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#7

 イギリス国王、ウィリアム・マンチェスターの大往生。

 それはイギリス全土を、そして世界中を驚愕させるのに十分すぎる大事件だった。

 

 葬儀は丸一月の間、バッキンガム宮殿側にある大聖堂で連日執り行われ、遠いロンドンの地まで欧州各国の有力者たち、つまりは王族や貴族、軍人、聖職者、魔術師や大商人が駆けつけた。 

 イタリア国王ミケーレ・マランツァーノ三世や、イタリア王国騎士団団長ジョバンニ・タルティーニ中将、大司教アンドレア・バッティスタ・クレメンティなどのイタリアの権力者達も例外ではなく、それぞれが日を分けて葬儀に参列した。 

 ウィリアム達イタリア使者団一行はその間一時的に魔族の資料集めを中断し、混乱するロンドン市内においては訪問者の立場でありながらも、葬儀の為に様々な準備や参列者の誘導などの手伝いに尽力していた。

 

 そしてさらに事件は起こる。

 ドイツ帝国の参列者からイギリス側が受け取った、王の書状によって。

 

 内容は、ドイツ帝国は欧州四ヵ国協定を破棄するというものだった。事実上の宣戦布告である。 

 それほどまでにウィリアム・マンチェスターの存在が各国の力の均衡を保つのに重要だったというわけだ。弱体化したイギリスを討ち滅ぼし、欧州、そしてアジアをも我が手中に入れたいという考えなのだろう。

 

 イギリスの王族や大臣らは『現在の世界情勢において協定を破るとは理解し難い』と話し合いの場を求めたが、ドイツ側からは突っぱねられてしまった。 

 大国フランスはそれに乗じる動きはなかったものの、イギリスという世界のリーダーの力が弱くなった事で、自国が欧州三国の舵を取るべきだと考えているようだ。

 

 最も力の無いイタリアは何も変わる事はない。

 ただし、ドイツから最初の標的とされる可能性があるので、国境近くの軍備は早急に強化する必要がある。もちろんそれは言うまでもなく、かなり難しい。 

 しかし万が一、どこかが攻められるような事が起きた場合には、三つの同盟国全てが力を合わせてこれに対抗する事が決定された。いずれかの国が滅べば、ドイツ帝国の力が強大になってしまうのは火を見るよりも明らかだからだ。

 

 そして、とある一部のフランス人達から『先にこちらから連携して攻め込み、ドイツを倒してしまってはどうだ』との意見も出たようだが、これはイタリア国王の強い批判を浴びて否決されている。あくまでも対話で事態を解決し、ヨーロッパ各国は友好的であるべきだという、イタリア国王らしい意志である。

 

 葬儀が完全に終わった数日後の事。

 ウィリアムはイギリス軍総司令官であるモリガン元帥から呼び出しを受け、本部にある彼の部屋に出頭していた。

 

「すまんな、田舎者。葬儀の際は世話になったぞ」

 

「礼を言うつもりならそのムカつく呼び方を改めるんだな、じいさん」

 

「ははは!相変わらずおもしれーな、お前!」

 

 そう言ってゲラゲラと元帥の横で笑っている赤い髪の男はスティーブン海軍少将だ。また『遊びに』きているらしい。 

 室内にはこの三人だが、部屋の外に元帥の副官であるジャクソン大尉と、ウィリアムの護衛としてカンナバーロ伍長がそれぞれ控えている。

 

「うぉっほん!……まぁ、あれだ。陛下との繋がりが強かった我らがうちひしがれている時に、お前達は余所の人間なのにも関わらずよく働いてくれた。おかげで葬儀も問題なく終わったのだからな」

 

「無理もないさ。一国の王が亡くなったんだ。大騒ぎにならない方がどうかしてる」

 

「うむ。しかし……本当に惜しいな。陛下が御逝去なされたとは、未だに信じられん……」

 

 言葉を詰まらせるモリガンに代わって、スティーブンが言う。

 

「俺も同感だ。正直、陛下の腕は無敵だったんだぜ?それがやられちまうだなんてよ。相手はどんな強敵だったってんだ」

 

「そうか、まだ聞いてないのか。真っ黒な鎧と馬鹿デカい剣を持った騎士だった。名はハインツ」

 

「一騎討ちだったらしいな」

 

「あぁ。凄まじい戦いだった。死ぬまで忘れられないだろうな」

 

 イギリス国王と魔族の将ハインツの激闘は、ウィリアムの脳裏に焼きついている。

 もちろんその場にいた他の者たちも彼と同じだろう。

 

「くそっ、俺も立ち合っておけば……いてっ!」

 

 ゴッ!とモリガンの拳骨がスティーブンの頭に直撃する。

 

「たわけっ!陛下の最期の戦いは見世物などではないのだぞ!だいたい、王都の一大事にここでゴロゴロしておった輩が何を言うか!」

 

「だからって殴らなくてもいいだろ!少しは年寄りらしく……」

 

「まだ言うか!減らず口め!」

 

「おっと、会議の時間だ!じゃあな、クソシジイ!」

 

 再度振り上げられた拳に、スティーブンがひょいと身を翻し、そのまま室外へと退散していった。

 

「……まったく、何が年寄りらしくじゃ!あの小僧のような若い連中がしっかりしておらんから、わしらがいつまでも落ち着けんと言うのに……お前もそう思うだろう?」

 

「ノーコメントだ。俺も若輩者に入るんでね」

 

「ふん、つれない奴だ」

 

 モリガンがデスク脇に置いてあったスコッチの瓶を手に取ってそのまま一口。

 

「そうだ、じいさん。世継ぎは決まったのか?」

 

「うむ。王位継承権第一位を持っておられたエドワード王子にな。王子はじきにウィリアム・マンチェスター二世となられる」

 

 部外者が口を挟む話ではないが、いずれ発表は行われる為、モリガンは簡単にそう応えてくれた。

 

「名君の息子か。世継ぎを取り合うような下らない話はなかったのか?」

 

 国の権力者の後取りともなれば、そういった話が持ち上がっても不思議ではない。

 むしろ、何もない方がおかしいくらいだ。

 

「無かったわけではない。しかし、王位継承権の序列には何者も勝てぬからな」

 

「それが代々守ってきた伝統なんだろうな。とにかく、親族同士で貶め合うような血なまぐさい事にならないなら俺は何だってイイ」

 

 モリガンの手元からスコッチの瓶を奪って、ウィリアムもそれを一口。

 味は薄く、ただただ強いだけの粗悪品だ。

 

「だが、問題も多い。王子は未だ十歳の少年でな。我ら武官はともかく、大臣達はその補佐に大忙しとなるだろう」

 

「先代が政に深く関わっている印象は無かったが?その辺は家臣に任せっきりだったんじゃないのか」

 

「たわけ!剣の力だけではとっくに暴君と蔑まれておるわ!」

 

「そりゃ失敬」

 

 言いながら手持ちのライターで煙草に火を点す。

 

「……何だ、それは?変わったマッチだな」

 

「なに、アルコールランプに火打石をくっつけたような代物だ。原始的で簡単な作りだぞ」

 

「なるほど、携帯性にも優れてそれは便利そうだ」

 

 多少は気になったようだが、イタリアの者たちと比べると反応が薄い。

 それほど高度な道具ではないので、作ろうと思えば簡単に作れてしまうだろう。

 

「そろそろ本当の目的に立ち返らせてもらいたい。陸軍と海軍から資料を回してもらえばイイんだな?」

 

 魔族についての資料は、モリガンから少しの書物を借用しただけで止まったままだ。

 内容は今までに彼らが遭遇した魔物の名称や武装、その個体が持つおおよその筋力や生命力等の簡単な説明書きだった。 

 これはすでにベレニーチェに書き写してもらって返却してある。

 

「そうじゃな。スティーブンは会議などとほざいておったな。本当かどうかは知らぬが。まずは陸軍のブライアン准将を訪ねてみろ。顔は覚えておるな?」

 

「あぁ。奴は今どこにいる?」

 

 以前ここにスティーブンと並んで座っていた男だ。迷彩服を着込んでいたのでウィリアムはよく覚えている。

 

「さてな。葬儀からしばらく見ておらぬ。どこぞの山か森で演習中だろう」

 

……

 

「んあぁー!疲れたぁ!隊長、休憩しましょう、休憩!」

 

 傾斜のキツい坂道。

 木々が生い茂る山道を数時間歩いたところでカンナバーロ伍長が音を上げた。

 

 ロンドン市内。最西端の町外れ。

 高い城壁の内側ではあるが、小高い山々が並んでちょっとした山脈を形成している。 

 市街地で警ら中のイギリス兵士をつかまえてしばらく聞き込みをしていたところ、とある将校からブライアン准将の部隊がこの辺りで演習を行う予定だという情報を得たのだ。

 もちろん簡単に口を割ったわけではなく、モリガンの名前を出したところで確認の後にそう教えてくれた。資料を直接受けとる、或いはその保管場所に立ち入る許可を求めるのが目的なので、編成はウィリアムとガットネーロ隊の三名のみである。 

 カンナバーロとアマティは徒歩だが、ウィリアムはチェザリスが歩かせている馬の後ろに乗せてもらっていた。

 

「相変わらずだらしない奴だな。どうして閣下はお前みたいな奴を分隊に選抜されたのか、不思議なくらいだぞ」

 

「ははは、実はお払い箱扱いだったりしてな」

 

「はぁ……ウィリアム様、それだとカンナバーロ以外、我々もお払い箱という事でしょうか」

 

 ウィリアムの冗談にチェザリスが不満そうな声を漏らした。

 カンナバーロがゲラゲラと笑っているのは言うまでもない。

 

「ははは。そう口を尖らすな、少尉。安心しろ。俺はお前達の事を精鋭兵だと確信しているからな」

 

「それが貴方の本心であると信じたいものです」

 

「おっ、あれじゃないか?ブライアン准将の部隊は。よかったな、伍長。到着したみたいだぞ」

 

 彼らの前方。木々がない原っぱに、数百名程度の兵士が茶色いテントを設営している様子が見えてきた。

 

「よし!さすがに休憩ですよね、隊長!おーい、ブライアン准将はいるかぁー!」

 

 その兵士達に手を振りながら駆け出すカンナバーロ。

 

「待て、伍長!……なんだ、アイツは。まだまだ元気じゃないか。それに、イタリア語が通じるわけないんだが……」

 

 チェザリスが呆れてそう呟いた。

 

 ウィリアムとチェザリス、そしてアマティが追いつくと、カンナバーロはイギリス兵士達に囲まれて両手を上げている状態だった。 

 叫びながら突如として現れた異国の人間だ。山賊の類いと間違われて当然である。

 

「た……助けて……」

 

「馬鹿かお前は」

 

 そう返すチェザリスの背から、ウィリアムは下馬した。

 

「すまないが、その兵士を解放してやってくれないか。我々はイタリアの使者だ。ブライアン准将に用事があってここへ来た」

 

 すると、その場の責任者らしき男がウィリアムに向かって一歩前に進み出た。 

 鈍く光る鋼鉄の鎧兜と、背中に群青色のマントがはためいている。

 

「申し訳ない、使者の方であったか。非礼をお詫びする」

 

 胸に手を当て、軽い会釈をしながら男は言った。顔は見えないが、声色から彼は壮年であると予想出来る。

 

「気にしないでくれ。こちらこそ、突然押しかけた非礼を詫びよう」

 

