付録 人物紹介と大百科風
上段が人物紹介、下段に笑顔大百科風
<人物紹介>
・織田信雄
逆行転生した主人公の三介君。
信長の次男が大名で残ったと言う事実知識のみで生き抜く。
本編の通りだが、名門で周囲に優秀な人ばかりだったので楽にいけた。
現代人の感覚に現地人の感覚が上手い事あわさって最強に見えた。
「歴戦不敗」の「名将」で「織田家の重鎮」だけど「戦嫌い」の「愛妻家」
正室の雪姫を溺愛。
・織田信長
三介君の実父。
一般には天下人だが、当人の意向で天下人とは呼ばれない。
自慢の息子たちが活躍するのを見るのが大好き。
でも三介君が北畠として活躍するのが悔しかったから、半ば強権で織田に戻した。
海外遠征の夢を諦め、御老公として国内全踏破を目指す。
孫を溺愛。
・織田信忠
三介君の実兄。
信長の出来た長男で、後に天下人となる。
優しく秀でた家族大好き人間。
時々はっちゃけるが、緩い感じの三介君が楽で良いと思ってる。
正室の松姫を溺愛。
・織田信孝
三介君の同い年の弟。
最初は三介君を妬んでいたが、やがて開眼。
反転した結果、信雄派閥の筆頭となる。
三介君を見習うあまり少し不真面目になり、与力の信澄に絞られる日々。
神戸、三好、織田と三回も名字が変わった。
織田政権支配大名の中で、織田姓が認められた御三家の一人。
・武田信房
三介君の少し年の離れた弟。
色々あって武田の養子となり、家を継ぐ。
松姫が信忠に嫁ぐ際に頑張った。
どちらかと言うと信孝派。
・羽柴秀勝
三介君の少し年の離れた弟。
秀吉の養子に入り、九州を任される。
三介君の戦歴を拡大解釈して尊敬。
羽柴家の拡大に力を貸して欲しいと常々思ってる。
・上杉信虎
三介君の結構年が離れた弟。
幼名は大洞。
北畠の故事に倣い、上杉を乗っ取るために送り込まれた。
越後の半分を任され、兄たちの助言を元に開発を推進。
本編には幼名が一瞬だけ出た。
・津田信高
三介君のかなり年が離れた弟。
幼名は小洞。
信孝派閥の筆頭。
とは言え、当の信孝が信雄派閥の筆頭だから緩さが分かるというもの。
その他の兄弟で唯一まともに出たのは名前のお陰。
・戸沢信盛
三介君のかなり年が離れた弟。
幼名は酌。
本編には幼名が一瞬だけ出た。
・津田信貞
三介君のかなり年が離れた弟。
幼名は人。
本編には幼名が一瞬だけ出た。
・小早川信平
三介君のかなり年が離れた弟。
幼名は良好。
本編には幼名が一瞬だけ出た。
・織田雄雅
三介君のかなり年が離れた弟。
幼名は縁。
武芸が大好物で、伊賀と大和を行ったり来たり。
後に著名な武術家として名を残す。
本編には幼名が一瞬だけ出た。
・蒲生賦秀
三介君の義弟。
伊賀攻めで強さを認められたと言うのが公式見解。
明智の乱にも同行し、三介君が認める若手と言う評価。
自分は先手の将であり、総大将は信忠か信雄が相応しいと思ってる。
丹波を与えられ、信長の娘婿より信雄の妹婿と言われるのを好んだ。
信長は泣いた。
・織田信広
三介君の伯父さん。
岩村攻めで同道し、色々世話を焼いてくれたが道半ばで討ち死に。
本編では伯父さん名義で一回だけ出た。
・織田信包
三介君の叔父さん。
伊勢においてかなり補佐をしてくれて頭が上がらない。
北伊勢を伊賀の一部を領していたが、北伊勢を譲って大和へ移った。
実は伊賀の一部はまだ持ってる。
織田政権支配大名の中で、織田姓が認められた御三家の一人。
・津田長利
三介君の若い叔父さん。
信忠の家老をしていたが、娘を側室に押し込んで息子を家老に押し込んだ。
目立った活躍はないけど地味に色々やってる縁の下タイプ。
外孫の栄達を裏でコソコソ画策したが、息子に怒られ自粛・隠居した。
本編では名前が一回も出てない。
・津田信澄
三介君の従兄弟。
