三一 帝都逆戻り部隊
「つまり、帝都に守備隊として残った連中の一部が反乱軍に呼応して反乱を起こしたと。そーいうわけだな?」
ノース・ユリー子爵准将は相変わらずの仏頂面で不機嫌そうに言った。鋭い切れ長の猛禽のような赤い瞳で報告に上がったキスとメイドを睨む。
睨まれたキスは居心地悪そうに縮こまったが、メイドは平然といつものように生きてるんだか死んでるんだかわっかんないような顔でぼーっとしていた。
「しかも、その反乱を起こした連中の首謀者が近衛騎士団総副長たるウェルバット男爵とはな」
近くの椅子に座ったユットニール准将が呆れ顔で言った。
「陛下に信頼されていた軍団長のホスキー将軍が反乱を起こせば、これまた陛下の側近であるところのウェルバット男爵まで反乱に加わるとは、どーいうことだか」
そこで彼はにっと口角を上げて言った。
「我らが皇帝陛下は結構嫌われているのかねぇ?」
「ユットニール殿!」
参謀長のパーマー准将が怒鳴った。先のユットニール准将の言葉は不敬罪にも取られかねない。不敬罪は場合によっては死罪にもなる重大な罪である。立場ある人間ならば余計に気をつけなければならない。
昔々(戦前)、日本の大臣が「日本は共和政治(つまり、大統領制)になるというつもりはないが、もし、日本に共和政治があるとすれば」という前置きの基、仮定の話をしただけで、「天皇制を否定する不敬な発言である」と攻撃され、大臣を辞することになったこともあるのだ。
不用意に不敬とも取られる発言は身を滅ぼすものだ。人々が忌避し、敏感になったとしても不思議ではない。
パーマー准将に怒鳴られたユットニール准将は不機嫌そうにふんと鼻を鳴らし黙り込む。
「ともあれ、何とかせねばなりますまい。我々がここで反乱軍を食い止めても、帝都が陥落しては話になりません」
代わってバス准将が大きく突き出た腹を撫でながら言った。准将はとてもふくよかな人物だった。
彼の言葉にその場にいる誰もが頷いた。
何とかする。というのは、つまり、兵を出すということだ。いくらかの兵を帝都に差し向けというか戻し、反乱を起こした不届きな連中を成敗しなければならない。この戦いの最終目的はあくまで帝都防衛であり、それ以上でも以下でもないのだから。
ユーサーの使者である素性不明のメイドによれば、彼女はちょうど丸半日前に帝都を出て馬を駆けさせて来たらしい。ユーサーの手紙に書かれた日時もそれを証明していた。ちょうど半日前といえば、キスたちが双子鷲城を出て灰色橋砦に向かっている最中くらいの時だ。
「騎兵ならば半日で帝都に到達できるな」
ノース・ユリー准将がぼそりと呟いた。
キスは嫌な予感がした。何故ならば、彼女の率いる黒髪姫騎士団は軽騎兵部隊であり、最も機動力のある部隊の一つであることは確かなのだ。
暫し、会議を沈黙が支配する。
誰もが机上に広げられた地図を睨んでいた。
この場にいる彼らは帝都での思わぬ裏切りに対処すると同時に、目の前の敵と戦う術も考えなければならないのだ。
「兵を分散させるしかないな」
ユットニール准将が呟いて、それに誰も異論を唱えなかった。
彼らが防衛線と考える聖キンレー川にはこの辺りでは3つの橋が架かっていた。そのいずれの橋の近くにも城砦がある。今、彼らがいる灰色橋砦、東の南アルバナ砦、西の白滝城。このうちのどれか1つでも敵の手に落ち、敵の渡河を許せば、他の城砦は背後を脅かされることとなり、味方は退却を余儀なくされ、敵は帝都に向け大きく前進することになる。
反乱軍は先の戦いで大きな損失を受けたとはいえ、こちらが討ち取った敵兵の数は数百でしかない。大半は逃げ散っただけであり、敵の兵力は未だ5万を下回ってはいなかった。兵力に余裕のある彼らが軍勢を分散させるのは必至だ。おそらくは川沿いの3つの城砦にそれぞれ少なくとも1万以上の兵を差し向けると思われる。この時、城砦を守るのが数百の守備兵のみでは1日持つかどうかも怪しい。故に兵の分散は致し方のないことであった。帝南迎撃隊としては、何としても敵に聖キンレー川を越えさせるわけにはいかないのだ。
