表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/62

五八 白姫と黒竜

 黒髪姫キスにとっては貴族の紳士淑女が集う晩餐会や舞踏会、軽いお茶会ですら終始緊張を強いられる場面であった。

 彼女はここ数日、殆ど寝るとき以外、絶えずそういった場にあって、緊張しっぱなしの生活を送ってきた。そんなことをする必要があるのか、する意味と利点について彼女は考えはしたが、誰にも説明されず、彼女もまた聞かなかった。人見知りなキスは相変わらずできるだけ人と会話することを避けているのだ。

 しかし、それらの場面でも、これからすべきことに比べればいくらもマシだとキスは考えていた。

 最近のキスは、貴族の社交の場にちょろちょろ顔を出していることもあって、いくらかご立派な衣服を着ることが多かったが、今日の黒髪姫キスはいつもよりも一層力を入れた衣装を身に纏っていた。リネンの純白のシャツに真紅のビロードのスーツを着込み、キュロットと白い絹の靴下を履いている。上等ななめし革のベルトには金の鎖を吊るし、緻密に装飾されたサーベルを佩いている。その他にも宝石や金銀、真珠などで作られたボタン、金糸やレースの飾りなどの装飾品を衣服にあしらっている。

 何とも金ぴかで色鮮やかな派手衣装で、全くキスの趣味には合致しない衣服であった。彼女としては、もっとシンプルで軽く、動きやすい衣服が好みなのであったが、ユーサーとキレニア、カロン人騎士たちに揃って、これを着れ。と言われたが為に、気分と表情は渋々ながらも、仕方がなく唯々諾々と着込むことになった。金ぴか色鮮やかな派手派手衣装ではあるが、帝国貴族の正装なのだ。

 着付けは、いつぞやユーサーが使者として遣わせたこともある白い髪に白い肌のメイドが相変わらずの人形のような無表情で機械的に行ってくれた。

 着付けを終えて、廊下に出た彼女をキスよりもいくらか簡易な正装を着たカロン人騎士たちが彼女を取り囲んだ。

「さぁ、姫さん! いよいよですよー」

「くれぐれも無礼のないようにお願いいたしますよ!」

「落ち着いていれば大丈夫です。とにかく、落ち着いて。クールに」

「いつものあの腑抜けた、はぁって返事はダメですよ! 返事ははきはきと!」

「しかし、心配だ。殿下がしっかりできるのか不安でしょうがないなぁ」

「大丈夫です! 殿下はいざというときはやってくれる人です! やればできる子!」

 そして、彼らは口々に勝手なことを言い散らすのだった。しかも、若干、失礼な言が混じっている。

 自分の周りには結構自分勝手な人が多いなぁ。と、立場的には最も偉いにも関わらず、最も我の弱いキスはぼんにゃりと思ったりした。

「さて、いいかしらん?」

 キスを取り囲むカロン人騎士たちの背後から声がして、騎士たちは慌てて姿勢を正し、キスへの包囲を解き、廊下に整列した。

 開けた視界の先に立っていたのは二人の若い男女。

 セミロングの茶髪に、不健康そうな青白い肌、人の良さそうな細目の隻眼の小柄な女。絹製の純白のシャツに紅いビロードの上着、キュロットと長い絹の靴下というキスとほぼ同じ格好。

 もう一人は銀色の少し長めの髪に、やはり病的な白い肌、キスとよく似た切れ長の、しかし、どこか眠そうな目の若い男。彼は若干違う装いであった。シャツの首元を紅いスカーフで飾り、襟元の開けたゆったりとしたグレーの長い上着を身に纏っている。

「さぁ、行きましょう。お姫様。そして、英雄さん」

 レイクフューラー辺境伯キレニア・グレーズバッハはにこやかに微笑みながら言った。

「まぁ、大したことをするわけじゃないから、安心したまえ」

 続いて、キスの兄王子ユーサーが言い、二人はキスに付いてくるよう指示してから廊下を歩き出す。

「えーっと、そ、それじゃ、いってきます」

 キスは自身を取り囲む部下たちに何と声をかけるべきかいくらか悩んでからそう言い残して、兄と辺境伯の後に従う。


「大丈夫かなぁ?」

 遠ざかる三人の背中を見送りながらワークノート卿はさして心配そうでもない様子でのんびりと呟いた。

 彼女の言葉にロッソ卿はかなり心配そうな顔で答える。

「かなり緊張してたからなぁ」

「そりゃそうだ。大陸の東部一帯を治める世界でも有数の大国たる神聖帝国を統べる神聖皇帝にお目通りするなど、緊張して当たり前だろう。わしがそんなことになったら心臓止まりかねん」

