表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/62

四四 高貴なるレギアン家の血筋と黒髪姫の育成環境について少しだけ


「そーいやー」

 カルボットが口を開いた。口の周りの髭は麦酒の泡で真っ白になり、顔は真っ赤に染まっている。ちょっと、あんた、顔大丈夫って聞きたいくらいに赤い。もしも、彼が今流血していたとしても誰も気付かないとも思えそうなほどだ。まぁ、言い過ぎだが……。とにかく、赤い。

「しかし、あれだな」

「何さ?」

 彼の言葉にワークノート卿がぞんざいに応じる。カルボットの方がだいぶ年上に見えるが(実際の年齢は誰も知らない。何故ならば、誰もおっさんの年齢なんかには興味がないから聞かないのだ。おそらく、聞けばあっさり分かるだろう)、ワークノート卿はサーが付いているだけあって、騎士であり、身分的には上だから、ぞんざいな言葉遣いをしても何ら問題がない。と、彼女はそんなことを考えてぞんざいな言葉遣いをしているわけではない。彼女自身が元々堅苦しいのが嫌いな奔放な人格を持ち、その上、麦酒をたらふく飲んで酔っ払っているからだ。

 そもそも、彼女には騎士としての威厳とか自覚とか何かそんな感じのものが決定的に欠落しているのだ。よく誇り高く忠誠心厚き精鋭と名高い銀猫王国騎士になれたものだと専 (もっぱ)らの評判である。

「あの嬢ちゃんはてぇーしたもんだな」

「嬢ちゃんとは何という呼び方だ! 殿下とお呼びしろ!」

 この中でこーいうときに激昂するのはオブコット卿(娘)の役割だ。銀猫王国騎士としてはこれが模範的な反応だ。銀猫王国騎士にとって主君が貶されるということは自身の命よりも重大な事態なのだ。

「まぁまぁ、そうかっかするな」

 そこで宥めるような人間もここには1人しかいない。

「殿下自身がさして気にしていなんだから、いいじゃないか」

「エド先輩まで!」

 ロッソ卿が彼女を落ち着かせようとするが、財布を半強制的に減量された腹立たしさと麦酒の酔いでかオブコット卿(娘)の憤慨は収まりそうもない。酔いも醒めそうにない。

「いいですか! 皆さんはかなりぞんざいに殿下のことを扱っていますが。そもそも、銀猫王家たるレギアン家は、かつて西方大陸のほぼ全域を支配下に治めたという古代西方帝国において最も優れた賢帝と謳われたカッセンデルム帝の第二子であられた聖ブリアヌスがカロン島に渡り、カロン島にて騎士や戦士、先カロン王国の当時の国王を含む1000人もの人間を食い尽くした銀毛の大化け猫を討伐し、先カロン王家の生き残りであった姫と結婚して興した家であり、その名は大化け猫の呼び名に由来いたします。その歴史は神聖帝国を遥かに凌ぎ、現代までおよそ1000年の月日を経てきた西方大陸でも最も由緒があり、高潔なる家柄であられるのです」

 オブコット卿(娘)の長々と続く演説に、ロッソ卿とワークノート卿は、片方は控え目に、片方は露骨に、嫌そうな顔をした。彼女は王国や王家の歴史を語りだすと長いのだ。いや、彼女だけでなく、父親も長い。ということは、王国の歴史を延々と語り続けるのはオブコット家の血なのであろうか。

「歴史は過ぎ行き、今を去ること100年前、神聖帝国の始祖の曾孫に当たり、レギアン王家の姫を妃としていた自由公ことジュリニア公フィール陛下は、東方大陸のセルド国の侵略に屈し、その支配下にあったカロン王国をセルド人の支配から救い、第二ブリアヌスと称せられ、レギアン王家を継承し、新たに銀猫王国を建国なされました。この歴史からも分かるとおり、殿下は先カロン王家のみならず古代西方皇帝家、神聖皇帝家の血も受け継いでいるという大陸でも最も高位と称して全く差し支えのない血筋のお方であらせられ、本来ならば、私どもは目を当てることすらも許しを得る必要がある高貴なるお方なのです! それを、あなた方はーッ!」

 延々とたらたらたらたら歴史を語っている彼女を放置して勝手勝手に飯を食ったり、麦酒を飲んだりしていた他の連中は、最後の怒声で一様に吃驚した。中でもモンは余程驚いたらしく、怒鳴られた瞬間に中身の入ったカップを放り投げてしまい、それを自分の頭の上から引っかぶった。

