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四五 全軍布陣せよ


 サーズバン伯の率いる軍勢が双子鷲城を出たのは翌朝早くのことだった。東の空に太陽が額ほど前顔を上げ、小鳥が歌いだすくらいの時刻だ。

 カッポカッポと馬を進めさせながらキスはうつらうつらしていた。首がこっくりこっくり船を漕いでいる。

「殿下」

「姫さん」

「姉ちゃーん」

「嬢ちゃーん」

「あ、はう、あ、何ですか?」

 キスはびくっと体を震わせてから、返事をした。

 後ろに続く配下の騎士と傭兵たちがにやにやと笑いながらキスを見ていた。

「ちょっと寝てたでしょ」

「あ、えーっとー」

「大丈夫大丈夫。だーれも気付いてないからあたしら以外はー」

 ワークノート卿はにひっと悪戯っぽく笑いかける。

「すいません。少し寝てました」

 キスは正直に告白した。教会の司祭ならば告白を聞き「怠惰は罪です。罪を悔い改めなさい。神は見ておられる」なんていうふうに説教をするところだが、生憎と告白の相手は司祭ではなかった。

「あははー。姉ちゃん、居眠りー」

「殿下。馬の上でぼんやりしていたら落馬してしまいますよ」

「戦場に行く前に大将が落馬して怪我しちまったら笑い話にもならねーな」

「でも、ある意味、伝説になれるんじゃなーい?」

「アン先輩! そんな縁起でもないこと言わないで下さい!」

「こら! お前ら! 行軍中に私語をするなとは言わんが、もうちっと威厳のある態度をしてくれ! 兵たちに示しがつかんだろう! 特にアナスタシア!」

「おぉ、こわ。クリステン卿は相変わらず恐いねー。もし、私が兜かぶってなかったらきっと拳骨食らってましたよ」

「くぉらぁっ! アン! 殿下に馴れ馴れしくするんじゃあなーい!」

 ロッソ卿は落ち着いてキスを気遣い、ワークノート卿やモン、カルボットはからかい、それをクリステン卿とオブコット卿父子が怒るといういつもの図式だった。

 黒髪姫騎士団はそんなふうにいつも通りに騒がしく進んでいたが、全軍の雰囲気は非常に重いものだった。そりゃそうだ。これから5万とも6万ともいわれる軍勢と戦うのだ。その上、自軍は総勢13500ときたもんだ。こんな状況で愉快な気分になる奴はあまりいない。とはいえ、逃げ出すわけにもいかない。軍隊において脱走は死刑と相場が決まっているのだ。そうでなければ、皆逃げ出してしまって戦にならないからだ。

 軍勢は全体的に重苦しい雰囲気を纏ったまま進軍を続ける。


「ぃよぉしっ! 軍を止めろぉっ!」

 サーズバン伯が威勢良く怒鳴り、直ちに士官たちが「行軍止め!」と復唱し、兵たちは言われるがままに歩みを止める。

 軍を止めたのは太陽が頭の真上辺りに来た頃で、止まった場所は何の変哲もない見渡す限り雑草しかない平原のど真ん中だった。

「閣下。ここで?」

 副官の騎士が尋ねる。

「ああ、ここでいい」

「しかし、サーズバン伯。ここは敵を迎撃するには、あまり向かないと思うが」

 馬を並べていたノース・ユリー子爵が控え目に言った。家格も階級も彼女よりサーズバン伯の方が上なのだ。とはいえ、子爵の実家は帝国でも有数の大貴族であるから、この辺りは少し微妙な感じでもある。だが、生真面目な子爵はあくまで軍の階級に基づいて彼女より下手に出ているらしい。

「こーいう邪魔なもんが何もねーとこで正々堂々やり合った方がすっきりすっだろ」

 サーズバン伯はそう言い放って、他の将軍たちと幕僚を唖然とさせた。

 大軍相手に何の地の利もない平野で真正面からぶつかり合うというのは、戦術的に見て明らかな失策であることは言うまでもない。

「おい。何、ぼさっとしてやがる」

 唖然とする他の者を見やってサーズバン伯は不機嫌そうに言った。

「テメーらはこの縦列のままで敵とやり合う気か? そんで、斥候も出さねーってのか? あ?」

 その言葉で幕僚たちは慌てて動き出した。


 軍勢は縦に長く長く伸びて停止し、兵たちは思い思いに休息を取っていたが、指揮官から命令がくるやいなや直ちに騒がしく動き出した。

「横列隊形を取れ!」

 連隊長(帝国軍では千人隊長と呼称するが、実際は連隊長と思って差し支えない)が怒鳴ると、直ちに連隊最先任下士官が復唱する。先任とは字の通り先にその階級に任じられているという意味の主に軍事で使われる用語だ。軍隊では先にその役職や階級に任じられた者が立場が上になるという慣習があるのだ。

