四七 方陣を破れ
防衛軍の野砲部隊が放った第二弾は、先の砲撃よりもずっと目標との距離が短かった為、先よりもだいぶ速く真っ直ぐに反乱軍戦列に飛び込んだ。その上、放たれたのはぶどう弾だった。ぶどう弾というのは、麻や木綿の袋の小さな砲弾を詰め込み、それをカノン砲でぶっ放すというものだ。袋は空中で裂け、中身の小さな砲弾は敵の頭上で散らばり、広範囲に拡散して敵に被害を与える。砲弾の命中した人間は吹き飛び、その砕け散った人体の一部や砲弾の欠片、巻き上げられた小石などが更に辺りの人々に被害を与える。
兵士たちが混乱し、戦列が乱れ、それを正す為に士官や下士官が怒鳴り散らす様がキスにはよく見えた。距離は200ヤードほど離れていたが、人の怒声や動きくらいは見える。
彼女は砲弾が命中した直後に無言で馬腹を強すぎるほどに蹴っ飛ばした。馬は悲鳴にも似た嘶きを上げ、慌てて猛ダッシュで駆け出した。その全てを彼女は「突撃せよ!」とも「我に続け!」とも言わず、無言で何の指示も行わずに勝手に飛び出していってしまった。桶狭間の戦いの前の信長以上の独断専行だ。信長は戦の前に単騎で飛び出したが、キスは敵の前に単騎で飛び出したのだ。危険度では比べようもない。
「「「ぎゃーっ!!!」」」
いきなり1人すっ飛ぶように行ってしまったキスを見て、後ろに控えていたロッソ卿やワークノート卿は思わず悲鳴を上げてしまった。そりゃそうだ。自分たちの指揮官が1人勝手に敵前に飛び出していってしまっては悲鳴の1つも出したくなる。
慌てて馬腹を蹴り、後を追う。進軍の号令はついぞ出なかったが先頭が走り出すものだから、その後ろに並んでいた者も慌てて馬を走らせる。騎士という連中は、先走り過ぎて「無謀者」のレッテルを貼られるのには我慢できても、慎重過ぎて「臆病者」のレッテルを貼られるのには絶対に我慢ができない人種なのだ。
いきなり突撃し始めた黒髪姫を見て、最初こそ驚いたものの、クリステン卿は落ち着いて進軍命令を出した。事前に命じられたとおり、大きく右に寄って突き進む。
「殿下! 何やってんですかっ!?」
「あんたはアホかっ!?」
「殿下にアホとは何ですかぁーっ!!」
背後から付いてくる部下たちの怒声やら罵声やらは、ばっちりキスの耳に入っていて、しっかりと鼓膜を震わせていたが、キスは無視した。「何で1人で言った!?」「付いて来いって大声出すのが恥ずかしくて……」なんて会話をしたくないからだ。
出だしこそぐだぐだだったが、駆け出した後はまぁまとまって、それぞれ左右に展開していった。
ぶどう弾の混乱から立ち直った反乱軍は自軍の左右に向けて突き進む敵騎兵を見て、退路を阻まれることを恐れ、俄かに恐慌をきたした。
「臆するな! 方陣を取れ!」
前線の歩兵隊の指揮官が直ちに号令し、歩兵たちは慌てて方陣を作り始めた。前後左右の四辺に三列の歩兵を外向けに並べる対騎兵用の陣形で、最前列の兵が膝をついて槍、或いは銃剣を付けた銃を斜め45度の角度に構えて槍衾を作り、後ろ二列が交代で銃撃を繰り返すという戦い方をするもので、騎兵に対して非常に有利な陣形であり、これに突撃する騎兵は殆どの場合、為す術もなく撃退される。が、歩兵たちは砲撃の直後であり、まだ混乱から立ち直っておらず陣形は不揃いで、兵たちが焦って勝手に散発的に銃撃を始めた。
しかし、キスは元から突撃などするつもりはなかった。彼女が意図したのは囮だ。
「れんたーい! 連隊! 進めっ!」
騎兵隊が敵戦列の左右に展開し、敵軍の注意を引いている間に、黒髪姫騎兵連隊の後ろに控えていた歩兵連隊の指揮官が号令を下した。太鼓とラッパが行進曲を奏で、歩兵連隊は整然と整列して突き進む。
既に野砲部隊が第二撃を放ったときには反乱軍歩兵部隊はかなりの距離まで進んでいた為、歩兵隊同士の距離は元からかなり近かった。
反乱軍の兵士たちは砲撃による混乱、騎兵に回りこまれているという焦りなどから、指揮官の命令を待たずに慌てて各々が自分勝手に銃撃をし始めたが、何発もの銃弾が進撃する防衛軍歩兵連隊の最前列の歩兵たちを撃つ抜き、何人もの兵士がばたばたと倒れ伏す。
しかし、歩兵連隊は歩みを止めず、人が抜けた穴は直ちに幅を詰めて埋める。すぐに至近距離といえる距離まで近付き、指揮官が怒鳴った。
「れんたーい! 連隊! 止まれ! 第一列! 一斉射撃!」
その怒声の直後に、よく訓練された兵たちは一斉に足を止め、第一列(最前列)の兵は膝をつき、一斉に引き金を引いた。相手の顔がよく見える位置まで近付いて行われた一斉射撃は効果抜群だ。その後、第一列は銃剣を付けた剣を45度の角度で構え、槍衾を形成する。
