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四二 結論の出ない会議と貨幣の話

 帝都から半日ほど南進した場所にある双子鷲城内の大広間には大きな長テーブルが引き出され、テーブルには上級将校たちが居並んでいた。

 最も上座には処女将軍サーズバン伯と、今までは帝都守備を指揮していた近衛長官アンレッド伯。続いてノース・ユリー子爵准将、双子鷲城主のマーカスドット男爵。それから、今まで防衛軍を指揮してきた准将たちと、第6軍団の准将たち、更に下座に連隊を指揮する千人隊長が並んだ。テーブルに着けなかった騎士団長、百人隊長たちは長テーブルよりも下座に教室形式で並べられた別のいくつかの長椅子に並んでいる。キスの姿もそこにあった。長椅子は5人掛け用だったが、何故か彼女1人しか座っていなかった。隣の椅子なんか6人も座っているのに。哀しくなんてないさ。

 そんな状況も当然といえば当然だ。教会が禁じる黒い髪をしているだけで人々から忌避されていたのに、そいつが黒い鎧に身を固めるという教会に真正面から喧嘩売っているような格好で、漆黒のマントを翻してやって来ればトラブルも起きるというものだ。

 会議前、大広間に姿を現した彼女を見て、居並ぶ将校たち、ほぼ全員が目を丸くさせて仰天し、そのうちの宗教騎士団の団長や教会軍の指揮官たちは烈火のごとく怒り狂った。

「この女は悪魔に憑かれている!」

「魔女だ! これは魔女の姿だ!」

「直ちに! この場において断罪すべきだ!」

「今すぐ、俺がその首を切り落としてやる!」

 ちょっと黒い鎧を着てみただけでこれだ。自分は髪が黒いだけで何で親元から離されて幽閉までされたのかと思っていたが、殺されないだけマシだったのかとキスはぼんやり思いながらどうしようかと戸惑っていた。

「おぅおぅ、何だテメーら。なーに、騒いでやがる」

 そこへ、登場したサーズバン伯。彼女こそがこの騒ぎの遠因だ。彼女が渋るキスに「おう、これ着れ。敵がビビるから」と黒い甲冑を寄越したからだ。何でも、前に敵をビビらせる目的で作ったのだが、サイズをとちって自分が着たらブカブカなのだそうだ。部下に着せようにもサイズの合う奴は信心深いし、着てもいいって奴はサイズが合わないしで持て余していたらしい。

「おう。格好いいだろ? 俺が着せたんだ」

 そんなことを胸を張って言われては、教会軍の指揮官たちも咄嗟には反論できない。彼女はだいぶ若い娘っ子だが、地位はそんじょそこらの騎士団長なんかよりもずぅっと上の位であり、かつ、この軍の総司令官なのだ。迂闊に物を言うことなど出来ない。

「まぁまぁ、いいじゃないですか」

 そこに口を挟んだのは緑色の長い髪に緑の大きな瞳。白い法衣を身に纏った若い女だった。クローディ・カラサという名前の教会軍上級監督官という職にある人物だった。キスも数日前に自己紹介を受けたことがあるのだが、戦闘中は大人しくしていたようで、すっかり存在を忘れていた。ついでに名前も忘れていたが、表情には微塵も出さなかった。

 存在感が薄くなっていたのも当然といえば当然といえる。彼女は教会軍上級監督官という軍事的官職にあるが、実際は聖職者であり、人を殺したこともなければ剣を握ったこともない人間なのだ。教会軍上級監督官という職は教会内の出世の階段の一段に過ぎない。

 そもそも、この時代は、何処もかしこも実力や年齢に見合わない人物が重要な役職に就くことが多いのだ。重要なのは家柄や血縁、上からの評価(というよりは気に入られているかいないか)、礼銭れいせん(礼銭とは官職に就いた際に、上の位の者に献上する金のことだ。賄賂ではなく、慣習によって渡すのが常識とされる金だ)などである。或いは官職が売買されることもある。