「皆、警戒を解いて作業に戻ってくれ。おっと失礼……それで、准将閣下にご用とは?」

 

 その兵士のみをその場に残して、周りの者たちはテントの設営に戻っていく。

 

「モリガン元帥からブライアン准将に会うようにと言われてな。本人と会う時間が無いのなら、資料の件だと伝えてくれれば通じると思うが。資料は後日、こちらへ送ってもらえれば」

 

「左様か。わざわざ出向いてもらったのだ。閣下の所へ案内しよう。ついて来られよ」

 

 テントが乱立する中をしばらく歩くと、とあるテントの前でその兵士が足を止めた。

 他の物と見比べても大して違いはない、ドーム型の茶色いテントである。一ヶ所だけ布がたくしあげてある部分があり、それが出入口と思われた。

 

「ここだ。少し待っててもらえるか」

 

「あぁ」

 

 数秒と経たずに入室が許可され、ウィリアム達はその中へ入った。

 

「ようこそ、おいでいただきました。使者のお方」

 

 薄暗いテントの中。

 デスク代わりの木箱の上にある一つの燭台だけが、立ち上がって両手を広げるブライアンの姿を映していた。 

 くつろいでいたのか、下は迷彩服のズボンに、上は少し汗で黄ばんだノースリーブのシャツを着ている。

 

「准将、久しいな。演習中に突然すまない」

 

「いえいえ。私にとっては軽いバカンスのつもりでの同行ですから。別に大した仕事などありません」

 

 確かに彼ほど地位のある人間が小規模な訓練に参加するのは少々違和感がある。羽を伸ばしたいというのは本心だろう。 

 ブライアンがゆっくりと歩み寄りながら右手を差し出してきた。ウィリアムがそれを握る。

 

「どうぞご自由におくつろぎ下さい……と言いたいところですが、皆さんが座る椅子もないですな」

 

 ブライアンは申し訳なさそうに坊主頭を掻いた。

 

「このままで構わない。早速だが、魔族の資料はどこにある?」

 

「陸士官学校です」

 

 なるほど。確かに幹部候補となる若者に魔族の情報を学ばせる事は重要だ。

 

「分かった。我々が直接そこへ向かえばいいのだろうか?」

 

 ロンドンの都市部へとんぼ返りする事になってしまうが、決して無駄足ではない。

 

「いいえ。今夜はこちらで休んていただき、明日以降に私が随伴いたしましょう」

 

「それは助かる」

 

「何をおっしゃいます。これくらい、陛下のご葬儀であなた方に受けた恩に比べれば」

 

 以前、彼にモリガンのオフィスで会った時も穏やかな物腰だったが、真面目で律儀な人物の様である。

 

「我々もこの近くに野営させてもらっていいか?明朝、またここに来よう」

 

「余っているテントはいくらでもありますが、よろしいのですか?」

 

「大丈夫だ。テントが余っているのなら、アンタの兵士に広々と使わせてやってくれ」

 

 おそらく余っているのではなく、空けさせるという意味だとウィリアムは解釈した。

 

「承知しました。ではまた明日」

 

「失礼する」

 

 受けた敬礼にウィリアムがガラにもなく答礼すると、ガットネーロ隊の面々の顔が綻んだ。

 

……

 

「ウィリアム様も一般の方だとは思えない立ち振舞いになられましたね」

 

 馬にくくりつけてあった幌をはずしながらチェザリスが笑う。

 

「そうだな。妙な慣れが出てきてる」

 

「その剣も似合うようになりましたしねぇ」

 

 続いて言ったのはカンナバーロ。

 剣と鞘を腰に固定するベルトは完成しており、もうずり落ちる心配はない。

 

「そうか?アマティには感謝しないとな。このベルトのおかげで随分楽になったぞ」

 

「そんな。こちらこそお褒めいただきありがとうございます」

 

 チェザリスが下ろした幌を受け取りながらアマティ上等兵が返した。

 この幌を広げ、木と木の間に渡して簡易的な屋根にするようだ。夜露だけ凌げればそれで問題ない。

 

「伍長、夜は冷えるかもしれん。火を起こす準備を」

 

「へい。了解です、隊長」

 

 カンナバーロが落ち葉や枯れ枝を拾い集める為にその場を離れる。

 

「では俺は水を汲みに行こう。近くに小川があった。少尉、水筒を貸してくれ」

 

「それは助かります。どうぞ、これを使って下さい」

 

 手持ちぶさたになったウィリアムはチェザリスに鉄製の水筒を借り、カンナバーロが去ったのと同じ方角へと向かった。

 

「おーい」

 

 小川に向かう途中、いくつかの古枝を抱えて屈んでいたカンナバーロの背中に呼びかける。

 

「おや?加勢に来てくれたんですか、ウィリアム殿」

 

「いや、俺はコイツさ」

 

 水筒を上げて見せる。

 

「あぁ。隊長の人使いの荒さにも困ったもんですね」

 

「俺から言い出したんだよ。一人だけゴロゴロしてるわけにもいかんだろう」

 

「ゴロゴロしてるのが貴方のお仕事ですよ。あんまりうろちょろされて怪我でも負われちゃ、俺達はクビになっちまうんですから」

 

 無遠慮な言葉を返してくるが、やはりこの男は嫌いになれない。

 

「ははは。その時は全力でお前達を擁護してやるよ」

 

 歩いたせいで、少し汗ばんできたウィリアムがジャケットを脱いで肩にかける。

 

「そういえば、イギリスでそのスーツとかいう服が流行ってるのは驚きましたね」

 

「葬儀に来られた我が君や大司教も目を丸くしていたぞ。数年前までは無かったってな。綿や絹で程度も良いし、何着か買って帰るつもりだ」

 

「御者のヘンリーはイタリアでの新しい商売として利用出来ないかと目をつけてるみたいですよ」

 

 さすがやり手の商売人だ。遅かれ早かれイタリアにもスーツが流行ると睨んだに違いない。

 

「ほう、それは俺にもありがたい話だな。欲しい服を手に入れやすくなる」

 

「そんなに着心地が良いんですか?」

 

「どうだろうな。慣れてしまってよく分からない……ん?」

 

 話の途中で近くの茂みからカサカサと音が立ち、栗色の野ウサギがひょっこりと顔を出した。

 

「お!コイツはラッキーだ!」

 

 カンナバーロが喜色満面になり、古枝をそっと地面に下ろして長槍を手に取る。

 

「そこから動かないで下さいね……逃げられちまうんで。ひと突きで仕留めます」

 

「待て、伍長。食糧なら余っているだろう。殺してやるな」

 

 ウサギは無邪気に鼻をひくつかせている。

 

「えぇ?ひなびたパンなんか、とっくに食べ飽きましたよ」

 

 カンナバーロが口を尖らせる。

 

「ほら、お前は早く行け。イギリス兵のキャンプにも近づくなよ」

 

 ウィリアムが右足で土を踏んで追い払おうとするが、ウサギは動かない。

 

「大した度胸だな……」

 

「よっぽど食われたいんでしょう」

 

「馬鹿言うな。俺はもう行くぞ」

 

 ウィリアムがその場を去ろうとすると、どこからともなく聞き覚えのない声が聞こえてきた。

 

「ふふ……懐かしい言葉が耳に届いたので、様子を伺っていたのですよ」

 

「……!誰だっ!?」

 

 柔らかい口調の女の声だ。しかし、周りには誰の姿も無い。

 

「むっ!?ウィリアム殿!ソイツです!そのウサギが喋ってやがる!さては動物に擬態した化け物か!」

 

「何だと!」

 

「驚かせてしまってごめんなさいね。私はイタリアの出なので、あなた方の会話が気になっただけなのです」

 

 足元にいるウサギを見ると、確かにウィリアム達に向かって話していた。

 

「あ、そうそう。この野ウサギは私の使い魔です。あまり虐めないであげて下さいね。槍をお持ちの方」

 

「使い魔……?アンタ、一体何なんだ!?」

 

 動物を従属させる術が存在する事を知らない二人はますます混乱した。

 

「名乗るほど立派な者ではありません。しがないエルフですわ。それでは、ごきげんよう。懐かしい言葉を話す方々」

 

「ま、待ってくれ!エルフだと!」

 

「追っちゃダメです、バレンティノ様!!エルフってのは、たしか魔族の一味ですよ!」

 

 踵を返した野ウサギを追おうとして、カンナバーロから腕を引かれるウィリアム。 

 その隙に野ウサギは茂みの中に消え、姿を現すことは無かった。

 

「畜生!何をするんだ、お前は!魔族であれば、有力な情報を引き出せたかもしれないだろ!」

 

「罠だったらやられちまいます!」

 

「友好的かどうかくらい見極められる!俺はあれを追う!水汲みはお前に任せたぞ、伍長!」

 

「あ、ちょっと!ウィリアム殿!」

 

「お前達は俺を呼ぶならファーストネームかファミリーネームか、どちらかに統一しろ!」

 

 水筒をカンナバーロに投げつけてウィリアムは駆け出した。 

 自分の背丈よりも高い緑の茂みをかき分け、前へ前へ。 

 不思議な事に、その茂みはどれだけ進んでも途絶えなかった。確かに鬱蒼とはしていたが、ウサギが消えた茂みのすぐ後ろには森林が広がっていたはずだ。

 

「くっ!こんなに深いはずは……」

 

 カンナバーロの言った通り罠だったのではないかという考えがウィリアムの頭を過る。

 念のためにいつでも抜刀出来るように手を柄に添え、顔を草で切り裂かれて傷だらけになりながらもさらに奥へ。

 

 パッと視界がひらけた。

 

「……っ!やっと終わりか」

 

 ウィリアムの目に入ったのは、夕焼けに照らされる一面の花畑。

 咲いている真っ白な花は胡蝶蘭だろうか。風に舞う花びらが橙色に染まり、まるで無数の火の粉が踊っているかのような美しい風景を生み出していた。

 一面、とは文字通りその場を見渡す限りの全てであり、ウィリアムの背後、今まで通ってきたはずの茂みは消え去っていた。

 

「なに、帰り道を失った……!?くっ!どうやらまんまと騙されたというのに間違いはなさそうだな」

 

「そんなつもりはありませんが」

 

「!!」

 

 ウィリアムが来た道を振り返っていたのはほんの一瞬。

 しかしそのわずかな間に彼の真正面には野ウサギと、地に座ってそれを撫でる一つの人影があった。 

 跳び退いて距離を取るウィリアム。

 

「魔術師か!」

 

「しがないエルフだとお伝えしたはず」

 

 スレンダーな身体に白い木綿のワンピース、ブロンドの真っ直ぐなロングヘア。

 顔つき、体つきは人間のそれと大差無いが、イタリア出身だと言っていた割に肌は白く、瞳は翡翠のような淡緑。北欧人に近い。 

 しかし、三角形にピンと尖った耳が、彼女は人間ではないと主張している。

 

「しかし……こんな所まで追ってこられたのならばお教えしましょう。私はクラウディア。旧イタリア王家に仕え、今はこうして身を隠している卑しきエルフですわ」

 

 クラウディアは寂しげな笑みを浮かべた。

 

「旧イタリア王家……?待て、城に魔族がいたという歴史があるのか!だが、そんな資料があれば聞かされているはず……」

 

 これはかなり大きな情報である。誰も知らなかったのが不思議なくらいだ。

 

「ふふ、英語もお上手でいらっしゃいますね」

 

