頭の巨漢が下馬してのしのしと歩み寄ってくる。

 

「じいさんか。あんたこそイイご身分のくせに、いつまで一人でうろつくつもりだ?ボケて徘徊する上官じゃあ、部下が手をやいて仕方ないだろう。……おっと、服だけは着るようになったか」

 

「たわけ!裸で王子にお会いできるか!」

 

 モリガンの唾がウィリアムの顔にかかる。

 

「ふん、ニ代目様からお呼び出しか」

 

「うむ。今がその帰りよ。殿下は近々貴様に会ってみたいと仰せだったぞ」

 

「は?別に構わないが、見世物と勘違いするようなプレゼンでもしたんじゃないだろうな」

 

 皆を待たせている状態を気遣い、ウィリアムが右手で「先に行っててくれ」と一同にジェスチャーを送る。

 マルコだけを残し、全員が木製のロッジのような洒落た店に入っていった。

 

「殿下は貴様に感謝のお気持ちを伝えたいと仰せられただけだ。おそらくは先代の件であろう。わしは何も言うておらんぞ」

 

「宮殿か?」

 

「いや、すぐにとはいかんだろうな。なにしろ殿下は王位継承の準備でご多忙であらせられる。謁見するその時がきたら使いが来るだろうが、まぁ気長に待て」

 

 火急の召喚というわけではなさそうだ。

 

「ならいちいち呼び止めるな。俺は行くぞ」

 

「それともう一つ」

 

「なんだ」

 

 ウィリアムがイライラと返す。

 

「早くもドイツ帝国に不穏な動きがあった。どうやら大アジア大陸の西側諸国と停戦や同盟を謀っているようだ」

 

「なにっ!そんな馬鹿な!」

 

 いくら何でも早すぎるとウィリアムは声を張った。

 

「おそらく奴らは我が君が御逝去されたのを知るや否や、すぐに手を打ったのだろうな。葬儀にドイツ皇帝が参列しなかったのが何よりの証拠。その間にアジア諸国へ赴いていたとしたら……それで辻褄が合う」

 

「同時進行していた、と……いや、それでも話が出来すぎている。陛下の死を予測していたとでも言うのか……?」

 

 様々な考えがウィリアムの脳裏に浮かび、そして否定して消去する事を繰り返す。

 

「馬鹿な。陛下を敗ったのは紛れもなく魔族だ。ドイツ帝国が魔族と結託して、後々何が手に入る。世界が滅ぶだけだぞ。それを理解出来ない程に奴等が阿呆だとは思えん」

 

「殿下はご存知か?」

 

「当たり前だ。しかしまだ殿下に采配をお任せするわけにはいかん。悠長などといった戯れ言は受け付けんぞ、田舎者」

 

「いや、悠長だ」

 

 憤るかと思ったが、モリガン元帥は深く息を吐くだけにとどまった。

 

「誰よりもお辛いのは殿下なのだ。あの若さでの唐突な即位だけでも大変だというのに、急かすわけにもいくまい」

 

「逆だ。窮地を凌いでこその名君だろう。王族だったら常に最悪の事態を覚悟していたはず。若いからと甘やかせば、才能を紡いでしまうだけだぞ」

 

「ぬぅ……」

 

 彼も本心はウィリアムと同じなのだ。堅い忠誠心がそれを邪魔してしまっている。

 

「殿下に会わせてくれ。一日も早くだ」

 

「どうするつもりだ」

 

 元帥が促す。

 

「ドイツ帝国が同盟を結んだアジアの国々と、俺達も同盟を結んでしまえばいい。そう考えれば、むしろドイツのおかげで手間が省けたな」

 

「そんなことが出来るか!」

 

「無理でもやるんだよ。まずは人間の世界が一つにならないと、魔族には太刀打ち出来ない」

 

 元帥はもう一度深く息を吐いた。

 

「確かに、殿下を甘やかすという表現は正しいかもしれん。だが、敵の同盟国と手を結ぶなど考えられん!もう少しマシな意見を思いついてから謁見を考えんか」

 

「マシな意見かどうかを決めるのは殿下だ。じいさんじゃない。違うか」

 

「減らず口め!田舎者はこれだから困る」

 

「おい、ジジイ。叔父貴がおっしゃってる通りにしておくのが身のためだぞ」

 

 黙っていたマルコが口を挟んだ。

 謁見が望めないならばどうにでもなれ、とウィリアムはそれを止めない。

 

「何じゃお前は」

 

「てめぇこそ誰だよ。田舎者はバレンティノ・ファミリーの恐ろしさも知らねぇのか」

 

「誰が田舎者じゃ!ロンドン以上の街なぞ無いわ!」

 

「……?」

 

 一拍置き、振り返るマルコ。

 

「……叔父貴、このジジイは頭が悪いんですか?」

 

「違う。もうボケてる」

 

「貴様らぁ!」

 

……


「遅かったですね、旦那。何かトラブルでも?」

 

 すでに仲間たちが大きなテーブルを囲む店内で、ヘンリーがそう言った。 

 ウィリアムとマルコはヘンリーの隣に二つ空けてある席に座り、全員が一つの大きな円卓についた。

 

「あぁ、大問題だ。しかし湿っぽい話は抜きにしよう。今日の主役は俺の可愛い舎弟、このマルコなんだからな」

 

「そうですかい。そんじゃ、酒を持ってきてもらいましょう」

 

 料理や酒が並び、ベレニーチェが神への祈りの言葉を述べると、ようやくマルコは悲願だったご馳走にありつく事が出来た。 

 ローストされた肉の皿をお構い無しにつついて、ボトルごとスコッチをあおっている。

 

「すまないな、みんな。下品だが許してやってくれ。こいつも苦労してきたらしくてな」

 

「そうだわ。マルコ様は、やはり牢獄にいらしたんですか?」

 

「んんっ?んー、ん!」

 

「まずは口の中の物をしまってからにしないか」

 

 頬一杯に食べ物を詰め込んだマルコに、一同から笑いが起こる。

 

「ん……んぐ。すいません、皆さん。で、質問は何だった?嬢ちゃん」

 

「はぁ……お前はもう応えなくてイイ。そのままずっと飲み食いしてろ」

 

 ため息をつきはしたが、ウィリアムは満足そうだ。

 当然、幸せそうなマルコの顔を見れたからであろう。

 

「ベレニーチェ、マルコの事なら心配いらない。金も尽き、腹が減って食べ物をくすねたところ、運悪く憲兵に見つかってしまったらしい。何も、殺しを繰り返すような極悪人ではないことは俺が証明しよう」

 

「まぁそうでしたか!慣れない地で大変なご苦労をなさった事でしょう」

 

「みんなには俺がローマに来た時の話は聞かせたか?もしまだならちょうどイイ機会かもしれないな」

 

 ウィリアムが直接話していたり、人づたいに耳にした者もいるだろうが、改めてそう切り出した。

 

「実は、初めは俺もマルコと同じように捕まえられたんだ。すぐに大司教、そして我が君が助けてくれたから難を逃れたわけだが、処刑されてもおかしく無い状況だった」

 

「処刑……?叔父貴、それは聞き捨てなりません。すぐにそこの責任者の首を切り取って犬にでも喰わせましょう」

 

「お前には黙ってろと言ったはずだが?」

 

「あ、はい……」

 

 縮こまりながらも次はメインディッシュのペパロニピザに手を伸ばすマルコ。

 

「もう言いたい事はわかってくれただろう?過去はその人物を推し測る材料としては少々役不足だって事さ」

 

 一同にとっては、とりあえず言っている事は分かるという程度の事かもしれない。

 しかしヘンリーだけはウィリアムの生業を詳しく知っている為、深く頷いている。

 

「あっ!あんた、ピザをいち早く!」

 

「へへ!食ったもん勝ちなんだよ!」

 

 カンナバーロ伍長がマルコの動きに気づき、負けじとピザを頬張り始めた。

 

「やれやれ、さらに賑やかな使者団になったのは間違いないか」

 

「彼らを見ていると、バレンティノ様に何やら自分の姿を重ねてしまいます」

 

 チェザリス少尉がカンナバーロを叱りつけるのと、ウィリアムがマルコを叱りつけるのではその理由が大して変わらないと言いたいのだろう。

 今回はウィリアムもその意見には概ね同意せざるを得ない。


「うーむ、このピザ……味が薄いですね。チリソースが欲しいところじゃないですか、叔父貴」

 

「気持ちは分かるが、こっちに来てしばらく経つからな。濃い味付けの物なんか食ったら塩辛くてたまらないと思うぞ」

 

「街や人もそうですけど、メシなんか何もかも違うんですね。財布はいつの間にか無くなってて、携帯は使えやしないもんだから捨てちまいましたよ」

 

 確かにマルコを地下牢から連れ出した時、服以外の持ち物は何も持っていなかった。

 それでもジェラルミンケースだけは捕まる直前まで守っていたのだから大したものだ。

 

「惜しいな。確かに通話やネットは出来ないが、写真を残しておくぐらいには使えるぞ。ほら」

 

 携帯電話を取りだし、こちらに来てから残してきた写真をいくつかマルコに見せてやる。

 

「ほぉ……しかし、普段はいくら電源を切って持ち歩いてたとしても、いつかは電池が切れるでしょう?」

 

「いや、実は充電をする方法が分かった。どうにか蓄電池を作る研究もしてるところなんだ」

 

「なんてこった!電気があれば大抵の事は出来るじゃないですか!叔父貴は間違いなく天才ですよ!そりゃあ組にいた頃から抜きん出て頭がキレるとは思ってましたが、まさかそこまでとは!」

 

「分かったから少し落ち着け。組での話はおおっぴらにしたくないからな」

 

 幸いにも宴が盛り上がっているおかげで誰かが深入りしてくる事は無かったが、マルコがこれ以上口を滑らせる前に釘を刺しておく。

 

「あ……すいません」

 

「そういえば、ハジキはどうした。俺は持ってなくて苦労したんだが、お前の懐には入ってたんじゃないか」

 

「そうだ、忘れてました。ハジキは俺が目を覚ました牛小屋の裏に隠してあります。どこぞの外国に飛ばさたと思ってたんで、見つかると厄介だと踏んだんですよ」

 

「でかしたぞ。道は分かるか」

 

「はい、地下牢からそう遠くありません」

 

 銃がある。 

 ただの鉄の塊ではあるが、それは不思議と勇気を与えるものだ。アメリカ人にとっては特に大きく。

 