「れんたーい! 連隊! 横列!」

 その号令に更に各隊の隊長や下士官が応じ、軍楽隊がラッパを吹き鳴らし、太鼓を叩く。士官と下士官の怒声と軍楽隊の奏でる音楽を聴くなり兵士たちは、ケツを叩かれたかのように飛び起き、慌てて自身の指定の場所に並ぶ。命令と共に自身の位置に付くのは軍隊の初歩の初歩であり、新兵はまずこれを徹底的に教育されるものだ。訓練で彼らは何度も何度も同じことを繰り返し、少しでも遅れれば下士官の制裁を食らい、更にランニングだ筋トレだを命じられるのだ。

 直に分隊が整い、各隊が整い、連隊が整い、軍の陣形は整っていった。

 軍は大きく分けると三分された。まず、中央にサーズバン伯指揮下の5000の兵。左翼にノース・ユリー子爵指揮の4500。右翼はアンレッド伯指揮する4000という配分で、中央が弱冠前に出ており、両翼は少し後ろに下がり、簡易な柵を設けた。

 キスは何故だか、いくつかの騎士団をまとめて指揮することにされた。その指揮下に入った騎士は100名、傭兵や従士が200名ほど。合計300はおり、全員が騎兵であった。便宜上、黒髪姫騎兵連隊と呼ばれており、その部隊は軍中央の先頭に配置された。キスにとっては大変迷惑なことに再び先陣を仰せ付かることになってしまったのだ。

「今度こそ死ぬな」

「全くだ」

「まぁ、死ぬのも給料のうちだ」

 配下の騎士や傭兵たちは冗談なのか本気なのかよく分からないことを話し合っていた。

「姫さん姫さん。また演説するの?」

 整列した騎兵を見やりながらワークノート卿がキスに尋ねた。

「え? え、演説ですか?」

「おー。そりゃあいい。嬢ちゃんの演説は妙に説得力あっからなー」

「確かに。あれはよかったと思いますよ。我々は帝都を守る盾ではなく、帝敵を葬る剣であるって」

 ロッソ卿の言葉にキスは顔を赤らめる。照れているらしい。

「神を背にし悪魔を先頭に立てた諸君に敵がいようかっていう演説もよかったと思うよー」

 更にワークノート卿が言葉を重ね、キスは更に恥ずかしがった。

「おう。姫さんは演説が上手なんか」

 そこへちょうどよくやって来たのは総大将のサーズバン伯だ。軍人たちは直ちに敬礼する。総大将を目にした途端に背筋を伸ばし、びしっと敬礼できるとは、腐っても軍人ということか。しかし、血筋的には帝国の一貴族であるサーズバン伯よりもレギアン王家の王女であるキスの方が上のような感じでもあるが、まぁ、血筋と実際の地位や権力が必ずしもイコールになるとは限らないものだ。血筋は王族・貴族にとって重要なものの1つではあるが、何もそれが全てではないのだ。

 現実に、欧州の由緒ある貴族であっても財産や力がなくなって没落した家は多くあるし、貧しい公よりも豊かな伯の方が大きな権力を振るっていたというケースも多々ある。この辺、欧州の貴族は現実的でシビアだ。明日の飯にも困るような貧乏で、しかも能力の欠片もないが血筋が良いだけで延々と永らえてきた日本の皇族やら公家やらとは違う。

 役職も確かで権力も能力も有し、財産も持つサーズバン伯が、血筋は高貴ながらマイナス的要素がだいぶあり、地位も財産も実績もないキスよりも上に見られるのは、当然といえば当然なのだ。

 そのサーズバン伯は何だか楽しげに言うのであった。

「じゃあ、姫さんには戦闘前にいっちょ格好いい演説をかましてもらおうじゃあねーか」

 彼女の言葉にキスは心底嫌そうな顔をした。しかし、明確に断ることができないのが、彼女の特性だ。


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