三九 処女将軍
白亜城城門の前には死屍累々の有様だった。
前後から散々銃撃を浴びた反乱軍の残りの兵士たちはあっという間にばたばたと倒れていったのだ。
何とか銃弾を潜り抜け、銃隊の陣地へ辿りついた兵たちは銃隊の後ろに控える兵の長槍に突かれ、一矢を報いる暇も機会も与えられず殺されていったのだ。
死屍累々の上を兵たちはうろうろと歩き回り、生き残っている兵を見つけては、助かると思われる者は武装解除して連行し、助からないと思われる者はさっさと息の音を止めていった。また、死体は馬車に積んで市外へ輸送した。皇帝の宮殿の前にいつまでも死骸を重ね、腐らせるわけにはいかないのだ。そんなわけで怪我人や死人の処理は急ぎで行われた。
故に、騎士身分であるキスも一緒になって死屍累々の上を歩き回っていた。
そこここに目を配らせていると、ふと近くに横たわっていた男が動いたような気がして、彼女はそちらに歩み寄った。
20歳そこらくらいの男で、立派な鎧を着ていることから、騎士か或いは従騎士身分と思われる。
両足に銃弾を受けたらしく立ち上がれないでもぞもぞともがいていた。当たったときこそ立ち上がろうと懸命に動いたのだろうが、重い鎧を着て、何十分も地面で這い蹲っていてはすぐに体力もなくなってしまうというものだ。既に精根尽き果てた様子だった。しかし、怪我は両足だけで、致命傷ではないように思われた。もっとも、血を出し過ぎればじわじわと死ぬだろうが。
ともかく、止めを刺してやる必要はない。武器を取り上げて医者に診せ、しかるべき処置を施してもらうべきだ。その後、拷問されるか処刑されるかはキスの知ったことではない。
ふと視線をやると彼と目が合った。
「く……殺せ……」
男は嫌悪と苦痛に満ちた表情で呻くように言った。
「せめて最後は騎士として潔く死にたいのだ……。敵に情けなどかけられて生き恥さらすわけにはいかん」
「いや、殺しませんよ」
彼の言葉にキスは即答した。
「て、敵の情けなど……」
「いやいや、情けとかじゃなくてですね。あなたを殺しても私の気分が落ち込むだけですから。えーっと、誰かー。こっちに負傷者がいますー。すみませんが、取りに来てくださいー」
それから、キスは人を呼んで、怪我人を輸送させた。彼女に騎士道やら騎士の情けやら恥やらなんて関係ないのだ。
「姫さん!」
「アン先輩! だから、姫さんなんて呼び方をしてはいけません! 殿下とお呼びして下さい!」
「いや、いいじゃん。本人いいって言ってるんだからー。公式な場所ではちゃんとキスレーヌ姫殿下様様って呼ぶよん」
「殿下の下に様はいりません! それでは敬称を二重にしないで下さい!」
自分を呼ぶ声にキスが顔を向けると、ワークノート卿とオブコット娘卿が自分の呼び名を巡って口論めいたことを言い合いながらやって来た。キスは「別に何て呼ばれてもいいよ」と思っていたのだが黙っていた。
「そうそう。それでですね。姫さん」
「だから、殿下と!」
「あー、はいはい。分かったよー」
オブコット娘卿に喧しく言われ、ワークノート卿は渋々と頷いた。
「それでですね。ちょっと来て下さい」
「あ、はい」
何故、自分が呼ばれるのか分からず、首を傾げながらキスは大人しくてけてけと付いて行った。ついでに、こんなふうに付いていってろくなことになったことがないなぁとも思いついて嫌な気分になった。
キスが連れて来られたのは帝都をぐるりと囲む城壁の北にいくつかある門のうちの1つだった。
彼女は黙ってついてきて、ついたときも黙っていた。彼女がずぅっとじぃっと黙っているので、仕方なく家来たちが口を開いた。
カロン人騎士の1人が遠く遠く北の辺りを指差した。口髭を生やした30代くらいの騎士だ。人の名前を覚えるのが苦手なキスは名前を忘れていたが、あえてそのことを口にしたりはしなかった。
「見えますか?」
そう言われてキスは彼が指差す方向に目を凝らした。何かごちゃごちゃと見える。しかし、遠すぎてよく分からなかった。しかし、聞かれたのは、見えるか見えないかということだったので、彼女は簡潔に答えた。
「見えます」
その言葉に辺りにいた騎士たちが驚き、一斉に全員が遠くに目を凝らす。そして、全員が声を揃える。
「……見えない」
「え?」
今度はキスが驚いた。見えるか?って聞かれたから何か分からないけど見えたって答えたら今度は聞いた方が見えないってどーいうことやねん。
「殿下、見えるんですか? かなり目がいいですね」
ロッソ卿が青い顔で言う。顔色が悪いのは、また人を殺めたからだろう。彼は戦闘の度に人を殺めた罪悪感に苛まれてゲロを吐くという騎士としては厄介極まりない習性を持っているのだ。
「えっと、み、見えないんですか? 皆さんは」
「ええ、見えません。望遠鏡で視認はできますが、肉眼では影も形も」
じゃあ、見えるかって聞くなよ。とキスは密かに思った。でもやっぱり口にはしない。