「明日の朝、そこに案内してくれ。今日は疲れただろうから好きなだけ食って、ゆっくり休んでくれよ。部屋は用意してやる」

 

「ありがとうございます、叔父貴。あぁ、生きてて良かった……!」

 

「ほら、もちろん酒もたんまりとな。……チェザリス!」

 

 ウィスキーのボトルをマルコに押し当てながら、対面に座る部下を呼びつける。

 

「はっ!いかがされましたか」

 

 チェザリス少尉はウィリアムの席まで飛んできた。

 

「何か書くものはあるか」

 

「こちらに」

 

 腰袋から出した羽ペンと羊皮紙が手渡された。ウィリアムがさらさらと英文を書き込む。

 

「宿舎に戻る時に、先行して部屋を一つ増やしてもらえ。後々は相部屋にするだろうが、今夜くらいはマルコに贅沢させてやりたい。この紙を見せるとイイ」

 

「承りました。上等兵に行かせます」

 

「頼む」

 

 乗馬出来るアマティ上等兵に任務を与えるということで決定した。

 本人も聞いていたらしく、チェザリスからウィリアムに渡された紙を受け取っている。

 

「叔父貴、他のメンツも紹介してもらえませんか?」

 

「そうか、みんなに対してお前を紹介しただけだったな」

 

 一同を見渡す。

 

「まず、お前がピザの取り合いをしていた兵士がカンナバーロ伍長。確実にお前の親友になるであろう男だ」

 

「はい……?」

 

 マルコにその意味が分かるはずもなく、さらにピザを追加注文する痩せ男を訝しい目で見つめるだけだ。

 

「チェザリス少尉は分かるな。その隣にいる若いのがアマティ上等兵。こいつは寡黙で真面目な努力家だ。もし、馬鹿しかいない現世のアメリカに生まれていたら、間違いなく大出世しただろうな」

 

「叔父貴がそうおっしゃるのなら、確かでしょう」

 

「次はあそこに座ってる紫のローブの男。彼は錬金術師のピエトロ・ムッソリーニ」

 

 ムッソリーニはちょうどウィリアム達の正面にいる。

 

「錬金術師?そんなのが仲間にいたら俺達は即座に大富豪ですよ。やっぱり魔法使いなんて、おとぎ話の中だけの存在なんでしょう?」

 

「その隣の麗しいレディがベレニーチェ・シレア。あの若さでイタリア王国研究室長を務めている。もしお前が、その信じられないと言う魔術を見たいなら、彼ら二人に言ってみるといい。ただ、向こうにいた頃の常識が全て覆る覚悟はしておけよ」

 

「まさか……」

 

 マルコが半信半疑で苦笑した。

 

「最後に、さっきから自分は大して食べもせずにせっせとみんなの世話をしてくれているマダム。彼女はアーシア。ローマの城下町が魔族による襲撃を受けた時にたまたま知り合った仲だ。以来、俺達に付き従ってくれている」

 

 アーシアの話題が上がっている事に彼女は自ら気づき、ウィリアムに向けてぺこりと会釈した。

 

「……何となく、田舎に残してきたお袋を思い出しますね」

 

「だったらお前が代わりに孝行してやれ。彼女が体調でも悪くしたらこの一団は総崩れだぞ」

 

「親孝行ですか?まさか彼女の肩でも揉め、だなんておっしゃるんじゃないでしょうね」

 

「それはお前が考えろ。翻訳以外の仕事も見つけておかないと、ロンドンを出立したら手持ちぶさたになるぞ」

 

「むむ……しかし、まともな事をやった試しが無いですし……ましてや親孝行の真似事だなんて」

 

 マルコが頭を抱える。

 もちろん当初の予定通りにヘンリーの会社へ入社し、ロンドン支社を立ち上げる仕事に関わっても良いが、ウィリアムはマルコを手元に置いておくつもりだ。放っておいてもヘンリーが勝手に人を探すのは目に見えている。

 

……

 

 一時間後。

 

「うぅ……飲みすぎたか……」

 

 千鳥足で馬車に乗り込んでいく後ろ姿。それはもちろんマルコだ。

 

「だはは!だらしねぇ!飲み比べはこっちに軍配が上がったようだな!」

 

 少し前までマルコと競いあっていたカンナバーロは涼しい顔で槍を担いでいる。

 

「伍長!」

 

「待て、少尉。今夜は叱ってやるな。俺は舎弟を可愛がってくれたカンナバーロには感謝してるぞ」

 

「そうですか……しかしあれはすぐ調子に乗りますから」

 

 ウィリアムに諭されるチェザリスの背中越しにカンナバーロが舌を出している。

 

「あらあら大変。大丈夫かしら、マルコ様ったら。ウィリアム様、私が看病いたしますね」

 

「すまない」

 

 早速、マルコはアーシアに孝行をする理由が出来そうだ。

 

「少尉、マルコの部屋は取れてるか」

 

「恐らく問題ないかと。すでに上等兵が宿舎に向かっています」

 

 そう返すチェザリスの近くにいつもの白馬の姿はない。アマティが使用しているのだろう。

 そのせいでチェザリスはカンナバーロと並んで、徒歩での警護となる。

 

「では戻ろうか。みんな、出発するぞ。馬車に入ってくれ」

 

 ヘンリーはすでに御者席で待機しており、残るベレニーチェとムッソリーニが車内に乗り込んだ。 

 ウィリアムはそちらではなく、ヘンリーの横に座る。

 

「おや?」

 

「俺も飲みすぎたみたいでな。夜風に当たりたい」

 

「左様ですか。まぁ、好きなだけ涼んで下さい。そんじゃ出しますぜ、旦那」

 

 バシッ、と鞭が馬の尻に入り、四頭立ての大型馬車がゆっくりと進み始めた。

 

……

 

……

 

 明くる日。

 

 いつの間にか身についた早起きをし、そのまま翻訳稼業に勤しんでいたウィリアム。 

 自室の扉をノックする音に、集中力を乱された。

 

「入れ」

 

「おはようございます、叔父貴」

 

「よく眠れたか」

 

 相手は声と口調で分かる。視線は机上を走る羽ペンから離さない。

 

「えぇ、久しぶりのベッドについ寝坊してしまう有り様です。すいませんでした」

 

「まだ九時だ。気にするな」

 

「時間が分かるんですか?あ、携帯が使えるんでしたっけ」

 

 マルコの問いかけに、生き生きと針を刻む愛用のセイコーを放り投げた。

 

「おっと……!携帯だけじゃなく、腕時計まで!」

 

「使え。俺には電話があるからな」

 

「そんな!こいつは叔父貴の大事な物でしょう?」

 

「大事な物だからお前に預ける。絶対に無くすなよ」

 

 ガラスの奥でカチカチと動く秒針を見つめ、マルコが腕にそれをつける。

 

「叔父貴……」

 

「ん?」

 

「ベルトがきつくて締まりません……」

 

「知るか」

 

 痩せたとはいえ、ウィリアムよりいくらか太い腕のせいで残念な結果となった。

 

……

 

 それからしばらく二人で翻訳を続けると、面白い文献に出くわした。

 

「これを見ろ、マルコ」

 

「はい?」

 

「かなり古いものだが、その一生をロンドン郊外で魔族と生活していた人物の手記らしい。これは保管していた軍部連中も知らない物に違いないぞ」

 

 何時の物かは定かではないが、擦りきれた羊皮紙がその歴史の古さを物語っている。

 

「叔父貴、わけも分からないままイタリア語に訳してはいますが、この膨大な量の書類は何の役に立つんでしょうか」

 

「戦争だ。或いは交渉になるか……いや、それは期待しないほうが賢明かもな」

 

 とはいえ、やはり魔族を見てもいないマルコには難しい話だったようで、腑に落ちない表情で首を傾げるばかりである。

 仕事の意味を理解させるには、もう少し時間がかかりそうだ。

 

……

 

「お食事が準備できましたが、どうされますか」

 

 日が高くなった頃。

 扉の向こうからアーシアが声をかけてきた。

 

「マルコ、頼む」

 

「はい」

 

 ペンを置き、マルコが扉を開けた。

 

「二人分お願い出来ますか、マダム」

 

「えぇ、もちろんですわ。すぐにお持ちいたします」

 

「ちょうどいい機会だ。マルコ、孝行してこい」

 

 そう言ったウィリアムに従い、扉を閉めようとした手を止めるマルコ。

 

「マダム、俺も手伝いますよ。料理はどこです?」

 

「あら、それは助かります。ご案内しますね」

 

 二人が去っていくと、ウィリアムは久しぶりに携帯電話の中の、一枚の写真を開いた。

 

「……」

 

 兄との写真である。 

 寂しいなどといった感情は浮かばないが、無鉄砲な兄が自分無しでどうしているのかは気がかりだ。現世に残っているのならば組の安寧は兄一人の肩にのしかかり、もしマルコと同じようにこの世界に飛ばされていたとしたらその身が危険にさらされているのは言うまでもない。 

 いずれ消息を掴んだ時、敵対関係にある組や警官に撃たれて、或いは魔族や戦士に襲われてすでに死んでいた、という可能性も考えておかねばならない。

 

「叔父貴、食事です」

 

 マルコが大きなシルバートレイにバスケット入りのパンとシチューの鍋を乗せて戻ってきた。

 後ろには食器類を手に持つアーシアの姿もある。

 

「おう、そこに」

 

「あ……親父……」

 

 マルコがテーブルに置かれた液晶画面の中に主を見つけた。

 

「さぁさぁどうぞ。冷めない内にお召し上がりくださいね」

 

「あぁ、ありがとう」

 

「マルコ様もお手伝いいただいてありがとうございました」

 

 アーシアが軽く会釈をして下がっていく。

 

「いえ、俺は別に……当たり前の事をしただけなんで」

 

 照れくさそうに返すマルコに、アーシアは柔らかい笑みを浮かべて扉を閉めた。

 

「……」

 

「どうした、早く食え。兄貴の顔を見て意気消沈したか?」

 

 席に座ったまま、スプーンを持とうとしないマルコに尋ねる。

 

「叔父貴……親父はお元気でしょうか」

 

「さあな。だが、今やってるこの仕事は、俺達が兄貴と再会するのに関係している事は間違いないだろうな」

 

「どういう事でしょう?」

 

「元の世界に戻れる可能性があるって意味だ。そういう話をしたばかりだろう」

 

 カンカンカン!

