Intro
……
すべては順調に見えた。
手下を広く配置し、警戒は万全だ。ネズミ一匹すら入る隙もなく、狙撃で出し抜く事や爆発物を仕掛けられている心配もない。
冬も近いスタテンアイランド区は肌寒い。
……
「兄貴」
「あぁ?」
「部下の配置が完了した。奴らの到着時刻は三十分後だ」
トニーはくわえていた葉巻を地面に投げ捨てると、高そうな革靴の底でそれをもみ消した。
「何の問題もねぇさ。お前はいちいち予防線を張り過ぎなんだよ。わかるか、ウィリアム?」
「そうかもしれないが……何かあってからでは遅いからな。なにより、俺は中国人なんざ信用してない。……残り二十九分だ」
ウィリアムはスーツの袖を軽く捲り、セイコー製の腕時計をちらりと見た。秒針が正確に一秒一秒を刻んでいる。
「バカやろう。奴らとは何度も取り引きしてきたはずだ」
「だが今回の奴は紹介だ。前の奴とは違う。たとえソイツらが同じファミリー内でもな」
ちょうど、二人の耳に足音が一つ聞こえた。革靴がコンクリートを蹴る、駆け足の音である。
「親父、叔父貴」
そう言いながら現れた一人の男。
ストライプ柄が入った黒いスーツに身を包み、淡い茶色がかった髪を長く伸ばして後ろで束ねている。彼はトニーとウィリアムの目の前に到着すると、背筋を伸ばして軽く頷いた。
「何かあったか」
「はい」
「さっさと言え」
トニーがマルコと話し、ウィリアムは黙っている。
「犬です。車両は手筈通り近寄れませんが……」
「ヘリか?」
「はい。それと、ここから多少離れてはいますが、巡視艇が二隻。ハドソン川でうろちょろしてます。俺達を張ってるのかは分かりませんがね。どうしますか、親父」
マルコが主に伺いを立てる。
「船は無視しろ。ヘリは何をしてる」
「わかりません」
「わからねえ、だと?」
トニーは途端に不機嫌になり、マルコを睨みつけた。
「役立たずが!わからねえで済むか!」
「兄貴」
「あぁ!?なんだ!」
「マルコは悪くねぇよ。俺の指示が悪かっただけだ、許してくれ」
「チッ……さっさと行け!」
ウィリアムが謝ると、トニーはマルコを手で追い払った。
……
トニーとウィリアムは腹違いの兄弟である。
父親のエンリコ・バレンティノが肝臓ガンで亡くなった後、二人でこの小さなバレンティノ・ファミリーを支えている。
ファミリーは祖父の時代に祖国イタリアのシチリアからアメリカ・ニューヨークへ渡ってきており、トニーらはイタリア系移民の三世という事になる。
祖父の時代は五大マフィア・ファミリーの一つであるガリアーノ家に仕える形であったが、近代になって各ファミリーの勢いが弱まるにつれ、家々がそれまでの形にとらわれる事なく散り散りになって仕事をするようになっていった。
ちなみに祖父の時代の五大ファミリーとは、かつて極悪非道で名を馳せたラッキー・ルチアーノ率いる
『ルチアーノ・ファミリー』をはじめ
『マランツァーノ・ファミリー』
『マンガーノ・ファミリー』
『ガリアーノ・ファミリー』
『プロファチ・ファミリー』からなる。
現在も形を変えてはいるがニューヨークのスタテンアイランド区を拠点として実在しているイタリア系マフィアである。
……
「残り二十分」
先ほどからしきりに時間を気にしているウィリアムは、几帳面な性格。
短い髪はきちんとセットされており、スーツやネクタイ、靴、腕時計やサングラスも新品同様の状態である。それらの持ち物はどれもこれもイタリア製や日本製の高級品というこだわりようだ。
対してトニーは荒々しくがさつで、まさに粗暴な男。
ダブルのスーツをだらしなくあけ広げ、胸元にはゴテゴテした貴金属のネックレスが何重も下げられている。
マフィアのボスらしく見えるから、という幼稚な理由でかぶっているボルサリーノのハットも、土汚れや染みが目立つ。
体型も対照的で、兄のトニーは大柄で格闘家のようだが、弟のウィリアムは細身でやや背が低い。
「コイツが終われば、しばらくは食うのに困らねえな」
「いつまでもこんな時代遅れの商売はごめんだけどな」
「インテリ気取りかよ?てめーはつくづくお利口さんだな、ウィリアム」
二人の足元にボストンバッグが置いてある。
それを持ち上げ、ウィリアムは中身を確認した。小分けされたビニール袋があやしく光る。
「こんなゴミが商売道具だなんて」
「あぁ?ヤクが嫌いなのは結構だがよ、人よりは裕福に暮らせてるんだ。親父が残してくれた生き様に感謝しろ。それとも、何かまた新しい商売でも思いついたか?」