信孝の四国征伐に副将として参加してそのまま与力となる。
嫁は明智の娘で危うく連座するところ、開眼した信孝らに守られた。
・津田信糺
三介君の従兄弟で信澄の弟。
兄に代わって本家へ出仕。
本編では名前が一瞬だけ出た。
・津田信兼
三介君の従兄弟で信澄の弟。
信孝に仕えて信澄を助ける。
本編では名前が一瞬だけ出た。
・織田信重
三介君の従兄弟で信包の嫡子。
津川義冬の姪を娶った関係で三介君ともよく遊び、揃って嫁さんに叱られる。
本編では名前が一瞬だけ出た。
・柘植正俊
三介君の従兄弟。
父は討死した織田信治。
北畠家の家老・柘植保重とは無関係。
織田本家の旗本。
本編では名前が一瞬だけ出た。
・織田信氏
幼名は竹千代。
三介君のちょっと遠い親戚。
大名以外で残った数少ない織田姓の一人。
織田本家の旗本。
本編には幼名が一瞬だけ出た。
・津田忠辰
幼名は虎千代。
信氏の弟で、尾張織田家に仕えた一門衆。
本編には幼名が一瞬だけ出た。
・小幡正信
幼名は赤千代。
三介君に仕えた少し遠い親戚。
本編には幼名が一瞬だけ出た。
・中川秀休
通称は熊之丞。
信長の妹の子で甥にあたる縁で近侍。
何故か津々浦々全国行脚に付き合う羽目に。
本編では通称が少し出た。
・北畠具教
三介君の義父。
名門北畠家が織田家に乗っ取られると言う事に炎メラメラ。
でも意外と悪い奴じゃなかったので迷い発生。
田丸の変で三介君に傾倒。
晩年は京都で分家を興す。
自他共に認める剣豪で、その技術は甥の大河内具良と末っ子・教親に伝授された。
・北畠具房
三介君の義兄。
モチが大好きで心身ともに丸く、妹に嫌われている。
養子に入った当初、三介君の心の支えとなった。
正室はいないけど息子がいる。
三介君が織田姓に戻った時、自分も織田姓を名乗ろうとして雪ちゃんにマジ切れされた。
・長野具藤
三介君の義兄になるが自害。
色々あったらしい。
・北畠親成
土岐氏出身の養子で黒い蟠りを抱えた人。
具藤を巻き込み利用した揚句、田丸の変で粛清された。
・北畠具雅
三介君の義弟で幼名は徳松。
良く懐いたが、成長に従い性格は捻くれた。
鳴戸衆と縁を結び忍びの術を体得。
家臣筋の分家を興して伊賀を領した。
後に、伊賀で忍術テーマパークを三介君と共に立ち上げて嫁さんに怒られる。
・北畠教親
三介君の義弟で幼名は亀松。
良く懐いたが、自分だけ伊勢から出されて不満たらたら。
実父の跡継ぎよりも義兄の元に居たかったのが本音。
剣術を修めて京都北畠当主に。
・木造具政
三介君の義理の叔父さん。
元より織田に近く兄と対立していたが後に和解。
娘を側室に入れて別の意味で対抗を続ける。
彼女が生んだ子が神戸家の跡取りになり、感慨深い気持ちになった。
・大河内具良
三介君の義理の従兄弟にして側近。
元々特に絡みはなかったが、弟弟子に剣術指南。
その縁で妹が側室に入り、当人は旗本筆頭となる。
面倒そうだったので家老職は断った。
・坂内具義
三介君の義兄弟候補だったが疎遠。
親成に加担し、田丸の変で粛清された。
・織田掃部
三介君の家老にして側近。
尾張から付いて行った一門衆で、後に筆頭家老。
どんな無茶ぶりにも対応し、家中の尊敬を一身に集めた。
三介君の尊敬する人第二位になってると専らの噂。
どこかの実父が歯噛みしたとか。
雛田を陽として養女にしたので、三介君との絆がより深まって喜ぶ。
陰日向に活躍し、当人は終生織田姓を許された。
次代からは津田姓に改めるよう遺言し、子孫は関係先全ての家老職を世襲する。
・津川義冬
三介君の家老にして側近。
尾張守護斯波氏の一族で家中随一の名門。
頭が良く、説明役として三介君からの信頼度は常に高止まりし続けている。
掃部引退後に筆頭家老就任。
三介君とは相婿で義兄弟で一門衆。