 

 警鐘の音。

 

 何か返そうとしていたマルコの動きが止まる。

 

「魔族か……!」

 

 ウィリアムはスプーンを置いて立ち上がった。

 

「叔父貴……?」

 

「まずいぞ、今日はみんな街に出てるはず……!そうだ、マルコ!ハジキだ!ハジキの場所へ急いで案内しろ!」

 

 朝の内に探そうとしていたのをすっかり忘れていたウィリアムが、椅子を蹴って部屋を飛び出す。当然マルコは瞬時にそれに反応した。

 

「良かった……馬車がある……!ヘンリー!ヘンリーはいるか!」

 

「ここですぜ、旦那」

 

 宿舎の外、目の前に停めてある馬車の側で声を張ると、天井に上がって幌を拭いていたヘンリーが顔を覗かせる。

 マルコとアーシア以外のメンバーは全員外出の予定と聞いていた為、ヘンリーがまだここにいてくれたのは運が良かった。

 

「警鐘が聞こえただろう!急いで行きたい場所がある!それからすぐにみんなを探すぞ!」

 

 ガットネーロ隊は一緒にいるはずだが、ベレニーチェとムッソリーニが単独行動しているとしたら危険だ。

 

「わかりやした。御者席にどうぞ。新兵器がありますんで使ってみてくだせぇ」

 

 マルコは馬車後部から乗り込み、前方にある小窓を開けて二人と会話する。

 

 ウィリアムは御者席へ。

 すると席をロープで二つに区分け、右席に手綱、そして左席にヘンリーの言う『新兵器』とやらが鎮座していた。

 

「おぉ、クロスボウか……!」

 

 弓を横に寝せたようなシルエットに銃座、引き金を備えるそれは、一般的な弓に比べて取り扱いが非常に楽だ。 

 だが、専用の短矢を用いるせいで射程距離は短く、命中精度も高くはない。

 クロスボウが真価を発揮するのはその素早い連続射出による攻撃、または弾幕を張って敵を牽制するところにあるだろう。

 

「気に入りましたか?存分に使ってくだせぇ」

 

「……ん?これは、固定されているのか?」

 

 やや左側に向けて取り付けられたクロスボウ。多少は左に旋回、上下に動くが、馬車の進行方向には構えれない。

 

「馬に当たりますから」

 

「なるほどな。確かにそれでは本末転倒だ」

 

「まだ先の話ですが、前方への攻撃には、幌の上に射出台を作ろうかと考えてまさぁ」

 

 鞭を打ちながらヘンリーが言った。

 今のところ車体の左側しか攻撃出来ず、彼がそれだけで満足するような男ではないのはウィリアムにもよくわかっている。

 

「よし、まずはマルコを連れ出した地下牢の方角へ向かってくれ。おい、マルコ!出るぞ!後でヘンリーに細かい行き先を教えてやれ!」

 

「はい、叔父貴!」

 

 小窓から返答が聞こえてくる。


「しかし……上に射手まで構えると、本格的に戦闘向きの車両になるな」

 

「後部にもさらに一つ構えるつもりです。外装は鉄組、幌を鎖に変更、馬も六頭に増やして鎧兜を」

 

 かなり大がかりな改造を計画しているらしい。

 

「頼もしいな。車内の居心地が悪くなるのはご愛嬌か」

 

「なるだけ快適にしてみせまさぁ。それで、戦車と名付けるのはどうですかい」

 

「この上ない名案だ」

 

 カンカンカン!

 

 警鐘の音は鳴り続いている。 

 いくつかのイギリス兵の部隊が怒号を上げながら走って行った以外には、道端で人とすれ違う事はほとんど無かった。皆、逃げ遅れずに近くの建物へと素早く身を潜めたようだ。人々は前回の、国を壊したと言っても過言ではない戦闘での教訓を活かしている。

 

「そこを左だ!」

 

「あいよっ!」

 

 ガラガラと車輪から出る轟音。激しい砂煙を巻き上げながら馬車は突き進む。 

 マルコとヘンリーの連携もなかなかのものだ。特にマルコは車内中央の左右にある窓から現在地を確認しつつ、前方にある小窓へ走って声を張らねばならないので大忙しである。

 

「旦那、向かっている場所には何があるってんですか?」

 

「着いてのお楽しみだ」

 

「あったぞ!そこにある家畜小屋だ!」


 飛び出したマルコが古い家畜小屋の裏手に走って行く。

 そこは深い茂みで、誰かが近づく心配は少ない。銃を隠しておくには悪くない場所だ。

 

「あったか!?」

 

「少々お待ちを……!クソッ、どこだ!?確かにこの辺りに埋めたのに……!」

 

 マルコの姿は高い雑草で見えず、声だけが戻ってくる。 

 ヘンリーとウィリアムも御者席から降車し、マルコを手伝おうとした矢先。

 

「グァァウ!」

 

 彼らの背後から、明らかに人や家畜のものではない鳴き声が響いた。

 

「……!」

 

 振り向き様に魔剣を抜刀し、ウィリアムは茂みの方へ半歩下がった。

 

 馬車の近くに立つ、一体のリザードマン。濃い緑色の鱗を纏った、屈強な肉体を持つ魔族である。

 

「グルル……人間……!」

 

「旦那、ちぃとばかりマズイですぜ」

 

 魔物の手には小振りな片刃斧。残念ながらウィリアムの隣にいるヘンリーは丸腰だ。かなり緊張しているのが分かる。

 

「グァォ!」

 

「くっ!」

 

 リザードマンはウィリアムに向かって突進してきた。

 

「グァァゥ!」

 

 しかし、直前でターゲットを変更し、ヘンリーに襲いかかる。

 

「ヘンリー!」

 

「おぉっ!?」

 

 始めから丸腰の相手を先に倒そうと思っていたのか、右手に持った片刃斧が、ブン!と横一文字にヘンリーの頭上を通過する。 

 とっさに避けようとしたヘンリーは尻餅をついてしまったが、結果としてはそれで難を逃れた。

 

「フェイントとはなめた真似しやがる!お前の相手は俺だ!」

 

 たまらず魔剣を振り下ろすウィリアム。

 

「旦那!すいません!」

 

「グゥァゥ!」

 

 ガァン!

 

 しかし、リザードマンは素早く左手に持ち変えた片刃斧でウィリアムの斬撃を受け止めた。

 瞬間的に標的を切り替え、複数の敵を相手に出来ている事から、戦い慣れした戦士であると分かる。

 

 パァンッ!

 

 ウィリアムにとっては聞き慣れた、そしてヘンリーにとっては初めて耳にする渇いた音。

 

 銃声。

 

「グォォッ!?」

 

 右目を撃ち抜かれたリザードマンが後退りする。

 

「マルコ!」

 

「叔父貴!大丈夫ですか!?」

 

 オートマチック式の拳銃を手にしたマルコが茂みから現れる。

 

「今のところはな……!さっさとコイツを始末しろ!」

 

「この……ゴジラのコスプレ野郎がぁぁ!」

 

 パァン!パァン!

 

「グゥ!?グァォ!」

 

 亜音速で撃ち出された鉛の弾頭が二発、固い鱗に深々と突き刺さる。

 致命的なダメージは与えられないが、それはウィリアムが剣を振るう隙を十分に与えた。

 

 ザシュッ!

 

 腹部を斜めに捉えた斬り口は浅い。しかしそこから炎が一気に噴き上がる。リザードマンの鱗が魔剣の刃に着火する摩擦を与えたのだ。

 

「グォォォァァァァッ!!」

 

 リザードマンの耳や口、鼻の穴からも煙が燻る。

 一見、地味な変化ではあるが、体内が燃えているという事だ。想像を絶する苦しみに、リザードマンはけたたましい断末魔を発して命を落とした。

 

「はぁ……!はぁ……!」

 

「叔父貴……!やりましたね!しかし、このゴジラ……妙な着ぐるみ着て気色悪い鳴き声なんか出しやがって……ヤク中ですかね?なんか燃えてたし」

 

 銃の先で、うつ伏せに倒れたリザードマンの後頭部をつつくマルコ。

 

「お前、本気でそう言ってるんならもう一度しごいてやろうか」

 

「わわっ!冗談ですよ!これが、叔父貴がずっとおっしゃってた魔族とかいう生き物なんですね……ハリウッド映画もあながち間違いじゃなかったわけだ」

 

「こっちではな。行くぞ。銃声と化け物の断末魔のせいで奴等の仲間が寄ってくる危険性がある。コイツらは毎回こうも簡単に倒せる相手じゃねぇ。油断するなよ」

 

 ウィリアムがそう言った時、すでにヘンリーはいち早く御者席に搭乗していた。

 今回、最も身のすくむ思いをしたのは彼だ。一秒でも早く移動したいのは間違いない。

 

「旦那、どうかお早く。急ぎましょう」

 

「あぁ。マルコ、車内へ」

 

「はい、叔父貴」

 

 マルコが後部に乗り込んだのを確認し、ウィリアムが御者席に昇ろうと片足をかける。

 

「旦那っ!」

 

「ん?」

 

 ウィリアムの背後を指差して叫ぶヘンリー。

 

「グォォッ!」

 

「グァォ!」

 

 目前まで迫るリザードマンの分隊。数は三体。今しがた倒した個体の仲間に違いない。

 

「やぁっ!」

 

 ヘンリーが右手で馬に鞭を打ち、左手でウィリアムを引き上げた。

 

「すまん、ヘンリー!畜生め!これでも食らえ!」

 

 ついに新兵器の出番だ。

 馬車に取りつこうとしていた先頭の一体に向けてクロスボウの短矢が発射される。

 

 ドッ!

 

 鈍い音。至近距離の為、クロスボウなど使い慣れていないウィリアムの腕でも、その矢は難なく敵の肩に当たった。

 

「グァォ!」

 

「なにっ!」

 

 しかし、驚くべき事にそれは突き刺さる事なく地に落ちてしまった。もちろん、肩や膝部分がボロボロに崩れている彼らの鎧に防がれたのではない。正真正銘、皮膚の固さが短矢を凌駕したのだ。

 やはり簡単に銃弾と比べてしまうと、その威力は雲泥の差であると言える。

 

「グォォッ!」

 

「旦那!無理しないでくだせぇ!」

 

 仕方なく抜いた魔剣で、左から押し寄せる敵の槍をさばくウィリアム。

 

 ゴゥン!

