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終 朝霧の中、門は開かれる

 朝霧は帝都を包み込んでいた。

 早朝ともいえぬほどに、まだ日も完全に昇りきっていない朝の始まりの時間、昼間は大勢の人々が忙しそうに動き回っている人々は、まるで夢物語だったように姿は見えない。皆、まだ家の中で眠っている時間なのだ。

 西方教会が黒を忌々しい悪しき色と定めていることは前述した。

 当然、そんな教義がまかり通っているのだから、自然な状態で最も黒を否応がなく見せ付けられる夜などは、教会に言わせれば「悪魔の支配する時間」ということになる。その時間、人々は家の中に閉じこもり、悪魔を中に入れぬよう戸締りをしっかりしておくというのが教会のいう信仰厚き人の生活だ。現に、信心深い人の家や教会、修道院はその教えを律儀に守り、夜には門扉を閉じる。

 ただ、一日の半分近くを占める夜をただ家の中に引き篭もって大人しくしているなど、大抵の人間に守れるわけがない。汗水流して仕事を終えた後の夜はお楽しみの時間だ。酒や食い物や女は夜に楽しむものだ。

 これはもはや習慣であって、教会も厳密に取り締まることは無理であると思っているらしく、酒場は強く明かりを灯すこと、闇の中を灯りを持たずに出歩かないことを条件にそれを黙認している。

 とはいえ、この時間ともなれば、夜の店もいくらか前に閉めており、酔っ払いも家に帰るか路上で眠り込んでいることだろう。また、早起きは三文の得とだいぶ早い時間に打ち鳴らされる市場の鐘や、朝早く起きることは神の御心に叶うと清らかに鳴り響く教会の鐘、人よりも早起きな小鳥のさえずりもまだ聞けず、朝一番を告げる雄鶏すらまだ沈黙を守っている時間だ。

 こんな時間に行動をする住人は少ない。というか殆ど全くいない。霧の中では迷える死霊が道連れとなる人を探していると云われ、人々は霧を恐れている。また、霧自体が神の恩恵たる太陽の光を遮るものとして、悪魔の魔術。または悪魔そのものと教会が定めていて、霧の中を歩くのは良くないことと教えられているからだ。

 それほど信心深くない人間にしたって、そんな時刻に出歩いて異教徒や悪魔崇拝の嫌疑をかけられるような紛らわしい行動は避けるべきだし、そもそも、そんな時間には店も市場もまだ開いていないし、何より眠たい時間だ。多くの人は少しでも長い惰眠を貪ろうとするものだ。

 よって、こんな時間に出歩くのは、夜警か、帰る家もない浮浪者か、何か善からぬことを企む輩だけだ。


 朝霧がたちこめる中、石畳をリズミカルに踏み締める馬蹄の音が響く。その後ろに、ぎしぎしという重い車輪の回る音が続く。

 霧の中を突っ切りながら三頭の馬と二頭の馬にかれた馬車が帝都の広い南北大通りの中央を進み行く。

 三頭の馬に騎乗しているのはいずれも若い女で、木綿のズボンに、同じ木綿の長袖シャツに羊毛でできた外套という簡素ながら丈夫そうな旅装姿だった。馬車には山積みというほどではないが、少なくない量の荷物が積み込まれ、二人の男女が御者席に並んで座っていた。この二人も同じような旅装だ。

「なんかこんな時間に歩いてると強盗団にでもなった気分だな」

 馬車の御者席に座り込み、手綱を握った五人の中の唯一の男であるカルボットがその立派な髭を無骨な手で撫でながら呟いた。その隣に座った布切れですっぽりと身体も顔も隠したムールド人傭兵(女らしい)は無言のまま何の反応も示さない。