真の主人公と言っても過言ではない。
・鳴戸佐助
情報集団・鳴戸衆の頭目で三介君第一主義者。
最初の呼び掛けに応じた伊賀衆の一人で元の身分は低い。
三介君はしょっちゅう泣いてると思ってるけど、普段は無表情さに定評がある。
妹分が側室に上がった時も泣いて喜んだ。
・百地丹波
伊賀の領主で忍術の達人でもある。
北畠家老衆の地道な呼掛け努力と三介君の緩い感じに戸惑った。
親しげに「ももちー」と呼ばれることに喜びを覚え、ちょっと中毒気味に。
趣味は娘自慢。
後に外孫が信長の護衛役に推挙され、歓喜驚愕後卒倒。
・柘植保重
重臣だが家老として中堅どころ。
津川義冬に席次で抜かれてしまったが、まあいいかと諦めた。
伊賀攻めを具申するなど、最初の頃は野心旺盛だったが。
従妹を側室にと望むも僅差で敗れ、しかし諦めずに後々…。
・分部光嘉
伊勢長野一族。
織田信包の家臣だったが折り合い悪く、出向後に転籍して家老に。
叔母を側室にどうかと思ったが流石に自重した。
・柴田勝家
織田家の重臣。
信孝派で三介君のことはどうとも思ってなかったが、明智の乱で認識を改めた。
遅くに出来た実子を溺愛。
養子二人は気を利かせて分家した。
・丹羽長秀
織田家の重臣。
伊賀攻めで三介君をちゃんと認識。まあまあかな。
四国征討軍の副将として信孝に従う。
明智の乱で完璧に認め、己の不明さを恥じた。
息子が討ち死にした信広の領地を継承し、準一門として扱われる。
・滝川一益
織田家の重臣。
甲賀の出身で忍者に理解がある。
ただ自分は忍者じゃない、いいね?
信房の与力として関東出兵、武功を上げたけど本音は隠居したかった。
・羽柴秀吉
織田家の重臣。
実子が無く信長の息子を養子に迎えた。
明智の乱を見て、どうにか三介君とも縁を結びたいと願う。
毛利戦で功を挙げ、援軍に来た三介君にやたら丁寧に労われた。
・羽柴秀長
織田家の家臣で秀吉の弟。
中国平定において三介君に優秀な弟と言われて喜んだ。
・黒田官兵衛
羽柴家の家臣で秀吉、秀勝に仕える。
歴戦不敗の三介君と軍略について語り合いたいと願っている。
・明智光秀
元織田家の重臣。
色々焦って謀反に及んだ揚句失敗、滅亡。
息子は出家、娘たちは連座を免れた。
・細川忠興
織田家の重臣。
名門細川の流れを汲むがあまり気にしてない。
嫁は明智の娘で一旦幽閉したが、信忠により許された。
・徳川家康
織田家の同盟者、後に重臣。
明智の乱を見て潮時と感じ取り、自ら臣従。
北条家との橋渡し役となる。
・武田勝頼
織田家にとって強敵だったが、徐々に追い詰められる。
松姫との縁を頼りに和睦、隠居。
武田家は養子の信房が継ぐ事で滅亡を免れた。
・武田信豊
武田家の重臣。
勝頼の従兄弟で和睦のお礼に上洛。
知らないうちに明智の乱が起こって終わってた。
驚愕して娘の一人を三介君の側室に入れてみたり。
・穴山梅雪
武田家の重臣。
圧迫されるにつれ、独自に降服の道を探ったが本家が先んじた。
諦めて一門衆筆頭として上洛し、無事に帰還。
伊賀なんて行った事もない。
・雪姫
北畠具教の娘で三介君の正室。
キリッとした可愛い系でヤキモチ焼き。
国司の系譜を引く武家の娘として、高い教養を身に付けている。
伊勢物語のファンで解釈注記についてこれた三介君に惚れた。
特技は薙刀とボディブロウ。
三介様と呼ぶ。
・小姫
三介君と雪ちゃんの長女。
母から受け継いだ美しい黒髪がトレードマークで誇りに思ってる。
いつまでもイチャイチャする両親に若干辟易。
でもちょっと羨ましい。
嫁に行くとき三介君に全力で泣かれる。
・三法師
三介君と雪ちゃんの長男。
信長が孫一号に温めて来た最高の名前を付けた。
でも色々あって信忠の長男も同じ名前になってしまう。
