二九 戦場跡にてメイドに会う
「何で戦争が起きたんでしょうか?」
キスは草原で体育座りしながら、ぼんやりと言った。
「んー。人間ってのは争う生物ですからね。戦争は避けれないことなのです」
彼女の隣に立つワークノート卿はちょっと難しげな顔をして語り出す。
今まさに、彼女が人類の文化や社会と戦争の関係についてちょっと難しいことを語り出そうとする前に、
「あ、そーいうことじゃなくて」
キスが口を挟む。彼女も人が喋る前に口を挟めるまでに成長しました。おめでとう。
「私が疑問に思ったのは、何故、ホスキー将軍が反乱を起こして戦争が起きたのかってことなんです」
「何だ。そっちか」
ワークノート卿はちょっとつまらなさそうに言った。ちっと舌打ちまでした。
「あ、す、すみません……」
すまなさそうにふるふる震えながら頭を下げるキス。
「いや、そんな謝らないでよ。ちょっとね、そーいう人間は何故争うのか? とかそんなことを考えたり話したりするのが好きなんですよ。父さんの影響かな?」
そう言って彼女は小首を傾げた。
「お父上の影響ですか?」
キスも首を傾げる。
「ああ、父さんは学者をやってるの。本業は植物学のはずなんだけど、他にも色々哲学とかやってて、こー人は何故生きているのかーとか家で考えたり話したりしてるちょっと変な人なんですよ」
「はぁ……」
自分の父親のことを変と言う人の言葉を肯定も否定もできずキスは曖昧に頷いてみた。
「ん?」
そこでキスはちょっとした疑問を感じる。
彼女は世間知らずだが、この時代の1つの仕組みを知っていた。その仕組みというのは、一言で言うなら「世襲」というやつだ。
貴族の子は貴族に。百姓の子は百姓に。そして、軍人の子は軍人に。学者の子は学者に。それがこの時代の自然であり、常識である。しかし、彼女は学者の子だというのに、今は騎士をしている。しかも、身分上だけの騎士ではなく、前線に出ている昔ながらのれっきとした騎士だ。疑問を抱いて当然のことである。
「まぁ、色々ありましてね。今は剣を手に取ってるんですよ」
キスの顔を見て聞きたいことを読み取ったワークノート卿はちょっと固い感じの笑みを浮かべながら言った。そして、ちらっと、後ろの茂みを見る。
「で? 代々、軍人をやっているお家の跡取りくんはどんな調子かな?」
彼女の問い掛けに彼は嘔吐で答えた。失礼にも程がある。彼女はキスと顔を合わせ、呆れた感じに苦笑した。
「もう大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫です。全部吐き出しましたから」
心配そうなキスの問い掛けにロッソ卿は青い顔で答えた。あんまり大丈夫そうには見えないが、本人が言うなら大丈夫なのだろう。
「まったく情けないなぁ。軍人が人を殺す度に気分を悪くして吐いてるなんて洒落にもならんでしょうよ」
情け容赦ない辛辣な幼馴染の言葉にロッソ卿は気まずそうな顔で閉口する。
彼は軍人一族の家系に生まれ、軍人となるべく育ってきたにも関わらず、人を殺めると気分が悪くなって吐いてしまうという難儀な人物であった。
今さっきも先の戦闘で自分が殺した人々のことを考えて気分悪くなって夕日に照らされる戦場跡の片隅の茂みでげーげー嘔吐していたのだ。
「さて、砦に戻ろうか。こんな所にいつまでもいたら、ねぇ」
ワークノート卿はきょろきょろと辺りを見回しながらちょっと焦った感じに言う。何かを気にしているような様子。キスには彼女が何を気にしているのかが分からず周囲を見渡す。
既に日は山並みに半分以上落ちかけ、太陽の反対側の空は群青色に染まり始めている。
つい数時間前は青々とした草原だったこの辺りには、今では数百の死体と甲冑、武器、軍旗、馬車なんかがごろごろと転がっている。そこへ無数の鳥や獣、虫が寄ってきて死骸を啄ばんでいる。
その戦場跡はついさっきまでは夕日で、元から赤い(血で)のが余計に赤く染まっていたのだが、太陽の反対側から刻々と暗くなってきているようだ。夜闇の中でこの戦場跡を見るのは、何だか気味が悪そうだ。
「あぁ、日が沈んだ後の戦場跡地にいるとお化けが出るんだっけ? 赤帽子で黒い槍を持った悪鬼が……」
ロッソ卿が呟く。彼が言うのは赤帽という悪鬼で、墓場や戦場跡に現れて死人やそこを不用意に1人でうろつく人を斧で切り裂き、自分の帽子を赤く染めるという伝説上の生物だ。