「強盗団だなんて人聞きの悪いことを言うんじゃありません」

 無言な隣人の代わりに、最も馬車に近い位置を進んでいた馬に跨っていたオブコット娘卿が険しい顔でぴしゃりと言い放った。

「人聞きっつったってこんな時間じゃあ誰も聞いちゃいねーよなぁ?」

 クレディアの言葉にカルボットは小声で隣のムールド人傭兵に言い、彼女は微かに見える目の視線を一瞬彼に向けたが、沈黙を守り続けた。その代わり、

「誰も聞いていないと思っていても、実は聞いているというのが世の中です。壁に耳ありです」

 再び、クレディアが厳しい口調で言いなすった。地獄耳は父譲りのようだ。

 カルボットはそのつぶらな目を見開いた後、隣人と顔を見合わせ、肩を竦めた。彼女の地獄耳にはムールド人傭兵もさすがに驚いたようだった。

「あぁっ! ちょっ! モンさん!」

 クレディアがオブコット家に伝わる地獄耳の威力を披露した直後、先頭を行く最も小柄な少女モンは馬から落ちそうになり、隣を進んでいた少女が咄嗟に腕を摑(つか)み、寸でのところで落馬を免れていた。

 横に九〇度傾いていたモンは閉じていた目を半目にして、ふらふらと正しい姿勢に戻った。

「ねーむーいーよー」

 いつも元気でテンション高いモンは騒ぐ代わりにそんなことを呻いた。

「モン! 眠いんなら馬車に乗っていなさい! 殿下の手を煩わせるんじゃありません!」

「ま、まぁまぁ……」

 オブコット娘卿はカッカと怒り、モンを助けた少女、大陸でも珍しい呪われた色の冠を戴く黒髪姫ことキスレーヌ・ダークラウン男爵は弱弱しく部下を抑える。

「こんな朝早くですから、眠いのもしょうがないですよ」

 こんな朝早く出るのは、他でもない彼女のせいでもあったのだ。黒髪姫は今や英雄だ。その黒い呪われた髪についてとやかく言う者は少なく、ただ、帝都を救った英雄として持て囃されている。そんな彼女が人でごった返す昼間の帝都を堂々と進んで行こうものならば混乱が生じるのは目に見えている。故に、こんな人気のない時間を見計らって出発するのだ。

 キスは自分のせいで朝早くに起こし、出立の準備をさせたことを申し訳なく思っているのだ。

「ならば、馬車に乗ればいいだけの話です!」

 モンを庇うキスにクレディアは厳しい口調で正論をぶつける。主人に唯々諾々と従うだけでなく、時には諫言もするのが忠臣であると幼き日より父から教え込まれているのだ。

「まぁ、フェリス人ってのは歩き始めると同時に馬に乗り始めるような騎馬民族だからな。馬の上にいる方が落ち着くんだろうよ」

 後ろで何かと地味に博識なカルボットがのんびりと言った。

「だからといって殿下のご迷惑になるようなことをしてよいわけではありませんでしょう!」

「そうキンキン喚かんでくれや。耳がいてぇ」

 カルボットが冗談めかして耳を塞ぎ、クレディアが更に怒鳴ろうとしたとき、今まで殆ど動きのなかったムールド人傭兵がすっと片手を上げ、前を指差した。

 その動作に三人は口論を止め、指差された前を見やる。

 彼らの前には巨大な門がそびえ立っていた。見上げれば首を限界まで後ろに下げねば門の上にある櫓の屋根が見えぬほど大きなものだ。これが帝都の東西南北にある大門の一つで、東にあるこの門は東大門と呼称される。

 門の手前には詰め所があり、数十人の衛兵(公安局城壁連隊に所属する兵士)が警備の為、槍や小銃を手に、剣を腰に提げ、詰めている。そのうちの数人がキスたちの一段に気付き、歩み寄る。

 彼らが来るまでにキスとモンに代わってクレディアが先頭に出ていて、目前までやってきた衛兵たちに書類を見せつけ、口上を述べる。

「勅任断罪官キスレーヌ・レギアン・ダークラウン男爵閣下の一行である。出立の許可は皇帝直々より手渡されしこの勅書にて為されている。ついでに貴殿らの上官である公安局長官レイクフューラー辺境伯よりも通過の自由を証明する書類を得ている。確認せよ」

