二六 黒髪姫と重騎士
「私が先に行って引くから」
ワークノート卿は呟くようにそう言うと、キスはちょっと理解できなくて首を傾げたが、ロッソ卿は黙って頷く。そして、彼女は1人先に馬を駆けさせた。
先に動いた者に敵の注意が向くのは道理だ。彼女は自分に敵の注意を引かせようと意図したのだ。やや左寄りに走って、相手の横に回り込もうとする。
彼女の行動に応じて重騎士が1人彼女に向かった。
「あれ? 1人?」
「1人ですね」
キスがきょとんとして、ロッソ卿が頷く。
「まぁ、戦は思い通りにいくものじゃありませんから」
彼は言ってから、サーベルを左手に、馬上銃を右手に取った。彼は両利きらしい。
「では、私は真ん中にいきます。殿下は右手から」
ロッソ卿は馬の腹を蹴った。向かってくる敵がいれば、そちらに注意が向くのが自然だろう。彼はキスよりも自分へと敵を向かわせようと企図したのだ。
事ここに至ってキスも2人は自分から敵を離そうと思って行動していることを理解した。彼女は黒い髪で教会に目を付けられているとはいえ姫様であるし、しかも、戦争素人だ。庇ってもらうのは当然ではあるが、彼女は申し訳ない気分になった。
とはいえ、ここで申し訳ない気分で立ち止まっていては2人に余計に負担をかけることになる。
遅れてキスは右寄りに馬を駆けさせた。
すると、ロッソ卿に2人が向かい、残り3人がキスに向かってきた。
「「「ええぇーっ!?」」」
やや離れた位置で3人が同時に叫んだ。
戦術においては、まず弱い或いは少ない敵から集中的に攻撃するという手もある。
弱い敵は早くに倒せるので、そこに当たった兵力をすぐ別の敵に当てることができる。その間、他の敵は支えられる最低限の兵で抑えておくだけに止めておく。
そうやって弱い敵を順々にやっていけば、やがて強い敵だけ残るわけだが、こちらは弱い敵を先に食っているので、数が温存されていて、強い敵を多くの兵力で叩くことができるという仕組みだ。勿論、全て、こう上手くいくわけでもないが。
この時、敵はこの原理を使ってきた。
即ち、まず、弱そうなキスを潰してから、ロッソ卿とワークノート卿をそれぞれ3人がかりで袋叩きにするというわけだ。卑怯臭いが堅実な手段だ。
キスが選ばれたのは、まず、若い娘であるし、兜は被っていないし(演説でカッコつけて投げ捨ててしまったから)、黒髪がやったら目立っていたからだ。
「わーっ! 何で、姫さんを狙うかなー!? 囮になった私が馬鹿みたいじゃない!」
ワークノート卿は馬首を返しかけたが、既に敵とは剣が触れ合う距離まで近付いていた。振り下ろされる長剣を慌ててサーベルで受け止める。耳障りな金属音が鳴り響き、サーベルを握った右手が痺れる。
「……ぃいったぁっ……」
噛み締めた歯の間から声を漏らす。
彼女の細腕では押し返すことは叶わないので、サーベルを上手く傾けて、長剣を受け流すと同時に敵から離れる。
敵も馬を彼女から離す。しかし、その位置はキスやロッソ卿のいる方。
「成る程。あんたは私の抑え役か……」
彼女は呟き、引き攣った笑みを浮かべる。
「あーっ! やはり、上手くいかんもんだなー! 囮になった俺が馬鹿みたいだ!」
ロッソ卿は幼馴染と殆ど同じことを叫びながら、馬上銃を構え、即座に発砲した。銃弾は彼に向かってくる2人のうち前にいた騎士の顔面に命中した。
騎士は頭をすっぽりと兜で覆っていたので、脳漿がびしゃぁっっということにはならなかった。しかし、いくら兜が丈夫でも全く無事では済まない。命中した衝撃は0にはならないのだ。ギャンッと金属音が響いて、顔がカックンと後ろに倒れた。
そうして、がら空きになった喉を、ロッソ卿がすれ違い様にサーベルで掻っ斬っていく。
喉を斬られた騎士は血潮を流しながら、落馬した。
2人目と剣を交えながら、ロッソ卿は口の中で呟く。
「当たるとは思わんかった……」
キスが駆ける後ろを3人の騎士が追随する。2人は長い槍を持ち、1人は幅広の大剣を装備している。
馬上で揺られながらキスは必死に考えていた。
2人なら、まだ、何とかなるかもしれなかった。手は2本あるし、右手にあるサーベルの他に護身用の短剣も腰にあるのだから、何とか頑張れば2人くらいの動きは止めていられたかもしれない。でも、3人相手はなー。
「どーすればいいんだろう?」
首を傾げる。
その時、前面を敵か味方か、とにかく人が横切っていって、彼女は思わず手綱を引いてしまった。
「わぁっ!」
