四月 入学と理由
突然だが俺は大学生が嫌いだ。
その名を聞けば体中に虫唾が走り、あの姿を想像するだけで殺意が湧いてくる。
およそ好意というのを持ち合わせていない。
そして、俺がそんそんな邪険な態度を取るのにも理由があった。
生活面においても、社会面においても、学習面においても、その全ての面において大学生には好むべく点が存在しない。
奴らは、自堕落で、常識知らずで、無節操。
出来る事なら、その存在を抹消したいほどに有害な存在だ。
とりあえず、大学生を見たらいつも持てる限りの恨みと怨念でもって接するようにしている。
しかし、だと言ってこれは断じて俺が浪人生だから考えているというわけではない。俺は純粋にピュアな気持ちで大学生が嫌いなのだ。心の底から大学生が嫌いなのだ。
おそらく大学生になっても大学生を嫌いでいるだろう。
だから断じて浪人故の嫉妬ではない。
という訳で俺は、今日も今日とで大学生への恨みつらみを念じながら勉強に没頭する。
いつの日か、奴らを滅ぼすために。
「どうやって、滅ぼすんだよ。」
と隣からの冷静な声に俺は正気を取り戻した。
目をやると、いかにも知的でインテリそうな眼鏡男、師道 光太郎がノートからは目を離さず口だけを動かす。ちなにみこいつも二浪だ。
「思考が一回一回駄々漏れだたぞ、もしそれを自習室だやったら即退室だからな。」
と非常に朗らかな会話が部屋に響く。
俺達は今現在、ここ磐台予備校の最上階のリラクゼーションルーム、通称『堕落の間』にいる。
そこでやるのはもちろん勉強。浪人には勉強しかないからね。
ムムムッ
師道の的確な注意に眉を潜めつつ、俺は自分の所業に恥じ入る。
どうやら、胸の中の熱き感情が外に漏れていたらしい。大学生のことを考えるとどうも自制が聞きづらくなる。
これはいけない。
浪人は常に冷静であるべし。
予備校生の格言である。
浪人してるという事は、それすなわちそれだけ経験を積んでいるということ。
日々の生活から余裕を持っていれば、受験でも変に緊張したりもしない。
つまり受験戦争は既に幕を切ってているのだ。胸の中の邪念全てを敵だと思い、気を引き締めなくては。
「おっと、いかんいかん。俺もまだまだ青いな」
とニヒルに答え、再びペンを走らせる。
口を動かしつつも、手は絶対にとめることはない。勉強しか許されていない浪人生にとって勉強することこそが生きている意味になる。そんなあるべき浪人像を今一度思い起こしながら、今はただ必死で手を動かし続ける。
それから二時間、ばっちり最高に集中して数学の問題を解き終えると特に示し合せることなく俺達二人はペンを置いた。
気持ちが切れると自然に口も開く。
「それで、どうだったんだ?ここの入学試験は?」
「まあまあだな。」
「あー、ダメだったか。仕方ないな、ここは予備校の中でも敷居が高いから。」
「誰もダメとは言ってないだろ。そこそこペンは動いたぞ。」
しかし、中々に手ごたえはあった。様々な模試を受けてきたこの俺を唸らすとは称賛に値するといってもいい。
「あれは入学試験だぞ、そこそこじゃダメだろ。」
「まあ、それを差っ引いても50万は固いだろ。」
「言ったな、結果が楽しみだ。」
どこの予備校もそうだが、入学する前に試験を受けさせその結果次第では学費が一部免除されることがある。
もちろん、金銭的な事が関わっているため誰もが本気で受けてくるわけで、かくいう俺もその試験を今日受けてきたわけだ。
結果に関しては、まあノーコメントだが……
「でも、いいよなお前は何もしなくても50万免除だろ。」
「それは、去年もここだったし、俺は成績も良かったからな。」
師道は眼鏡を持ち上げつつ答える。
そう、この学費の一部免除制度は出身高校や志望大学、はたまた二浪であればリピーターという理由でも適用されるため師道みたいな同じ予備校の二浪は試験を受ける必要がないのだ。
ちなみに、五十万免除とはここ磐台予備校では最高免除額である。
総額が90万前後だと考えるとこの金額は結構な額と言えよう。
現金な話ではあるが、親の脛をかじっている以上もちろん無視などはできない。
「ところでだが、入学試験を受けたって事は、お前はホントにここに入学するんだな。」
確認するようなその口調。
昨年とは違う予備校に入ろうとする俺に気でもかけているのだろうか。
「一応、あっちのチューターとは相談した。その上での判断だ、今更変える気もねえよ。」
と素直に応じた。その理由は色々あるが、俺はその中で一番のものを口に出した。
「それに目の前にいい感じに使えそうな情報源があるからな。お前も少しは人のためになるような人間になりたいだろ。」
「そのセリフを同じ浪人には言われたくないな。」
予備校の知識に精通した人間がいるというのは、その予備校で過ごす上でかなり大きいアドバンテージだ。
高校とは違って様々なルールや暗黙の了解がいくつか存在する予備校。
例えば、趣き一つとっても入学して早々にクラス別のキックベース大会(公式)をするようなところもあるのだ。
そういった風潮は、事前に聞くか感じ取るかしないと中々に察することが出来ないし、察せないと馴染めないこともある。
また、それ以外にも穴場の自習スペースや夏期講習や直前講習での講師の選び方など何かとタメになる情報を気軽に聞ける人間は近くにいると非常に助かるのだ。
友達は利用するためにある。
以前の予備校で俺が教わった金言である。