「いきなり大きな声出したからびっくりした!」

 麦酒を頭からかぶった彼女は目を真ん丸にして言った。その頭には銅のカップが逆さまに乗っかっている。

 それを見て、カルボットがのんきに言った。

「そりゃー、モリ族の兜みたいだな」

「モリ族って何?」

 その場にいる全員の疑問をモンが代弁した。

「南方大陸にいる部族だ。そいつらぁ、金属のそんなカップみたいな兜をかぶって、刃先に毒を塗った槍やら弓矢やらで襲ってくんだ。その毒のついた刃先にすっこしでもやられっと、掠り傷でもあっという間に真っ赤に腫れ上がっちまうんだ。それを軍医の野郎は傷口の肉ごと切り取って、あとはその切り取った痕をぐいぐい押して血を出すんだ。そーしねーと毒が体に回ってどんどん具合が悪くなっちまう」

「へー」

「痛そー」

 と、他の連中はそんなには興味がないらしく薄い反応しか示さなかった。カルボットの方も別にそんなに話したいことでもないらしく、さして気にもせずにカップを傾けた。

「あ。そーだ。話題かなりずれたけどさ」

 そこで、ようやくワークノート卿が元の話題を思い出した。

「姫さんの何が大したもんなの?」

「だから、殿下とお呼びしなさいー」

 オブコット卿(娘)がテーブルに突っ伏したまま唸るように言った。麦酒に酔いすぎて眠いらしい。

「ディーは相変わらず酒弱いなー」

「アンみたいな底なしよりはいいよ。すぐ寝てくれるから大人しいし、酒の消費量少ないから安上がりだし」

「何さ。酒に強い女はダメなんかよ」

「別はそうは言ってないけど」

 微かに顔を赤く染めたロッソ卿とワークノート卿は淡々と遠慮なく言い合う。これこそザ・幼馴染。でも、朝、起こしにきてくれたりはしない。

「で、姫さんの何がさ?」

 さっきから何度かされている似たような質問を繰り返す。

「あ? ああ、そーだそーだ。黒髪の嬢ちゃんの話だ」

 今度は誰も「姫さん」にも「嬢ちゃん」にも文句を言わなかった。文句を言う人間はもう落ちている。

「嬢ちゃんはあの強襲作戦が初陣だったんだろ?」

「その前に斥候を追撃したよー」

「ありゃあは戦のうちにゃ入らねえよ」

 モンの言葉にそう返してから、カルボットは麦酒をぐいっと喉に流し込んだ。

「あの戦い方はタダモンじゃなかったぜ。馬に乗った重騎士に真正面から飛び掛っていくなんざ普通できることじゃねえ」

「まぁ、確かに、馬が突撃してくるのって、かなり迫力あるからねぇ」

 うんうんと頷き合う騎士と傭兵たち。これは疾走する馬の前に立ったことがある奴にしか分からないだろう。真似しないほうが良いことは言うまでもない。

「姉ちゃんってあれが初めてだったの?」

「確かそのはず」

「それにしては、人を殺すのに躊躇がなかったな……」

 ロッソ卿が渋い顔で呟く。

「もう何十人も斬ってるのに、未だに慣れない奴もいるのにね」

 その隣で幼馴染が呟き、彼は更に顔をしかめ、それを隠すようにカップを傾ける。

「俺も初めてやったときは、戦の中の混乱と興奮でわけが分からんかったが、戦の後、震えが止まらんし、眠れんしで大変だったなー」

「モンもー」

「私も初めて人を殺したときはかなり恐かったなー。エドはまだ恐いらしいけど」

「うるさい」

 そこで全員が黙り込む。

 さて、キスは何か影響されていたか?