やばい。と、思って、振り返ると、目前に横薙ぎに振るわれた剣が迫っていた。
慌てて身体を捩って伏せるのとほぼ同時に、頭の上を剣が勢いよく通り過ぎていった。ほっと溜息を1つ。
その直後、ざぎゅっ!っと音がして、彼女はあれ? どっか斬られた? と、怪訝に思いながら、顔を上げた。
「わぁーっ!?」
見ると、キスの代わりに自分の乗っていた馬の馬首がずっぱり斬られかけていた。飛び散った血潮が彼女の顔も髪も鎧も真っ赤に染めていく。阿呆みたいに開けた口の中にも血飛沫が入ってきて、鉄の味がした。鉄を食べたことはないけれど。
その瞬間、キスの頭の中は真っ赤に染まった。何も考えず、ただ、頭の中は赤く。
馬の首は太く、騎士の大剣は馬首をずっぱり刎ね飛ばすことはできず、途中(たぶん、骨とかで)で止まっているようだった。
騎士は剣を抜こうと、右手に力を入れたが、右手はすぐに力を失った。防備の薄い脇にサーベルが刺さっていた。細身の刃は腕の付け根を貫き、骨を砕き、鎧の肩の辺りに当たって止まった。そして、すぐに抜き去られる。
「ぐあぁっ!」
これで、満足に戦うことは叶わないだろう。これで、まず1人。
キスは中途半端に首を斬られた馬諸共、脇を刺された騎士の方に倒れかかる。2人の騎士と2頭の馬が一緒にごっちゃになって倒れ伏す。
そして、人馬それぞれ1人と1頭が立ち上がる。馬は駆け去り、人はその場に佇む。
キスは髪も、鎧も、肌も、馬の血と、土と、雑草で、汚れきっていた。
そこへ、2人目の騎士が突進してくる。槍の射程ぎりぎり近くからキス目掛け槍を突き出す。
真正面から一直線に来る穂先を避けるのは難しいことではない。勿論、運動神経や動体視力に劣る人間には無理だが、生憎と彼女はそのどちらも十分に備えていた。槍を確認し、持ち手の動きを見ていれば、何処へ来るかはなんとなく予測は出来る。それに、槍が届くぎりぎりの所から、槍で的の小さい頭や腕なんかを狙うわけがない。来るのは胴体以外にありえない。
キスは身を捩って、穂先をかわす。横を通り過ぎて行く馬腹に切っ先の赤いサーベルを突っ込む。そのままサーベルを持っていては持っていかれるので、すぐに手は離す。
馬は惰性で少し走ってから血を吐きながら、乗っていた騎士も一緒に地面に突っ伏す。
キスはその様子を見もせず、即座にもう1人を探す。
「貴様ぁっ!」
さして探す必要もなかった。左方から向かってくる。怒鳴りながら来たら意味ないだろうとも思うが、どちらにせよ馬蹄の響きで分かるから同じか。
サーベルを失くしてしまったが、戦場では武器などそこら中に転がっている。その辺にあった粗末な槍を拾い、馬の目前に突き出してみせる。
馬というのは結構臆病で繊細な生物だ。突然、目の前に何かが飛び出せば驚いて、顔を背ける。おまけに前足も高々と上げた。
こうなっては、乗っている方は攻撃どころではない。落ちないようにするのが精一杯だ。
その隙に騎士の左に回り込む。右では騎士の槍の射程に入る。左手は手綱を握っているだけ。そこへ、槍を突き入れる。が、槍が弱いのと鎧が丈夫なのとで、槍が折れた。
「わあぁっ!? 役立たず!」
仕方なく、槍を放り投げて、一旦、離れる。
「くそっ! 猪口才なっ!」
騎士は馬を宥め、キスを探す。
彼がキスを見失い探している間に、彼女は2番目に向かってきた騎士の乗っていた馬が倒れている場所まで移動していた。馬の乗り主は失神しているらしく、近くでぐったりしている。暫くは起きそうにない。これで、2人。
馬に刺した自分のサーベルを引き抜く。結構、深く刺さっていて抜き辛い。足で馬を抑えながら力任せに引っ張ると、ずるりと抜けた。刃は真っ赤に染まり、肉片が付いている。
背後に馬蹄が地面を叩く音を聞き、咄嗟に横に転がった。直後に、真横を馬が駆け抜けていった。ぼんやり突っ立っていたら串刺しになっていただろう。
キスは目を閉じて、一呼吸する。頭の中が赤い。頭の中が赤いと、何も考えなくても、勝手に身体が動いてくれる気がした。
目を開き、少し下がる。
最後の騎士が右回りに転回して、再び向かってくる。
自分よりもはるかに大きな馬が向かってくる迫力は筆舌にし難い。それでも、キスは動かない。視線は前に。
かなり、近付いたところで彼女は走り出した。
サーベルを振りかぶり、そして、投げる。銀色の細身の刃は真っ直ぐ騎士に向かって飛翔する。
初めて戦闘シーンを書きました。
むずかしいです。読み辛いとこもあると思いますが、御容赦下さい。