奇妙な縁もあり、従兄弟の同士仲は大変良かった。
彼の家系は織田尾張中将家と呼ばれる。
・三松丸
三介君と雪ちゃんの次男。
三介君が織田姓に戻ったため、分家して北畠姓を継ぐことに。
彼の家系は北畠伊勢少将家と呼ばれる。
・津姫
津田長利の娘で三介君の側室筆頭。
ホンワカした可愛い系だけどしっかり者。
側室の分限を守りつつも、雪ちゃんに対して一歩も引かない強者でもある。
津田ちゃんは愛称。
三介様と呼ぶ。
・杜姫
大河内具良の妹で三介君の側室二号。
序列は第三位で依ちゃんの方が高い。
奥床しい佇まいに人気があるが、裏では忍者してる。
側室の中で二番目に強いが、側室に必要な強さじゃない。
スラッとした体形だが抱き心地は良い。
三介様と呼ぶ。
・依姫
木造具政の娘で三介君の側室三号。
序列は第二位で杜ちゃんより高い。
側室に選ばれた時はまだ幼く、輿入れが先送りされた経緯がある。
胸が大きい。
三介君との間の男子が信孝の養子となり、神戸家を継いだ。
安土に住まい、松姫の話相手も務める。
三介様と呼ぶ。
・陽
鳴戸佐助の妹分で三介君の側室四号。
旧名雛田で側室に上がる際に改名、名付けは三介君。
養父は掃部だが鳴戸衆出身だけあり、とても強い。
艶っぽい中にある可愛らしさがストライクだった。
三介様と呼ぶ。
・於静
三介君の側室五号候補。
まだ誰にも言ってないけど確定してたが、彼女の他にも何人かいる。
中将様と呼ぶ。
・松姫
武田信玄の娘で信忠の正室。
長らく文通で遠距離恋愛してた。
織田と武田が敵対すると破局しかけたが、信忠の情熱と掃部の頑張りで無事に結ばれた。
安土で太平記を愛読。
・満姫
塩川伯耆の娘で信忠の側室。
通称みっちゃん。
信忠が真っ先に紹介したのは三介君だったため、今でも仲が良い。
・織田三法師
信忠とみっちゃんの長男。
信長が満を持して名付けた織田家の嫡子。
後に三介君が織田姓に戻ったせいで、従兄弟も織田の三法師になってしまい苦笑した。
・鹿丸
鳴戸衆の次長で佐助の右腕。
手毬と結ばれた。
・長次
鳴戸衆の一員。
具雅に付いて忍術を伝授した。
・伊野
鳴戸衆の一員でクノイチ。
杜ちゃんの侍女として色々伝授。
情報通で伊勢の青葉とも呼ばれるが、理由は不明。
・瓦井
鳴戸衆の一員。
熱血漢。
・捻子
鳴戸衆の一員で雛田改め陽の従兄。
実力者だが口下手。
陽の側室入りに陰で泣いていたらしい。
・手毬
鳴戸衆の一員でクノイチ。
鹿丸と結ばれ、里で子を育てる。
・一角
鳴戸衆の一員。
やや年長で妻子あり。
信長のお供に角さんとして参加。
・助蔵
百地丹波の外孫で剣も達者。
信長のお供に助さんとして参加。
後に漫遊記を出版し、名声を得てしまった。
褒美として望月姓を貰う。
※妹たちは省略
徳姫、冬姫、秀姫、藤姫、永姫、恩姫、辰姫、光姫、月姫、鶴姫、明姫
* * *
<笑顔大百科>
単語記事 【織田 信雄】
織田信雄は、戦国時代の武将・大名。
安土時代を築き上げた織田信長の次男で天下人・織田信忠の実弟。
割と良く見かけるチート武将の一人。むしろ筆頭。
・概要
「歴戦不敗」の「名将」で「織田家の重鎮」だけど「戦嫌い」の「愛妻家」で有名。
「剣と忍が合わさって最強」な「織田家の重鎮」にして「伊勢の引きこもり」でもある。
あとは「メリハリ名人」や「三介殿のなさる事よ」もよく聞く。
側室の数は戦国屈指で子供の数も同じく。
名門のなんたるかを体現した奇跡の人。
・補足
通称は三介。
正式な官職は従五位下侍従、従四位下左近衛権中将、従三位左近衛中将、最終的に従二位内大臣を得る。
織田政権下での公式な尊称は尾張内府様。
私人としては三介の通称を好んだとされる。
幼名は茶筅。
北畠具豊→北畠信具→織田信雄と、何かやらかすたびに改名した。
出世魚か!