「戦の前と後で何か変わってた?」

「いや、俺には分からん」

「モンも知らない。普通だったー」

「やはり、変わってないよな」

 全員が考え込む。

 人が人を殺すというのは、他の生物を殺すのとはわけが違う。まぁ、細かいことは哲学者に考えさせるとして、彼らのようにさして哲学に興味を持っていない人間が考えることはもっと単純なことだ。

 普通の人間にとって殺人という行為はかなりの精神的負担を感じるものだ。その行為が心に傷をつけ、その精神的な悪影響を死ぬまで受ける者も少なくない。

 軍人でさえ、生業であるから、仕事となれば人を殺すことに躊躇はしないものの、できれば、殺人などという人の道に外れた行為などしたくはないものだ。確かに、それを快感と思う人間もいるが、それは常軌を逸した異常なる趣向であり、それが一般に受け入れられることなど、まず、ない。

 キスの場合、人生で初めて殺人という異常で重大な行為をしたにも関わらず、それに対して目に見える目立った反応は何もなかった。落ち込みも、悲しみも、怒りも、喜びも、楽しみも、しなかった。ただ、何か1つの作業を終えただけのようにさばさばとあっさりしていた。異常なほどに。

「変だね」

 モンが言った言葉には誰も反応しなかったが、心の中では全員が頷いていた。自身が結構親しんでいる主君のことをそんなふうに異常な扱いをしたくはなかった。しかし、認めるしかない。彼女は普通の、一般にそこら界隈にいる人間とは、頭の中身の何かが違う。

「まぁ、鈍感なあたしらが気付けてないかもしれないけどね」

 ワークノート卿はそんなふうに言ったが、人を殺すという悪しき行為について日々悩んでいるロッソ卿が、自身の主君が己と同じ悩みを抱いているということに気付かないだろうか? その可能性はかなり低い。そんなことには彼女も他の者も気付いていたが、あえて口にはしなかった。

「確認するけど、嬢ちゃんは人殺しは初めてだよな?」

「そりゃそうよ」

「あぁ、それは確かだ。直前まで聖ケネア教会の敷地の中の小屋で5歳くらいから殆どずっと1人暮らしをしていたっていうんだから、人を見たことすら殆どなかっただろう」

 ロッソ卿の言葉に皆が頷く。

「しかし、そりゃおかしくないか? 5歳のガキが1人で生きていけんのか?」

「聞いた話だと10歳くらいまでは家庭教師?みたいなのが付いてたらしいけどねー」

「じゃあ、そいつが全部育てたみたいなもんか」

 カルボットが呟き、「そーだねー」と皆が頷いた。

「あ! 姉ちゃんだ!」

 モンが叫び、勢いよく立ち上がった。拍子にテーブルがひっくり返りそうになったが、3人が咄嗟に抑えて事なきを得た。まだ結構残っている料理と酒を土中の生物にくれてやるのは勿体なさ過ぎる。

「このガキンチョはもうちっと静かにできんのか?」

「無理でしょ」

「まぁ、元気がいいってことで」

 3人はぶつぶつ言い合いながらモンが視線を向ける方向を見た。見えるのは有象無象の兵士たちとテント、馬、馬車とか。

「姫さん何処さ?」

「あっこ」

「あっこ言われても分からんぞ」

「モンは目がいいんだな」

「えへへへー」

 モンは照れて頭をぼりぼり掻いた。

「やめれ。ふけが飛ぶ」

 彼女の隣に座ったワークノート卿が嫌そうな声を出した。戦場では風呂に入れることなど稀だ。一般民衆など普段の生活でも川に入る程度が関の山なのだから、戦場では尚更に清潔を保つことは難しい。清潔であることそのものが贅沢だった時代なのだ。

 頭をぼりぼり掻けばふけが飛ぶのも当たり前だ。蚤が跳ぶことすら珍しくもない。

「それで。殿下は何処にいるんだ?」

「あっこだよー」

「あっこ言われても分からん」

 カルボットが尤もなことを言った。

「じゃあ、連れて来るよ!」

 そうして、モンはとってけてーっと走っていった。


 彼女はすぐに戻ってきた。

「連れて来たー」

 モンは両手でキスの右手をしっかと掴んだまま走ってきた。転びそうな走り方だが、キスがバランスを崩さない限りは大丈夫だろう。

「わぁっ!」

「うぎゃあ!」

 と、思ったらキスも地面の石につまづいてバランスを崩し、一緒になって転倒した。

「大丈夫ですか? 殿下」

「ええ、何とか……」

「姉ちゃん重いよー」

「あ。あ、あぁ! すいません!」

 キスはロッソ卿の手を借りながら慌てて身を起こして、下敷きになっていたモンを救い出した。

「大丈夫ですか?」

「うん、平気平気ー」

 バタバタとしながらもキスも席に着いた。この間、立ち上がりもしないワークノート卿とカルボットは軽い不敬罪で訴えられてもおかしくない。オブコット卿(娘)が起きていれば激怒間違いないが、彼女は居眠り中だ。これも軽い不敬罪。

