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五九 ダークラウン男爵

「地上を統べる権利を神より代行せし偉大にして神聖なる皇帝ウルスラ陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう事とお慶び申し上げます」

 とか云々かんぬん形式ばった長々しいご挨拶をキスはいくらか引っ掛かったり噛んだりつまづいたりいくらか単語をすっ飛ばしたりしながらも何とか皇帝ウルスラに言上奉った。ここ数日、ユーサーとキレニアとその他カロン人騎士たちからみっちりと教え込まれた成果というものだ。皇帝への挨拶ともなれば、型通りの口上文があり、そのとおりにしなければ失礼ということになってしまうのだ。

 しかし、何とも傲慢で偉そうな敬称を付けられた皇帝だなぁ。とキスは言いながら思った。地上を統べる権利を神より代行している上に偉大で神聖とは、いやはや。

「銀猫の姫、キスレーヌ・レギアン殿下におかれては健勝そうで何より」

 だいぶ高い位置からキスを見下ろした皇帝ウルスラは鷹揚に大儀そうに応じた。

「先の事件に際しては解決への尽力ご苦労であった」

 反乱騒動を「事件」と表現するのは、かなり軽い印象を受け、不適切に思えるが、これも皇帝の宮廷の言葉選びのうちだ。自らに対し反乱を起こされたというひどく不名誉な出来事を皇帝の言葉で「反乱」とか「内戦」として認めるわけにはいかないのだ。あくまで、皇帝の立場からすればただの「事件」であって、皇帝に否はないというわけだ。あったとしても些細なものだと言いたいのだ。まるで侵略を進出、撤退を転進、全滅を玉砕、敗戦を終戦と言い換えるような馬鹿馬鹿しさだ。

 数千もの人々が死んだ「内戦」を「事件」と表現され、キスは結構呆れた。ただし、頭の中で。顔は緊張で無表情のまま固まっており、幸運にも感情は顔に出てこなかった。

「先の事件が何事もなく平穏無事に解決されましたのも、全ては皇帝陛下のご威光によるものであります」

 先の反乱騒動で皇帝の威光がどこでどう働いたのかは全く不明であるが、とりあえずそーいうおべっかを言うことになっているので、キスは無難に教えられたとおり言った。


 と、まぁ、ここまでは茶番だ。劇だ。玉座の前でやりとりされることに何の意味があろうか? あんなにも大々的で大袈裟で派手派手で目立つところでは実務的なことなど何も話されない。せいぜい、儀礼的なお言葉のやりとりをするだけだ。国会と同じ。重要なことはその前か後に全部決まっているものだ。

 この場合も同じ。

 時はいくらか遡る。

 所は白亜城の一室。

「先の事件ではご苦労だったわね」

 皇帝ウルスラはキスと玉座で向かいあっているときよりも幾分も簡素な服で、頭の上にも王冠はない身軽な姿で、金の装飾が為されたふかふかの赤い椅子にゆったりとリラックスして座っていた。

 対して、レイクフューラー辺境伯キレニアは長袖のシャツと灰色の長ズボンに灰色のマントを羽織り、手には羽飾りのついた濃い茶色の帽子を持ち、部屋のほぼ真ん中に突っ立っていた。

「いえいえ、さしたる苦労など」

 キレニアは微笑みながら謙遜して見せた。実際、戦に関してはさほど苦労などしていない。ただ、彼女は防衛軍の設立と兵力の動員・編成を行っただけでなく、その後は、武器弾薬糧秣の調達と輸送、情報の収集と分析と、まぁ、地味ぃーなことを地味ぃーにやっていたのだ。黒髪姫とかサーズバン伯とかノースユリー准将に戦を押し付けて、ごろごろぐだぐだしていたわけではないのだ。

 軍隊とは巨大な胃袋であるわけだから、そーいう仕事の方が重要であったりもするのだ。そーいう兵站や情報の関係で戦の勝敗が決することだって少なくないのだ。

 そーいったことを全て一手に引き受けていたのがキレニアだった。捕虜などから得た情報も全て彼女が管理し、分析していた。

 そして、キレニアは保安局長官という治安機関の長を務めている。治安機関にとって情報の収集と分析は重要な仕事だ。そんな仕事を幾年かやっているのだ情報の収集と解析はお手のものだ。

 当然、彼女は知っている。何故、ホスキー将軍が反乱を起こしたのか? 何の為に反乱を起こしたのか? それをさせたのは誰か? 黒幕は誰か?