 言われて気づく。

 もちろん英語はウィリアムの母語なので、一人でウサギを追っていた時から彼は無意識の内に英語を発していたのだ。クラウディアも英語で返してくれている。

 

「教えてくれないか。俺達は魔族の事を学ぶ為に、王の命でイギリスまでやって来たんだ」

 

「それは……叶いませんわ。私は遠い昔に、イタリア王家から追放されたのですから」

 

「遠い昔を語れるほどアンタは年寄りには見えないが……それが事実だとしても、今の王家にその事を覚えている者は生きちゃいないだろうな」

 

 しかし、クラウディアは微笑むばかりだ。

 彼女にしてみれば、自分たちが追放しておいて何を今さら都合の良い事を言っているのかと思って当前だ。

 

「頼む。諦めるわけにはいかないんだ。俺は、アメリカに渡る必要がある」

 

「まぁ。わざわざ死にに行かれるのですね」

 

「故郷だからな」

 

「……?」

 

 ウィリアムの言葉の意味が理解出来ないクラウディアは、撫でていた野ウサギから手を離して視線を少し上げた。

 

「アンタが追い出されたのは、現在の魔族と人間の対立が原因か?」

 

「もちろんそうです。個人的に当時のイタリア国王を恨んだりはしていません。全ては世の定め」

 

 これには答えてくれた。

 

「今の人間が、魔族と共生していた時代を知らないのはなぜだ」

 

「それはあなた方の指導者達が仕組んだのでは?私に訊かれても分かりかねます」

 

 上手く誘導出来ている。

 この質問でウィリアムが本当に知りたかったのは、魔族と人間が一緒にいた時代があったのかどうかである。彼女はそこを否定しなかったので、答えはイエスであると判明した。

 

「逆に、私からもよろしいでしょうか」

 

「もちろんだ」

 

「アメリカが故郷だとおっしゃいましたね。どういう事なのでしょうか」

 

 ウィリアムに対して興味を持たせる事にも成功したようだ。

 一度会話を弾ませてしまえば、彼の思うつぼである。今までもそうやって人を騙し、利用してきたのだから。

 

「そのままの意味さ。俺はアメリカの地、ニューヨークで生まれ育った」

 

「まさか!アメリカ大陸に人間はいないはずです!」

 

「では俺もこう返すしかないな。ヨーロッパ大陸に魔族がいるはずがない。少なくとも俺達の常識ではな。それとどう違う?」

 

「……」

 

「おい、別に責めているつもりはないぞ。誰がどこに住んでようと、ソイツの勝手なんだからな」

 

 機嫌を損ねられても困るので、ウィリアムがつけ加えた。

 

「……私以外にも、この大陸に散り散りになって暮らしている者はいるはずです。そのほとんどがこうして結界の中に住み処を作り出して身を隠している事でしょう」

 

「結界……?やはりここは魔術か何かで生み出した場所なんだな。確かに茂みの中は妙な感覚だった。外から見ただけじゃこんな場所につながってるとは分からないだろうし、アンタから話しかけられなきゃ、俺もここに立ってはいない」

 

 少し距離を詰めて、ウィリアムは花畑に腰を下ろした。

 

「イタリアは今、どうなっていますか?戦乱に飲まれて混沌としているのでしょうか」

 

「その通りさ。魔族の部隊が頻繁にどこからともなく街に現れて、美しい街並みを壊し、罪の無い民を食い荒らしている。もちろん魔族側の死者も少なくない」

 

「嘆かわしい事です」

 

「同感だ。両者の溝を埋めるのは難しいだろうが……俺達が失った魔族に対する知識が欲しい。たとえ忌み嫌う相手だろうと、互いを理解するのは大切な事だろう?」

 

 クラウディアがうつむき、再び野ウサギの頭を優しく撫でた。そして、観念した様子で声を絞り出す。

 

「……わかりました。私の負けです。私の知る限りの事にお答えしましょう」

 

「そうか!それはありがたい。あらためて、俺はイタリア使者団のウィリアム・バレンティノだ」

 

「ですが、一つ条件があります」

 

 差し出されたウィリアムの右手を握る前に、クラウディアはそう返した。

 

「条件?なんだ?」

 

「争いの後、勝利したのがあなた方人間であったとしても、敗れた魔族を決して迫害しないで下さい。そんな事をすればきっと、同じことの繰り返しになるはずです。後世が、平和な世界でありますように……それが私の願いです」

 

「もちろんだ。俺達だって、平和な世の中を望んでいるんだからな」

 

 これは本心かどうか、ウィリアム自身にも難しい言葉だ。 

 実際に戦争が終結して人間と魔族が和解したとしても、彼の目的である『元の世界へ帰る事』が叶わなければ何の意味も無い。

 

「しかし、魔族にも平和を望む者がいるのには驚いた。皆が皆、人を喰らう野蛮な種族だと思っていたからな。英語を公用語にしているところまでは嗅ぎつけたが、まともな対話が出来て本当に嬉しいよ」

 

「魔族……ですか」

 

「違うのか?そりゃあ、アンタは見た目も人間に近いようにも感じるが……」

 

「確かに私達は魔族。そう呼ばれ、そう名乗っています。しかし、元は人間が自分たちとは違う種族全てをひと括りにして名付けた、差別的な言葉だったのです。私達は、人間に比べて魔力が高かった。それが、魔族という名を生み出したのです」

 

「ほぅ……興味深い話だ。まずは歴史の話を聞かせて欲しい」

 

 魔族の語源は人間にあったという。

 遥か昔を知るクラウディアの言葉は、その一つ一つがウィリアムを驚かせた。

 

「……魔族をヨーロッパやアジア大陸から追い出し、未開の地だったアメリカに押し込めたのは他でもない人間です。今ある戦乱の世は、あなた方が作り出したと言っても過言ではありません」

 

「人間以外に知性を持つ少数の種族を魔族と名付け、それを俺達が追いつめた結果が今の世界だという事か?魔族は遠いアメリカで、徐々に力と数を増やしてきたんだな」

 

 復讐に燃えるかつての弱者。

 

 それが魔族だった。

 

「えぇ。正解です。個々の生命力でこそ魔族が上ですが、昔は数が限りなく少なかった」

 

「これは憶測に過ぎないが、当時の人間は近くにいながらも魔族を恐れていたんだろう。巨大な身体や強大な力。魔術も難なく使いこなすとなれば、いつか自分たちが滅ぼされてしまうんじゃないかってな」

 

「それで、先手を打った?」

 

「憶測だ」

 

「なんと傲慢な……」

 

 クラウディアが目を伏せた。

 ウサギが後ろ足で立ち上がり、彼女に顔を寄せて心配している。どうやらこの使い魔は彼女の言葉のみを通して話すだけで、自発的に会話する事は出来ないようだ。

 

「……そろそろ戻らないと、お連れの方がご心配なさるのでは?突然消え去ったのですから」

 

「しかし、明日にはロンドン市街に戻らなくてはいけなくてな。今しか話すチャンスが無いんだ。もう少し付き合って欲しい」

 

 ブライアンから受けとる予定の資料も大事だが、クラウディアとの対話の方が明らかに価値の高いものとなるだろう。

 

「では、他には何をお話ししましょうか?」

 

「そうだな、魔族が形成している集団、国家と呼ぶべきか?その形態を教えてくれないか」

 

 ウィリアムから見た彼らは多くても数百程度の小集団でしかない。その全貌が不明瞭なのだ。

 

「魔王国家アメリカ。決まった首都は存在しませんが、ニューヨークに居城を持つ大魔王様がその頂点に立たれています」

 

「大魔王か……こちらとしては、ソイツを倒す必要があるんだな」

 

「えぇ。お会いした事はありませんが、屈服するような御方ではないのは確かです。戦争の終わりには、大魔王様の死が絶対条件でしょう」

 

 大魔王。

 

 ウィリアムは、その存在が元の世界に戻る為の糸口になると直感的に思った。

 別世界に迷い込むという摩訶不思議な事件に巻き込まれたからくりも、大魔王が何か知っているはずだと。

 

「そして、その直近に六魔将、三魔女と呼ばれる幹部がいらっしゃいます」

 

「一人、雑兵とはまるで違う強さの騎士を見た。おそらくアイツがそうなんだろう。他の面々も、とんでもない力を持ってるんだろうな」

 

「まぁ!それでよく生きていられましたね。まさか、あなたがその相手を討たれたのですか?」

 

 クラウディアは口に手を当て、たいそう驚いている。

 ウィリアムが弱そうだというよりは、上位階級に君臨する魔族の力を高く評価しているからだろう。

 

「いや違う。知らないのか?イギリス国王がその戦いに敗れ、御逝去されたんだ。魔族の騎士はその後すぐに消えたよ」

 

「もちろん知りません。いくらロンドンの広大な城壁の内側とはいえ、この辺りは滅多に人が現れる場所ではないので」

 

「そうか。こうして身を潜めて暮らしていれば、新しい情報が耳に入らないのも当然かもしれないな。……大魔王というのは、あの騎士よりも強敵なのか?」

 

 答えなど分かっているが、訊かずにはいられない。

 

「愚問です。計り知れないとだけ言っておきましょう」

 

「だが勝算はある。意外な弱点があるとか、そういう事なんだろう?」

 

 おとぎ話の悪役は、悪魔だろうと鬼だろうと、必ず勇者に退治されるものだ。

 

「弱点……いいえ。そのような事は聞いた事がありません」

 

 そして、現実はおとぎ話のようにはいかないものだ。

 

「だったらどうしろと?イギリス随一の猛者だった陛下が、魔族の騎士に勝てなかったんだぞ」

 

「私に言われても困ります。生半可な力と覚悟では大魔王様に勝てないという事です」

 

「……あんたは、魔族が勝った場合の世界はどうなると思う」

 

 何かを隠しているのなら吐かせようと、ウィリアムは言葉を運んだ。

 

「悪くはありません。ただし、生き延びた人間は私のように永らく隠れて生きるのは難しいでしょう。魔族が勝てば、人間は一人残らず死ぬ。それだけです」

 

「どちらに転んでも大差無いといった言い方だな。人間が滅ぶのは願い下げだ」

 

 わずかに怒気を含ませて返す。

 

「そうですか?私は、平和な結末を迎えられればそれで良いと思っているだけです。無論、どちらか一方が滅ぶのを喜ばしいとは思いませんので、人間が勝つ方がいくらかマシかと」

 

「そうかよ。だったらその方法を考えよう。天下無敵の大魔王様を討ち倒すとしたら、あんたはどうやる」

 

「それは難しい質問ですわね……」

 

 期待は出来ないと思ったが、意外な答えが返ってきた。

 

「直接戦っても敵わないならば、王子や王女など、大魔王様のご子息を人質に取るというのはどうでしょう。大魔王様も心を痛められ、無闇に手出し出来なくなるのでは?」

 

「ほぅ……なかなか面白い事を言うじゃないか。それ自体が難しそうな話だが、効果はありそうだな。大魔王も悪魔に魂を売ったわけでは無いか」

 

 大魔王もまた、王である前に一人の親であるというわけだ。 

 これまでのクラウディアの話から、魔族は人間と同じように家族、集落、街、国家というコミュニティを形成していると見て間違いない。見た目の禍々しさや、人を喰らう残虐性のせいで畜生扱いしていたが、考え方を改める必要がありそうだ。

 