「第二列! 撃て!」
続いて、次に控えていた二列目の兵が一斉射撃を行い、その後、下がり、続いて第三列が一斉射撃を行った。
ここまでいくと、もう敵戦列はぼろぼろに粉砕されていた。それを見て歩兵連隊の指揮官が次の命令を下す。
「突撃!」
この一声で歩兵たちは銃剣や槍を突き出し、敵に突きかかっていく。
ろくに防御態勢を取れていなかったところへ3度の一斉射撃を受けた反乱軍歩兵隊の方陣はぼろぼろで、兵の半数以上が倒れ伏し、残りも浮き足立っていた。そんなところへ、防衛軍が突撃してくるのだ。彼らにはその攻撃を迎撃するなどもっての他、支えることもできるわけがない。呆気なく戦列は破られ、歩兵連隊の数百の兵が方陣の中に突入した。
方陣は防御に適した堅陣ではあるが、中に兵が入られればその鉄壁は一瞬で崩れる。兵たちは全員外を向いている為、中にいる敵に背後から攻撃されるのだ。じっと立っていられる兵などいない。
方陣は一瞬で崩れ、兵たちは我先にと後方へ壊走を始めた。
それまで方陣の横やら後ろやらを脅かすようにうろうろ行ったり来たりしていたキス率いる騎兵隊は、好機とばかりに崩れた敵兵の中に馬を躍り込ませ、歩兵を馬蹄にかけ、ピストルを撃ち込み、槍を突き込み、サーベルを振り下ろす。
かつて、というか少し前まで騎兵の戦術の基本は敵陣に突撃し、粉砕することであったが、火器が発達したこの頃ともなると、騎兵が最も戦果を挙げるのは、こーいった敵の逃走のときとなる。徒歩で逃げる敵に逸早く追いつき、その背中に襲い掛かるのだ。
騎兵たちは狼のように歩兵たちを追い回し、先回りして逃げ場を遮り、混乱した敵兵に容赦のない斬撃を食らえる。
その騎兵たちを指揮する立場にあるキスは、敵兵の追撃には参加せず、専ら、南の方角を眺めていた。と、いうのも、この歩兵隊を破ったとはいえ、これは敵の前衛部隊に過ぎず、敵にはまだこの十倍以上の兵が控えているのだ。その兵がいつ援軍として差し向けられてくるか油断を許す状況ではないのだ。うかうかと逃げる敵の尻を追いかけている暇などない。
と、そこで、彼女は新たにこちらに向け駆け足で進軍してくる敵部隊を見つけた。先の歩兵部隊の2倍か3倍はあるほどの兵だ。
「あー。えーっとー。ラッパ奏者の方ー」
キスはあんまり大きくない声で呼びかけた。戦場では怒声や悲鳴、剣や鎧の当たる金属音、銃声、人馬の足音、馬の鳴き声など、雑多な無数の音が混じりあっていて、例え、どんなに大声を出したとしても配下の全部隊に命令が伝達されるとは限らない。その為、戦場では命令を伝達する為に、人間の声帯よりもはるかに大きな音を出せる楽器を用いる。楽器ならば何でもいいわけではない。戦場にピアノを運ぶわけにはいかないし、優雅にバイオリンを弾くような場面でもない。最も、よく使われるのはラッパ。或いは太鼓だ。持ち運びに便利で、大きな音が出る。
黒髪姫騎兵連隊にもラッパ奏者(つまり、ラッパを吹く騎兵)が1人配置されているのだ。
運良くラッパ奏者は、彼女の側にいて、キスは大声を出すことなく、命令を連隊に伝えることができた。命令内容は一旦退却。今現在、キスの連隊も歩兵連隊も隊列は乱れに乱れ、逃げる敵と入り混じり、とてもじゃないが、新手の敵を迎え撃つ準備ができているとはいえないのだ。
「歩兵連隊にも伝えておいて下さいね」
キスはラッパ奏者に伝令役を命じてから、ふらふらと敵の援軍の前に出て行った。
「こらー!」
いきなり、背後から怒鳴られてキスはびくりと体を震わせた。
「また1人で勝手に行動して! 姫さんが戦死したらどーすんですか!?」
「アンの言うとおりです。勝手にあっちこっち行かないで下さい。何かするときは我々に一言告げてからにして下さい」
ぷんすか怒っているワークノート卿とやはり例の如く顔色の悪いロッソ卿がキスの両側に来た。そのままキスの乗馬の手綱を掴めるほど側だ。キスの独断専行をいつでも抑えられるようにする為だろう。
「あー。すいません……」
キスは素直に謝っておく。そもそも、キスが独断専行したのにはさして深い意味があるわけではないのだ。ただ、助言を求めたり、命令を下したりするのに、話しかけるのが苦手なので避けているだけなのだ。まともな理由じゃない。
「ほら、敵が来たから戻りますよ!」
「そうです。一旦、隊列を組み直さなければ」
2人に両側を挟まれ、まるで連行されるかのようにキスは1度後方に戻った。