十話 異端
その家はさっきまで俺の道を遮っていた崖の上、海を一望できるような場所にあった。
「すごいな、この景色は」
「でしょう。 僕の妻が住むならここがいいと言ったもので」
「あの女の人、あんたの嫁だったのか」
「……ええ。ここで話するのも何ですし、中に入りましょう」
俺は彼の提案に従い、家へと入る。
――――――
家の中は綺麗に整えられてはいるが、生活味に溢れていた。
適当な椅子に腰掛けてくださいと言われ、断る理由もないので座る。
男の方も手近にあった椅子を引っ張ってきて俺の目の前に腰掛ける。
「それでミツユキさん」
「ん、なんだ?」
「あなたは、あの魔女の森を、本当に抜けて来たんですか?」
魔女の、森?
あの森は、そんな名前がつけられていたのか。
「看板があったけど、あの森はそんな名前だったのか」
「知らなかったんですか?」
俺の言葉でさらに訝しげにこちらを見据えてくる。
「それで、あなたがあの森を抜けてきたという証拠はあるんでしょうか」
「証拠って言ったって……、そんな物騒なもんでもなかったし、スルッと抜けてきたもんだから何もーー」
あるじゃないか、スティアに貰った物がたくさん。
「そうだ、このカバンの荷物は、その森にいたスティアという人……、いや魔族から貰ったんだ」
彼女は人ではなく、魔族。
俺は未だに釈然としない思いでいっぱいだった。
彼女は人ではないというのに、何故あそこまで人間と同じ姿なのか。
「魔族の……、それは女性の方でしたか?」
「ああ、そうだが」
「そんな、魔女に会って無事に森を抜けて来るなんて……。あの森は、入ったら最後、死ぬまで出て来られず、魔女に捕まれば命を吸い取られるという伝承がある程の危険な森なんですよ」
そんなに恐ろしい森だったのか。
「でもそんな恐ろしい奴は居なかったし、俺は無事に森を抜けてる。その伝承って奴も、デタラメなんじゃないのか?」
「ですが……」
まだ納得してないのか。
どうしたものか。
「そういえば、その荷物に括り付けられた本は?」
「ん? これは魔導書って物らしいんだが、まだ俺には使い切れなくてね。宝の持ち腐れみたいになってしまってるな」
「魔導書? あなたは魔法が使えるのですか?」
一層の食いつきをみせる男に、俺は黙って頷き、覚えたての魔法を使って見せる。
手のひらの上に、小さな火の玉を出す程度しか出来ないが、目の前の男を納得させるには十分なようだった。
「魔法が使える人間は、アトロンやミューリにはなかなかいません……。あなたは本当にマニカの方から来られた方なんですね」
アト……なんだって?
男は興奮気味でまくし立てるように言ったのでよく聞き取れなかった。
恐らく聞き取れてもわからないことに変わりはないだろうことは大体予想はつくが。
「何度も繰り返しお聞きして申し訳ありませんでした。私はどうにも他人を信用することができなくなっていまして」
「他人を信用できない、か」
それは俺もわかる。
……気がする。
どうにも過去が思い出せないというのはむず痒い。
ずっとこうなのだとしたらかなり困る。
それに誰かが、俺の記憶がどこに行ったのかという疑問に答えをだしてくれることはない。
どこかから、ごめんねと謝るような声が聞こえた気がした。
神がいるのなら、俺の記憶を戻してほしい。
いや、その前に元の世界に戻してもらう方が先か。
「それで、あんた達の抱えている問題って、一体なんなんだ?」
「聞いてくれるんですか?」
こちらもさっきは舟に乗せてもらったりして助けてもらったのだ。
ギブアンドテイクってやつだ。
「じゃあ、お話させてもらいます。ミーシャ、この方に何かだしてあげて」
そう言われ、ローブをかけた女は台所へと姿を消す。
「あんたの嫁さんは、何故あんなローブをかけてるんだ?」
男はよくぞ聞いてくれたとばかりにこちらに目を向ける。
「それについてもお話します、彼女に関わる問題でもありますから」
「どうぞ、ハーブティーです。 お口に合えばいいんですけど」
「あ、どうも」
「ミーシャ、こっちに座って。 この人に、話しを聞いてもらおうと思うんだ」
「あなた、本気なの?」
「彼は、マニカの方から来られたそうだ」
「マニカから?」
そうしてミーシャと呼ばれた男の嫁はこちらをみる。
