八 黒髪姫、騎士になる
「君ねぇ。分かってるんですか? こちとら貴族様と王子様とお姫様ですよ?」
キレニアは口調こそ丁寧だが、脅すような内容の言葉を口にする。
「勿論、分かっております。分かっておりますが、こちらにも法規や規則がございますから致しかねます」
若い痩せた小柄な役人は丁寧に慇懃に対応しながらも、はっきりと拒絶してみせた。
キレニアは苦々しい顔をする。
「石頭ですね」
「役人は石頭なものです」
皮肉を言ったつもりが、即座に言い返されて一瞬黙る。
「……言いますね」
「どうも」
2人はさっきからそんなやりとりを延々と続けていた。
「あのー。さっきから何をやってるんですか?」
「ちょいと難しいことだ」
キスの言葉に兄のユーサーが無表情で答える。
「ですからね? 今は緊急事態なんですよ?」
「閣下、緊急事態だって言ったら何でも通ると思ってませんか?」
キレニアはいつもの笑顔を失くして無表情で沈黙する。2人は暫し見つめ合うというか睨み合う。
「あれが難しいことなんですか?」
「そうだ。生真面目で有能な官吏を説得することほど難しいことはない」
思い当たる節があるのかユーサーは苦々しそうな顔で呟く。どうやらユーサーとキレニアは生真面目で有能な役人に弱いらしい。
その後もキレニアは色々な法規を提示して論破されたり、金貨を積んで崩されたり、泣いて見せて無表情で困った顔されたりした。
「ケチ」
「役人はケチなものです」
キレニアは全ての手段を失った。
「まさか、こんなところで難関にぶち当たるなんて……。予想外です」
議会では議員たちに良いように利用されたような形にもなっているが、とりあえず望んだとおりに事が運び、後、彼らがやることは援軍が来るまで反乱軍を迎撃し、帝都を防衛することだけだ。状況は一応表向きシンプルに見える。そして、今はそのシンプルな土俵の上にいて問題ない。
その為に、まずは兵を掻き集め、防衛体制を整える必要がある。キレニア曰く時間はまだあるらしい。
そして、ユーサーはこの帝国の盛衰をも左右しかねない戦いに妹姫キスを参加させると言い出した。
「何だって、そんなことになるんですか?」
当然、キスは不満そうに言った。畑仕事を趣味として、殆ど教会の敷地内に引き篭もっていた彼女が戦が出たことがあるわけがない。まあ、少し前から何故かユーサーから剣を学び、一年もしないうちにユーサーが敵わなくなって、今度はユーサーが呼んできた何処ぞの騎士やら剣術家やらから剣や格闘の術を学んだのだが、実際に人を斬ったことなぞあるわけがない。殴ったことすらもないのだから。
あとは、これも兄絡みだが、何でか兵法書とか戦術書、戦記なんかを貸されたので、読んだことはある。ただ、机上で書かれた戦術と実際の戦は違うということは、彼女だって百も承知している。
彼女は戦争とか戦闘なんてものは全く分からないも同然なのだ。
「私、戦争なんか嫌ですよ」
「いや、君が嫌とか嫌じゃないとかは関係ないんだ」
キスの言葉にユーサーは手を振りながらあっさりと言った。
「君が騎士として戦闘に参加する。これはもう決定事項なんだ」
「何の決定事項ですか……」
兄の言葉にキスは呆れた様子で呟く。
「そりゃーあたしとユーさんの共同作成シナリオですよ」
キレニアがさも偉そうに自慢げに言った。隣でユーサーも胸を張る。ちなみにユーさんとは言うまでもないことだがユーサーの呼び名だ。キレニアしか使っていないが。
「そんなあなたたちのシナリオに勝手に決定事項されても……。そもそも、何で私が……」
キスは大変不満そうだ。そりゃそうだ。いきなり戦争出ろや言われていい顔する奴は少ない。戦争を仕事にしている奴か頭のおかしい奴くらいだ。生憎とキスは戦争を仕事にしていなかったし、頭もおかしくはなかった。
「色々と都合があるんだよ」
ユーサーはそう言ってキレニアと役人の話し合いに視線を移す。
「君さ。考えてみて下さいよ。彼女は一国のお姫様なんですよ? その彼女を徒歩で戦わせる気ですか?」