 こんな朝早くに荷物を積み込んで出て行く一団など強盗か盗賊の一党に違いないと思っていた衛兵隊の十人隊長はこの口上に目を見開いて驚き、高級羊皮紙の書類を受け取って更に驚く、きっかり皇帝の勅印が押印され、その上、直筆のサインまで添えられていた。公安局長官の証明書は「ちょっと開門を早めて通らせてあげて」といったテキトー極まりない文面だったが、証印は公安局長官のものであり、サインもあった。

 驚き一瞬フリーズしていた十人隊長を見て、偽造文書との疑いをかけられているのかと思ったクレディアは振り返って、キスに言う。

「殿下。あの徽章を」

 キスは一瞬何のことか考え、あぁ、そうだ。とポケットから小さな徽章を取り出して手渡す。縁を金で飾られたその徽章には、口を開いた黒い竜が金色の槍で貫かれている紋様が刻み込まれていた。

「殿下。徽章っていうのは襟なり胸なりに付けておくもんですよ?」

 クレディアは受け取りながら呆れ顔で呟き、それから、その徽章を衛兵たちに見せつける。

「この竜口を貫く金の徽章は勅任断罪官に与えられるものであるが、これでも不足か?」

 それ一つで十人隊長の月給が一発で吹っ飛ぶくらい値段の徽章を見た十人隊長はようやくフリーズ状態を脱し、再起動する。

「いいえいいえ! 滅相もございません!」

 十人隊長は丁重に書類を返しながら、後ろに控える兵に目配せする。門の上の櫓や詰め所でもしもに備え、銃を構えている衛兵たちの銃をすぐに下げさせろ。と。

「しかし、開門の時刻は今少し後でございまして。今すぐに開くというわけにはー」

「皇帝と公安局長官の許可があってもか?」

 開門を渋る十人隊長にクレディアは書類をひらつかせながら更に畳み掛ける。

「いや、そんな、今すぐ開けてもらわなくても……」

「いいから、殿下は下がって少々お待ち下さい。私が直ちに開門させますゆえ」

 後ろで申し訳なさそうにぶつぶつ言うキスをクレディアは笑顔で黙らせてから、懐から金貨を取り出し、十人隊長に見せる。

「これで兵たちに美味いものを食べさせてやりなさい」

 十人隊長は申し訳なさそうな顔をしたが、拒まずに受け取った。

 彼が上官と更には皇帝の許可を受けてまで開門を渋ったのは、規則だからということもあるが、詰め所にいる同僚や部下たちを起こしたくなかったからでもあるのだ。

 これだけ大きな門ともなると、開門には大変な労力がかかる。当然、詰め所の衛兵は総動員の上、他所に配備されている衛兵や、人夫にも集合をかける必要がある。寝起きを起こされれば誰だって気分はよくない。その上、超過勤務手当だの早朝勤務手当なんてものが貰える時代ではないのだ。朝早くからタダ働きは誰だって嫌だ。

 しかし、これが、ちょっと早起きして、いつもやる仕事をちょっと早くにやると、臨時ボーナスが貰えるともなれば話は別だ。これならばこの十人隊長も同僚や部下を説得しやすい。

「では、開門いたしますが、なにぶん、この大きさですから、そうそう早くにはゆきませんが……」

「分かっている。それまでここで待つ」

 クレディアは目で「早くやれ」と命令し、十人隊長はその命令を目で受け取り、走って詰め所に戻った。

「どんなもんです?」

 クレディアは爽やかに微笑みながらキスを見る。

「あー、お見事です」

 キスはなんとも言えず、それだけ言った。

「権力と金さえあれば何でもできるってこったな」

 カルボットがぼそりと呟き、隣人がこくっと頷いた。


 帝都の大門は、平素ならば、時刻になると上流の水門が開かれ、帝都の城壁の周りをぐるりと囲む水堀兼水路の水量が増え、水車が回り、それが複雑に組み合わされた歯車を一つずつ回していき、城門を開かせる仕組みになっている。