「言うまでもありませんが、大魔王様のご子息を拐うとしても、転移術を使えないあなた方はニューヨークまで直接進撃していく必要があります。その道中に立ちふさがるのは大海の荒波、全米各地に配置された六魔将を含む大幹部達、他にも様々な強敵が星の数ほど存在しているでしょう」

 

「待て。転移術とは何だ?」

 

 ウィリアムには聞き覚えの無い魔術である。

 一度ローマ王宮の城壁で目の当たりにしたはずだが、激動の毎日に気を持っていかれたようだ。

 

「空間を越える、魔族の主な移動手段です。人の身では習得出来ません」

 

「まさか、それが俺達の街に魔族が突然現れる事が出来る理由か!魔族の特権だと!ふざけた魔術だ!」

 

 一瞬にして移動出来れば、急襲や隠密行動など何の苦労も必要としない。

 

「それでもあなた方は王宮などに結界を張って、しっかりと守りに対応出来ているではありませんか。せっかくです。転移術をご覧になりますか?」

 

「どういう意味だ?」

 

「どこか、ご希望の場所へお連れしましょうかという意味です」

 

「なにっ!?」

 

 アメリカ、ニューヨークへと言えばすべてが終わる。一瞬そんな考えが頭を過った。

 この世界に迷い込んだばかりの頃のウィリアムだったとしたら、間違いなくそう言っていただろう。

 だが、実際に大魔王の居城がそこにあった場合、無事で済む保証はない。

 アメリカの地に渡るのならば、強い仲間の存在は必要不可欠である。

 

「アメリカ、ニューヨーク城なんかどうでしょう?いずれ、あなた方が目指すべき場所へ」

 

「……っ!そんな敵の真っ只中に飛び込んだら帰って来れなくなるだろう!」

 

「別に、片道だけではございませんわ。帰りはここへ戻って来ます。もちろんご一緒しますので」

 

 なるほど、クラウディアが見せてくれるという転移術は、対象をどこかへ飛ばすのではなく、術者と共に移動する術のようだ。

 

「本当だろうな?おいてけぼりでは俺の命、一分と持たんぞ」

 

「私とて、人間のあなたを大魔王様の土地へお連れしたとなればお叱りを受けます。ふざけているつもりはありません。それに、先ほどおっしゃったじゃないですか……アメリカ育ちだと。違いましたか?」

 

「そうだったな……確かに俺は正真正銘ニューヨーカーだ。わかったよ……行こうじゃないか」

 

 ウィリアムは、ついにアメリカの地を踏む事となる。

 

 ずっと座っていたクラウディアが立ち上がり、右手を開いて目の前にかざした。

 

「少し下がって」

 

「あぁ」

 

 ウィリアムも腰を上げる。

 立って初めて、クラウディアは自分よりもいくらか長身だと気づいた。 

 野ウサギは主人の魔術詠唱に感づき、ぴょこぴょこと花畑を蹴りながら遠くへ消えていった。

 

「参ります。空間転移!」

 

 ズゥ……

 

 まず、獣の唸り声に似た低い音。

 

 バリバリバリ!

 

 そして、雷鳴の様な鋭い音。

 

「おぉ、どこかで一度見た気もするな……しかしどうなってるんだこれは……」

 

 ウィリアムとクラウディアの間に、乱暴に壁紙を剥がしたかのような形の闇。

 立体であるはずの景色に、平面に破り取られた穴が空いており、しかしその闇から右に顔をずらして見れば反対側にいるクラウディアの姿が確認出来る。

 

「お入り下さい」

 

「入る?」

 

「そのまま中へ。安心して下さい。落ちも浮きもしませんから。これはただの虚無」

 

「無を体現するか。哲学的だな」

 

 まず左足を入れる。暑くもなく、寒くもない。 

 意を決して全身を飛び込ませると、ウィリアムはそこに立っているのか浮いているのか分からない、不思議な感覚を味わった。

 

 バリバリバリ……!

 

 ズゥン……

 

……

 

……

 

 そして、深淵と静寂。

 

……

 

……

 

 バリバリバリ!

 

 再び空間が引き裂かれる音がした時。 

 その亀裂の先には知らない土地が顔を出していた。

 

 ズゥン……

 

「到着しました。ニューヨーク郊外です」

 

「ここが……ニューヨーク?」

 

 足元の荒廃したねずみ色の土は、生命の息吹きを感じられない火山灰に近い。

 空は曇天。遠雷が響き、吹き荒れる生ぬるい風が肌に不快感を覚えさせる。 

 近くに建物や街は見当たらないが、視界の遥か先に塔のような円錐形の五つの物体が見える。おそらくあれがニューヨーク城だ。

 

「……!!伏せて……!」

 

「なっ……!」

 

 その塔らしき物体に目を凝らしていると、クラウディアが突然そう言ってウィリアムを引き倒した。

 

 ゴゥッ……!

 

「ギャァァオ!!」

 

 その直後に突風と咆哮。 

 彼らの上を、猛スピードで飛んでいく生き物。爬虫類の様な濃く固い皮膚と、大きな両翼を持つ竜である。

 

 ゴゥッ!

 

「ドラゴンか!」

 

 灰まみれになってしまった身体を起こし、通り過ぎた竜の行方を目で追う。

 どうやらニューヨーク城に向かっているようだ。

 

「飛竜です」

 

 クラウディアが応えた。

 

「セスナ機と勝負できそうなスピードだな!あれに襲われたらひとたまりもないぞ!」

 

「野生の飛竜は単独行動などしないはず……城へ向かっているようですし、おそらくどなたかが騎乗して操っていたのでしょう。とにかく見つからずに済んでひと安心ですわ」

 

「本当にあんな生き物を乗りこなせるのか?いや、イギリス国王を倒した騎士みたいな奴なら問題ないか……」

 

「人間が乗ったという話は聞きませんが、魔族の間では何も珍しい事ではありませんよ。ちょうど、あなた方が馬に乗るのと同じ感覚です。……少し、城に近づいてみましょうか。周囲に注意して下さい」

 

「わかった」

 

 二人が歩き出す。

 

 雲が薄まり、日が登ってきたところで夜明け前だった事に気づかされた。この世界でも、地球は丸いのだと感じられる。 

 小高い丘の上に、数本の痩せた木からなる雑木林を見つけ、そこからニューヨーク城を観察する事になった。 

 距離はおよそ1マイル。城を一望出来る絶好のポイントだ。城下町は存在しておらず、荒れた平野に城だけが佇んでいる。

 

「民は城内で暮らしているのか?」

 

「いいえ。集落や街がある所もありますが、ほとんどの者は森や洞穴を利用して生活しています」

 

「ここが魔族の国の中心だと言うわりには、大きな街が城の近くに無いというのも不思議な話だな」

 

 眩しい日の光に目を細め、サングラスをかけながらウィリアムが言った。

 

「あまり住んでいる場所は関係ありません。転移術のおかげでしょうね。私たちだけが使える魔術ですが、先ほどお見せした空間転移は案外初歩的な術なのです。ほとんどの者が修得していますから」

 

「だったら、飛竜を使う意味が無いと思うが」

 

「あれは好きでお乗りになる方が多い気がしますね。戦いの時にも心強いパートナーとなります」

 

「ステータス性のある所有物なのかもしれないな。自分の飛竜の速さや力を競っている連中もいるんじゃないか?」

 

 現世において、必要以上の高級車やオートバイ、クルーザーなどを所有しているようなものだろうとウィリアムは解釈した。

 

「よくご存知で。飛竜のレースや決闘は国をあげての大々的なものから、個人的なものまで様々ございますわ」

 

「大魔王とやらも飛竜に乗るのか?」

 

 敵の大将首が空を飛べるのならば、さらに一苦労ありそうだ。

 

「いえ、大魔王様はご自身の羽をお持ちです。それに、飛竜と変わらないくらい大きいはず」

 

「そりゃご立派な事で。城の外に出てきてくれれば一度拝んでおけるんだがな」

 

「さすがにそれは私の力ではどうにもなりません。今、城の中におられるのかも分かりませんからね」

 

「その、王子や王女ってのは?そいつらも城にはいないのか?」

 

「古い知人から聞いた話なので確かではありませんが、大魔王様のお屋敷がいくらか離れた場所にあるはずです。ご子息様がいらっしゃるのはおそらくそちらでしょう」

 

 孤立している城の立地からして、屋敷もその可能性が高い。

 秘密裏に侵入する事が出来れば、大魔王の子供らを誘拐する事も不可能ではないだろう。

 

「よく分かったよ。その屋敷は見れないか?」

 

「申し訳ありません。ここまででご勘弁を。……さて、私がお力添え出来るのはこのくらいですが」

 

「あぁ、助かった。最後に城の外観を四方から見たいんだが、付き合ってもらえるか?」

 

 携帯電話を取り出し、ベレニーチェの魔術によって回復させた電源を入れる。

 写真に撮っておけば、後で皆に見せる事が出来るからだ。

 

「不思議な道具をお持ちですね。身を隠せる場所があまり無いので、早足で良ければ」

 

「それで構わない。この位置からは見張りの姿は見えないな。限界まで接近してくれ」

 

 ウィリアム達がいるのは城の裏手に当たり、出入り出来そうな場所は無い。見張りがいるとすれば、反対側だろう。

 

 身を隠していた雑木林を出て、城の写真を撮りながら時計回りに移動した。 

 太陽との位置関係からして方角は城の北から東、そして南、西と続いていくはずだ。

 

「それは城に向かって何をしているのです?」

 

「後で教えてやる。目に見えない攻撃をしているわけじゃないから心配しなくてもいいぞ。今は急ごう」

 

「はぁ」

 

 城の陰から南側を覗いてみる。正面と思われる場所に、やはり見張りの姿があった。黒い甲冑を着込んだ兵士が二人。 

 五つある円錐形の建物は東西横一列に密接しているが、入り口はその中心にあるだけだ。外壁は深い紫色、大扉は派手な朱色で、何やら魔術的なもので作られている可能性が高い。

 

「正面からの写真は難しいか……」

 

「一度、正面側の郊外へ転移しましょう。距離は離れてしまいますが」

 

「そこからズームするしかないな」

 

 見張りからは死角になる城の裏手に戻り、そこでクラウディアが右手を前に出して空間転移の術を再詠唱した。

 

 ズ……ズゥ……

 

 バリバリバリ!

 

 闇を覗かせる亀裂が走る。

 

「さぁ参りましょう」

 

「頼む」

 

「……空間転移!」 

 

 バリバリバリ!