その上で、帝都に跋扈する裏切り者どもを撫で斬りにする援軍も送らねばならない。
「近衛第4騎兵連隊と軽装の3個騎士団合わせて1000程を帝都に援軍として送る。残りのうち2000を南アルバナ砦に送り、2000を白滝城へ送る。あとの3000は灰色橋砦を守備する」
ノース・ユリー准将の指示に異論はなかった。それが最も妥当にして的確な指示だと思われたし、また、それ以上に良い方策は誰の頭にも思い浮かばなかった。
その後、灰色橋砦の防衛はノース・ユリー准将が指揮し、南アルバナ砦はバス准将、白滝城はユットニール准将がそれぞれ防衛を担当することとなった。案の定、キス含む黒髪姫騎士団は帝都逆戻りとなった。
帝都逆戻り部隊は作戦会議終了から一刻もしないうちに灰色橋砦を出立した。 部隊に配属された兵の中には、先の強襲作戦に従事した者も多く、彼らは少なからず疲労していたが、事態は急を要する為、彼らにはゆっくりと寝る暇もなかった。
だが、眠気に襲われることはなかった。季節は春だが、未だ麦の種を撒くか否かの瀬戸際くらいの時期で、夜中はまだまだ寒く、ひやりと冷たい空気と疾走する風で眠気は吹き飛ぶ。騎兵たちは外套をしっかりと身体に巻きつけ、ひたすら馬を駆けさせる。
大きな街道を進んでいるとはいえ、夜陰であり、明かりといえば、5騎に1騎くらいの割合で騎兵が持つ松明と、少ない星明かりしかない。生憎と今宵の月は雲に隠れて見えない。
肌寒く、闇は深くと、これで音もなければ感覚的に寂しいこと極まりないが、音だけは十分にあった。1000もの騎兵が行くのだ。馬蹄の響きは騒々しく、街道沿いの民の安眠を大いに妨げた。
キスは先頭辺りを走っていて、ふぅふぅと白い吐息を吐きながら、馬腹を蹴り、手綱を握り締める。時折、剥き出しになっている耳を触る。障ると耳はとても冷たく、耳が感じる感覚は既に冷たいを通り越して痛いになっている。自分では見ることができないが、多分、耳は真っ赤だろう。
「いやはや、寒いですねぇ」
キスの隣を駆けるワークノート卿が呟くように言った。小さな声で、馬蹄の響きにかき消されそうだったが、キスの鼓膜はそれを捉えた。
「えぇ、寒いですね」
寒いね。と言われ、寒いね。と返す。世闇の中で。
何だかどっかの下手糞な詩みたいなことを書いてみたが、意味はない。寒いときに「寒い」と言ったり「寒い」と言われ「寒い」と返すことにも何の意味はない。
かといって、
「暖かい家の中で美味しい温かいスープを食いたいですねー」
などと妄想じみたことを言ってもしょうがない。これとて、意味のない会話だった。
そんな会話をしているよりかは、もっと意味のある話をすべきだ。
キスの隣にいるロッソ卿がそう思ったのかどうかは知らないが、少なくとも「寒い」と呟くよりかは意味のあることを言った。
「無意味な雑談をする余裕があったらどうやって敵兵を帝都から放逐するか思案していてはどーですか?」
ちょっと棘のある口調だった。
「まだ帝都に着いてもいないんだから。今からそんなこと考えてもしょうがないじゃない」
ワークノート卿は不満げに言った。
「それでも、敵の数くらいは考えられるんじゃないか?」
「んー。帝都に残った兵は2000でしょー。そのうちの1000は保安局とか公安局の兵で、反乱を起こしたウェルバット男爵に従うとは思えないな」
ロッソ卿の言葉に彼女は考え始める。
「というわけで、帝都の裏切り者は1000以下程度ね。さて、これで考えられることは終わったわ。寒い寒い言って宜しいかしら?」
「まったく、アンは………」
ロッソ卿は呆れたように白い溜息を吐いた。
2人を見て、やっぱり仲が良いなぁ。と、キスは何となく羨ましそうに眺めていた。
帝都逆戻り部隊は街道沿いの各城砦で馬を代え、軽くパンを齧り、酒や珈琲、お茶を飲み干して眠気を追いやりながら夜通し駆けた。
地平線から太陽が現れ出た頃合になって、ようやく彼らは帝都を目前に捉えた。