 しかし、そんなことを気にするキスではない。椅子を勧められても、食事を勧められても、酒を勧められても恐縮しきりだ。

「すいません。すいません。あ、頂きます。あ、お酒は結構です。すいません」

 腰の低い姫さんだこと。

「ところで、姫さん」

「あ、ワークノー」

 言いかけたキスにワークノート卿はびっと人差し指を突きつけ、横に振る。

「ノン! アンって呼んでって前言わんかった?」

「あ、はい。すいません。アンさん。それで、何ですか?」

「姫さんって、家庭教師がいたらしいね」

 ワークノート卿の質問に、他の連中もぴくりと反応する。皆、キスの生まれ育ちに興味津々なのだ。

「家庭教師、ですか?」

「うん」

「えーっと、あの人は家庭教師なんですか?」

「殿下の言うあの人ってのが誰なのか我々には分からないのですが……」

 ロッソ卿が口を挟む。

「あ。すいません」

 キスは几帳面に謝って、ロッソ卿に「配下の者には謝らないで下さい」と言われて、また、「すいません」と頭を下げて、彼に溜息を吐かせてから考え込むような顔をした。

「えーっと、家に、あ、つまり、私の育った聖ケネア教会の敷地にある離れにきた日なんですけど。その日から、女の人が一緒にいました。私はその人から字の読み書きとか、学問とか、野菜の育て方とか、狩りの仕方とかを習ったんですけどー」

「狩り?」

「ええ、私の家は聖ケネア教会の北にあって、その更に北には森があってですね。そこに狩りをしに行くんです」

 彼女の言葉にロッソ卿とワークノート卿は顔を見合わせる。あそこの森って聖域とかってことになってて狩り禁止じゃなかったっけ? と目だけで確認し合う。

「狩りはモンもたくさんやったことあるよ! 何、狩ったのー?」

 そんなことなど知らない異民族のモンはのんきにキスに尋ねる。

「そーですねー。鳥、兎、鹿。あとは、狐とか猪、あとは、狼に熊に山猫」

「は?」

「嬢ちゃん。今、なんつった? 狩ってた獲物のこっだ。もーいっぺん言ってくれ」

 カルボットが渋い顔をする。

「えっと、鳥、兎、鹿、狐、猪、狼、熊、山猫……」

 キスは生真面目に復唱した。

 むーっと4人で仲良く唸る。鳥、兎、鹿は良い。大人しい草食動物だ。人に会えば逃げる。そんだけ。狐もまだ小型で、相手にしても問題はない。ただ、猪。この辺りからは別だ。猪は大きなものになれば人よりも巨大で、人に突進し、牙で突き刺し、更には踏みつけ、人間の子供くらいならば食うことまである。更に問題はその先、狼、熊、山猫。どいつもこいつも人間に出会えばまず攻撃、挙句に食ってしまう危険極まりない獣だ。狼や山猫に至っては森に入った人間を逆に狩ってしまう場合も多い。本職の狩人でもなるべく出会わないよう心掛ける獣を狩るってのはどーいうことか。

「狩りの獲物間違えてない?」

「いや、でも、あんまり獣がいない森だったんで。大人しいのだけじゃ足りなくて……」

「てか、嬢ちゃんは一桁歳のときからそんな危ない獣相手にしてたんか?」

「いえ、家庭教師?の女の人と一緒に。いなくなってからは1人ですけど」

 そう言ってから、キスはおずおずとシチューに手を伸ばした。

「えっと、食べて良いですか? ちょっとお腹が……」

「あ、どうぞどうぞ」

「どんどん食べていいよー。エドとディーお奢りだからー。足りなかったらもっと注文しますよー」

「そ、それは勘弁してくれ……。本当に財布はもう空なんだ……」

「じゃあ、金貸してあげる。勿論、利子付きでね」

「それは絶対に嫌だ」

「何さ。そんなに、アナスタシア金融が信用できないのかね?」

「借金の取り立て能力だけは抜群の信用度を誇るだろうね」

 いつもの言い合いを続ける2人の騎士を見ながらキスはシチューを飲み、肉を齧った。考えていることは田だ1つ。

「美味しいなぁ」


タイトル長いです。

内容も長いですね。

そろそろ決戦近いと思います。

50話くらいまでには戦になるのではなかろうかと思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