 

 運良く、先頭の一体が馬車の車輪に腕を取られ、その回転に巻き込まれる形で転倒した。

 

「よし!ヘンリー!飛ばせ!逃げ切れるぞ!」

 

「やってまさぁ!」

 

 珍しく口答えするような言い方をしてくるヘンリー。

 もちろん自らが剣を振り回しているような状況下ではウィリアムも気にはしない。


 ヘンリーが街中を縫うように馬車を右往左往させ、五分ほど経ったところでようやく敵がこちらを見失ったのを確認出来た。

 

「ここまで来れば安心でさぁ」

 

「そのようだな。助かった、礼を言うぞ」

 

「まだ製作途中ですから、傷物にされちゃ困りますんで」

 

「なんだ、それがいつもより焦っていた理由か。見上げた職人気質だな」

 

 先ほど話していた馬車を戦車と成す大改造。ウィリアムの苦笑混じりの皮肉に、ヘンリーが鼻を鳴らす。

 

「へへっ。飄々としてるあっしでも、たまにはアツくなるって事でさぁ」

 

「車輪は少し損傷したかもしれんぞ」

 

「ま、不幸中の幸いって事で」

 

 カチャ。

 

「あの、叔父貴」

 

 ウィリアムとヘンリーの背後にある、車内と御者席をつなぐ小窓からマルコの声が出てくる。

 

「なんだ」

 

「いや、中からじゃ何も出来なくて……後ろの扉から飛び出そうかとも思ったんですが、お守り出来ずにすいませんでした」

 

「車内からも迎撃可能なように改造予定があるんだから気にするな。そうなったら好きなだけ撃ってくれ」

 

「ははっ、分かりました。楽しみにしておきます」

 

 小窓が閉まる。

 

「ん、旦那。一難去ってまた一難のようですぜ。どうしますか」

 

 二人の前方に土煙が見えてきた。

 どうやら魔族とイギリス軍の部隊がぶつかり、規模の大きい戦闘になっているらしい。

 

「飛び込むのは危険だ。しかし、仲間が巻き込まれていないとも言い切れん。どこか、あの一帯を見渡せる場所は無いだろうか」

 

「馬車を降りるんなら、あの教会はどうでしょう?鐘のあるてっぺんまで登れるなら、ある程度見渡せるかもしれませんぜ」

 

「教会か……扉を開けてくれればいいが」

 

「神の教えより自分たちの命ですかい」

 

「馬鹿には出来んさ。それが人だ」

 

 ヘンリーの言う教会は、二階建ての白壁の石造りで、その上に小さな鐘と十字架が掲げてあった。確かに鐘のある上部まで行けるならば見晴台として悪くはない。

 しかし、市街地で戦闘が起こっている今、少なくない数の避難者がその中で震えている事だろう。

 

 軍部や憲兵の詰所のように戦闘員が常駐している場所ならば外に対しての見張りを置き、魔族に追われている等の危険が迫っていなければ中へ迎え入れてくれるかもしれない。だが、扉を閉め切った教会の戸を叩いたところで、それと同じようにはいかない。 

 そして、それは単にウィリアムの予想だけではなく、現実のものとなってしまう。

 

 ドンドン!

 

 ウィリアムが打ち鳴らした教会の大扉は木製で、魔族の攻撃を耐え抜くにはいささか脆弱な印象を受ける。 

 派手なノックに反応して、教会の中からいくつもの悲鳴や怒号が聞こえてきた。それを抑えようとする神父らしき男の声が一際目立つ。

 

「どうか皆さん落ち着いて!きっと、神の御慈悲が我らを守って下さるでしょう!」

 

 車外に出て、ウィリアムの横にいるマルコが肩をすくめた。

 

「マルコ、頼んでみろ」

 

「はぁ」

 

 ドンドン!

 

「おい!開けろ!俺たちは化け物じゃねぇ!人間だ!」

 

 一拍置いて、神父らしき男の返答。

 

「おぉ!どうかお許し下さい!これ以上はこの教会にかくまう事が叶いません!」

 

「そこをなんとか!」

 

「貴方に神の御加護があらんことを願います!」

 

「クソが!地獄に堕ちろ!」

 

 ゴッ!

 

「いてっ!」

 

 ウィリアムの拳骨がマルコの頭上に落ちる。

 

「お前は少しくらい交渉の仕方を覚えろ!」

 

「す、すいません!」

 

 側で停車している馬車の御者席から、ヘンリーのゲラゲラという笑い声が響く。

 

「仕方ない。マルコ、教会の壁をよじ登ってあの鐘があるところからロープを下ろせ」

 

「えっ!いや、しかし……」

 

「あぁ?誰のせいだ?」

 

 ウィリアムのひと睨みでマルコが縮こまる。

 確かに難しいが、窓枠や壁の凹凸を利用すれば不可能な話ではないはずだ。

 

「し、承知しました……」

 

「ヘンリー!ロープはあるか!」

 

「へい、ただいまお持ちしますよ」

 

 馬車の側面。

 ジャッキアップ用の補助輪が格納されている辺りから、ヘンリーが備品のロープを取り出して持ってきた。それをマルコの肩にかけて準備させる。

 

「そんじゃ、やってみます」

 

「期待してるぞ」

 

 ペッペッ、と両手に唾を吹きかけ、マルコのウォールクライミングが始まった。

 

「旦那、馬車を真下にやりましょうか。死にはしないでしょうが、落ちたら一大事ですぜ」

 

 ヘンリーが進言する。

 

「いや、それなら車内にあるテーブルクロスを持って来てくれ。幌だと骨組みに当たる可能性がある」

 

「承知しやした」

 

 上下左右に足場を探しながら登っていくマルコ。

 その下で真っ白なテーブルクロスを広げ、ウィリアムとヘンリーが万が一に備える。

 細かい位置取りにも臨機応変に対応出来る為、やはりテーブルクロスの方が適任だったようだ。

 

「どうだ、マルコ」

 

「……ぐぬぅ」

 

 既にマルコは建物の二階辺りの位置にいる。余裕がないのは当然で、返事は出来なかった。

 

「あっ……!」

 

 右足を踏み外し、マルコの靴が落ちる。

 

 下で待ち構えるテーブルクロスに黒い革靴が僅かな感触を与えた。

 

「おい!落ちるなよ!」

 

「は、はい……!」

 

 ウィリアムとマルコは冷や汗を垂らしたが、ヘンリーは涼しい顔である。

 

 それ以降は特に危ない場面はなく、見事にマルコはウォールクライミングをやってのけた。

 

「ふぅ……!着いた……!」

 

「マルコ、ロープの片側をどこかに結んでこっちに下ろせ!」

 

「はい!」

 

 鐘のそばにある柱に固定されたロープが投げ下ろされる。

 地面までは届かないが、ウィリアムの腰の辺りまで届いているのでその長さは充分だ。

 

「ヘンリー、もし魔族が来たら迷わず馬車を出してくれよ。俺達は上に隠れてやり過ごす」

 

「へい、分かりました」

 

 それだけ伝えると、ウィリアムは垂らされたロープを手に取った。

 左右の手で目一杯それを引き寄せ、足で壁を踏んで身体を地面と平行に近い角度にする。

 

「叔父貴、気をつけて下さいね!」

 

「心配するな」

 

 テーブルクロスという保険はウィリアムには無い。

 だが、ロープを引きながら足で壁を歩くのはそれほど苦労をするものでもなく、ウィリアムはわずか数秒でマルコの待つ教会の上へと到達した。

 

「仲間は見えるか?」

 

 早速、戦場と化した街並みを見やる。

 

「さぁ……さっきのゴジラと人間の兵隊が戦っているのは見えますが……そう長い付き合いでも無いんで、仲間があの中にいても一般人と見分けがつきません」

 

「イギリス兵が押されてるな。またかなりの犠牲者を出してしまうか……気の毒に」

 

「あっ、叔父貴。昨日のジジイがいますよ」

 

「ジジイ?」

 

 もちろんマルコの言う人物はモリガン元帥の事である。 

 巨大な鎧馬に跨がる大男は、たった今到着したばかりの様子で、数人の兵士から戦況を聞かされている様子だった。

 

「アイツがいるなら少しは安心できそうだ」

 

「強いんですか」

 

「あの化け物以上に化け物だ」

 

 ニヤリと笑い、ウィリアムは屋根から少し身を乗り出した。

 元帥がいるとしても、仲間探しを中断するわけにはいかない。

 

「叔父貴、見間違いであればいいんですが……」

 

「ん?」

 

「あの町娘まさか、お仲間の嬢ちゃんじゃないですか?」

 

 確かに戦いの渦中に、逃げ遅れたらしい町娘の姿がある。

 そしてその側には小さな男の子。 

 味方の兵士もいるので敵に囲まれているわけでは無いが、流れ弾が当たってもおかしくはない位置だ。

 

「ベレニーチェ?だが、あれは親子に見えるな……いや、逃げ遅れた子供を庇っているのか!」

 

 確信を持つ前に、ウィリアムはロープを掴んで壁を滑り降りて行った。

 マルコも続こうとしたが、地上のウィリアムはそれを制止する。

 

「待て!お前はそこにいろ!」

 

「えっ!?お一人で行かれるおつもりですか!」

 

「あの喧騒に入ったらベレニーチェらしき女の位置が確認出来なくなるかもしれない!お前はそこからあれを見失わないようにしてろ!」

 

 戦場からでも、少し見上げて目をこらせば教会にいるマルコの姿は視認出来る。

 娘の居場所が分からなくなったり、移動をしてしまった場合にはマルコに身振り手振りでその位置情報を教えてもらおうという考えだ。

 

「わ……分かりました!叔父貴、絶対に無茶はなさらないで下さいね!」

 

 返答はせず、右手を軽くあげて御者席の横に座る。

 

「ヘンリー、ベレニーチェらしき娘を見つけた。ギリギリ戦闘に巻き込まれない距離まで車を寄せてくれ」

 

「へい、任せてくだせぇ」

 

 徒歩での移動も考えたが、ベレニーチェを連れて帰るには言うまでもなく馬車が近い方がいい。細かく確認は出来なかったが、手負いである可能性も大いにあり得るのだ。

 

……

 

「ぬぉっ!?田舎者!何をしておるか!」

 

 今にも突撃を開始しようとしていたモリガン元帥の隣に馬車を横付けする。

 

「じいさんがちんたらやってるから、うちのマドンナがあそこに取り残されてるんだろうが」

 

「マドンナ?なんじゃ、それは」

 

「そうだ、ちょうどいい!俺を後ろに乗せてあそこまで突っ込んではくれないだろうか?」

 

「待て待て!貴様、いきなりこんなところに現れて、何を言っておるのかまったく意味が分からんぞ!」

 

 確かにベレニーチェの救出へ向かうのに、これほど頼りになるボディーガードはいないだろう。

 

「いつだったか、あんたが鼻の下を伸ばしてた娘を覚えてないのか!?俺達イタリア使者団の看板娘が危ないって言ってるんだよ!」

 

「むぅ!?まさか、あの若い娘が逃げ遅れて、戦闘に巻き込まれているのか!?」

 

 ウィリアムの説明で状況を理解した元帥。鼻の下を伸ばしていたというのは否定しないらしい。

 

「そうだよ!さっさと俺を乗せろ!」

 

「馬鹿もん!早よう乗らんか!」

 

「逆ギレかよ!」

 

 ウィリアムは御者席の足場から跳躍し、元帥の軍馬に飛び乗った。

 大型の馬に跨がる大男の背を目の前にすると、やはりイタリアでウィリアムの力になってくれたタルティーニ中将の事を思い出す。

 

「ヘンリー、すぐに戻る!」

 

「へへっ、いってらっしゃいませ」

 

 バシッ!