ちなみに内大臣は大功ある信雄のみに贈られたもので、後に彼の嫡流は尾張中将家と呼ばれた。
次男は分家して北畠家を継いで伊勢少将家。
元服前に伊勢の名門・北畠家の婿養子となり、その当主となる。
それまでは少々呆け気味で密かに将来を心配されていたが、北畠家当主となるや突如覚醒。
なお、呆け気味だったのは周囲を見極める演技だったという説もあるが、流石にどうだろう?
剣豪として名を馳せていた義父・北畠具教に師事し剣術を修める。
やがて反体制派の北畠一門を粛清したが、その際は犠牲と影響を最小限に留めた。
この時実父・信長と直接対決し、堂々と自分の意見を主張し認めさせたという。
以後、彼の意向は何かと注目されることとなる。
正室は北畠具教の娘・雪姫。
太平記や伊勢物語などの故事に通じ、講釈を通して北畠家中に浸透していく。
雪姫との夫婦仲は円満を極め、周囲の者がたじろぐ程であったと言う。
お陰ですぐに第一子・小姫を授かる。
続けて嫡男・三法師、次男・三松丸も雪姫との間に出来た。
最終的に四男三女に恵まれたが、一人で七人ってどんだけ…。
戦国武将でありながら、戦に出るより家族と過ごすことを好んだ。
そのせいで弟・信孝は当初その惰弱さを嫌っていたと言う。
極めて理知的で穏やかな信雄は戦を嫌い、可能な限り犠牲を減らすことを目標に掲げている。
彼が参加した乱において、連座を極力排した事実からもそれが伺える。
余談だが、一連の流れを記した「三介殿のなさる事よ(感嘆)」は、シリーズ化され人気を博した。
戦は好もなかったが怠惰ではなかったようで、剣豪として知られた義父・北畠具教に剣術を習い、
武芸の稽古を休むことはなかったと言う。
その実力は、旗本筆頭で兄弟子にあたる大河内具良をして「なかなか」だったらしい。
筆者は正直微妙かもと疑っているが、定説では剣の腕は一流と言う事になっている。
個人の武力はともかく信長や信忠に従い一軍を率いて各地を転戦。
己の采配は未熟と称し、優秀な部下に任せつつ責任は取る事を明言。
感じ入った部下が実力を発揮したこともあり、初陣から生涯に渡り不敗を貫いた。
この辺がチート筆頭たる所以の一端。
そして、信雄と言えば避けては通れない其の一・伊賀攻略。
当初、家老の柘植保重から伊賀侵攻を打診された時は言下に却下。
理由は面倒と嘯いたが、食い下がる柘植に対しては折れて懇切丁寧に教授する。
まずは前準備、情報を得たり調略を施すことが大事だと。
柘植は己の不明さを恥じ、また他の家老たちも感じ入り全力を尽くす事を約した。
この頃、後に鳴戸衆と呼ばれるお抱えの情報集団が結成される。
信雄直属で彼の目となり手足となった伊賀者たちだが、最初は周囲に理解されなかった。
しかしすぐに無理解は感嘆にとって代わる。
伊賀攻略は信長の指示で始まった。
織田家から続々と援軍が集う中、信雄は鳴戸衆を使い家老たちと事前の準備を進めて行く。
そして百地丹波など、忍びの心得がある豪族たちを懐柔して手中に収めた。
戦にも信雄が総大将として出陣したが、所詮は後片付けに過ぎないものであったと言う。
また、活躍した妹婿の蒲生賦秀を認めたとも言われる。
こうして南伊勢と伊賀の大部分を制した信雄は、これで家中が整ったと大いに満足した。
しかしその本当の意味を知る者は、この時点では誰もいなかった。
その意味とは、即ち信雄と言えば避けては通れない其の二・明智の乱。
この項目見てる人は大体知ってると思うが敢えて言おう。