 そんなわけで、船に乗ったことのない人間が提督になったり、外国語を話せない者が大使になったり、10代の娘っ子が将軍職に就いたり、経済システムを知らない大蔵省系の長官、宮廷儀礼を知らない帝室省系の長官、ということが往々にして起きる。

 それは帝国政府に限った話ではなく、西方教会でもそうなのだ。んなわけで、クローディは軍事に関しては全然分からないのだ。それでも、彼女は立場的には現在軍に加わっている教会配下の兵の総指揮官である。

 その彼女が「まぁまぁ、いいじゃないですか」と言うのだ。

 これではもう誰も文句が言えない。

「お似合いですよ」

 その上、クローディはそんなことまで言ってみせた。何人かの教会関係者が避難するように彼女を睨んだが、彼女は気にせずにこにこ笑っていた。

 似合うと言われたキスは「はぁ」といい加減に返した。あれだけ「悪魔だ!」「魔女だ!」と言われた格好を似合う言われても嬉しくない。とはいえ、彼女は衣服に無頓着なので(殆どずっと1人だったので、衣服に気を使っても、小鳥とか動物くらいしか見ないからだ)、本当に似合う衣服を着ているときに「似合っている」と言われても喜びはしなかっただろう。


 さて、そんなことを経て、指揮官たちは席に着き、軍議が行われることと相成った。

 今現在、彼ら帝都防衛軍が保持する戦力は、元から迎撃軍として出立した兵7000に途中から合流した教会軍の兵1000を足して、そこから今までの戦闘で失われた戦傷者500程を引き、更に第6軍団6000(非戦闘員を除く)を足すと、合計は13500程となる。これだけの兵で少なくとも、どんなに楽観的に見積もってみても5万はいるであろう敵の全軍を相手にしなければならない。

 敵は一直線に帝都を目指して北進しているらしく、いくら敵が元は農民の歩兵主体で動きが遅い軍だとしても2、3日のうちには帝都に到達すると考えられ、何としてもここで食い止めねばならない。

 寡兵が大勢の兵を相手にする場合の兵法の常道は籠城であるが、双子鷲城にも他の城砦にもあまり多くの糧秣の備蓄はなく、籠城は難しい。もしかすると敵は一部を城につけて残りで帝都に行ってしまうという可能性もある。

 かといって帝都に篭城するにも、実際、帝都はあまり篭城に適した所でもない。帝都はぐるりと城壁で囲まれているのだが、帝都は街であり、街にとって城壁は日常的には邪魔以外の何物でもない。しかも、いざ頼りになる戦争なんてことはもう百年以上帝都とは無関係だった。その為、あっちこっちの城壁がその当時当時の市政の担当者によって切り崩されて道路になったり、城壁の石を他の建物に流用したりしていたし、街は城壁を作った当時よりも拡大していたので、城壁の外にも建物や道路ができあがっていた。とてもじゃないが籠城戦に耐えられるものではない。それに、敵に帝都まで上られたとなれば帝国の威信に関わる。

 たまに、威信や権威といったものを「下らない」と吐き捨てる人間がいるが、威信とは、権威とは力であり、威信の低下はその国自体の基盤を揺るがすものとなる。

 例を1つ出してみよう。

 この時代、まだ紙幣は一般的ではなく、帝国は金貨や銀貨、銅貨を発行している。ここに国家の権威というものが関係する。

 ここで問題を出そう。1オンス(オンスとは重さの単位で、1オンスがおよそ31グラムである。12オンスで1ポンドとなる。この場合のポンドは大砲の弾などで述べたポンドとは重さが違うトロイ(薬量)ポンドというものなので注意が必要だ)の銀貨があったとする。その銀貨に実質的に含まれる銀は0.8オンスだ。それで銀を買おうとすれば何オンスの銀が買えるだろうか?