「うわわわわわわわー!」
当然、突如として上がった悲鳴にキスは吃驚してしまった。
「だから、そーいう話するなって言ってるじゃん!」
ワークノート卿は涙目でロッソ卿をぽかぽかと殴りだした。
「痛い痛い! アン! 痛い! 籠手が当たってる!」
今度はロッソ卿が悲鳴を上げた。
「あ、あわわわわ、アンさん、落ち着いて!」
キスが間に入ってワークノート卿を宥め、とりあえず彼女は一方的暴行を止めた。しかし、彼女は不満そうに顔をしかめてロッソ卿を睨んでいる。
「一体、何がどーしたんですか?」
キスが尋ねると、ワークノート卿は気まずそうに黙り込む。ロッソ卿が口を開きかけたがワークノート卿に足を蹴っ飛ばされて口を閉じ、顔を合わせる。それから、
「まぁ、色々ありまして」
と、誤魔化すように言った。
普通の人ならば誤魔化されたと感じ不満に思ったりもするところだが、素直で良い子なキスはロッソ卿の言葉を額面通りに受け取り、色々あるのかー。などと思ったりした。
「とにかく、さっさと砦に戻ろ。寒くなるし、風邪ひいちゃうよ?」
ワークノート卿はキスの両肩に手を置いて押していく。そのまま足を動かさないでいたら転んでしまうので、止む無くキスも足を動かし、砦へと進んでいく。
「アン! ちょっと殿下に対して失礼だよ!」
「いいじゃん。これくらい。息がゲロ臭い方が失礼だよ」
ロッソ卿の注意にワークノート卿が応じる。ロッソ卿は苦い顔で黙り込む。
「あの、ワークノート卿……」
「あ、姫さん。さっき、私のことアンさんって呼んでましたよね? 周りに煩い人がいるときは、まぁ、いいけど、いないときはそーやって呼んでくれると嬉しいなー」
ワークノート卿はキスの肩に顎を置き、にまにまと笑いながら言った。
側を歩くロッソ卿は苦い顔をしたが、先ほど、息がゲロ臭いと言われた影響から、口を開くことはしなかった。早く口の中を洗おうという決意を強くする。
「え、ええっと、アンさん」
「なーにぃー?」
聞かれてワークノート卿は楽しげに首を傾げる。
「あれ」
キスは遠くを指差す。
「誰かいます」
「なっ! 姫さんまで私を恐がらせようとっ!?」
ワークノート卿はキスの首を絞めにかかった。
「アン! 何やってんの!?」
「あわわっ! 違います! 恐がらせようとしてるわけじゃないです!」
慌ててキスとロッソ卿がワークノート卿の手を押さえてキスの窒息を防ぐ。
「えっと、ほら、あそこに」
ちょっと落ち着いてから、キスは戦場跡の南方を指差す。2人の騎士も目をこらす。
確かに、誰かが歩いている。その歩みはしっかりとしていて負傷者の類とかではなさそうだ。夕日をバックにして歩いているので顔などはよく見えない。
「敵?」
「幽霊?」
「赤帽!?」
キスは怪訝な顔をし、ロッソ卿は顔をしかめ、ワークノート卿は顔を引き攣らせる。
「いやよいやよ! 幽霊とか化け物とかマジ勘弁だから! 勘弁だから! 冗談抜きで!」
「あ、あう。きつい……。苦しいです……」
後ろからぎゅっと抱き締められてキスは苦しそうに呻く。
3人は十分に注意しながら近付いて来る人を待ち受けたが、相手の方は何の警戒もしてないようで、ぷらぷらと歩いてくる。暫くして相手が結構近付いてきて姿や顔が見えるようになった。
そいつは白い髪で、白い肌、何だか見てるんだか見てないんだか生きてるんだか死んでるんだか分からないような水色の硝子のような目をしている。着ているのはシックで地味な黒い服に、白いエプロン(勿論、フリフリなんかはない)というこの辺りの国ではメイドが着るような服。ということは、彼女はメイドなのか?
3人は相手が敵なのか味方なのか生きている人間なのか死人なのか幽霊なのかも分からず沈黙していた。赤帽ではないことは分かった。帽子ないから。
「キスメール・レギアン殿下ですね?」
いきなり問い掛けられてキスは黙ってこくこくと頷いた。
「私、殿下の兄であるユーサー殿下にお仕えしているメイドでございます。以降、お見知りおきを」
メイドはスカートの端をちょいと摘んで上げながら頭を下げた。
「あ、あぁ、こちらこそこちらこそ」
慌ててキスも頭を下げる。
「ユーサー殿下より殿下に言伝がございます」
メイドはそう言ったのだった。