「あー、ごっほん。えーっと、まぁ、それはよいのです」
オブコット卿が咳をしてから言った。
「望遠鏡で見れば分かるのですが、あれは軍勢です」
「敵ですか?」
「いいえ、味方です。既に先発の使者が来てレイクフューラー辺境伯やアンレッド伯と面会しております」
彼の言葉にキスは安心した。今でさえ敵の方が多いのに、これ以上増えられるのは勘弁だ。しかし、味方が増えるのは歓迎だ。
「聞いた話によりますと、帝都の北方に駐屯する第6軍団のようです」
と、言われても、今まで教会の敷地の中で引き篭もっていた彼女には全く分からない。
「はぁ」
くらいしか言いようがない。
「この軍団を指揮する将軍は中々の人物らしいです」
「あー、そうそう。聞いたことある! 確か、あだ名があるんだよね!」
ロッソ卿の言葉にワークノート卿が食い付いた。
「何とその名も処女将軍! または、虫も殺せない顔の猛将!」
何じゃそりゃぁとキスは呆れた顔をした。
第6軍団長にして帝国陸軍中将サーズバン伯ソニア・クラウィンク。御年15歳。身長4.8フィート(およそ144cm程)。胡桃型の目は大きく、瞳は茶色。滑らかな肌はミルク色。長く少しカールした髪は金細工のように輝く。
見た目、普通にかわゆい女の子だ。着ている無骨な鋼の鎧までミニマムサイズで何だかかわゆく見える。
しかし、人は見た目で判断してはいけない。まぁ、見たままの人もいるが。
そのかわゆいお人形さんみたいな容姿の少女はその見た目によく合う鈴が鳴るような声で言うのだ。
「やれやれ、百姓の寄せ集めの軍勢にビビって逃げ出すったぁ情けねえ貴族もいたもんだ! なぁ?」
「仰るとおりです」
「まぁ、連中も無駄に多いからな。だらしねえ貴族の旦那方がビビっちまうのはしょーがねえってもんだ。俺は連中には端っから期待なんかしてなかったよ」
「御賢察です」
「そんでもって、あれだな。あんたは結構頑張ってるらしいじゃねえか。1万の敵軍の中に、奇襲たあいえ先頭に立って突っ込んだり、たった10人くらいで500の敵に銃ぶっ放したりしたって話だぜ」
「はぁ……」
キスは向かいで椅子に踏ん反り返るかわゆい女の子を見て、なんて口の悪いガ…もとい、子供だと思ったりした。と、いっても実は2人とも同い年だ。ただ、相手がやたらとちっこくてかわゆいので年下に感じたのだ。
「ちょいと無鉄砲で危なっかしいが、そんくらい活きがいい方がいいってもんだ! なぁ?」
「仰せのとおりです」
「全くその通りです」
キスはちょっと視線をずらして、処女将軍の両隣を見た。そこには男女の若い騎士が控えていて、さっきからしきりと相槌を打っているのだ。一体、何なんだろうか。
「おっと、無駄話してる場合じゃなかったぜ」
サーズバン伯は小さな手をパンと叩いて言った。
白亜城の一室にキスを呼び出しのは道楽ではなかったらしい。いい加減、用事がないなら帰して欲しいなとか思い始めていたキスはその言葉で気を取り直した。
「今やってる戦だがよぉ。ま、上の方はなーんか色々きな臭いことになってるらしいが、そこんとこはあの胡散くせー辺境伯に任せるとして、俺ら軍人がやることはあのつけあがった百姓どもとそいつらを扇動してる阿呆どもをぶっ潰すこった。連中がいつまでも我が物顔でほっつきまわってるような状況はさっさと終わらせなけりゃいかねー。だろ?」
サーズバン伯に促され、キスはこくっと頷いた。やっぱり彼女は初対面の相手と話すのは苦手極まりないのだ。
彼女のそんな素っ気無い態度にも構わずサーズバン伯は続ける。
「戦なんてことはとっとと終わらせた方が良いに決まってる。早くに終わらせるにゃあ、いつまでもぐずぐずと城に籠もって敵と戦ったり、ちまちまと敵に回りくどく攻撃を仕掛けるなんてことをやってる暇はねえ」
処女将軍は好戦的ににやりと笑った。
「だったら、どーするか? 敵とがっつり組み合って、その敵をぶっ潰せば仕舞いだ。いつまでもぐずぐずやっててもしょーがねえからな」
彼女は敵と一気に勝負に片をつける一大決戦をするつもりであるらしい。
そして、おそらく、決戦はその通りに行われるだろう。今、白亜城にいて、最も上の位である防衛軍の総指揮官はレイクフューラー辺境伯であるが、そもそも彼女は軍人ではない。ただの悪知恵の働く政治屋だ。次の位置につけるアンレッド伯は近衛長官という帝都の防衛に責任を持つ役職にあり、軍務経験もあるが、自らの指揮下に殆ど兵を持っていない為、同列のサーズバン伯よりも発言力は弱い。つまり、今この時点では、この弱冠15歳の処女将軍が実質的な総指揮官なのだ。彼女が主張する作戦を廃するのは難しいことだろう。
「それで、姫さん。あんたの無鉄砲なまでの勇猛さを見込んで、あんたにはちょっと大事な役を振り割りたいんだがいいかな?」
「へ?」
キスはまた面倒臭いことをやらされるらしい。