 

「……?」 

 

 ズゥン……

 

 視界が消える直前。

 ウィリアムは、何者かがこちらを伺っているような視線を感じた。

 

……


「どうですか?」

 

「まぁ、いけない事は無いな」

 

「それは良かった」

 

 カメラの最大倍率を使って、およそ1.5マイル先にある城の正面側の写真を撮影した。

 二人の見張りも一緒に写っているが、その姿は豆粒のように小さい。ウィリアム達は身を隠さず平地に伏せているだけだが、視界を遮る兜越しでは気づかれる心配はないだろう。

 

「そういえばもう一方の側面がまだでしたね。どうされますか?」

 

「念には念をが信条さ。そこも記録させてくれ」

 

「その不思議な道具は記録を取る書物でしたか……え、絵画!?それもこんなに緻密な!」

 

 横から携帯電話の画面を見たクラウディアは飛び上がって驚いた。ベレニーチェが初めて写真を見た時の状況とよく似ている。

 ウィリアムの携帯電話にはピントが上手く合わずに少しぼやけているが、肉眼で見るのと変わらないニューヨーク城の画像が写っていた。

 

「なんて素晴らしい才能を持った絵描きさんなんでしょう!ニューヨーク城を一瞬で!」

 

「違う違う。俺は絵描きなんかじゃないぞ。こいつはそういう道具なんだよ。人間だって、あんたが密かに暮らしてる間にいろいろと進化してきたのさ」

 

「はぁ……人間は古きを忘れ、常に新しい事を学ぶ生き物なのですわね」

 

「はは、耳が痛いな。しかしその驚きようだ。新しい事も悪いばかりじゃないだろ?」

 

 にやりと笑って携帯電話をポケットにしまう。

 

「それには……同意します。帰ったらもう一度見せて下さいね」

 

「お安い御用さ。ここから左手に回って、最後の撮影といこう。本当は城の内部と大魔王様の顔も見ときたいんだがな……うっ!?」

 

 ゴゥッ!

 

 突如、頭上からの強風。

 

 飛竜の起こした物に間違いない。

 

「伏せて!」

 

 クラウディアからそう言われるよりも先に、すぐそばの荒れ地にドシン!という音が響いた。

 

「クソ!急にどこから……!」

 

 何の前触れも無しにウィリアム達の目の前に現れたのは、濃い灰色の飛竜。

 先ほど頭上を通過した個体と同じだろう。着地した二本の足から頭の先までは、人間のおよそ二倍の大きさがある。

 

「グルァウ!」

 

「何やら怪しい人影を見たのでね。しばらく上空から監視させていただきましたよ」

 

 飛竜の背中から飛び降りた人物がそう言った。 

 拍車のついた茶色い革靴にベスト、テンガロンハットという出で立ちに、ウィリアムはもちろんテキサス州の荒野を駆けるカウボーイを連想した。ただし、腰にピストルが入ったホルスターは無く、代わりに巨大な弓を背負っている。

 

「くっ!」

 

 素早く魔剣の柄に右手をかけ、抜刀。

 それと同時に振り上げる形の斬撃を放ったが、上体を反らせてひらりとかわされてしまった。

 

「うわっと!いきなり攻撃してくるとはどういうおつもりか!」

 

 そのカウボーイが怒鳴る。

 よく見ると彼はクラウディアと同じ三角形に尖った耳、エルフである。

 

 クラウディアが睨み合う二人の間に身体を割り込ませてきた。

 

「ウィリアム様!剣をお納め下さい!この御方は、かの六魔将のお一人、アルフレッド将軍閣下にあらせられます!今のあなたでは逆立ちしても敵う相手ではありません!」

 

「どけ!みすみす殺されるわけにはいかないだろう!」

 

 パチンッ!

 

 頬を平手で打たれる。しかし、クラウディアの表情は怒りのそれではなく、眼にいっぱいの涙を溜めた悲しみの表情だった。心の底から殺し合いを憎んでいるのだろう。

 

「どけっ!!」

 

「剣をお納め下さい!!」

 

 彼女のまぶたから一筋の涙がこぼれ落ちる。

 

「クソッ!」

 

 ついに根負けし、魔剣を鞘に戻したウィリアムはその場にどっかりと胡座をかいた。

 

「ありがとうございます……」

 

「えーと、話はまとまりましたか?同志達よ」

 

 クラウディアがウィリアムの横に伏せ、アルフレッドへの敬意を表した。

 

「……同志?」

 

 ウィリアムはなぜ敵視されていないのか疑問を持った。しかし、これは好都合だ。

 

「いやはや驚きましたよ。もう落ち着いたようですね。それで……城の周りで何を?」

 

「……観光さ。ニューヨーク城付近でハネムーンをと思ってな」

 

「ほう!それはめでたい!我が同族エルフと、バレンティノ・ファミリーが結ばれるとは!」

 

 こうなったら上手く騙してしまうしかないと考えていたウィリアムの表情が、一気に凍りついた。

 

「今……何と……?」

 

「ま、そういう事なら特に心配ないようですね。くれぐれもいきなり斬りかからないようにお願いしますよ!それでは失礼します」

 

 アルフレッドは超人的な高い跳躍で、飛竜の背中に颯爽と飛び乗った。

 

「あ、待て!待ってくれ!」

 

「行け、ジルコニア!やぁっ!」

 

 そして手綱を握って飛竜の腹を拍車で蹴る。

 

「グァゥ!」

 

 ゴゥッ!

 

 砂ぼこりを巻き上げる突風が地面に吹き付け、ウィリアムが目を閉じた一瞬の間に飛竜とアルフレッドは遥か上空へと舞い上がっていた。

 

「どうなさったんですか?あれほど斬りつけようとしていたアルフレッド閣下に何か訊きたげでしたが……」

 

「一体どうなってるんだ」

 

「はい?」

 

「……なぜ、奴は俺の姓を知っている!カウボーイ!この世界で何が起こっているんだ!」

 

 ウィリアムの叫びは、もはや姿の無いアルフレッドには届かなかった。

 

……

 

……

 

 ズゥン……

 

「着いたか……今日は本当にありがとう」

 

 クラウディアの住処に戻った二人。ウィリアムが差し出した右手を、彼女は今度こそ躊躇なく握り返した。

 

「これから魔族に起こる悲劇を思うと胸が痛みます。しかし、あなたには無事で全てを成し遂げていただきたいと思いますわ。それが平和への近道だと信じています」

 

「頭がパンクしてしまいそうだ」

 

 アメリカ大陸での出来事、なぜかアルフレッドから名前を呼ばれた事がウィリアムを苦しめている。

 

「クラウディア」

 

「はい」

 

「イタリアに帰る気はないか?俺達はロンドンにしばらく滞在するが、ローマに帰る前にここへ迎えに来よう」

 

「……ごめんなさい。これは種族間の争いです。確かに私はあなたへ見聞による知識を与えました。しかし戦争に同行して直接お力添えすれば、それは私の手で同族を殺してしまうのと一緒です」

 

「そうか……残念だが諦めよう」

 

 ウィリアムが携帯電話を取り出して画面をタップする。

 

「あら?先ほど見せていただいたじゃありませんか」

 

「見せろと言ったじゃないか。それより、ここを見て少し笑えるか?」

 

 カシャッ。

 

 クラウディアに向けられたカメラが作動する。

 

「……?」

 

「こういう事も出来るぞ」

 

「……まぁ。私の姿が描かれています。素晴らしい道具ですね」

 

 どこか寂しげな表情をした美しいエルフが、レンズを凝視して首を傾げている様子が写っていた。

 

「また会おう」

 

「私はすぐに住処を移すつもりです。もっと、人の来ない秘境へと。しかし、平和な世の中が現実のものとなったその時には、必ずあなたの元を訪れましょう」

 

「分かった、覚えておく」

 

 別れの時だ。

 

「出口はこちらです。この子に案内させますので、ついて行って下さいな」

 

 鼻をひくひくと動かす使い魔の野ウサギが、ウィリアムの足にすり寄ってきた。

 

「ごきげんよう」

 

 お辞儀をするクラウディアに答礼して振り返ると、目の前はすでに迷い込んだ時と同じ鬱蒼とした茂みだった。

 

……

 

 視界が開けて、暖かな木漏れ日が射し込む。すでに夜明けを迎えていたようだ。 

 野ウサギはいつの間にかいなくなっていたが、ここまで来ればチェザリス達のテントやイギリス軍の野営地にも迷うことなく辿り着けるだろう。

 

 ザッ。

 

 側の茂みから甲冑を着た槍兵が現れる。カンナバーロ伍長だ。

 

「あぁっ!いた!やっと見つけた!」

 

「うぉっ!?」

 

 至近距離から大声で叫ばれ、驚いたウィリアムはすっとんきょうな声を上げてしまった。

 

「バレンティノ殿、探したんですよ!エルフにやられちまったんじゃないかって大騒ぎだったんですからね!一晩中どこで何をしてたんですか!」

 

「待て、伍長!そんなに近くで怒鳴らなくても聞こえてる!」

 

「これが怒鳴らずにいられますか!洗いざらい話してもらいますからね!」

 

 むんずと腕を組まれ、引きずられる様に連行されてしまう。

 

……

 

「これを見てくれ」

 

 幌を張った屋根だけのテント下に、ウィリアム、チェザリス、カンナバーロ、アマティの四人が円を描いて座っている。

 ウィリアムが指差したのは地面に置かれた携帯電話で、それを囲んでいる形だ。

 

「これは……何かの建物ですか」

 

 まずチェザリスがそう言った。使者団全員はすでに携帯電話の写真機能を認知している。

 

「ヘンテコな形ですね。ロンドンにこんなものありましたっけ」

 

 カンナバーロが続いて言った。

 

「これはニューヨーク城という城だ。アメリカ大陸にある、大魔王の居城なんだと」

 

「えっ、冗談でしょう!一晩でその魔族の国に行って帰って来た事になりますよ!それに、大魔王って何ですか!」

 

「昨晩までの俺ならお前と同じ事を言うだろうな、伍長。しかし、実際にこの目で見てきた。友好的なエルフと一緒にな」

 

 画面がクラウディアの顔写真に切り替えられる。

 

「バレンティノ様、さすがに話が飛躍しすぎています。そのエルフが見せた幻想かもしれませんよ」

 

「少尉、魔族が一瞬にして俺達の街に侵入出来るのは知っているな?あれは空間転移という術で、魔族ならそのほとんどが使えるそうだ」

 

 ウィリアム以外の三人が「うぅむ」と唸った。

 簡単には信じられない話だろうが、目の前の写真と体験談が真実味を後押しする。

 

「では、その……空間転移が使えるエルフを仲間に引き入れたら、逆に我々から魔族に急襲を仕掛けれるのでは」

 

「確かにそうだ!本当ならお手柄ですね、バレンティノ殿!」

 

「いや、残念だがそれは断られてしまったんだ。しかし、大魔王が魔族の頂点に立ち、ニューヨークにこんな城を構えていると分かったのは大きいな」

 

 画面がニューヨーク城の外観写真に戻る。

 

「他に何か情報は?」

 

「この城の近くに大魔王の屋敷があるらしい。戦いを有利に進めたいならそこにいる魔王のガキ共を拐っちゃどうだ、って話があった」

 

「なるほど……そうなると当初予定していた調査団の規模では不十分でしょう。欧州やアジアが結束して大部隊を投入し、全面戦争をするしかないですね」

 

「今回の渡米で調査団がやるはずだった仕事はこなした事になるからな。だが、他の地域も含めて分からない事はまだ多いから行く意味はある」

 

 戦争が始まるのが先か、アメリカ大陸調査団の出発が先か。各国の情勢に左右されるのは間違いない。

 

「その、ニューヨーク以外の要地には六魔将や三魔女と呼ばれる大幹部も控えてるって話だ。俺の考えが正しければ、ニューヨークはアメリカ大陸の東岸。ヨーロッパから長い船旅を終えて渡ってしまえば目と鼻の先なんだが、陸路か航路でアジアを経由して移動するのなら上陸地点は大陸西岸になる。そこからだと最も遠い位置だ。どちらのルートを選ぶかは分からんが、アジアから向かうのならソイツらの事も知っておきたい。アメリカ周辺の大海原は荒波が続くと聞いた。船の耐久力を考えるとその荒波にさらされる時間を少しでも軽減出来るアジア経由ルートの可能性の方が高いだろうしな」