「いや……別に。大丈夫だ。薄汚れた仕事はともかく、俺はファミリーを愛している。残り十七分」
ピピピ……ピピピ……
着信音が鳴る。ウィリアムはスーツの懐から携帯電話を取り出して応答した。
「俺だ」
「叔父貴、車が二台来ました。今、停めて運転手と話しましたが、例の劉とかって中国人の一味です。通しますか」
聞き取りやすい、ハキハキとした声。マルコは報告の為に走ってきたが、この電話は少し離れた路上からのものだ。
取引場所は港の近い廃倉庫。
敷地に入ろうとするものがいれば、こうやってファミリーの部下達に止められるわけだ。
「尾行は」
「こちらからは確認できません。彼らもそれらしきものはいなかった、と」
「わざわざ訊くまでもなかったか。優秀な部下を持てて嬉しいよ」
「俺なんかには過ぎるお言葉、ありがとうございます」
「少し早いが、問題ないだろう。通せ」
「了解」
それからしばらくして、二台のクライスラーが倉庫内に停車した。
だだっ広いだけのあばら屋である。トタン板の屋根は辛うじて有るが、壁は所々崩れて風が吹き抜けている。
照明などあるはずもなく、停まっている車のヘッドライトだけがその場を照らしていた。
「さて、仕事だ」
トニーがパン、とウィリアムの肩を叩く。
「今回も何も無いことを祈ろう」
ボストンバッグを抱え、兄に続くウィリアム。
……
バレンティノ・ファミリー数人と、中国人のマフィア連中が対峙した。
双方にライフルを肩から下げている者もいるが、今のところその銃口は地面か天井に向けられている。
「さてさて、お客さん!余計な邪魔が入る前にとっとと終わらせちまおう!」
「無論。これが金だ。ブツを見せろ」
ボスであるトニーと、相手方の頭目らしき男が挨拶も無しに要件だけを話す。
「ウィリアム。見せてやれ」
「あぁ」
ウィリアムがボストンバッグの口を全開にして床に置いた。
下っ端らしき一人の中国人が近づき、ビニール袋に指を突き刺してぺろりと舐める。古典的な確認方法にウィリアムは苦笑いを押し殺す。
「……」
一言も発さず、頭目に向けて中国人の下っ端が軽く頷いた。
「よかろう。額を確認してくれ。約束通り、洗う必要もない金だ」
札束が詰まったジェラルミン製のトランクが置かれる。
「マルコ」
「はい!」
トニーに呼ばれたマルコがそれに走る。
「……大丈夫です!確かに八十万ドルあります!」
「契約成立……だな」
マルコの言葉を聞き、中国人の男が取引の終結を言い渡した。
「そうだな!毎度どーも」
「今回の紹介者にもこちらから連絡しておこう。ミスター・バレンティノ、またよろしく頼む」
中国人達が足早に去っていく。
……
「ケッ!にこりともしねー!薄気味悪い奴らだぜ!」
トニーがそう言うと、ファミリー全員が身体の力を抜いた。
「何はともあれ仕事がうまくいって良かったな、兄貴」
ウィリアムが時計を見ながら言う。
「そんなに時間ばっかり気にしてて面白いか?サツ共が動く前にずらかるぞ、全員車に乗れ!ウィリアム、金はお前が屋敷まで運べ!」
「あぁ、任せときな」
すぐにマセラティのセダンが数台現れ、トニーとウィリアムはそれぞれの車の後部座席に身体を滑り込ませた。
ウィリアムの横には大金入りのケースを抱えたマルコが乗り込む。
マルコは元々はウィリアムお気に入りの舎弟である。
……
「叔父貴、知ってますか?」
「なんだ、唐突に」
「いや……俺も他人から聞いた話なんで確かじゃないんですが、俺達バレンティノファミリーを特別に監視してる政府機関があるとか」
不安げな面持ちでマルコが話す。だがウィリアムはそれを鼻で笑った。
「はっ!何で俺達を?デカいファミリーなら他にもごまんといるじゃないか」
「確かにそうなんですが……なんでも親父を今後のスタテンアイランド区における最重要の人物としてマークしているとか」
「兄貴を?確かにトニーの暴れ方は少々目に余るところがあるだろうが……それくらいしか思い浮かばないな」
ウィリアムが前方を行くセダンを見つめる。
その後部座席では、上機嫌なトニーが葉巻を片手に酒をあおっている事だろう。
「お、叔父貴!あれを!」
「今度は何だ!急に話を飛ばすな!」
マルコが指さすのは上空。
どこぞのヘリが一機、明らかにバレンティノファミリーの車列を狙って急降下してきている。
「敵襲か!?クソ!どこの連中だ!」
プロペラの轟音が耳をつんざく。
車列は一斉に停車し、アサルトライフルを抱えた組員達がバラバラと車から飛び出して銃口をヘリに向けた。
バルルル……!
