四八 サーズバン伯の秘策
キスたちの騎兵隊と後ろの歩兵連隊は、次にやってきた敵歩兵部隊も似たような手法で追い散らした。
「何だか、随分と慎重な戦い方をしてきますね」
逃げていく敵歩兵の群れを見やりながらオブコット卿(娘)が呟き、キスは自然と頷いた。確かに、敵は随分と慎重だ。一気に数千の兵を進めればいくらキスの率いる騎兵連隊が撹乱しようとも、象の周りを飛び回る蝿程度の効力にしかならず、敵は数にものを言わせて一気にこちらの陣を踏み潰せるだろう。しかし、敵はそうしていない。
「たぶん、こっちの奇襲とか伏兵を警戒してるんでしょ」
ワークノート卿が呟き、なるほどと皆が納得する。これだけの兵力差があるところで、何の障害物もない平野に敵が待ち構えていれば何かあるのではないかと疑うのも頷けるというものだ。
「敵さんは何度か橋を叩いてから本気出す気なんでしょうね」
「石橋を叩いて渡る。ですか」
「そ」
果たして、ワークノート卿の予想は当たっていた。
反乱を主導したオーガスタス・ホスキー陸軍中将は、慎重で我慢強く堅実な人物であった。
彼は陸軍下士官の子として生まれ、今を去ること50年ほど前に父に倣って陸軍に入隊した。そのスタートは父と同じく下士官からだった。
この時代、世界は基本的に厳格な身分制度を敷いていた。軍隊で言えば、士官は貴族や騎士、下士官・兵卒は平民がなるものと定まっており、兵卒からは勿論、下士官からさえ士官には昇れないのが慣習であり、常識であった。もし、上がったとしても、精々が小隊や中隊の指揮官であった。何故ならば、軍隊とはいえ、士官の世界は紳士の世界であり、礼儀作法、上流階級の身のこなし、洒落た格好に、巧妙な話し振りが出世と保身に必須だったのだ。下士官上がりの士官たちは、この上流社会というやつに散々苦しめられ、遂には精神的に参ってしまう者も少なくない。それより上に行くには、余程の努力(勿論、上流社会に馴染む為の努力だ)を要する。
ただ極めて例外的に、この試練に耐え、前線士官よりも更に上、将軍の位に上がる者がいる。ホスキー将軍もその1人だった。下士官上がりにも関わらず陸軍中将という今の位まで上り詰めた。というのも、彼は運が良かった。
彼が士官になりたての頃、彼の上官は皇族の1人で後の先々代神聖帝国皇帝であり、その未来の皇帝に顔を知られ、能力を知られ、気に入られるという幸運に見合うことができたのだ。
慣習も常識も法律も、皇帝が本気を出せば変えることなど造作もない。かくして、彼は将軍位に座り、現に有能な皇帝の忠臣として仕えてきた。その皇帝より大きな恩恵を受け、二心なき忠誠を誓っていた彼が反乱を起こしたというのは、誰もが吃驚仰天することであった。
と、まぁ、彼の軍人人生と彼が反乱を起こした動機とかは蛇足であり、暫し横に置いておくこととする。現実に前線で干戈を交える者にとっては戦争の動機などは関係ないにも等しい。そんなことを考えている暇があったら、すぐ目の前の敵をいかにして迅速に的確に殺すかを考え、行動すべきだ。
とにかく、ホスキー将軍は大変慎重で堅実な人物として有名だった。
しかし、慎重とはいっても石橋を叩き過ぎてぶち壊すほどではない。
「おー。たくさん敵来たー」
器用に馬の背に立ったモンが遠くを見つめながら関心した様子で言った。
キスたち黒髪姫騎兵連隊の一部というか、キスとその周りのいつもの連中は陣列を離れて、前方に行き、偵察活動に従事していた。流れ弾に当たって戦死したりしたら洒落にならない。
「どれくらいいる?」
「うーんっとねー」
モンは暫くの間、敵を眺めていた。遠くから眺めるだけで敵の数が分かるものかとも思われるかもしれないが、長らく戦場を駆けずり回れば、大体、こんくらいと分かるようにはなるものだ。というか、軍人にとってそれは死活問題だ。戦争というのは往々にして兵隊の数で勝敗が決するからだ。
「モンたちと同じくらいー」
「……それは私たちの連隊と同じくらいということですか?」
キスの問いかけにモンは首を左右に振る。
「ここにいるモンたち全員と同じくらい」
「つまり、この軍中央と同じくらいと?」
再びモンは首を振った。
「だから、全員と同じくらいだよ」
全員というのは、つまり、中央に両翼含めたこちらの軍全軍ということだとキスは理解した。こちらの軍勢は総勢で13500ほど。で、こっちの中央に向かってくる敵中央もそれと同数くらいだという。それに対するキスの率いる黒髪姫騎兵連隊含む帝国軍中央は5000くらいでしかない。いきなり、少なくとも3倍の敵と干戈を交えることになるらしい。
「どーします?」
にへらっと苦笑いしながらワークノート卿が尋ねた。
「とりあえず戻りましょう」
そりゃそうだ。ここで突っ立っていても、敵に囲まれ袋叩きにされるだけだ。
それに、キスには、というかサーズバン伯には作戦があり、その一端をキスも知っていた。
サーズバン伯ソニア・クラウィンクはその幼さと激しく感情的な言動から、直情型の将軍と見られることが多い。
しかし、実際は、大雑把で大胆な言動の裏で、緻密なる策謀を考え得る人物であった。直情的な言動で、あえてその狡賢い部分を隠しているのかもしれない。
このときも彼女は作戦を用意していた。何も考えずに野っぱらに陣取ったわけではないのだ。辺りに何もない平原に軍を置いたのもまた考えがあってのものである。
キスは以前、そのサーズバン伯ご自慢の秘策を教えられ、その片棒を担ぐ役目を仰せつかっていた。
「撤退します」
「「「「はぁっ!?」」」」
キスがあっさりと言った言葉に部下たちは全員が仰天した。
「えっと、ですから、撤退します。下がります」
「そ、それは、逃げるってことですか?」
「ええ、まぁ、そーいうことになりますね」
1人の騎士の問いかけにキスはあっさりと頷いた。
あれ? あんた、戦の前に、逃げる奴には死あるのみとか言ってなかったっけ?
そんな過去のことは忘れたとばかりにキスは平然と、は、していなかった。
「あ、あの、撤退するので、準備をお願いします」
指揮官あるまじき低姿勢で言ったキスの命令(?)に部下たちは渋々と従うことにした。カロン騎士は何よりも主君への忠誠を大事にするし、傭兵だって雇い主の意向が大事だ。
それに、見れば、後方の部隊でも、将兵は憮然とした顔をしながらも、陣払いにかかっている。取り残されるわけにはいかない。
「てったーい! 全軍、撤退せよ!」
後方から撤退を知らせるラッパの音色と連絡係の下士官の怒声が聞こえてくる。
結局、サーズバン伯率いる中央軍は500ほどの兵と砲を置いて、ぞろぞろと撤退を始めた。
大層久しぶりの更新となってしまいました。
申し訳ありません。
某さん、メッセージにて誤字のご指摘ありがとうございます。