二七 黒髪は目立つ
「こりゃ勝ち戦だな」
ラクリア人傭兵のカルボットは血に染まった手斧を肩に担ぎながら言った。
さっきから、倒しているのは逃げる途中の農民兵ばかり。たまに向かってくる相手もいるが、相棒と協力して難なく倒せている。
「オルガー?」
彼は話しかけたつもりだった。隣で一緒に戦っていた相棒に。しかし、返事がない。元から無口な奴だが「ああ」とか「むう」とかくらいは言う奴だ。
カルボットは自慢の髭を弄りながら顔を相棒に向ける。彼は小柄で、相棒はでかいので、見上げるような形になる。
「どした?」
やられたようでもない。相棒はいつものしかめ面を更にいくらか渋くした顔で遠くを見ている。
「何だ? 敵さんの援軍か?」
カルボットも目を向ける。そして、目を丸くした。
「ありゃ、嬢ちゃん団長か?」
「うふふふ。490人目」
煙を吐く小銃を下ろしながら彼女は恍惚に笑う。下ろした小銃の銃身や柄の見事な細工が施されている。
「次」
彼女は小銃を従兵に渡し、装填済みの次の銃を手に取る。
銃を構えながらきらきらと輝く黄金色の瞳で次の獲物を探す。
「ん?」
「公閣下。如何なされましたか?」
彼女の漏らした鈴の音のような声に部下が反応する。
「いえ、彼女は……」
「あぁ、カロンの姫ですな」
フェリス人傭兵のモンは左手にクロスボウ(別名ボウガン)、右手にナイフを持ち、なめし革の鎧にはいくつものナイフを装備し、愛馬に跨り、戦場を軽快に疾駆していた。
逃げる敵の背にクロスボウの矢を撃ち込み、投げナイフを叩き込み、近くにいる者は近戦用ナイフで喉や顔を切り裂いていく。
通り魔のように敵を食っていく。その顔に表情はない。冷たいくらいの無表情。
ふと、馬の歩みを止めさせ、彼女は顔を上げた。
「あ」
遠くに黒髪を見て、今までの無表情から一変して、人懐こい笑みを顔いっぱいに浮かべる。
「姉ちゃんだー!」
頭の先から足まですっぽりと薄汚れた茶色い布を被り、更に顔には目の辺りを除いて白い布を巻いたその姿は異様だった。
戦場にいつの間にか現れ、反乱軍のど真ん中に佇んでいた。
すいっと、腕を動かす。腕の先にあるのは湾曲した幅広の特徴的な剣。その剣を両手に握っている。
一瞬で、剣を一閃させる。
辺りにいた農民兵たちが悲鳴と血飛沫を上げながら突っ伏す。
素早く足を踏み出しながら、目は次の獲物を狭い視界の中で探す。足元まである布に足を捕られることもなく、踊るように剣を左右上下に気侭に自由に曲線を描くように舞わせる。動く度に血飛沫と悲鳴が上がっていく。時折、指とか腕とかも足なんかも宙を舞う。
動きを止めたとき、背後には二桁近い死体が転がっていた。
ふと視線をやると黒い髪が目に付いた。
「…………」
「父上っ! クリステン卿っ!」
呼びかけられて髭の立派な騎士オブコット卿は手綱を引いた。クリステン卿も敵の騎士を貫いていた大剣を引き抜く。
視線をやると、茶色いショートカットの若い娘が馬を駆けさせてきた。
「クレディアか。どうした?」
「あれを見て下さい!」
クレディア・オブコット卿が槍で差す先に2人の騎士は視線をやる。
「あれは? 殿下かっ!?」
「護衛役のエドワードとアナスタシアは何をやっておるのだっ!?」
「エド。終わった?」
「アン。そっちは?」
ワークノート卿はロッソ卿に馬を寄せながら尋ね、彼は聞き返す。それから、声を合わせる。
「「終わった」」
2人はちょっと満足気に頷き合う。
「やっぱり、重騎士は固いわね」
「でも、動きが遅いからね。死角に回り込めば」
「うん。あとは隙間にサーベル突っ込めばね」
2人はちょっと雑談する。こいつらは何処でもいつでも雑談せんではいられないらしい。
「あれ? 私ら何か大事なもの忘れてない?」
「うん。ものっていうより人のような気が……」
2人は首を傾げて、ちょっと考えて、すぐに思い出す。
「「ぎゃふん」」
慌てて視線を周囲に巡らせ、すぐに見つけた。黒髪姫は目立つ。絹のような髪は黒く長くて、まるで旗印だ。
「わぁーっ! 私ら、こんなまったりしてる暇じゃなかったぁっ!」
「本当だよ! これで、殿下が亡くなったら俺たち切腹もんだよ!」