 

「出すぞ!舌を噛むなよ、田舎者!」

 

 元帥の駆る馬が土を蹴り、人間と魔族の兵士がぶつかる激戦区へと突撃していく。

 

「はぁっ!どけどけぇ!」

 

 ゴウッと空気を切り裂く元帥の大斧がリザードマンの脳天を打ち砕いた。

 いくつも武具を所有しているらしく、鋼の真新しいその斧はまるで剣のように切れ味が抜群だ。

 

「ギィァァゥ!」

 

 その一撃に、緑色の血液と脳髄を撒き散らしながら崩れ落ちる敵兵。

 

「か、閣下!」

 

「閣下だ!元帥閣下が駆けつけて下さったぞぉ!」

 

「これで我らの勝利は間違いないぞ!押し返せ!」

 

 多くの犠牲者を出し、苦戦気味だったイギリス陣営に活気が戻る。

 猛将の存在は本人が敵を斬り伏せる力だけではなく、それに魅せられた兵の底力をも引き出すのだ。

 

「聞けぇ!陛下に愛されし勇敢な兵士達よ!近くに逃げ遅れた民間人がいると聞いた!わしは第一にその者を救出する!誰か姿を見た者はおらぬか!」

 

 皆の注目は集まっているが、誰も返答はしない。

 ウィリアムが見たところ、この場には有力な下士官も高名な騎士もおらず、若い新兵ばかりで編成された弱小部隊のようだ。強敵を相手にして、目の前の事以外に気を向ける余裕があるとは思えない。

 

「じいさん、あの左手に向かってくれ。俺はあの辺りで確かにベレニーチェらしき娘を見たんだ」

 

 一刻の時も無駄には出来ないと、馬を止めている元帥にウィリアムがそう言った。

 

「むぅ!承知した!道を開けよ!敵を蹴散らすぞ!わしに続けぇ!」

 

 おぉっ!と呼応した兵士がウィリアム達の後ろにつく。

 

「グァォ!」

 

「ニンゲン!コロセ!」

 

 しかし、突如現れた人間の猛将に、魔族達も手柄を立てようと殺到してきてしまう。

 敵味方の双方が勢いを増して戦闘は激化する。

 

「うぁ、ぁぁぁ!!」

 

 ウィリアムの右後方。

 馬上から振り返ると、すぐに手が届きそうな距離で、一人の兵士の首が噛みちぎられていた。 

 まだ少しあどけなさが残るその兵士は、ガットネーロ隊の最年少であるアマティ上等兵よりもさらに若く見えた。

 

「一人やられたぞぉ!」

 

「畜生!俺はまだ死にたくねぇぞ!」

 

 先ほど元帥が倒したリザードマンに負けずとも劣らない勢いの、派手で紅い血飛沫に後続の者達が怯む。

 

「すまぬ……」


「……」

 

 ぼそりと呟いた元帥の言葉を、ウィリアムは聞き逃さなかった。

 

「田舎者!どこじゃ!麗しのレディは!」

 

「確かにこの辺りにいたが……そうだ、子供を連れていた!物陰に隠れてはいまいか?」

 

「それでは自殺行為だぞ!」

 

 物陰といっても、道端には両軍の兵士の死体くらいしかない。しかも戦闘が続く中で地べたに伏せては、踏み潰されて終わりだ。 

 最後の頼みの綱、マルコが待機する教会を探す。

 

「おい、マルコ!教えてくれ!」

 

 声は届かないだろうが、手を振り、見失ってしまったベレニーチェの位置情報が欲しい事をアピールする。

 

「見つけたのか!」

 

「違う。舎弟があの教会から見てくれてるんだよ。この喧騒じゃ、いつ仲間を見失ってもおかしくないからな」

 

「おりゃぁ!」

 

 返事の代わりに一体のリザードマンを葬る元帥。しかし、気付けば後続の部隊は全滅し、数体の魔族に包囲されてしまっていた。 

 ウィリアムの言葉でがかなり無理な突出をさせてしまったようだ。

 

「あぁ……!バレンティノ様……!」

 

 その時、か細くも力強い声が聞こえた。

 

「ベレニーチェか!?どこだ!?」

 

「おぉっ!見つけたぞ!」

 

 二人の前方。

 ちょうど、前に座る元帥の身体に隠れてウィリアムからは見えなかったが、横から覗きこむと、必死に抵抗する三人の兵士に守られたベレニーチェと子供の姿が確認出来た。

 

 泣き叫ぶ男の子を抱き込むようにうずくまる彼女の白いブラウスは、守ってくれた兵士達の返り血で真っ赤に染まっている。

 彼女らの近くには他の地点よりもイギリス兵の死体が密集しているように感じるのは気のせいではないだろう。

 

「ギァォ!」

 

 ドッ!

 

 敵の槍に腹を貫かれたのは、守りを固めている兵士の一人。

 

「ぐぅっ……!レディと子供を守れ……!閣下に……渡すまでは……くたばるわけにはいかない!」

 

 致命傷を受けておきながらも彼は倒れない。

 

「貴様ぁぁぁっ!」

 

 怒り狂った元帥は馬上から跳躍し、鋼鉄のグリーブでそのリザードマンを踏みつけようとしたが、これは避けられてしまう。

 

「じいさん!俺を置いていくな!」

 

 馬に取り残されたウィリアムはその場から動けず、襲いかかってくる敵の攻撃を魔剣で打ち払うのがやっとであった。 

 とはいっても、長く防ぎきるのは不可能。そう判断したウィリアムが行動に移る。

 

「くっ!悪く思うなよ、じいさん!むしろ、お前が悪いんだからな!」

 

 数秒と経たずに、ウィリアムも元帥を真似て地面へと飛び降りたのだ。つまり、元帥の馬を見捨てた事になる。

 

「うぉぉっ!」

 

 迫り来る凶刃をかいくぐり、元帥と兵士ら、そしてベレニーチェと少年が集まっている地点に合流した。

 その瞬間、背後で大きな嘶きと共に押し倒される軍馬の姿があった。

 

「ぬっ!貴様!なぜ離脱した!」

 

「俺は馬術なんか知らないからな!それより、ベレニーチェ!無事か!」

 

「バレンティノ様……お手間をかけさせてしまい、申し訳ありません……」

 

 兵士達の隙間から、憔悴した彼女の表情がウィリアムの視界に入る。

 

「よぉし!味方のいる場所まで退くぞ!貴様ら、遅れをとるなよ!」

 

「ははっ!」

 

 頭上で斧をぐるりと回し、元帥が気合いを入れた。

 

「ベレニーチェ、動けるか。肩を貸そう」

 

「いいえ、怪我はありませんので。それよりもこの子を……」

 

 内側にウィリアムやベレニーチェを入れ、円陣を組んだ元帥と兵士らが固まってゆっくりと後退を始める。

 

「任せろ」

 

 納刀したウィリアムがベレニーチェから少年を受け取り、抱き抱える。

 

「……!」

 

 よく見るとその子は肩から先、左腕を失っていた。

 ベレニーチェの頬に、涙がこぼれる。

 

「私が杖さえ携帯していれば……!ごめんね……坊や、ごめんね……」

 

 悔やんでも悔やみきれないといった様子で、彼女は何度も謝り続ける。

 少年の年齢は五つにも満たないだろう。泣き叫ぶわけでもなく、ただただ、ぼうっと空を見上げている。

 

 ガシャッ。

 

 そして、先ほど致命傷を受けた兵士が力尽き、地面に突っ伏したまま動かなくなった。 

 熾烈を極める絶体絶命の状況だが、死屍累々の一面が数分後には見慣れてしまっているという心境に、ウィリアムは戸惑いを覚える。

 

「ぬんっ!」

 

 突破口を開く為、大斧を前方へ投げつけた元帥が、味方の死体に刺さっていた槍を抜いて振り回す。 

 それが折れると、次は敵の死体に刺さっている剣を抜いて振り回す。そしてそれも折れると、今度は鉄の手甲で敵を殴り飛ばす。

 

「まったく……頭がおかしくならないのか、この世界の人間は……」

 

「この……せかい……?」

 

 ウィリアムが抱いている少年が初めて口をきいた。

 しかし、すぐに失った左腕の痛みを思い出して顔をしかめる。

 

「あぁ、お前もそうだ。特に……見てみろ。あのじいさんを」

 

「っ……じいさ……ん?」

 

「タフガイにも程があるぞ。大怪我をしても口がきけるガキに、最前線で化け物を倒し続けるじいさん。俺と同じ飯を食ってるとは思えないな」

 

 少年は、ゆっくりと視線を前方へ。 

 大きな背中が、自らを絶望の淵に追いやった仇敵達を軽々となぎ倒している。

 

「わぁ……」

 

「な?同じ人間だとは思えないだろう?あれが戦場だけの姿なら良かったんだが、普段から乱暴なじいさんでな」

 

「……」

 

 しばらく返答は無かったが、進行方向に立ちはだかる最後のリザードマンを元帥が投げ飛ばした時、少年は沸き上がる味方の歓声に混じってぼそりと一言だけ呟いた。

 

「……かっこいいね」

 

「おい、手当てだ!子供が怪我をしてるぞ!早くしろ!」

 

「衛生兵!生存者を運んでくれ!」

 

 すぐに現れた一人の救護兵はウィリアムの腕の中からもぎ取るように少年を担ぎ上げ、傷ついた兵士らを差し置いて彼を最優先で運んで行った。

 

「じいさん、礼を言う」

 

「たわけ!英国の騎士たるもの、常に弱者の力であるもんだわい!」

 

「あんた、騎士じゃないだろ」

 