なんだこのチート野郎。
簡単に言うと、信長の信頼厚く権力も大きかった明智光秀の謀反を容易く鎮圧したと言う事。
未然に防いだのでもなく、頑張って対抗した訳でもない。
それはもう、見事に容易く鎮圧。
あまりに鮮やか過ぎて、当時の意見が二つに割れた。
一つは信雄が明智光秀と共謀していたという説。
もう一つは、とにかく信雄が優秀過ぎるという説。
今では後者が定説だが、前者を題材にした物語も数多く出版されている。
当時からして信長は前者を疑ったと言うのだから相当だ。
信忠が後者を推して場は収まり、織田政権の確立に至ったのだから間違いはないと思われる。
あとはまあ、信雄が明智光秀を唆して意図的に滅ぼしたと言う説もある。
でも信雄が事前に集めていたソースから、それを信忠に報告していた事実から定説は覆らないだろう。
ともかくこれで、織田家の一門重臣からの評価は極まった。
それまで隔意を持っていた弟の信孝なんぞ、一気に反転して信雄信者になってしまった程に。
明智光秀を滅ぼした信雄は、そのまま羽柴秀吉の援軍に赴き毛利を降す。
先手は蒲生賦秀であり、信雄が直に同行を認めたと言う。
そして明智の乱から中国平定までを一連の功として認められる。
信長より織田信雄の姓名を与えられ、信忠から伊勢・伊賀・尾張の三ヶ国を与えられた。
その後の天下統一事業には援軍として参加。
基本的に伊勢から動かず、他の将へ手柄を譲った。
信長は天下統一後に海外遠征を計画していたとされるが、信雄の意見を聞いて方針転換。
国内を富ませることを念頭に、信忠に全てを譲り隠居した。
信雄も度々隠居を願い出たが信忠は許さず、国政に関与させ続けた。
余談ながら、信長が全国行脚をしたのは創作ではなく事実。
忍者を従え内偵を続ける天下人の父と言うのは、中々にインパクトがある。
これを進言したのも信雄だったと言う。
物語として出版し、事実を隠したのも含めて凄い政治力だと感心せざるを得ない。
以上、信雄自身の記録は織田掃部により「信雄公記」にまとめられた。
題名は「北畠軍記」の予定だったが、信雄が織田氏に戻ったため断念したという逸話がある。
・フィクション
沢山あり過ぎて困る。
主に正義の主人公と中庸の助言者、悪の黒幕の三種類に別れる。
映像やゲームは大体正義のチート。
書籍では黒幕側に居ることもある。
但し、黒幕でも敵じゃないことも多い。
だって敵対したら勝てないんだもん。
信雄を表す帯広告「歴戦不敗」これが特にヤバい。
どうしようもない。
・剣術家
先述したように、剣の腕は一流であったらしい。
だが、信雄が残した日記には北畠具教や大河内具良に全然勝てないという記述もある。
謙遜だろうか。
・忍術家
忍者への理解が高く鳴戸衆を擁す信雄だが、実は側室の一人が鳴戸衆の出である。
また、弟・北畠具雅も忍術に通じており、かの家は一体どうなっているんだ。
家臣の百地丹波なども信雄に心酔しており、さては信雄本人も…という説もある。
但し、信雄が忍術を体得していたと言う史料は存在しない。
・その他
他に何かあったら追記します。
筆者:津田満胸(P.N)
人物紹介は後世現世の評判を兼ねて作ったものを流用。
wiki風はどうあがいても無理なので、某大百科風にてお茶濁し。
尚、大百科風は言い回しや誤字も含めてネタなのです。と強弁。
何か書きモレあったら追記します。
レビュー頂きました!
ありがたいことで、つい調子に乗ってしまいそう。