 そして、自分が知っていることを相手が知っていることも彼女は知っているのだ。

「しかし、陛下。先の事件では、何ともご不運でしたなぁ。なんと、流れ弾が陛下の寝室に直撃して粉砕していたとは」

 彼女ののんびり間抜けた言葉にウルスラは微笑を凍らせ、側に控える皇帝の側近たちが歯軋りした。

「ま、まぁね」

 凍りついた微笑で答えるウルスラを見て、キレニアはご愁傷様です。と残念そうな表情を装いながら心の中でげぇっへっへっへと意地汚く爆笑していた。ざまぁーみろぉと大声で叫びたいのを一生懸命に抑える。まだだ。まだなのだ。こいつを思いっきり嘲笑ってやるのはまだなのだ。急いては事を仕損ず。焦らずゆっくり慎重に。

「しかし、ホスキー将軍は何故、反乱など起こしたのでしょうなぁ?」

 知っているにも関わらずわざとらしく疑問を口に出して言ってみる。見え見えの演技に皇帝の側近が何人か呆れて溜息を吐いた。

「死人の思いは、生者には分からぬものよ」

 ウルスラは凍っていた微笑を溶かして答える。

「さいですな」

 キレニアはあっさりと答えた。まぁ、これは遊びだ。しなくてもいい会話だ。

「それでですね。今回の事件に関して、尽力した者どもに、どうか陛下よりお褒めの言葉を頂きたく存じ上げるのですが」

 こっちが本題。

「そのようなこと、あなたたちの働きに比べれば簡単なことよ。勿論です。機会を見て、謝辞を言いましょう」

「ありがたき幸せ」

 勿論、皇帝直々にとはいえ、ありがとう。なんて言葉を聞かされたって喜ぶ人間は多くはない。いたとしたって、それだけじゃあ自身の働きに見合うなんて思うわけがない。

 ただ、臣下からすればご褒美に何かものを下さい。なんて口が裂けても言えない。でも、皇帝様より謝辞を賜りたいのですが。とは簡単に言える。

 当然、その言外に含む意味を皇帝側も理解している。

「勿論、言葉だけでは足りないでしょうね」

「いえいえ、滅相もございません」

 と、キレニアは口先だけで言った。

「いや、遠慮することはないわ。私がしたいからするのだからね」

 そう言ってウルスラは傍らの男を見た。キレニアも彼に視線を向ける。白い長い服を着た若い青年聖職者だ。皇帝私領管理長官兼皇帝手許金会計長官のロバート・トンプ枢機卿だと彼女はすぐに分かった。顔は見たことがなかったが、名前は知っていたし、皇帝の側近の中で聖職者は一人だと聞いていたから。

 皇帝私領管理長官とは、皇帝が私物として持っている領地の管理をする責任者であり、 皇帝手許金会計長官は、皇帝の私物として持っている金銭や財物を管理する責任者である。つまり、彼は皇帝のほぼ全ての財産を管理しているに等しい。いわば、皇帝の財布番だ。

 トンプ枢機卿は手に持っていた羊皮紙を広げて抑揚のない声で読み始めた。

「戦闘に参加した諸兵には一人当たりにつきレミュー金貨を一〇枚下賜されること。下士官級には二〇枚、士官級には三〇枚を下賜すること」

 レミュー金貨が一枚あれば、大の男が一月食っていけるほどの大金だ。半年は遊んで暮らせるだろう。兵たちはこれで満足することだろう。

「騎士たちにはレミュー金貨五〇枚の他、働きに応じて勲章が下賜されること」

「将軍たちのうち爵位なき者は騎士爵を受勲し、貴族年金を支給されること」

「爵位ある将軍たちには荘園が下賜されること」

 と、ここまでは一概に大雑把に、全体への恩賞として言い渡された。

 続いては特に功績高かった個々人への恩賞だ。

「レイクフューラー辺境伯は此度の活躍に鑑み、荘園を下賜される他、新たに公安局長官の職務を兼任すべしこと」

 聞きながらキレニアはふむふむと頷く。彼女は新たに公安局長官を兼任することとなった。彼女の狙いはその一つ上。治安総監の地位なのであったが、そこは譲ってもらえなかったようだ。ちょっと残念に思いながら彼女は耳を澄ませる。

「サーズバン伯は此度の活躍に鑑み、北オルデニア総督に任ぜられること」

 北オルデニアは帝国が新大陸に建設した植民地である。総督職は植民地での皇帝の代理であり、大きな権限を持ち、財産を蓄える機会も多い役職ではあるが、やっぱり、中央からは遠い地ゆえ何だか左遷のような気もする。処女将軍は処女総督になるらしい。

「アンレッド伯は此度の活躍に鑑み、陸軍主計長官に任ぜられること」

 近衛長官アンレッド伯は、今回の反乱騒動で声はでかかったものの、さしたる働きをしなかった為か、上にも下にもいかず横滑りした。陸軍主計長官は名のとおり陸軍の会計を司る職務だ。