「では少なくとも英国紳士じゃ!」

 

「それもどうだか」


 休んでいたのも束の間、元帥は怪我を負って近くに待機していた兵士から剣を奪い、再び戦場へと飛び込んでいった。

 

「元気なじいさんだぜ……あと何回この台詞を言わされるやら」

 

「旦那!無事ですかい!」

 

 さらに後方に控える馬車からヘンリーが駆け寄ってきた。

 

「あぁ、ベレニーチェも無事だ」

 

「お騒がせいたし……ました……」

 

 言葉の途中で、パタリとベレニーチェが地面に倒れる。外傷は無いので気疲れだろうが、かなりのものだったに違いない。

 

「ベレニーチェ!ヘンリー、手を貸してくれ。すぐに馬車に乗せて宿舎に戻るぞ!」

 

「しかし、他のお仲間はどうするんです?」

 

 ガットネーロ隊の面々とムッソリーニの安否は未だ不明だ。

 

「確かに気がかりだが……まずは宿舎に戻っていないかを確認する!」

 

「承知しやした」

 

……

 

 教会でマルコを拾い上げて宿舎へ戻る道中、二体のリザードマンに出くわしたが、彼らは不運にも速度をゆるめられなかった馬車によってはね飛ばされてしまった。

 

 ウィリアム達にも被害が無かったわけではない。

 一頭の馬が傷を負い、やむを得ずそれを手放したのだ。無論、それにより機動力が落ちる結果となってしまう。


「バレンティノ様!ご無事か!」

 

 宿舎前。

 無防備にも建物の外で杖を携えた錬金術師のムッソリーニが出迎えてくれた。

 

「出迎えはありがたいが、外は危ないぞ。みんな、早く中へ」

 

「それがそうもいかんのです」

 

 いつにも増してムッソリーニは深刻な顔で首を振る。

 

「……まさか、ガットネーロ隊が?」

 

「はい……あなた方を探しに行く為に、先ほど出立いたしました。アーシア様とお止めしたのだが……」

 

「旦那」

 

「叔父貴」

 

 ヘンリーやマルコの口から、どうします?という言葉が続いて出てくる前にウィリアムは右手でそれを制した。

 

「また入れ違いになったら本末転倒だ。彼らの無事を信じて宿舎に避難しておく」

 

 その返答を聞き、ヘンリーとマルコは未だに意識がおぼろげなベレニーチェに両側から腕を回して建物へ入っていった。


「ガットネーロ隊は大丈夫でしょうか」

 

 しかし、ムッソリーニは納得していないらしく、部屋に戻ろうとはしない。

 

「心配ないさ。彼らは屈強な上に利口だ。俺たちが駆けつけてもかえって足手まといになってしまうぞ」

 

「うむ……ところでベレニーチェ様は、いかがされたのです」

 

「あぁ、少しばかりショッキングな出来事があってな。中で話そう。こんなところで魔族に食われでもして、さらに彼女の具合を悪化させたら敵わん」

 

「……分かりました」

 

……


 ウィリアムの自室には、主であるウィリアム以外にマルコとムッソリーニが集まっていた。 

 ヘンリーは馬車が心配だと宿舎一階の正面玄関前、横に備え付けられた窓に張りついて外を見ており、侍女のアーシアはベッドに伏すベレニーチェに付き添っている。

 

「しかしお嬢が無事で良かったですね。叔父貴の近くにたまたまあの化け物みたいなジジイがいてくれて良かったですよ」

 

「お前がベレニーチェを見つけてくれたのは大手柄だぞ。モヒカンのじいさんにも酒ぐらい送ってやらないとな」

 

「一体どんな状況だったんです?」

 

 木製のパイプからぷかぷかと煙を立ち上らせながらムッソリーニが訊いた。

 

「凄まじい激戦区だった。運悪く、新兵ばかりで構成された部隊が大規模な魔族の集団とかち合ったみたいでな。誰しもがあまり居合わせたくない状況なのは分かるだろう」

 

「しかし、イタリア国内、ローマにおいても度々目にしてきた光景のはず。その程度のことであそこまで憔悴されるとは……いや、失敬。今のは亡くなっていった若者達への冒涜と取られてもおかしくない発言でしたな。撤回させて下され」

 

 胸元で十字を切り、ムッソリーニが両手を組む。

 だが、確かに数々の悲惨な状況を乗り越えてきた人間にとって隣人の死は親く、他人の命の価値は限りなく安い。

 

「一人の子供がいてな。乳飲み子とまではいかないが、幼い少年だ」

 

 少し離れていたせいで事の詳細を知らないマルコも、スコッチのグラスを口へ傾けながらウィリアムの話に聞き耳を立てている。

 

「その子がベレニーチェ様の目の前で犠牲に?」

 

「あぁ。命までは取られなかったが、片腕を失っていた。ベレニーチェは、それが杖を置いて外出していた自分のせいだと思ってる」

 

「優しいそのお心が、自らを苦しめておられると……」

 

 ムッソリーニがトン、と灰皿にパイプの先を打つ。

 

「責めるなと言っても無理な話だろうな。しばらくはそっとしておいてやる他無い」

 

「そのガキは今どこにいるんです?」

 

 これはマルコだ。

 

「さあな。病院か診療所か、イギリス兵が連れて行った。腕を失う大怪我ではあったが、死にはしていないはずだ。じきに魔族も退く。奴らの目的はこの街を落とす事じゃないからな」

 

「よく意味が分かりませんが……」

 

 マルコが首を傾げた。

 

「奴らの本隊の侵攻はアジアから西に向かって伸びてきているって話だ。ヨーロッパを襲う連中はそれとは別だと考えて間違いない。ちょっかい出して遊んでるつもりだろうな。ふざけやがって」

 

「……街中をうろついてる魔族はいなくなるんですね?それならお嬢を連れて行っちゃどうでしょう。ガキの所に」

 

「心の傷をえぐるだけじゃないか?」

 

「ふむ……少々荒療治な感じもいたしますが、悪くはない考えですな」

 

 ウィリアムは否定したが、ムッソリーニはマルコの考えに同意した。

 

「どういう事だ、二人とも」

 

 気になったウィリアムが問う。

 

「簡単ですよ、叔父貴。自分のせいだと思ってるんなら、そのガキが元気に走り回れるまでは自分の手で看病してやれって話です」

 

「まさか。彼女にあの子の痛々しい姿を見ながら毎日過ごせってのか」

 

「悶々としてるよりはマシじゃないですか?」

 

 ガチャ……

 

 扉が開き、皆の視線が動く。 

 そこには、アーシアに支えられて立つベレニーチェの姿があった。

 

「……聞いていたのか」

 

「お止めしたのですが」

 

 アーシアがそう答え、ベレニーチェはこくりと頷いた。

 

「あの子は……生きているのですね」

 

「おそらくな」

 

「やります。私が、あの子の側にいてあげます」

 

 やれやれ、とウィリアムは肩をすくめた。

 

……

 

 それから一時間近く経った。すでに夕日が傾き、空は茜色に染まっている。 

 ベレニーチェやアーシアが退室した後は、いくつかの酒瓶を手にしたヘンリーが退屈しのぎに合流してきた。

 

「ん……?叔父貴。兵隊さん達が帰ってきましたよ」

 

 窓から玄関前を見下ろしていたマルコが言った。ウィリアムやムッソリーニも彼に習う。幸いにも大事は無かったようで全員が健在だ。

 

 コンコン。

 

「入れ」

 

「失礼します。お戻りでしたか、バレンティノ様」

 

 敬礼をしたチェザリスが部屋の外で直立したまま言った。

 

「ミイラ取りがミイラになるところだったな。少尉、お前も一杯やれ」

 

「はっ、ありがたく頂戴いたします」

 

 部下の二人は連れていないので、彼らの部屋に置いてきたようだ。

 魔族がロンドン市街から撤退したのかは定かではないが、馬車が戻っているのを見つけて主人の捜索を打ち切ったのだろう。 

 ヘンリー持参のワインを受け取ったチェザリスが、ボトルに口をつけて軽く一口だけそれを飲んだ。

 

「……ミイラとは?」

 

「気にするな。それよりなぜ、俺たちが皆を捜しに行ったと分かっていながら出発した?」

 

「ただ待っている事など出来ません。我々の使命は貴方をお守りする事ですから」

 

 予想通りの回答に、ウィリアムはそれ以上の追及を止めた。

 

「そういえば、魔族はすでに退いたか?」

 

「断言して良いかは分かりませんね。なにせ、最初に警鐘がなってから我々は一度も奴らと出くわしていませんので」

 

 一度目はこの場所への帰還の道筋を選んだのだろうが、二度目は単なる幸運に違いない。

 

「あんなに敵だらけだったのにか?捜索してるフリでもして遊んでたんじゃねぇだろうな」

 

「マルコ、気持ちは分かるがやめておけ。彼らはそんな真似はしない」

 

 マルコの悪態も、危険を冒した兄貴分を思っての事だ。

 それが理解出来るチェザリスも特に取り合わなかった。

 

……

 

……

 

 翌朝。 

 魔族の襲撃による緊張からか、仲間達があまり眠れなかったのに対して、珍しくウィリアムは正午近くまで熟睡していた。

 

「へっくしょん!」

 

 近くで聞こえた何者かのくしゃみに、ウィリアムが片目を開ける。

 

「……お前か」

 

 就寝時に部屋の鍵は開けておいた為、朝早くにマルコが入室し、翻訳の作業を開始してくれていたらしい。

 

「おはようございます、叔父貴。死線をくぐったばかりでお疲れでしょう。好きなだけ寝て下さい」

 

「いや、そうもいかないさ。魔族が退いたって知らせはあったか」

 

 ベッドから半裸の身体を起こし、脱ぎ捨てていたワイシャツを着る。

 

「朝っぱらから、道端でそういった知らせを叫んでる連中はいましたね」

 

「風呂に行ってくる」

 

「ご一緒します」

 

 シャワーなどあるはずもないので、宿舎の近くにある井戸水で身体を洗う事になる。

 

 バケツで水を汲み、どこか身体を洗うのに良さそうな木陰でも探すつもりだったが、予定を変えざるを得なくなった。

 

「すごい人だな……」

 

 小さな井戸の前には百人近い行列。

 近くに点在する井戸のいくつかが魔族との戦闘によって崩壊したらしく、最も重要なライフラインである水を失った人々が殺到してきたのである。 

 もちろんそのほとんどは飲み水の確保の為にそこを訪れているわけで、その場で頭から水を浴び始めた男が後列の数人から引きずられて強制退場させられていた。

 