 

 もちろんこのニューヨークの位置予測はウィリアムがいた現世のものなので、正解なのかは定かではない。

 

「先日見た騎士……ハインツとか言う。奴が、その?」

 

 チェザリスが苦い表情でウィリアムに訊いた。

 

「六魔将だ。俺もそう睨んでる」

 

「えぇ!?あんなのがゴロゴロいるんですか!命がいくつあっても足りやしない!」

 

「伍長!お前は少し黙ってろ!」

 

 チェザリスの拳骨がカンナバーロの頭に落とされる。

 

「チェザリスが言ったように、欧州とアジア諸国が協力すればあの騎士のような強敵も打ち倒せないことは無いと俺は思っている。敵国であるアジアの動きは予想出来ないが、最低でも欧州四ヵ国同盟の復活は必至だろう。確かにハインツはイギリス国王に勝った。だが、戦場では常に一騎討ちが起こっているわけではないからな」

 

「国王の一閃がハインツを苦しめた場面もありました。各国の戦士が集えば、あの騎士と同格の敵に直面したとしても伍長が言うほど絶望的な状況ではないでしょう」

 

「ただし、問題はその親玉だ。クラウディア……昨晩出会った友好的なエルフの名前だが、彼女は大魔王の力を計り知れないと言い切った。どれだけ別の幹部連中が強かろうと、大魔王だけは別格だと考えておいた方がいい。それで例の誘拐を提案してきたんだろう」

 

 とにかくアメリカ大陸に渡る事だけを考えていたウィリアムが、その次は大魔王との接触を強く望んでいる。一歩ずつ、目標に近づいている実感は少なからずあった。

 

「さて、話はこれぐらいにしておくか。ブライアンの所へ行く約束があるからな。そのまま直ぐにロンドンへ戻るが、お前ら体力は大丈夫か?一晩中眠らずに俺を捜索してたんだろう」

 

「それは貴方も同じでしょう、バレンティノ様。少し休まれてはどうですか。ブライアン准将閣下には我々が伝えておきますから」

 

 カンナバーロが「休みましょう!」と手を挙げているが取り合わない。

 

「少尉、英語の語学力も無しにどう伝えるつもりだ?どうせ俺はお前の背を借りて馬に揺られるだけだ。寝るならその時でいい」

 

 ウィリアムは部下達に有無を言わさず木にくくりつけられた幌の紐をほどき始めた。

 

「タフなお人だ。上等兵、テントを片付けろ」

 

「はい、隊長」

 

 アマティがウィリアムに加勢する。

 

「伍長、休みたいなら好きにしろ。その代わり、帰りは一人だぞ」

 

「はいはい!ついていきますよ!」

 

「なら火を起こしてくれ。発つ前に腹ごしらえだ。俺は馬に水を飲ませてくる」

 

……

 

「おぉ、お待ちしておりました。バレンティノ殿」

 

 昨日と同じように、ブライアン准将がテントでウィリアム達を迎え入れた。 

 上下に迷彩柄の野戦服を着用し、私物は表に待たせてある馬に搭載されていたので、すでに出立の準備は整っているようだ。

 

「すまない、遅くなってしまった」

 

「いいえ、お気になさらず。それでは参りましょうか」

 

 ブライアン、そしてチェザリスとウィリアムが二騎の馬に乗り、カンナバーロ達がそれに追従する。イギリス軍からも将軍の護衛の為に六人の歩兵が出て、彼らの周りを囲んでいた。

 

「行き先は陸士官学校だったな」

 

「そうです。特段面白い場所ではありませんが、ご容赦ください」

 

「資料は文献か?」

 

「えぇ。ほとんどは書物です。お役に立てれば嬉しいのですが」

 

 坊主頭を指で掻きながらブライアンが笑う。さわり心地が良いのか癖になっているようだ。

 

「一つ、面白い体験をした」

 

「……ほう?どんな話でしょう」

 

「俺達が野営をした場所の近くに、ひっそりと暮らすエルフがいてな。それと接触したんだ」

 

 当然だがクラウディアの事はイタリアに戻ったら真っ先に報告するつもりでいる。

 同盟国であるイギリスにも然りだ。

 

「なんと……!しかし、そういった話は何度か聞いた事があります。場所も時期もバラバラでしたが、魔族の姿を見たと。その都度イギリス軍は討伐隊を派遣しましたが、いずれも発見出来ずに引き返しています。街に対して侵入してくる連中とは違い、特に被害は無いようですが……諜報員の可能性もあります。どちらにせよ、あまり気持ちが良いものではありませんな」

 

「諜報員か……なるほどな。それならもう少し街に寄せた場所に潜伏しそうだが、確かに否定出来ない意見だ」

 

 だが、クラウディアがその立場を隠していた可能性は低い。おそらく彼女は『本当にひっそりと暮らしていただけだ』というのがウィリアムの見解である。

 

「しかし、その様子では襲ってこなかったのでしょう。接触したとは?」

 

「あぁ。歴史を紐解いたり、魔術を見せてもらったりな。信頼出来る人物とまではいかないが、かなり友好的だった。向こうから接触してきたんだよ」

 

「ほう!あなたが興味を持たれたと?何をなさっておられたのか」

 

「部下とイタリア語で話していたら、ひょっこりと現れた。きっとイタリア語が物珍しかったんじゃないか?」

 

 厳密には違うが、魔族と共生していた歴史を知らないであろうブライアンに対して、クラウディアがイタリア出身である事までは説明しなかった。

 

……

 

 ロンドン市街中心部にある陸士官学校は、予想よりも遥かに小さな建物だった。

 一階建てのそれは町中にある民家と同じく石造りの外壁に、黒く塗られた木製の三角屋根。古くからそこにあった学舎を改装して使用しているとの事だ。 

 中には四十人前後の生徒が受講出来る教室が二つと、その半分程度の広さの教官室、救護室、そしてお目当ての資料室がある。

 

 護衛を屋外に待機させ、ウィリアムとブライアンの二人はまず教官室を訪れた。学長である大佐殿に挨拶を済ませる為である。

 

「やぁ。しばらくぶりですね」

 

「これは驚いた。ブライアンか?」

 

 二人の軍人が握手を交わす。 

 初老の大佐はブライアン准将と同期の間柄らしく、資料を貸し出して欲しいという彼らの申し出を快く承諾してくれた。

 

 石造りの壁のせいでひんやりと冷たい資料室。 

 窓は無く、室内は真っ暗だ。壁掛けの燭台はあるらしいが、誰もいなかったので消されている。

 

「しまった。灯りを忘れておりましたな」

 

 入ったばかりの扉から出ようとするブライアン。

 

「問題ない」

 

 ウィリアムはそれを呼び止めた。 

 カチッと小さな音がして、彼の手元からライターの炎が点され、燭台が本棚の乱立する室内を照らした。

 

「おぉ、助かりました。マッチをお持ちとは準備万端ですな」

 

 ブライアンはマッチと勘違いしたようだが、ウィリアムは言い直さない。

 

「愛煙家の嗜みさ」

 

「紙巻き煙草ですか?ちょうど先日、上物の葉がいくらか手に入ったので届けさせましょう」

 

 ブライアンが燭台を壁から外して手に持った。

 

「それは嬉しいな。お返しに残ってるワインを送っておくよ」

 

「はは、酒を持参とはさすがはイタリアからの使者様だ。楽しみにしておきます」

 

「さて、魔族に関する資料はどこだ?」

 

 さすがは陸士官学校の資料室と言うべきか、辞書にも負けずとも劣らない分厚い冊子が数千はあるだろう。

 

「こちらです」

 

 右手に灯りを持つブライアンが入り口のすぐ左にある本棚の前へ移動した。 

 ウィリアムの身長よりも高い五段組の木製本棚。目線の高さに当たる三段目までは冊子が、そして四段目より上には錆びついた剣や兜が乱雑に収められている。

 

「この武具は?」

 

「おそらく退治した魔族が身につけていたものです。死体が消えてしまうので、これらは標本代わりなのでしょうな。しかし、彼らの用いる武具は全て人間が作り出したもの。あまり意味があるとは思いませんが」

 

 赤錆の浮いた短剣を左手で弄びながらブライアンが返した。

 

「奴等は生産能力を持たない……?」

 

「それは解りません。技術が無いのか資源が無いのか、はたまた人間の道具を高く評価しているのか……畜生の分際で実は裏で先進的な暮らしをしているという考え方も出来ます」

 

 ニューヨークでウィリアムが目にしたのは巨大な城のみ。外観を先進的かどうかと言われたら答えはノーだ。 

 集落の存在しない首都圏。民草の住居は洞穴や木陰。原始的という表現以外では釣り合わない。ただし、屋敷を構える大魔王、飛竜で現れた将軍、彼らの様な上流階級の生活水準は推し測れない。

 

 資源。ニューヨーク城周辺だけならばこれも答えはノーだ。

 殺伐とした風景は灰色の枯渇した大地に数少ない雑木林があるだけ。

 あれは伐採や開発で出来上がったものではないのは分かる。その数少ない雑木林を利用したところで篝火や筏、柵を作るのが精一杯だろう。

 

「どうかな。奴等は俺達とは培ってきたものが違う。技術を凌駕する魔術だ。それがあるせいでこうした工業製品が発達しなかったのかもしれないな。魔術で生み出すものを持っていたとしても身体の死と共に消えてしまうだろうから、標本として残らないはずだ」

 

「なかなかの力説ですな。その……あなたが接触したという魔族も何かそんなものを?」

 

「いや、彼女は何も。ただ、国王陛下を倒した将軍。あんな化け物じみたレベルの野郎が使う剣や槍が、人間が作り出したものだとは思えなくてな」

 

「魔剣ならば我々の側にもあります。それもそうでしょう?」

 

 ブライアンがウィリアムの腰に下がる剣を指差した。

 

「そういう意味じゃない。俺達がやるように鉄鉱石から鍛造した剣を魔術で加工するんじゃなく、一切何もないところから自らの魔力だけで魔剣を生み出す……そんなところだ。それが出来ない雑兵は人間から盗んだ物で身繕いするんじゃないか?戦いだけでなく、生活においてもな」

 

「あぁ、それは正解でしょう。奴等の魔力は未知数ですから。確かどれかの資料に書き記してあったはず……どうぞ、お好きなものをお持ち下さい」

 

 目の前には本棚の中段までぎっしりと詰まった資料。

 当然一度に持ちきれるはずはなく、何度か足を運ぶことになるだろう。

 

「じゃあ、手始めに三冊ばかり借りて行く」

 

 ウィリアムが埃を被った羊皮紙の冊子を両手に持つ。

 表紙の無いそれらはご丁寧にタイトル表記されているはずもなく、適当に選んだものだ。

 

「それでは参りましょうか」

 

 来たときと同じように大佐に挨拶を済ませ、護衛が待機する屋外へと出た。

 

 その場でブライアンとはお別れだ。

 

「助かったよ、ありがとう」

 

「次お会いする時は、もう少しそのエルフの話を詳しくお聞かせ願いたいものです」

 

「あぁ、わかった」

 

……

 

「お帰りなさいませ、バレンティノ様」

 

 チェザリスが背筋を伸ばして敬礼で出迎える。

 

「こいつを馬に積んでくれ」

 

「かしこまりました」

 

「うわー、埃まみれじゃないですか!」

 