だが、ヘリは彼らを攻撃するわけでもなく、そのまま飛び去ってしまう。
「なんだ、ありゃあ?」
ボスらしく、ゆっくりと降車してきたトニーが誰に向かっていうわけでもなく問う。
「親父!車に戻って下さい!ありゃあ市警のヘリです!」
マルコが叫んだ。
「うるせえ!奴らが何をしてるのか訊いてんだよ!だいたい、取引の前にヘリの動きを調べるように言っただろうが、あぁ!?」
「すいません……」
「兄貴。奴ら、俺達の車や顔を確認したように見えた。何をするつもりかは分からんが、すぐに屋敷まで戻ろう」
唯一、頭であるトニーに口出し出来るのは実弟であるウィリアムだけだ。
彼の言うとおり、警察が何かを仕掛けてくる前に離脱するのは懸命だろう。
バルルル……!
「な、戻ってきた!?」
ヘリの轟音が再びうなる。
さらに、今度はバレンティノファミリーに向けて上空からサーチライトを焚き始めた。
「親父!車に戻って下さい!奴ら、今にも撃ってきそうだ!」
「慌てるな、クソったれが!別に撃たれる理由が無ぇ!全員警戒したままで維持しろ!」
少数であるファミリー全員が固まり、ヘリを見上げて銃を構えたまま待機する。
バルルル……!
「なんだ……もう一機増えた!?」
そうこうしている内に、さらに別のヘリが飛来した。闇夜で分かりづらいがカラーリングが市警のそれとは異なっているように見える。
「兄貴!とどまると危険だぞ!さっさと移動しよう!」
「うるせーぞ、ウィリアム!ありゃどこのヘリだ!」
「分からない!だが、警察のヘリと仲良くランデブーしてるんだ、FBIか軍用機あたりで間違いないだろう!」
ヘリが奏でる爆音に負けじと、叫ぶように兄弟が会話する。
『投下!』
拡声器からそう聞こえた。
「!?」
後から来たヘリから、何か大きな物が落ちてくるのが見えた。
……
ガァン!!!
幸いにも誰もいないアスファルトに叩きつけられたそれは、鉄製の四角い箱のようなものだった。
表面にFBIのロゴがあしらってある。やはり不明機の正体に間違いなさそうだ。
「何だ!?爆弾か!?不発!?いや、こりゃFBIの……?」
マルコが混乱している。
「やりやがったな!撃て!撃ち落とせ!」
トニーがそう叫び、組員達の銃が一斉に火をふいた。
「撃つな!そんなもんでヘリが墜ちるか!」
すぐにでもこの場を離れたいウィリアムが制止を命じるが、トニーの攻撃命令の方が優先され、銃撃は止まない。
バルルル……!
「見ろよ!尻尾を巻いて逃げて行きやがる!」
なぜか二機のヘリが撤退していく。
トニーが豪快に笑うが、ウィリアムは納得がいかない。
カチャン。
FBIが残した鉄製の箱が音を立てた。組員ら全員が銃口を向ける。
カチャン。カチャン。
「何だ?中に犬でも入ってるのか?」
「待て、兄貴!得体の知れないものに近づくな!」
トニーが箱に歩み寄り、右手で触れる。
ひときわ大きな音を立てて箱がパタリと四方に開いた。
「なっ!」
その瞬間。
……
……
太陽が目前に出現したかのような、網膜を焼いてしまうのではないかというくらいのすさまじく白い閃光が全員の視界を奪った。