「そういうわけではありません。しかし、帝国騎士規則では騎士叙勲は皇帝陛下の権限であり、その代行は議会しかできません」
「今から騎士叙勲の為だけに議会の開会なんてできませんよ」
「では、無理です」
2人は相変わらず延々と行き詰った議論を続ける。ハムスターが車をからからと回すよりも無意味な行為だ。ハムスターが車をからから回しているのを見ていると可愛いが、隻眼の女貴族と石頭役人が同じ議論を何度も繰り返す行為を見ていることに意味があろうか。ないに決まってる。
「もう! どーしろっていうんですか!?」
キレニアがぷりぷり怒りながら叫んだ。
「私にどうしろというのですか?」
石頭の役人は冷静に返した。
こりゃまだまだ時間がかかりそうだなと思いながらユーサーがキスにぼんやりと眠そうな視線を戻す。
「ところで、私とキレーには足りないものがあるのだけれど、何か分かるかね?」
「良識」
キス即答。
「あ、まあ、確かに、それも足りない」
あまりにも素早い返答にユーサーは少し微妙な顔をする。
「または、遠慮、思いやり、謙虚さ」
「……まあ、確かに、それらも足りない」
列挙される己の不足分に正直に頷きつつユーサーは微妙な表情を深くする。
「しかし、更に足りないものがあるのだ」
ちょっともったいぶってから続ける。
「ずばり、人望」
足りないだろーなーと心の底からキスは思った。彼らに人望が付かないのは見るからに明らかだ。
「人は人望なき者には付いてこないものだ。特に戦場といった特殊な場所では金や権力よりも人望がものを言うことが多々ある。だから、私やキレーが兵を直接率いるということは中々に無理な話だ」
大体、話が見えてきた。彼の言いたいことが分かってきた。
「つまり、私を指揮官にするってことですか? 兄上やキレニアさんの代わりに」
「そーいうことだ」
ユーサーが頷く。それから付け足す。
「君に拒否権はない。これは決定事項だからな」
「兄上とキレニアさんのシナリオのでしょう?」
キスは不満げだ。まるで自分が2人の駒にされているようで、というか、そのまんま駒扱いされ気分が良いわけがない。
それに、彼女にだって人望があるわけではないのだ。彼女にとって見知った相手というのはユーサーとキレニアとクリステン卿とデリエム卿とあと彼らの部下や従者数人だけなのだ。また、この宗教的に悪とされる黒い髪も人望を得るためには大きなネックになる。
断ろうと思った。当然だ。戦場に立って人を殺すなんて、しかも、指揮官として兵の命を預かるなんて真っ平御免だ。
「君が断ったら我々の計画はおじゃんになる」
キスが口を開く前にユーサーが先手を打つ。
「我々は帝都防衛を高らかに宣言しながら、結局、何もできないことになるわけだ。反乱軍は帝都に乱入し、幾千もの逃げ遅れた市民の命と、歴史ある街並みと、華麗な白亜城は焼き尽くされるだろう。当然、私とキレーの責任は計り知れなく、もしかしたら責任とって死んじゃうかも」
キスは嫌そうな顔をした。軽蔑するような目で兄を睨む。
「妹を脅迫する兄がどこにいます?」
「結構いるもんだ」
キスの不満げな言葉にユーサーは平然とした顔でいけしゃあしゃあと答える。
「ついでに私は君が責任感の強い優しい良い子だというのも知っておるよ」
彼女の兄はそんなことを意地悪そうに言うのだ。卑怯以外の何ものでもない。
「もー! いいから、この子騎士にしてやってくださいよ! 徴兵しますよ!?」
「それは徴兵局の仕事です」
再びキレニアが叫んだ。それに対して相変わらずの石頭役人は落ち着いて返す。
そこで、彼女は少し動きを止めて、元から細い隻眼を更に細めた。
「徴兵局にはもう話がついてます。必要に応じて徴兵票を発行する権限が臨時帝都防衛軍に与えられています」
石頭役人をじっと見つめる。
「そして、緊急時には役人も徴兵対象に入ります。今、臨時帝都防衛軍は緊急事態権限が議会から付託されています。何か反論は?」
役人は所在無さげに目を泳がせた後、羊皮紙を取り出し、何事もなかったかのように言った。
「手続きに入ります」
十数分後、キスは帝国騎士名簿の一番下に追記された。