「本当にそれだけか?」
何だか、妙に今日は粘着質な師道に俺は答えあぐねる。
本音話すとそれがすべてという訳でもない。
磐台を選んだもう一つの理由、それは気の知れた友人、つまり師道がいるという事実に他ならない。
浪人とは孤独だ。
一年365日、勉強に明け暮れ常に受験の事のみを考えて生きていかなくてはいけない。
ただ理想としてはそうあるべきなのだが、しかし浪人と言えど所詮は人間だ。
普通にしんどい時も、やってられない時もある。
そんな時に、支えになるのが同じ友人と言う名の戦友になる。
同じ浪人であれば、互いにその悩みも共有できるし励まし合うこともできる。
別段、特別な事ではないがこれが意外にも大きな要因たりうるため、あまりバカには出来ないのも事実だ。
「それに、まあ、なんだ。新しい環境の方が心機一転できるだろ。」
流石に恥ずかしくて本音は漏らすことはせず、それっぽいことでお茶を濁した。
いや、別に照れてるわけではない。単純に言うのが気持ち悪いのだ。
浪人同志の傷のなめ合いなど、見ても誰も得しない。
結局は理由などどうでも良い。
閉ざされた環境では、気軽に話せる奴がいると良い。
つまりはそう言うことだ。
他に理由はない。
「はあ、それにしてまた一年か。しんどいな~~。」
といつもの愚痴をこぼし話題を無理やり転換させる俺に師道も賛同する。
「そうだな。」
愚痴も聞く相手がいるからこそ、意味がある。
そんな当たり前のことを実感しながらも、束の間の休息は少しずつ過ぎていった。
「おっと、もう時間だな。」
不意に師道がそうつぶやく。
言葉につられ壁の時計に目をやると、時刻はすでに一時間ほど経っていた。
体感では十分程だったが……これも人と話す機会の少ない浪人の性なのだろうか……
「なら……っと、そろそろ帰るかな……。」
俺はその場で大きく伸びをして肩の凝りをほぐす。
久しぶりに人間とまともに会話した気がする。
今まで、問題とばかり対話してたからな……いい刺激になったはずだ。
浪人生は全てのことに意味を含ませるから、どうも言い訳っぽくなっていけない。
「授業は来週からだからな、まあ今週位はゆっくりしてもいいだろ。」
師道はそう言いつつ、鞄を取り上げる。
「でも、あんまり油断はすんなよ。特にお前みたいな一郎でやり切った奴は二浪目で燃え尽きやすいって言うからな。」
その言葉に少し、ドキリとする。
前科のある俺にとってはそれもあり得る。
「ば、バカ言え。俺はそこら辺のビギナーと違って根性が座っているんだよ。受かるまで終われねえよ。」
「……まあ、それもそうか。なんせお前を待ってる人間がいるからな。」
という師道の目は少し冷たいような気がする。
なんだろう、こいつ。
落ちたショックで少しおかしくなったのかな。
「なら、今年は受かるように頑張らないとな。」
そんな当たり前のセリフと共に席を立つ師道に俺も続く。
結局、師道の言葉の意味は今いちピンと来なかったが、それでも燃え尽きやすいというのはホントの事だ。
気を抜きすぎると堕落という暗黒面に落ちてしまう。
そうなってはニートと言う名の暗黒卿になってしまい、二度と俗世には戻れなくなるだろう。
それはまずいな、社会的にも、浪人的にも。
如何せん、そんな人間を少なくない人数見てきた俺にとってはあまり冗談で済まされない話でもある。
ここは気を引き締めなくては。
「そんじゃ、俺は帰るけどお前はまだ用事とかあるのか?」
「あっそう言えば、受付でクラス申請の手続きがあったな。ちょっと行ってくるわ。」
危うく忘れるところだったが、まだ手続きが残っていた。
この時期は色々と面倒なことが多くてちょっと忘れがちだった。
「なら、俺は先帰るぞ。」
「じゃあの。」
そんな適当な挨拶を終え、俺達はバラバラになる。
少し味気ない気もしないでもないが、楽しい時間は少ないくらいでちょうど良い。なんせ俺達は浪人なのだから。
やるべきことを受け付けで済ませて、ようやく俺も帰路に着こうとする。
予備校は基本、遅くまで開いているが受け付けはその限りでもないため、この時間の受付には駆け込みで多くの人がいた。
どいつもこいつもみんな無邪気な顔をしているが、これから一年でホントの地獄を経験することだろう。
はてさて、何人が正気を保ってられるか……
とそんな事を邪悪な笑顔を浮かべて考えていると、人とぶつかってしまった。
「おっと……」
「ああ、すいません。」
「あ、いえ。」
相手は抱えていたパンフレットのようなものをいくつか落としてしまう。
「これは、これは……」
ゆったりとした穏やかな口調は聞いていて妙に安心感を覚えるようだ。
その相手は老人だった。
白い髪を綺麗に掻き分け、白い髭がうすっらと伸びるまさに出来るおじさまと言った感じの隙のない身のこなしの老人。
俺はすぐにその場にしゃがんで、紙の束を拾い上げそして目の前の老人に渡した。
「これはこれは、ありがとうございます。」
「いえ……」
適当に相づちを打ちながら、その子供か孫を探すも姿が見当たらない。
「では、これで。」
と丁寧なお辞儀をして立ち去る老人の姿を見送りながら、俺は講師か関係者なのだろうと勝手な憶測を浮かべ、その日は予備校を後にした。
春は出会いの季節……そんな使い古された文言が何故か、今は不思議と頭の中を駆け巡っていた。
ちなみに後日、帰って来た減額通知書には『三十万減額』の文字があった。
世知辛え。