 しかし、今回はそれができない。というのも、縦割りなお役所の弊害ゆえ、水門を開く部署と門を開く部署が別であるが故に、ちょっと水門を早めに開いてくれということを簡単に頼むということができないのだ。

 だからといって、開門できないわけではない。水不足の際や水門に不都合がある場合等には水の力に頼らず開門しなければならない為だ。こーいうときはどーするか? 人力だ。

 大きな柱から放射線状に突き出された棒の一つ一つに何頭もの牛と人夫が繋がれ、それを歩かせて歯車を回すのだ。

 十人隊長が号令を出し、衛兵が牛に鞭を食らえ、綱を引き、人夫たちは力を入れる。が、最初は動かない。暫く静止の状態が続いた後、焦れるくらい徐々にゆっくりゆっくりと動き始め、はるか上方で鈍い音がする。歯車には逆回転を防ぐ為の溝があり、そこにはまった音だ。

 牛と人夫は脂汗を浮かせ、身体から蒸気を発しながら、全力を出して作業に従事する。

「なんか凄い申し訳ない気分なんですけど……」

 その光景を見守るキスは凄い暗い表情で呟く。

「しかし、それが彼らの仕事です」

 隣に立つクレディアはけろっとした顔で平然と言い放った。これが騎士身分というものかぁ。とキスはなんとなく身分格差を感じる。

 傭兵たちは馬車でのんびりお茶の用意をしていた。

「姉ちゃん、お茶飲むー?」

「殿下と呼びなさい!」

 寝ぼけ状態から脱したモンの言葉にクレディアはいつもどおり激高した。


「開門いたしました」

「ご苦労様です」

 先ほどまで担当していた十人隊長に代わり門の責任者である百人隊長が言い、クレディアは簡潔に礼を述べた。

「さぁ、殿下。行きましょう」

「はぁ、あ、すいません。どうも、朝早くからこんなご迷惑をおかけしまして」

「姉ちゃん早くー!」

「だから、殿下を呼びなさいってば!」

「おいおい、せっかく、開けてくれたんだからさっさと行こうじゃねえか。こんな門の前でぎゃーぎゃー言ってる暇かー?」

 一行はそれぞれバラバラな表情でごちゃごちゃ揉めながら門を潜っていく。その様を衛兵と人夫たちは変なものでも見るような顔で見送った。

「あら、ちょうど、太陽が昇ってきているところですよ」

 東への道を進む一行の先頭を行くクレディアが前方を指差して言った。

「太陽眩しいー!」

 いつもどおりの高いテンションを取り戻したモンは何が楽しいのかきゃっきゃと騒ぐ。

「いい天気だし、いい旅立ち日よりじゃねえか。なぁ?」

 カルボットは機嫌良さそうに言いながら髭を撫でつけ、ムールド人傭兵はかすかに頷く。

「そうですねー」

 あまり人と会話する機会はなかった為、語彙の貧弱なキスは面白みも何もない台詞を口にしながら太陽を見つめ、これから行く旅に思いを馳せるのであった。



黒髪姫征戦記完結です。一年という長期連載の割には話数がかなり少ない本作(全て私の不定期更新のせいです)に、今までお付き合い頂きありがとうございます。これにて、黒髪姫の物語は一旦終わりとなります。

いくらか無駄話が多かったような気もしますし、描写の不足、現実感の欠落、ご都合主義な箇所があったかと思われ、それらが今更ながらに悔やまれます。今から書き直したい箇所もございますが、大変なのでやめます。

本作はこれにて終わりではございますが、しかし、まるで少年漫画のような「これからも俺たちの戦いは終わらないぜ」的なラストを読んで頂ければ分かるとおり、黒髪姫の物語は継続いたします。

近々、遠からぬ日に黒髪姫の新たな話「黒髪の断罪姫」を連載するつもりでございますので、連載開始がなりました暁にはどうか本作同様にお付き合い頂ければ幸いでございます。

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