大急ぎで馬腹を蹴っ飛ばす。馬は吃驚してちょっと悲鳴めいた鳴き声を上げながら走り出す。
2人の視線の先で、キスは何だか強そうな重騎士と正面衝突しそうだった。
キスの投げたサーベルは矢のように一直線に飛翔し、騎士の乗る馬の前脚の付け根辺りに突き刺さった。
前脚から力が失われ、足はもつれ、前屈みに崩れていく。
騎士は落馬しそうになって狼狽し、一瞬、キスから視線も穂先も外してしまう。彼はすぐに視線を前に戻して、真正面、間近に黒髪姫の姿を見た。
「なっ!?」
キスはサーベルを投げつけた後、脚を止めず、そのまま全力で走り続け、その場に横たわっていた馬の死骸を踏み台に、宙へ跳んだ。まるで背に羽があるかのように数mを飛翔する。
勢いをそのままに脚を伸ばし、地面に突っ伏しつつある馬の頭を足蹴にし、相手の胸元に潜り込むような形でキスは敵にぶつかっていく。
騎士に真正面から、馬を乗り越え、飛び掛かる。
この時、彼女は短剣を両手で握っていた。煌く刃先は兜に開いた視界を確保する為の細い横長な隙間へと吸い込まれる。勢いと体重をかけて一気に刃を抉り込む。切っ先は眉間を貫く。
敵は力を失い、後ろ向きに倒れ落ちる。キスも一緒に落ちていく。
どうっと、土埃を上げながら、騎士の身体が地面に叩きつけられる。頭を地面に打ち付けた勢いで、刃先が更に顔面に食い込み、骨を砕き、脳を切り裂いた。これで、3人。
「やったね」
「うん」
「跳んでたね」
「うん」
馬の脚を止めさせ、ワークノート卿とロッソ卿は顔を合わせる。
「あの子、何者?」
「黒髪姫」
「ありゃ、一体、何なのだっ!?」
「あんな馬鹿なやり方があるかっ!?」
経験豊富な2人の騎士はほぼ同時に怒鳴った。
「ちょ、怒鳴らないで下さい……。鼓膜が……」
2人に挟まれたオブコット卿(娘)が迷惑そうに顔をしかめた。
「…………」
茶色い布に姿を隠した人物は湾曲した剣の切っ先から血を滴らせながら、ただ黙って佇んでいた。
その布から僅かに見える瞳は輝いていた。脳裏には、まるで飛んでいるかのような姿と流れる黒髪、煌く刃、鋭い瞳が色濃く刻まれていた。
「んーっ!! 姉ちゃん、かっこいいっ!」
モンは馬上でバタバタと悶えながら叫んだ。
「ヒーローみたい!」
「何と、馬を正面から乗り越えるとは……」
「信じられません……」
アーヌプリン公は唖然とした顔で、小銃を撃つのも忘れ、遠くにいるキスを見つめ続ける。
「彼女は只者には思えませんね……。銀猫王家の血は伊達ではないということでしょうか?」
呟きながら、小銃を構え、引き金を引く。
数百m先で敵兵が倒れた。
「うふふ。491人目」
「こりゃ驚いた……」
カルボットは丸くしていた目を更に丸くした。隣に立つオルガーはむっつりと無言のまま。
「どんだけ身軽なんだよ。てか、鳥人間か? 背中に羽あるんか? ちょっと飛んでたぞ。おい」
「むうぅ……」
カルボットはぶちぶちと感心してるんだか不機嫌なんだか分からないような口調で言い、相棒はしかめ面で唸った。
幾多もの視線を浴びたキスは、敵の顔面に刺さっている短剣を引き抜きながら、ゆっくりと立ち上がる。短剣は切っ先から柄まで全て真っ赤に染まっている。
血滴を垂らしながら、その場に立ったキスは辺りを見渡し、自分が少なくない人数に見つめられていることに気付いた。彼女は何度か大人数の前で恥ずかしい演説をしているくせに、未だに人から見られるのには慣れていなかった。
何だか、恥ずかしいというか照れて顔を赤くした。元から、馬やら人間やらの鮮血で真っ赤なので、色の変化には誰も気付かなかったが、頬に手を当てて、あわあわし始めたのを見て、彼女が照れているということを全員が理解し、概ね、同じ疑問を持った。
「今より大勢の人間に見つめられながらこっ恥ずかしい演説かましたり、とんでもない方法で馬と人をぶっ殺す度胸があるくせに、見つめられただけで照れるって、どーいうわけやねん?」
皆が首を傾げる中、キスは落ち着かなさそうにその場をうろうろしながら、ちょっと泣きそうな顔で呟くのだった。
「な、何で、見られてるの? あ、穴があったら入りたい……」