 普通に考えれば、0.8オンスの銀が含まれた銀貨で、同じ銀を買うのだ。0.8オンスの銀が買えると思うだろう。

 しかし、実際は違う。現在、帝国で流通している銀が0.8オンス含まれる銀貨では同じ重さの1オンスの銀が買えるようになっている。実際にはその銀貨を溶かしても0.8オンスの銀しか取れないのにだ。残りの0.2オンス損になる。

 何故、このような取引が成り立つかといえば、帝国政府がその国家の権威に基づいてこの銀貨は1オンスの銀と同じ価値を持つと定め、この銀貨を持ってくれば1オンスの銀と交換すると保障しているからだ。だから、誰もが1オンスの銀と同じように取引する。

 最初から1オンスの銀を含む銀貨を発行して1オンスの銀と同じ価値を持たせればいいじゃないかと思うかもしれないが、そうするよりも、そうしない方が得なのだ。

 1オンスの銀が含まれる銀貨を100枚作るとすると帝国は100オンスの銀を用意しなければならないが、0.8オンス含まれる銀貨だと同じ100枚作るとき用意する銀は80オンスで済む。銀20オンス得して、その分、余計に銀貨を製造できる。製造した銀貨は帝国の国庫にそのまま納められる。

 このような貨幣の仕組みは、全て帝国が銀貨の価値を保証しているからこそ成り立つ。

 もしも、帝国が威信を失うことになると、誰も帝国の銀貨を信用しなくなる。帝国の銀貨は今まで1オンスの銀と同じ価値を持っていたのが、0.8オンスの銀の価値に落ちてしまうのだ。

 帝国の政治と経済と文化の中心である帝都まで敵が押し寄せてきたとなれば、これほど帝国の威信に傷をつける事件もない。すぐに銀貨の価値が0.8オンスの銀と同じになるとまではいかないだろうが、帝国の体の節々には悪影響を及ぼすだろう。それに、元々長いこと使ってきた体なのだ。元よりガタがきている。どんなきっかけで体を壊してしまうか分かったものじゃない。

 んなわけで、帝都籠城は論外。

 じゃあ、結局のところ、残っている選択肢は野戦しかない。サーズバン伯も一挙に野戦決戦で決着をつけようしていた。

「こっちが出れば向こうも出るでしょうな」

「そりゃそうだ。往来の真ん中で通せんぼするんだ。無視はできまい」

「戦いはできる。問題はその戦いでどう勝つかだ」

 皆が頭を悩ませる。

 この辺りは平原だ。隠れる場所は少ない。こんな大勢では伏兵も奇襲も難しい。かといってちまちまと隠れられるくらいの兵で奇襲をかけても相手は5万だ。すぐに跳ね返されて逆にぼかすかにやられる。

 やがて、誰もがぼそぼそと言った。

「夜襲か?」

「夜襲ねー」

「やっぱ、夜襲ですかー」

 皆が口を揃え、うんうん頷く。しかし、あまり気乗りしない様子で。

 夜襲。つまり、夜陰に乗じて敵へ奇襲をかけることだ。暗闇ならば結構な数の兵でも隠れられる。

 だが、夜襲は古代より何百年、何千年と行われてきた戦術であり、なんだか使い古した感があるし、暗闇で相手が見えないのはこっちも同じで味方も混乱する場合も多い。その上、この大陸の教会は黒が嫌い。当然、真っ黒な夜も嫌いだ。夜行動を嫌がる兵はこちらにも多い。

 更に言えば、最近は晴天続きで、夜は月も明るく、平原は夜でもかなり明るい。その上、相手は松明も絶やさないだろうから、上手く闇夜に紛れ込める自信もない。

 結局、やっぱりしっくりこないってことで、夜襲も没になった。

 その後、指揮官たちは何時間も話し込んだ後、

「時間の無駄だ!」

 との、サーズバン伯の一喝に同意し、結局、いざ、決戦となって、相手の陣容を見てから作戦を考えようということで軍議は散開した。

 当然、キスは1度も発言しなかった。ただ「お腹減った」とか「眠い」とか思っていた。



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