 カンナバーロが指差したのは資料ではなく、ウィリアムのスーツである。

 

「おぉ、こいつは参ったな。早く部屋に戻らないと」

 

 服についた埃を叩きながらウィリアムが笑う。

 

 彼らの仮住まいは来賓向けの宿舎である。ワンルームの寝室が四階建ての各フロアにひしめく現世のビジネスホテルに近い作りで、イタリア使者団の中ではウィリアムだけが個室を与えられていた。 

 ロンドン市内の石畳の上を馬に揺られること数分。まずは馬車の手入れをする御者のヘンリーの姿が見えた。

 

「あぁ、旦那。おかえりなさい」

 

 二日ぶりに見るひげを蓄えた顔は汗だくである。

 

「精が出るな、ヘンリー」

 

 ガットネーロ隊がウィリアムとヘンリーに敬礼を向けて屋内に消えていく。

 

「へぃ、実は御者席の座り心地を改善しようかと。旦那が大人しく中に乗っててくれないもんで」

 

「悪かったな、お前ほど尻に肉が無くて」

 

 皮肉に対して皮肉を返し、軽く肩に拳を当てる。

 こんな気を許したやり取りも、彼らの生い立ちが似ているから出来るわけだ。

 

「ありゃ?珍しく汚ならしい格好してるじゃねぇですか、旦那。スーツってのは紳士的に着こなすものなんでしょう?」

 

「小汚ねぇ冊子を運んで来たからな。しばらくはかったるい昔話の翻訳稼業に勤しむわけだ」

 

「それはそれは。あっしは願い下げですね、文字を読むより埃を取っ払う作業が多そうで」

 

「そういえば、スーツで一儲け企んでるんだって?」

 

 言いながらウィリアムは上着を脱いでワイシャツ姿になった。

 

「耳に入っちまいましたか。別にあっしがやらなくても誰かがやり始めますよ。ここで流行ってればそれを真似るのがトレンドですからね。イギリス国王の葬儀でイタリアの貴族連中にもスーツは知れ渡ったでしょう?間違いなく、飛ぶように売れまさぁ」

 

 イギリス、ロンドンは経済だけでなく、ファッション文化の中心でもあるようだ。

 

「お前のところは馬具や馬車の会社だと思っていたが、それ以外には何を取り扱ってるんだ?」

 

「決まっちゃいません。確かにあっしは馬車屋ですが、小麦から物件まで何だって売りさばいた経験がありまさぁ。輸入で間に合わなきゃ、自社生産も視野に入れてみますよ」

 

 現世でも馬具メーカーから一流のファッションブランドに形を変えた会社は少なくない。

 上質な革製品の加工技術は、バッグやベルトの生産に流用可能だからだ。

 

「それで流行りそうな衣料品に目をつけたわけか。しかし、お前のところで取り扱ってくれるのなら帰国後も助かるよ。俺にとってスーツは何着あっても困らないからな」

 

「へへへ、ありがとうございます。早速お得意様が出来ちまいましたね」

 

 会話の途中、建物から紫色のローブを羽織った錬金術師、ピエトロ・ムッソリーニが現れた。

 

「バレンティノ様、お帰りなさいませ」

 

「あぁ、ただいま」

 

「フロアで護衛隊を見かけたものですから。お迎えにあがりました」

 

 老年期のはずの彼だが、若々しい黒髪のオールバックに皺の少ない白色の肌は清潔感すら漂う。

 

「彼らはバレンティノ様のお部屋に何か運び入れていたようですが、どうやらお目当ての資料は見つかったようですな」

 

「あぁ、予定通り陸軍からな。しかし、それ以上の成果があったぞ。晩餐の時にでも全員に話そうと思う」

 

「それは興味深い」

 

 食事は基本的にどこかのレストランやパブで一緒に取るのが日課になっていた。

 

「しかしまだしばらく時間があるな。ヘンリー、ムッソリーニ、そこら辺で一杯どうだ。食前酒も悪くはないだろ」

 

「良かった。あっしは汗で干上がる寸前でしたんで」

 

「はは、では私もお供しましょう」

 

 選んだのは宿舎から二、三分歩いた場所にある大衆食堂。

 既に日は傾き始めている。

 

 広いホールにいくつかの丸テーブルが並べられ、勤務を終えたばかりの兵士や家族連れの市民で賑わいを見せていた。酒場とは違って子供の姿も多く、別の客から絡まれる危険性はほとんど無いだろう。 

 空席がいくつかあったので、ウィリアム達はスムーズに着席することが出来た。 

 テーブルにはメニュー表など無い。ヘンリーが従業員らしきエプロン姿の若い娘を呼びつけて、酒と簡単な肴を注文した。

 

 鉄製のカップに、スコッチウイスキーが入ったものが二杯と、ワインが入ったものが一杯運ばれてくる。

 

「ワインはそっちだ、ムッソリーニ」

 

「おぉ、かたじけない。まさかこの店にウィスキー以外の酒があるとは驚きです」

 

 輸入品であろうその赤ワインは、生産国までは分からないと先ほどの従業員から言われた。詳細の分からない品を客に出すなど先進国のレストランでは考えられないが、こちらの人間は大して気にならないらしい。

 

「では、乾杯」

 

「乾杯」

 

 ガチン、と重々しい鉄製カップがぶつかり、続いて野菜とチーズを盛り合わせた大皿が出てきた。粗塩がふられており、あっさりとしているがなかなか美味い一品だ。 

 ぐびぐびと酒を飲み干したヘンリーが、げっぷをしながら次の一杯を頼んでいる。

 

「生き返ったか?」

 

「そりゃもう。あ、まさか一杯だけだって言うんじゃないでしょうね、旦那」

 

「好きにしろ。食事前にへべれけになるんじゃないぞ」

 

「はは。お強いですな、御者様は」

 

 ムッソリーニが微笑む。

 

 二十分程経つと、彼らのテーブルの前に一人の兵士が現れた。革をなめした軽装鎧に弓を担いだ若者、アマティ上等兵である。

 

「失礼します、皆さんこちらにいらっしゃいましたか」

 

「あぁ、アマティか。どうした?」

 

「お姿が見えなかったので、隊長から探してくるように言われました」

 

 端から見れば、一般のイタリア人がイタリア兵に何か注意を受けているように感じたようで、隣のテーブルにいたイギリス兵が「どうしたんだ」と声をかけてきた。

「心配ない、彼は俺の部下だ」と伝えると、そのイギリス兵は納得した様子で頷いた。


「そうだ、上等兵。場所を移す気だったが、このままここで夕食を取ろう。他のみんなを連れてきてくれ」

 

「了解しました」

 

 踵を返してアマティが去っていく。

 

……

 

……

 

 日が沈み、テーブルに使者団全員が集まる。

 

「では、本日も食事にありつける事に感謝していただきましょう」

 

 魔女帽を被ったベレニーチェが食前の祈りを告げ、晩餐が始まった。

 

「さぁさぁ、次の酒を頼みますかい」

 

 何杯も立て続けに飲んでいるはずだが、ヘンリーはまだ飲み足りないらしい。

 

「それなら俺がお供しますよ!」

 

 カンナバーロ伍長が嬉々としてそれに反応し、座席をヘンリーの隣に寄せる。

 

「旦那はどうです」

 

「俺はもう充分だ。メシにするよ」

 

「バレンティノ様、どうぞ」

 

 タイミング良く、侍女のアーシアが小皿に取り分けた料理をウィリアムの目の前に置いてくれた。

 

「そうだわ!魔物と接触なさったとか!詳しくお聞かせください!」

 

 食事の途中だが、ベレニーチェがそう言ってウィリアムの腕を揺すった。ガットネーロ隊の誰かが彼女に話したのだろう。 

 皆の視線が集まったので、ウィリアムはフォークから右手を離す。

 

「簡潔に話すと……アメリカ大陸に行ってきた。魔族が用いる、空間転移という魔術でな」

 

「本当ですか!?」

 

 ダン!とテーブルを叩いて立ち上がるベレニーチェ。

 どうかしたのかとざわつくホールに赤面し「す、すみません……」とつぶやいて座り直す。

 

「バレンティノ様、アメリカの地をその目で見てこられたとおっしゃいましたか」

 

 ムッソリーニが顎に指を当てて神妙な面持ちで言った。

 

「あぁ、その通りだ。これを見てくれ」

 

 携帯電話の中のニューヨーク城の写真を彼に見せる。

 

「ふむ……なんでしょう。何やら禍々しい気配を感じますな」

 

「わ、私にも見せて下さい!」

 

 ベレニーチェが自らの頬をムッソリーニの顔にぶつけながら画面を覗きこむ。

 彼女の帽子がはらりと床に落ちたが気にも止めない。やはり研究者の魂に火がついてしまったようだ。

 

「むむむ……!魔族が建物を作る技術を持っているのが分かりますね!」

 

「いや、これは魔術の産物だと考えられる。城の周りは荒廃した大地で、建材になる物なんて無かった。見たところ一体何で出来ているのかも分からないしな」

 

「魔術で建物を!?わ、私も精進しなければ……!」

 

 あまりにも一生懸命なその姿に、一同から笑いが起こる。

 

「意気込むのはいいが、張りきり過ぎるなよ。俺達には奴等が持たない技術がある。純粋な魔術より、それとの融合で勝ちにいけばいいじゃないか」

 

「そ、そうですね……しかし、頑張らねばならないのは事実です!もっと新しい発明をしていきましょう!」

 

「それだったら馬車を魔術で強化するのはどうです?魔剣のような武器や、電気……でしたか?あれも大事でしょうが、やはり皆さんの安全には変えられません」

 

 これはチェザリス少尉だ。護衛隊の隊長らしい意見である。

 

「いや、電気関連の研究開発は最優先すべきだ。今はなぜ俺がこう言うのか理解出来ないだろうが、信じて欲しい。必ず明るい未来が訪れる。『夜を昼にしたい』……俺の知る偉人の言葉だ」

 

「夜を昼に……ですか。よく分かりませんが、バレンティノ様のご意志が我々の意志です。反対する理由はありません」

 

 それは言うまでもなく、現世において最大の発明とも言える電球を生み出したトーマス・エジソンの言葉である。

 

「素敵ですね。そのお方はきっと、暗い中で働く人々の事を思っていたのでしょう。夜が昼になればどんなに安全か、誰しも暗闇で何かに躓いた経験はあるはずです」

 

 空いた皿をてきぱきと片付けながらアーシアが言った。

 

「あぁ。彼は世界中に光をもたらした。比喩的な話じゃないぞ。文字通り、暗闇を照らす光をついに完成させたんだ。そして、地球上から夜の闇は姿を消した」

 

「世界中……?」

 

「あぁ、いい。気にしないでくれ」

 

 訝しむムッソリーニにウィリアムが手をひらひらと振る。

 

「そうだ、翻訳の方はどうです?時間がかかりそうですか」

 

 チェザリスが訊いた。

 

「予想以上だ。陸軍だけで膨大な量なのに、海軍からのものもあるんだからな」

 

「バレンティノ様が翻訳されている間、分隊は手持ちぶさたです。英語とイタリア語を理解出来る者を探しましょうか。数人雇えば作業も捗ります」

 

 確かにベレニーチェやムッソリーニは研究、ヘンリーは馬車の改良やスーツの商談で忙しいだろうが、ガットネーロ隊には決まった仕事が無い。

 