やめてくれ、こっちをみるんじゃない。
俺にはその"マニカ"とやらがなんなのかがわからないんだから。
だが恐らく俺は期待されている。
救いの手を求められている。
わざわざ無下にする必要もないし、適当に話を合わせておこう。
「そう、俺はマニカからやってきた旅人だ。 さっきの恩返しでもあるし、俺にできることならなんでもするよ」
「ありがとうございます! ほらミーシャ、もうそのローブ脱いでもいいよ」
男がそう言うとミーシャは羽織っていたローブを脱ぐ。
そこにあったものは、
「羽が、生えてる……」
彼女の腕からは羽毛が生えており、さながら鳥のようにみえた。
「もうお分かりかもしれませんが、ミーシャは魔族なんです」
魔族。
人間とは似て異なる存在。
だが、
「えっと、それで問題というのは」
それがどう問題なのかが俺にはわからなかった。
「ミツユキさんは、人間と魔族の番に対して何も思わないんですか?」
「いや、その。 なんて言ったらいいんだろうな」
またこの感じ。
あたかも人間と魔族は相容れない、それが決まりであるかのような考え方。
スティアも最初、俺に対して魔族は怖くないのかと聞いていた。
これは一体なんなんだろう。
「俺にはその、人間と魔族っていう区別の仕方がイマイチしっくりこないんだよ。 同じ生き物だろ? だったら人間と魔族の夫婦がいても俺はいいと思うけど」
世の中には同性が好きな輩もいるくらいだしな。
「……そう言ってくれる方が、人間にいただなんて」
そう言って男は泣き出してしまった。
「あなた……」
「お、おいおい。 何も泣かなくても」
しばらくすると、男は落ち着いたのか、こちらに再び真剣な眼差しを向け、静かに語り出した。
「僕達は、追い出されたんです」
「追い出されただって? どこから」
「ここからすこし離れたところにある村です」
男はグッと拳を握る。
「僕はある日、彼女と、ミーシャと出会った。 そこで僕達は意気投合し、恋仲になり、結婚しようということになったんです」
「ところがある日、村の皆の態度が一変したんです。何があったのか親に聞いてみても、拒絶されました」
「後で知ったことですが、村の誰かが僕とミーシャが仲睦まじくしている様子をみたそうです。それが村の皆に伝わり、僕は、魔族に魅せられた異端扱いを受けました」
「親には、家を出て行ってくれと言われ、村の皆には、お前は人間じゃない関わらないでくれなんて罵られました」
「僕には、村を出て行く他、方法がありませんでした」
俺は黙って彼の話を聞いていた。
彼にかける言葉が見つからないから、ではなく。
俺は言いようのない、体の奥から湧き上がる思いを抑えるのに必死だったから。
「昔は、皆あんな風じゃなかったんです」
「どういうことだ? 昔はどうだったんだ」
「人間も魔族も分け隔てなく、暮らしていたはずなんです。 村の近くにも森があるんですが、そこにも魔物がいて、だけど別段害があるわけでもなかったんです」
「だけどある日突然、魔物達が僕達を襲うようになったんです。そして、ちょうどそのくらいの時期に、大国の方から司教がやって来られたんです」
「大国? 司教?」
「あぁ、ミツユキさんはマニカから来られたからあまり知らないかもしれないですね。大国というのは、アトロン大陸にある大きな国家です。 そして司教は、その大国で神の教えを説いているお方だそうです」
「神の教え、ねえ」
胡散臭さが半端じゃない。
「その司教は、村の者達に魔族や魔物には近寄らないように言ったんです。アレは我々とは違う存在、異端なのだからと」
ただの決めつけじゃないか。
「そんなのを、村の奴らは信じてるのか?」
「はい、司教の力で魔物達の騒ぎも鎮まったので、あの方の言うことを村の皆は信じきっています」
「なるほど、あんた達の事情は大体わかった。 だけどまだ肝心の問題が何なのかを聞いてない」
「僕の話を聞いてくれただけでもかなり助かりました。 やはり、僕達の問題は僕達で解決するべきだと」
「おいおい、ここまで話しておいてやっぱりやめますなんて、後味が悪すぎる。ちゃんと話してくれ」
「そ、そこまで言うのなら」
男は咳払いをして、口を開く。
「ミーシャの仲間を、助けて欲しいんです」