「別にいいじゃないですか、叔父貴。水を持って帰りましょう」

 

「いや、あの綺麗な水は喉の渇いた者に与えるべきだ。俺達は川にでも向かおう」

 

「いや、近くで死体が大量に出てるんです。川に入ると妙な病気にかかっちまいますよ」

 

「それもそうか……市街地を離れて、郊外まで行くしかなさそうだな」

 

 多く流れ出た血は川を腐らせ、その水は病原菌や蛆虫の温床となる。

 当然その水を飲めば腹を下し、その水で身体を洗えば痒みを引き起こす原因になりかねないわけだ。

 

「ヘンリー、ちょっといいか」

 

 いよいよ車上に大型クロスボウの作成を開始していたヘンリーが、設計図面から視線を上げる。

 車の幌は全て外され、骨組みがむき出しの状態だ。

 

「なんでしょう、旦那?」

 

「今……馬車を出してもらうのは厳しそうだな」

 

「すいません、勘弁してくだせぇ」

 

「歩くか?」

 

 後ろのマルコに言うと、彼はぶんぶんと首を横に振った。

 

「水浴びでリフレッシュするどころか、くたびれちまいますよ。馬車引きの馬だけ借りて、兵隊さんに連れていってもらったらどうですか?」

 

「それが良さそうだ。チェザリスとアマティを探してきてくれ」

 

 マルコの背中を見送ると、ヘンリーが睨みつけている図面を横から覗き込む。 

 宣言通り、そこには主砲と呼んでも恥じない巨大なクロスボウ、『バリスタ』が備え付けられている。他には鎖の網で覆われた車に、鉄鎧のサラブレッド、車輪の軸から外側に向けて刃が飛び出していた。

 

「ここまでいくと恐ろしいものだな。次は空でも飛ぶか?」

 

「へへ、いつかはそうしましょうか」

 

 それは冗談か本気か、何をしでかすか分からない男である。

 

「馬を二頭借りるぞ」

 

「あぁ、どうぞ。しばらくはコイツらも重いカバンを背負う事が無いんで気楽なもんでしょう。好きなだけ走らせてやってくだせぇ」

 

「その休暇後にはたっぷりと鉄で武装したカバンを引っ張るんだがな」

 

「大丈夫でさぁ。ちゃんと、馬力担当者は増員しますんで」

 

 昼食を取っていたチェザリスとアマティがバタバタと宿舎から駆け出してきた。

 マルコが急用であるなどと伝えたはずもないが、主人に呼ばれるだけで急ぐあたり、彼らの真面目な性格がよく分かる。

 

「お待たせしました。乗馬をご希望だとか」

 

「いや……結果としてはそうなるが、別に俺は馬に乗りたいわけじゃないぞ」

 

「なんと、早とちりでしたか。失礼いたしました。では、御用を承ります」

 

 そう言ってチェザリスが頭を下げた頃、ようやくマルコが戻ってきた。

 

「おい!兵隊さんよぉ!話は最後まで聞けっての!」

 

「仲良く出来てるみたいだな?」

 

「冗談は止してくださいよ、叔父貴!コイツら叔父貴が馬を使いたいから呼んでるって言った途端に、食ってたパンすらも放り出して行っちまって……!タオルやら着替えやら、荷物の準備もあるってのに!」

 

「あぁ、洗髪にでも行かれるおつもりでしたか」

 

 初めてウィリアムの要件を理解したチェザリスが頷く。

 

「頼めるか?」

 

「もちろんです。うちの伍長も随行させましょうか」

 

「いや、カンナバーロは乗馬出来ないだろう?見ての通り、車は使えないからな。引き馬を二頭、ヘンリーから借り受ける。俺とマルコを後ろに乗せて走ってくれ」

 

 馬だけの数で言えば確かに三頭いるわけだが、ガットネーロ隊で唯一、カンナバーロは騎乗出来ない。

 

「そうでした……あいつはどこぞのパブでぐうたらしているばかりですので、覚えさせておきます」

 

 もちろん前半は冗談である。

 

「まさか。それを見逃すお前じゃないだろう。それに俺だって約束していた乗馬の授業はさぼっているぞ」

 

「ご多忙だからでしょう。では、すぐに準備いたしますので今しばらくお待ち下さいませ」

 

……

 

 それから一時間後。ロンドン西部の街外れ。 

 小川を見つけたチェザリス、アマティが何やら相談をしている。

 

「隊長、ここなら良いかと思います」

 

「あぁ、悪くない。バレンティノ様、この場所はいかがでしょうか?」

 

 ちょうど、木々に囲まれた山道の途中で、人の往来はほとんど無いと思われる。

 アマティとチェザリスが馬を止めると、その馬の後ろに座っていたウィリアムとマルコが先に下馬した。

 

「そうだな……ここにする。助かったぞ、チェザリス、アマティ」

 

「……叔父貴、こりゃあ、冷たそうですね……!」

 

「ふん、身体がくせぇよりマシだろ。さっさとお前も支度しろ」

 

「まぁ、それはそうですが……」

 

 山辺は平野部より圧倒的に気温が低い為、水の温度も一際冷たいものとなる。

 

 ウィリアムとマルコが川辺で身体を洗っている間は、チェザリスとアマティが周囲を警戒する。

 水から上がると日の光を浴びながら草むらで大の字に寝転び、ウィリアム達と交代する形で身体を洗い始めたチェザリス達を待った。

 

「こういう場所に来ると、元いた世界との違いは感じられませんね」

 

 頭上をゆっくりと流れる入道雲を見ながらマルコがそう言った。

 

「確かに街中だと違和感を感じるが、山の中だとここが別世界だってのを忘れるな」

 

「しかし、馬の乗り心地の悪さには驚きました」

 

「帰りつく頃には尻の感覚が無くなってるかもな」

 

 彼らが移動に使ったのは手綱だけしか装備していない裸馬だ。鞍も乗せていないので直接馬の背に座っていた事になる。鎧を着たガットネーロ隊の二人とは違い、ウィリアムとマルコはスーツだったのは言うまでもない。 

 ふと、隣のマルコの身体に違和感を覚えるウィリアム。

 

「ん……?マルコ」

 

「はい?」

 

「その、左腕の傷はどうした?まだ新しいみたいだが」

 

 マルコの左腕、第一関節の少し上あたりに真一文字の赤い切り傷があった。

 

「あぁ。これは昨日のトカゲ野郎にやられたんです」

 

「何?お前が敵と接触した瞬間なんかあったか?それに、怪我をしたのに黙ってる奴があるか」

 

 ウィリアムの言葉に、マルコがにやりと笑う。

 

「はは、やっぱり叔父貴には敵いませんね。実は今朝早く、カンナバーロ伍長に付き合ってもらって、剣術の練習をしてたんです」

 

「ほう、カンナバーロが協力してくれるなんて想像がつかんな」

 

「面倒くさがってましたけどね。今夜、一杯おごるって事で話がついたんですよ」

 

 それなら納得出来る話だ。しかし、マルコがそんなことを自発的にやっていた事はウィリアムを驚かせた。

 

「自分の身を守るためか?それとも俺を守るためか?」

 

「なんですか、そりゃ」

 

「はぐらかすな。カッコつけたくて剣を手に取ったわけじゃないだろう」

 

 そっぽを向いてしまったマルコの背中に声をかける。

 

「んん……自分でもよくわかりません」

 

「はぁ?」

 

「単純に、このハジキの弾がなくなれば俺は無力になるわけじゃないですか。それなら棒切れ振り回すしかないなって。幸い、武器をぶら下げてても捕まらない世界です。誰を守るとか、そんなことは考えちゃいませんでした。……なんか、期待させてしまってすいません」

 

 ごろりと寝返りをうってマルコはうつ伏せになった。

 

「弾は、どれくらいある」

 

「三発です」

 

「良かった。それを見本に、ベレニーチェとムッソリーニに精製出来ないか訊いてみよう」

 

「えっ?でも、俺が剣を覚えればそれで済むんじゃ……叔父貴だって帯刀してるじゃないですか」

 

「俺には銃がないからな。だがお前にはある。なら使え。そいつはこの世界では貴重で、強力な味方だ」

 

 銃の仕組みをヒントに、ヘンリーが新たな武器を考えてくれる可能性もある。

 今のところ大きな音が出る謎の物体として認識しているようだが、彼ならいずれとんでもない物を生み出してくれるだろうとウィリアムは信じていた。 

 但し、当の本人は今まさに馬車の改良で暇がなく、あくまでもベレニーチェやムッソリーニに銃弾をどうにか出来ないかを考えてもらう方が先決である。

 

「しかし、鉄鎧や盾を貫くのは無理でしょう」

 

「それは剣も同じだ。上手くやるしかないな」

 

「はぁ、どうせなら無敵になれる魔法が欲しいものです」

 

……

 

「お待たせいたしました、バレンティノ様」

 

「お待たせいたしました」

 

 水浴びを終えたチェザリスとアマティがウィリアム達のところへ戻ってきた。

 寝転んでいた二人は半裸だが、すでに兵士らは移動の準備まで済ませている。

 

「まだ帰るには早すぎやしないか、少尉。残る仲間の為に、出来る限りの水を持って帰ろうと思うんだが」

 

 いくつか馬にくくりつけられた革袋を指差す。

 

「では、我々が承りますので、お二人はゆっくりと休憩なさって下さい」

 

「はは、悪くない気分だ。俺にも特別待遇してくれるのか」

 

 マルコがチェザリスに向けてひらひらと手を振る。

 

「うーむ、貴殿への待遇については我々も悩んでいるところではあるがな。しかし、バレンティノ様をお一人にしてしまう機会が減るのはありがたい」

 

「まぁ、人手が足りなきゃいつでも呼んでくれ」

 

 そう言いながら立ち上がったマルコがシャツやスラックスを着用し始める。

 

「ではやるぞ、上等兵。川辺に馬を引いてきてくれ」

 

「了解です、隊長」

 

……

 

 郊外からロンドン市内の宿舎への帰り道で、ちょっとした出会いがあった。

 

「ん……?あれは……」

 

 見渡す限りの小麦畑。中心街を囲む農業地帯に、一頭の黒馬が草を食んでいた。 

 軍馬だったのか家畜だったのかは分からないが、戦火に巻き込まれてどこからか逃げ出してきたようだ。

 

「少尉、あれを連れては帰れないか」

 

「あの馬ですか?ちょっと見てみましょう」

 