「ならないから安心していいですよ」

 いかめしい顔で言ったオブコット卿に横からワークノート卿が余計なことを言い、彼は額の青筋をぴくりと動かした。

「……ならないのは分かっとるが、貴様に言われると腹が立つな」


 キスが二人と共にてけてけと長い長い赤絨毯の廊下を歩いた先に辿り着いたのは広い広い部屋だった。つやつやと輝く大理石の床はまるで鏡のようにものの姿を映していた。壁は全て白く、大きな柱が何本も並び、天井は遥か上方にあり見上げると鮮やかな天井画が描かれているのが見えた。禍々しく凶悪で醜い黒い竜に向かって、白く輝く騎士が剣を振りかざしていた。

「初代皇帝の祖父である聖ゲオルグの竜退治の絵ですね」

 見上げていたキスにキレニアが頼んでもいないのに説明した。

「竜退治ですか?」

「ええ、竜の中でも最も醜く恐ろしい黒竜です。なんでも、この黒竜は五人の王と一〇人の司教、二〇人の姫、三〇人の騎士を飲み込んだそうで。更には、この竜によって幾多の村が踏み潰され、いくつかの町が焼かれ、複数の国が滅びたそうで」

 なるほど。とキスは頷く。

 解説好きらしいキレニアは楽しげな表情で更に話を進めた。

「さてさて、その竜はある国を襲いましたとさ。その国の王の娘は大陸一とも云われるほどの絶世の美女と有名でございました。姫は白く美しい肌をしていたが為、白姫と呼ばれたそうです。さて、その話を聞いた竜は白姫と引き換えに国を襲わないでやると王に言い、王は国と民を救うべく、止む無く泣く泣く娘を竜に差し出すことにしました。そこへたまたま現れたのが聖ゲオルグです」

 キレニアは白く輝く騎士を指差す。

「彼は白姫との結婚を条件に竜退治を買って出て、そして、見事、竜を討ち果たすのです。この絵は聖ゲオルグが竜に止めを刺すところですね。ほら、あそこに見えるのが白姫です。白姫の名前はウルスラ。そして、今代の偉大にして神聖なる皇帝陛下の名もウルスラです」

 彼女はそう言いながら上座に向き直った。

 広間の上座にはいくらかの階段があり、その上に豪奢で大きな金の椅子があった。そこに今一人の若い女が座っていた。白いひらひらとした長いドレスを優雅に着こなし、頭には控えめな大きさながら金銀と宝石をふんだんに使用した王冠を載せ、手にはこれまた金の杖を持つ。両脇には赤と金の軍服の近衛騎士が立ち、階段玉座の周囲には皇帝の側近たる貴族たちが控えていた。

 白いドレスの彼女の金色の髪は緩やかに流れる金糸のように美しく、長い睫毛にくっきりした二重まぶた、髪と同じ黄金の大きな瞳に、小さくちょっと低めのかわいらしい鼻。絹のように滑らかできめ細かい肌は乳白色に微かに桃色が混じる。背はそれほど高くなく、キスよりもいくらか低いようだった。なにぶん、お高いところ居座っておられるので、よくは分からないのだ。

 彼女こそ神聖皇帝ウルスラその人である。

 まさに聖ゲオルグの伝説にある白姫をそのまま現実にしたような容姿であった。

 そして、こちとら、今まで、この禍々しい天井画の中の竜にしかなかった黒という呪われた色をたっぷりふんだんに頭に載せ、竜のように勇敢に野蛮に戦ったと噂の黒髪姫である。

「こりゃあ昔話の再現みたいだな」

「聖ゲオルグの登場はいつでしょうかね?」

 ユーサーとキレニアは小声でそんなことを言い合うのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