「それは助かるが、人を雇うまでの資金は持ち合わせていないぞ。無償で協力してくれる奴を探すつもりか?」

 

「でしたらあっしが出資しましょうか」

 

「……どういう風の吹き回しだ、ヘンリー?」

 

 彼の事だ。何か裏があると思わない方がおかしい。

 

「そんな恐い顔しないでくだせぇ。忘れましたか、旦那?うちの会社はこれからイギリスと取引しなくちゃならないんですよ」

 

「……それで?」

 

「しっかりしてくだせぇよ!こっちにも社員を常駐させとく必要があるって事です!」

 

「今回の協力者達を雇用して、そのまま社員にしようって腹か。……どうだろうな。バイリンガルならそれなりに職業選択もありふれているだろう。それも安くない賃金でな。そう簡単にイタリア資本の会社に入社するか?」

 

「そんなこと言い始めたら翻訳の仕事をする連中だって集まりませんよ?」

 

 確かにそうなる。

 スカウトはガットネーロ隊に任せ、雇用はヘンリーに。とりあえずは期待せずに報告を待つ事になった。

 

「話を戻すようですが、軍の資料にしてはおおっぴらな開示ですな。ロンドンの民間人を雇って翻訳を頼むと……その辺りは問題ないのでしょうか」

 

 ムッソリーニが言った。

 

「いや、問題ない。イギリス軍は一般人にも魔族に関する知識をつけてもらいたいそうだ。強く希望すれば俺のような立場が無くとも資料の貸し出しをしてくれる。たまに学校や教会を相手にするって話だ」

 

 もちろんこれはロンドンへ戻る道中でブライアン准将から聞いた話だが、埃まみれの冊子を見る限りでは少なくとも数年前の話だろう。

 

「バレンティノ様、協力してくれたという魔族はどうしたのです?」

 

 続けてベレニーチェが訊いた。帽子はまだ床に落ちたままだ。

 

「あぁ、こいつだ」

 

 エルフ族のクラウディアが画面に表示される。

 

「まぁ……何というか、美しい女性ですね」

 

「イタリア出身なんだと」

 

 全員がぎょっとする。

 

「え?え?それはどういう……この魔族はイタリアで生まれ育ったんですか?」

 

 困惑しながらそう言ったのはベレニーチェだ。

 

「イタリアだけじゃない。他の国にも魔族が住んでいる。遥か昔、人間と魔族は共に暮らしていたらしいんだ」

 

 二度目の衝撃が皆を襲う。

 研究室長であるベレニーチェがこの様子なのだ。やはり誰も歴史を知ってはいないのだろう。

 

「その魔族の戯れ言では?」

 

「いや、少尉。俺は真実だと思う。彼女は戦争の終結を望んでいた。アメリカを案内してくれたのもそれが理由だ。わざわざ意味の無い嘘をつくだろうか」

 

「……いえ、おっしゃる通りですね」

 

「欧州各国の協力、アジアとの終戦、それからアメリカへ進軍。だいたいの流れはそんな感じだ。今の俺に出来るのはモリガン元帥にこの話を知らせ、帰国後は陛下にも同じ話をする事くらいだがな」

 

 そこまで言うと、ウィリアムは再びフォークを手に取り、冷めてしまった肉料理をつついた。

 

……

 

 食事が終わり、各々が宿舎へと戻り始める。

 チェザリスがウィリアムの前に立った。

 

「バレンティノ様、ガットネーロ隊は早速明日から動きたいと思います」

 

「えぇーっ!今日帰って来たばかりじゃないですか、隊長!少しくらい休みましょうよ!」

 

「……伍長がこう言っているので、彼は今夜から動かします。私と上等兵は明日から」

 

 カンナバーロは呆然としている。口は災いの元である。

 

「俺はしばらく自室に缶詰めだ。大した指示は出してやれないから、お前の判断に全て任せるよ」

 

「了解いたしました。では、上等兵を置いていきますのでお帰りの際はくれぐれもお気をつけください。伍長、お前は仕事だ。来い」

 

「そんなぁ……」

 

 二人の兵士が去っていった。

 

……

 

……

 

 それから数週間。

 

 宣言通り、ウィリアムはデスクワークに追われる日々を送っていた。

 資料が予想を遥かに凌ぐ膨大さだったので、当初の予定よりやや遅れている。

 

 今のところガットネーロ隊による翻訳家スカウトは成果が上がっておらず、ウィリアムは自室に籠って一人で黙々と書き写しをしている状況だ。

 普通ならば気が狂ってしまいそうな忙しさだが、多大なストレスを抱えながらもウィリアムは得意のポーカーフェイスで部下たちに対しては平然を装っている。

 

 コンコン……

 

 デスクの背後、部屋の入り口の扉から遠慮がちなノックが鳴った。

 

「入れ」

 

「失礼します」

 

 振り返りもせず応えると、ティーカップや菓子を持った使用人のアーシアがおずおずと入室してきた。

 

「紅茶か?ありがとう」

 

「あまりお休みになられていないようですね。皆さん心配しておられますよ」

 

「この前の魔族との戦いに比べれば大したことないさ。食い殺されるくらいなら俺は喜んで寝不足になるぞ」

 

 作り笑顔で焼き菓子をひとつまみ。

 

「しかし……」

 

「大丈夫、じきに仲間が見つかる。うちの護衛隊は優秀だからな」

 

「えぇ、そうですね。彼らは行動的で利口です」

 

 口ではそう言っているが、やはりアーシアは納得出来ていないようだ。

 

「あ、そうだ。一つ頼まれてくれないか」

 

「もちろんです。何でしょうか」

 

「手に入るか分からないが、紅茶じゃなくてコーヒーだと嬉しい」

 

「承知いたしました」

 

 コンコン。

 

 アーシアと入れ代わる形で、次の来客が訪れた。

 

「入れ」

 

 退室しようとしていた彼女が内側から扉を開け、外にいる人物とウィリアムに一礼して帰って行く。

 

「失礼します」

 

 敬礼と同時に、話題にも上がっていた護衛隊の隊長が現れた。

 

「どうした、少尉」

 

「気になる人物の話を聞きました」

 

「どんな奴だ?」

 

 両手を上げ、背伸びをしたウィリアムが紙煙草に火をつけた。

 

 同時に「キィッ……」と三度目の来客。

 

「少し前に旦那が気にしてた男でさぁ」

 

 ノックも無しに、御者のヘンリーが入ってきた。どうやら彼もその話をしに来たようだ。

 

「気にしてた男?覚えがないな。誰かいたか……?」

 

「牢獄に入れられている男なんですが、イタリア語を理解出来るらしいんです」

 

 思い出した。

 ロンドンに到着してすぐ、パブでイギリス兵から聞いた話だ。しかし、その時はイタリア語を話すとは聞いていなかった。確か、ウィリアムに似たイントネーションの英語を話すというものだったはずだ。

 

「あった。これだな」

 

 ウィリアムが私物の山から地図のメモを探し出した。

 

「罪人なのは気になりますが、職を失っているのは間違いないでしょう。それでご報告に上がりました。どうされますか、バレンティノ様」

 

「……ヘンリー、お前は犯罪歴で社員の雇用を決めるか?」

 

「へへ、愚問でさぁ」

 

「よし、直ぐに向かうぞ。馬車の準備をしろ」

 

……

 

 例の「ヘンリーの別荘」は予想通り、見るに耐えない場所だった。 

 鉄格子で仕切られた個室が石畳の通路を挟んで左右にあり、カビのにおいと苔むした壁が蝋燭で弱々しく照らされた空間である。

 

 地下牢だが入り口はもちろん地上で、そこに立っていた憲兵に囚人との面会希望を申告すると、あっさりと通されてしまった。

 階段を降りると地下にも数人の獄吏がいたが、彼らは詰所でカードに勤しんでおり、開け放たれた部屋の扉から通路を歩くウィリアム達を見ることさえしない。

 脱獄の手引きがあったら、果たして対応出来るのかと疑問である。

 

「左手の入り口から四番目の牢だったな」

 

「へい」

 

 足元を携帯電話で照らしながら歩くウィリアムに、ヘンリーが続く。

 チェザリス少尉は地上の馬車の前で警護に当たっていた。

 

 鉄格子の前から無遠慮に中を照らす。 

 石畳は通路と詰所だけで、牢獄の地面は土だった。これでは逃げ出そうと穴を掘ってしまう輩もいるのでは、と思ってしまう。

 もちろん実際に成功した者もいたかもしれないが、ヘンリーによるとここにいる連中は比較的罪が軽いらしい。つまり、長くとも数ヶ月我慢すれば釈放されるので、再逮捕されるリスクを背負ってまで逃げようとする可能性は少ないと言える。

 

 ライトを左右に動かす。

 牢獄の室内設備は便所の為の壷と、ボロボロの毛布があるだけだ。壷の中から糞尿が漂わせる悪臭が凄まじい。 

 目的の面会相手はその汚い毛布にくるまって地面に寝転がっていた。

 

「こいつか?」

 

「へぃ、多分こいつです」

 

 ガンガン!

 

 ヘンリーの返事を確認して、ウィリアムは鉄格子を剣の柄で打ち鳴らした。

 

「ぐごご……」

 

 返事の代わりにいびきが返ってきた。熟睡しているようだ。 

 仕方がないので鞘を鉄格子の間から伸ばして、毛布から出ている囚人の足を小突いた。

 

「……ん?メシか?うぅん……」

 

 まどろんだ声と共にそいつが裸の上半身を起こす。ボサボサの頭と、頬までを覆う髭のせいで目と鼻しか見えない。

 

「なんだ……?おい、俺を照らすんじゃねぇ!」

 

 囚人が携帯電話のライトをまぶしがって右手をかざす。

 

「英語とイタリア語が話せると聞いた。お前で間違いないか?」

 

 照らす光は男の顔を捉えたままだ。その事に腹を立てて、イタリア語で罵声が飛んできた。

 

「くたばりやがれ!」

 

「間違いないみたいだな。さて、お前に用がある。別に悪い話じゃない。英語をイタリア語に翻訳出来る奴を探していてな。返答次第では保釈金を払ってすぐに出してやる」

 

 ウィリアムもイタリア語で返して、バイリンガルである事を明かした。

 他の囚人や獄吏に会話が分からないようにする為にもイタリア語を使うのは好都合だ。

 

 ガチャ!

 

「お、おい!それは本当か!ありがたい!」

 

 ウィリアムの言葉を聞いて急に元気になった囚人が鉄格子にしがみついてきた。

 長らく洗っていない身体のにおいが鼻をつく。

 

「文字は読み書き出来るか?」

 

「当たり前だ!」

 

「では交渉成立という事だな」

 

「あ……」

 

 近距離で目が合い、何か言おうとした男にウィリアムが背を向ける。

 この男の保釈金は地上にいた憲兵に支払う手筈だ。それは銅貨がたったの二枚らしい。

 

「ちょっと待ってくれ、いや……待って下さい!」

 

「何だ?」

 

 数歩離れた場所から顔だけで振り返った。

 

「叔父貴……?いや、そうですよね!間違いねぇ!ウィリアムの叔父貴!」

 

「……!」

 

 懐かしい呼びかけに、ウィリアムは再度牢に駆け寄る。

 

「お前、マルコか!?」

 

「叔父貴……組を空けて、すいませんでしたぁ……」

 

 久しぶりに見る舎弟の顔は、涙と鼻水でひどい有り様だった。

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