 チェザリスとアマティが足並みをその黒馬へと向けた。


「ブルルッ!」

 

 一瞬、驚いたその黒馬が嘶きを上げたが、相手が魔族ではなく人間であると気付くと、すぐにまた首を下げて草を食み始める。

 人には慣れているようなので、どこかで飼われていたのは間違いなさそうだ。

 

「よっ、と」

 

 ウィリアムがチェザリスの馬の後部から地面に下りる。

 

「怪我をしてる……というわけではなさそうだな」

 

 ぐるりと馬の周りを歩き、腹や首筋を優しく撫でてやる。

 

 チェザリスも下馬し、黒馬の状態を確認し始めた。

 

「大丈夫そうです。車の引き馬が足りなかったので良い拾い物をしましたね」

 

「それも考えたが、こいつは俺の馬にしようかと思う。どうだ?」

 

 素人目にだが、気性が穏やかで大柄でもない為、この馬は入門向けだとウィリアムは感じたのだ。

 

「おや、お気に召しましたか」

 

「まぁな。頻繁には無理だが、そろそろ冗談抜きに指南を頼んでもいいか」

 

「もちろんです。伍長にも付き合わせましょう」

 

 カンナバーロが文句を言う様が目に浮かぶ。

 

「叔父貴が馬を覚えると仰るならば、俺も覚えないわけにはいきませんね」

 

「そうか。どんどん飼い馬が増えるかもしれんな」

 

 馬車の改造により引き馬も増え、それとは別に騎乗する人間まで増えてしまえば当然そういう事になる。しかし、馬の維持費ぐらいで資金難に陥る事はまず考えられない。何せ、彼らは国が送り出した使者団なのだ。国の後ろ楯を抜きにしても、ヘンリーというビジネスマンを筆頭に心強い仲間達がいる。


「連れていけそうか?」

 

「我々の馬にくくりつけます。おそらく問題ないでしょう」

 

「頼む」

 

 縄を渡されている間も、その黒馬は動じなかった。

 ウィリアムはその身体をさすったり、マルコに押し上げてもらって馬の背に跨がったりしてみたが、一瞬たりとも嫌がる素振りを見せない。 

 ウィリアムは「どうせ尻を痛めるならば」と、帰り道はチェザリスの馬に繋がれた黒馬の背で過ごす事にした。

 

……

 

 その夜。宿舎内の晩餐の席。 

 外食ではなく、アーシアの手料理が味わえるとの事で、皆が一階の大食堂に集まっていた。

 

「うおっ!うまそうだ!」

 

 バシッ!

 

「ってぇ!」

 

 魚の酒蒸しをつつこうとしたカンナバーロの右手が、チェザリスによって叩かれる。

 

「伍長。誰がもう食べていいと言った?」

 

「ぶーぶー。俺だけ水浴びのお預けを食らったんですから、そのくらい良いでしょうに」

 

「馬術を覚えたら次は連れてってやる」

 

「へいへい。慎んでご遠慮させていただきますよ」

 

 そんな二人のやり取りを尻目に、ウィリアムはきょろきょろと食堂内を見回していた。

 

「叔父貴?どうされました」

 

「いや……ベレニーチェの姿が見えないが、まだ自室で寝込んでいるのかと思ってな」

 

 ウィリアムの言う通り、その場にいるのは彼女を除いた仲間達だけであった。

 

「ベレニーチェ様は……」

 

 何か知っている様子のアーシアが、料理を取り分ける小皿をウィリアムの目の前に差し出しながら言う。

 

「どこにいるんだ?」

 

「先に、お食事にしませんか。冷めてしまわない内に」

 

「だが、彼女を待たないと始められないぞ」

 

「大丈夫ですよ。おそらく今夜は、お戻りになりませんから」

 

「……そうか」

 

 ベレニーチェがウィリアムに何も告げずに突然飛び出していったのならば、行き先は一つしか思い当たらない。

 危険が及んでいる可能性は無いと判断し、晩餐の開始を優先させた。


「少尉。明朝に、ベレニーチェの様子を見てきてくれないか。昼過ぎからは約束通り、俺たちに馬術の指南を頼みたい」

 

「承知しました。伍長、もう逃げられんぞ」

 

「ええっ!?なんで俺まで!?」

 

 カンナバーロが喚く中、トンと優しくその肩に手を置いたのはマルコである。

 

「な、なんだよ!何をニヤついてんだ、あんた!」

 

「別に?」

 

「お、俺は馬なんか乗らないからな!」

 

 なぜか頑なに拒み続けるカンナバーロ。

 

「まぁ待て。伍長の話も聞いてやろうじゃないか」

 

 何か特別な理由があるなら気の毒だと、ウィリアムが尋ねる。

 

「はい?俺の話ですか?」

 

「お前な……たとえば、ガキの頃に馬に蹴られたとか、落馬して骨を折ったとか……何かあるんじゃないのか?」

 

「いえ、馬術を覚えてしまうと仕事が増えるのが単純に嫌なだけですけど」

 

 正直なのはよろしい。だが、時には嘘をつく事も必要だ。

 

「お前だけは、モリガン元帥に訓練を頼んでおくか」

 

「さぁ明日から馬術を頑張りましょうね!」

 

 カンナバーロの手のひら返しは光の速さを超えた。

 

……

 

……

 

 翌日。

 

「ベレニーチェは診療所にいる」という、予想通りの報告を受けた数分後。

 

 宿舎裏には馬車から解放されている馬三頭に加えて、チェザリスの白馬、ウィリアムの黒馬が並んでいた。

 それに対面する形で、ウィリアム、マルコ、そしてガットネーロ隊の三人。偶然にも人馬の数は揃っている。

 

「まずは馬の手入れから始めましょうか。ふむ、昨日走らせた馬達は機嫌も良さそうです」

 

「昨日から痛む尻の事を考えると、お前の士官用の白馬を出せば良かったと後悔していたんだがな」

 

 もちろん現在は鞍などの馬具は外されているが、引き馬のストレス解消の為に受けた代償はなかなかのものである。

 

「ははは、その分は今から働いてもらいましょう。しかし、乗馬における最初の一歩、人と馬との信頼関係は養えたと思いますよ。帰り道はずっとバレンティノ様を背に乗せていたのですから」

 

「そうか?まぁ、突然暴れて振り落とされる事が無いのは有難い」

 

 顔をすり寄せてきた黒馬の鬣を撫でてやると、気持ちよさそうに短く鼻を鳴らした。

 

「……人間よりも大きな生き物だが、こうやって触れ合ってみると可愛いもんだ」

 

 取り分けて動物好きでもないウィリアムだが、初めてなついてくれたこの馬に愛情が抱かれる日も遠くは無いだろう。

 

「おぉ、それは素晴らしいですね。こうして……ブラシで身体を掃除して、清潔さを保ってあげてください。時折声をかけたり、手で撫でるのも効果的です」

 

「あぁ、わかった。おい、お前達もサボるなよ」

 

 チェザリスやアマティが手慣れた様子でブラッシングをする中、カンナバーロとマルコは恐る恐るそれぞれの馬をブラシでこすっていた。

 

「叔父貴、こんなにチクチクした物で身体をこすられて、馬は痛くないんですかね」

 

「訊いてみたらいい」

 

「はぁ、馬にですか……」

 

 馬の手入れを終え、草を与えるとようやく休憩時間だ。

 大きな身体を全身ブラッシングしてやるというのは思いの外重労働であった。

 

「どうぞ」

 

 地べたに座りこみ、ウィリアムがくわえた紙巻き煙草にマルコが横から火を点した。 

 ガットネーロ隊も水筒の水を飲んだり、寝転がって思い思いにくつろいでいる。

 

「バレンティノ様、こちらにいらっしゃいましたか」

 

「……?」

 

 背後から女の声がして、皆が振り返る。昨夜から診療所に出向いていたベレニーチェの姿があった。

 

「ベレニーチェ。突然いなくなるのはあまり誉められたものじゃないぞ」

 

「申し訳ありませんでした……深く反省しております」

 

「あの子供の様子はどうだった」

 

 もちろん左腕を無くした幼子の事だ。

 

「えぇ……痛々しい姿ではありますが、回復に向かいつつあります。しかし、心の傷は消えないでしょう」

 

「仕方ない事だ。誰もお前を責めはしない。何度でも言うが、気にするなとは言わない。だが、あまり考え込むのも良くないぞ」

 

「はい……」

 

 謝罪の為だけにウィリアムのもとを訪れたのかと思ったが、まだ何か用事があるらしく、ベレニーチェはその場でまごついていた。

 

「どうした?」

 

「えぇ……あの子なんですが、両親や兄弟はみんな犠牲となって、身寄りが無いらしいのです。出来る限りの事はしてあげたくて」

 

「気の毒にな……だが、お前もこれから先ずっと付きっきりで相手してやるわけにはいかないだろう。睡眠時間を削って倒れられても困るし、昼間の研究の時間を削られてはこっちが困る」

 

 厳しいようだが、ここはハッキリ注意しておく。

 

「無論、承知しておりますわ。しかし、退院後にあの子を行き場を失うようであれば……私が引き取ろうと思っているのです」

 

「馬鹿な事を言うな!」

 

「どうかお許しください!バレンティノ様も以前は、身寄りの無いアーシア様を王宮で助けてやれないかと思案されていたではありませんか!それと何が違うのですか!」

 

「……っ!」

 

 これには反論の余地も無い。

 

 使者団結成以来、初めてと言ってもいい程にウィリアムに強く反発したベレニーチェ。

 その空気に耐えかねたカンナバーロが、いち早くその場から去っていく。

 

「おい、叔父貴にたてつくとは何様のつもりだ?お前は部下じゃなかったのか」

 

「マルコ、いいんだ」

 

「良くないですよ!こんな若い女に兄貴分をなめられて、黙ってなんかいられません!」

 

「あなたもバレンティノ様に救われた身でしょう!」

 

「なんだとコラ!」

 

 勇気と声を振り絞ったベレニーチェは一筋の涙を流している。だがマルコは退かない。

 

「私は……どうしてもあの子を見捨てる事が出来ないのです!どうかお許しください、バレンティノ様!」

 

「ベレニーチェ。お前の考えは間違っていない。アーシアやマルコの件についても俺には返す言葉が無い。だが、子供を引き取る事は容認出来ない。わかってくれ」

 

「お聞き入れ下さらないならば……私が使者団を離脱する事も辞さない覚悟だと申し上げても……ですか?」

 

 予想していなかった言葉にウィリアムは耳を疑った。

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