「ノース・ユリー子爵准将は少将に昇進の上、第十八軍団参謀長に任ぜられること」

「ニス准将は少将に昇進の上、陸軍病院長に任ぜられること」

「パーマー准将は少将に昇進の上、陸軍幼年学校校長に任ぜられること」

「バス准将は第二十一軍団第一歩兵団長へ任ぜられること」

「ユットニール准将は陸軍第三工廠長に任ぜられること」

 と、将軍たちへの恩賞はそれほど芳しいものではなかった。陸軍病院長、陸軍幼年学校長、陸軍工廠長にいたっては引退した将軍の席でしかない。

 まぁ、老齢の将軍が多いとはいえ、かなり左遷人事に近い。誰もがやることのない暇な席か或いは地方へと行くことになっている。しかし、地位的には今よりも上がるのだから文句を言い難いが為に、始末に悪い。

 でも、キレニアは文句など言わずありがたそうな顔を作って黙って聞いていた。彼女的には保安局長官に加え公安局長官という白亜城外の治安をも統括する治安機関をこの手に握れるだけで十分満足なのだ。その上、反乱軍を倒した防衛軍を作り上げたという実績と名声、名誉、皇帝の為に戦ったというポーズ。これだけで彼女にとっては十分に価値あることだ。

「キスレーヌ・レギアン殿下は此度の活躍に鑑み、男爵に叙せられ、荘園を下賜されること」

 殆ど最後に付け足されたように言われた言葉にキレニアはきょとんとする。

「え? 男爵ですか?」

「そ。男爵」

「準男爵じゃなくて?」

「準男爵じゃなくて」

「今持っている騎士爵だって、臨時的に特別措置で持っているのに?」

「のに」

 キレニアの疑問に皇帝ウルスラは一々、肯定してみせた。皇帝が肯定しているからって、これは駄洒落ではない。

 しかし、将軍たちの誰もが冷遇される中で、キスだけこの好待遇は何だ? 何故なのか?

「まさか、皇帝党の連中、キスちゃんを取り込もうとしてる?」

 キレニアは口の中で呟き、それから、はっはーんと笑う。それなりにキスと付き合いのある彼女は知っているのだ。キスがこーいった論功行賞に含まれる意味合いなんてことには鈍いこと。地位や身分や財産に頓着しないこと。彼女は、例え、男爵に叙せられ、荘園を下されたとしても申し訳なくは思っても恩義には感じないだろう。そもそも、そーいう恩義っていう意味を理解しているかどうか怪しいものだ。黒髪姫キスの人格を知らない皇帝党の連中には分からないことだろうけれども。

 まぁ、貰えるものはありがたく貰っておくに限る。

「過分なる恩賞に将兵は感涙に咽ぶことでしょう」

 とかなんとか言って、キレニアは上手いことご褒美をかっさらった。


「此度のそなたの功績ある働きに鑑み、そなたを帝国男爵に叙し、ブルーローズヒルの土地を荘園として下賜することとする」

「過分なる恩賞で、ありがたく頂戴いたします」

 キスは皇帝ウルスラより与えられた恩賞をありがたく頂く旨をこれまた暗記したとおりに答えた。

 最初、男爵位と荘園が下賜されることを聞いたとき、彼女は大変難色を示した。そんなものを持っていても、面倒くさいことにしかならないような気がしたのだ。

 しかし、よくよく考えれば、広い土地と財産が手に入るということは、その広い土地で自由に畑でも何でも作り放題、野菜も果実も茸も育て放題ということに気付き、彼女はすぐ考えを改め、ありがたく頂くことにした。彼女はやっぱり畑とかそーいうのが好きなのだ。あと一つ、やりたいことがあったが、そちらも皇帝側にお願いしておいた。

「ついで、そなたを勅任断罪官に任じ、国内を自由に移動することを許可する」

 断罪官とは、国内を巡回して犯罪を取り締まる役職であり、その中で勅任と冠する断罪官は皇帝直々に任命された者で、平民のみならず貴族、聖職者、騎士までを取り締まる権限を有する。有するが、面倒くさい仕事なので、やりたがる人は多くはない上、実際に貴族方の裁判を行うのは別の機関なので、それほど人気のある役職ではない。

 国内を巡回するということは国内を自由に歩き回れるということで、今まで、教会の離れに隔離され引きこもっていたキスからすれば、世界を自由に見て回れる絶好の機会なのだ。故にキスとしては珍しく自分から「これやりたいんですけど」と控えめに申し出たところ、あっさりと認められたわけだった。

 キスは皇帝ウルスラにやたらと頭を下げ、感謝の意を表しまくった。

 そんな頭の低いキスをしげしげと見つめながらウルスラはふと呟く。

「そうね。あなたにもう一つ、プレゼント」

 堅苦しい宮廷言葉ではなく、素の言葉でウルスラは言った。

「名字を授けるわ」

 名字は財産にも形にも権力にもならないが、ただ名誉的な褒美として臣下に下賜されることがままある。

「ダークラウンって名字はどうかしら? 駄洒落だけどね」

 ダークラウン。分解すればダーク(闇)、クラウン(冠)。キスの頭上で闇の冠は輝くこともなく鎮座していた。


 次回か次回の次回ひとまず完結する予定です。

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