二五 黒髪姫突入す
反乱軍の農民兵たち総勢1万人は明らかに油断していた。
それもそうである。彼らは本職の軍人ではないし、もう何kmも徒歩で移動していて疲労しているのだ。しかも、彼らは昨日、反乱軍の指導者に扇動されてから、今まで行軍続きで殆ど睡眠を取っていなかった。
彼らが農民兵だから油断しているわけではない。そもそも、この当時の軍隊の主力は臨時の徴募兵であって、彼らは有事がないときは地方で農民をやっていて、帝国軍の将軍や領主から指示があった時だけ武装して集合する連中である。騎士や傭兵は確かに強いが、数は少なく、戦場において半分以上、いや、6、7割の兵士は普段は普通の農民をやっている連中なのだ。
よって、反乱軍の兵士たちが農民だから特別油断していたとか士気が低かったというわけではない。そもそも、第二次世界大戦まで世界の戦争の多くで戦ったのは、数ヶ月、あるいは数週間の簡単な訓練されていない庶民たちなのだ。
では、何故、反乱軍農民兵たちがここまで油断し士気を低下させているかといえば、その理由は明確に士官の不足に原因がある。
士官、つまり、兵を指揮、統率する職業軍人である。こちらはいくらなんでも、簡単な訓練で済ませた庶民では務まらない職務である。
帝国軍でいう士官は将軍たちを除いて、上から千人隊長、上級百人隊長、百人隊長、初等百人隊長、五十人隊長等である。その下に十人隊長、上級兵長、兵長ら下士官と続く。これらの士官・下士官に徴募された農民兵がなることはない。貴族の子弟、騎士、軍歴の長い者らがこの位置にいる。
反乱軍にはこれらの士官・下士官が絶対的に不足していた。1人の士官が数百人以上もの兵卒を指揮しなければならない状態だった。
士官・下士官の仕事の1つに督戦というものがある。簡単に言えば、サボっている腑抜けをぶん殴って無理矢理にでも戦わせる仕事だ。当然、人間っていうより生物ってのは死にたくないものであるから、自分の生死に直結しない場面で、士官の指導がなければすぐにサボったり逃げたりするのだ。また、いざ、戦いになっても士官の指揮もなく、兵士各々がてんでバラバラに戦っては、勝てる戦いも勝てない。士官・下士官の割合的不足は兵力の多少と同じくらい戦況に影響を与える。
だから、彼らは油断していた。灰色橋砦は放っておいても降伏するだろうと侮り、戦闘になるとしても、こちらから仕掛けなければ動きはないと全く本当に信じ込んでいた。更には、怠惰に身を任せ、勝手勝手に休息し、寝入っている者までいる始末。そして、それを咎める士官・下士官はいないのだ。
そこへ突如飛んできた砲弾に何人が対応できたことだろうか? 突然聞こえた砲声。見上げればこちらに飛んでくる彗星のような砲弾。密集した彼らの陣地に着弾したのは砲声を聞いてから数秒もしないうちだ。
反乱軍陣地はすぐに混乱に包まれた。そして、やはり、それを鎮める者も殆どいないのだ。数少ない士官や下士官の声は彼らの耳には全く入らない。入ったとしても、それは、ごく近い所にいる者にだけ。
そんな場面で彼らは目にするのだ。こちらに突進してくる大勢の騎士たちを。
軽装の騎兵ならば数kmの距離など数分で走破できる。練度の高い兵ならば、その間に隊列を整え、迎撃する用意ができる。しかし、今の反乱軍にはそれが不可能であることは前述したとおり。
キスたち、黒髪姫騎士団は先端にあって、当然、真っ先に反乱軍と接触する。
どんどんと迫ってくる敵兵たちを見ながら、キスは馬上でまだどーしようどーしようと考えていた。彼女はまだ人を傷つけたことがないのだ。馬で踏み潰しかけたことはあるが、それは彼女が直接的にやったことじゃない。
しかし、言うまでもなく今回はそうはいかない。
一回、腹を蹴ったからには馬は忠実にどんどん走っていくし、今更、Uターンできるわけはないし、敵中に踊りこんだからには剣を振るうしかない。戦場では人を殺すことが正義であり、殺人を罪悪と説くことは愚かな行為に他ならない。敵に向かって殺人が不道徳であることを如何に素晴らしく言おうとも、次の瞬間に首を刎ねられてしまう。
とにかく、何とかしなければいけない。いや、何をすればいいかは定まりきっている。人を斬って捨てればいい。それだけ。
まぁ、そんなことをどーよどーよと考えている間に、キスは敵中に突入していた。
キスの乗る馬は農民兵を掻き分け、踏み潰し、敵陣に乗り込んでいく。それにカロン人騎士たち、ラクリア人傭兵、フェリス人傭兵と続いていく。
事ここに至っては迷っても意味はない。
「迷いは死だ」
と、何だか格好良い感じのことを考えながらキスは右手のサーベルを掲げた。誰か適当な敵が向かってきたら振り下ろすつもりだ。
「ありゃ?」
だったのだが、彼女の掲げた白刃は所在無く彼女の頭上をゆらゆらするだけ。
振り下ろすべき相手、敵兵は彼女を置いてけ堀にしてすたこらさっさと走り去っていってしまうのだ。
とりあえずキスは馬を前に進める。
戦闘は始まった途端から、いや、始まる前から既に一方的な様相を呈していた。
反乱軍が急遽掻き集めた農民兵たちは我先へと逃げるばかり。数少なく残っている正規の兵士や傭兵たちも後方へと押し寄せてくる農民兵たちの波に揉まれて右往左往するばかり。そこへ、騎士や騎兵が迫ってきて、逃げる兵の背中を、馬蹄にかけ、槍を突き出し、サーベルを振るい、馬上銃を放つ。
これはもう戦闘じゃないとキスはぼんやりと思った。まるで狩りだ。見ていると何故だか口の中がカラカラしてくる。頭がクラクラする。風邪かな?
「殿下! 何をぼさっとしとりますかっ!?」
「オブコット卿」
立派な髭の騎士がキスに馬を近付けながら怒鳴った。
「戦において最も戦果を挙げる時はいつだか分かりますかな!?」
「敵を追う時」
キスは即座に答えた。
敵を追う時が最も戦果を挙げられる時だというのは、兵法の常道である。場合によれば、戦闘での戦死者の殆どが敗者が撤退したときに生じたものとなることも少なくない。
「そんな時にぼんやりしている奴がいたら士官としてはどーすべきですかな?」
「そいつの尻を蹴っ飛ばす」
「正解です。そして、拙者は殿下の尻を蹴っ飛ばしたくはありません」
オブコット卿は不機嫌そうにそう言うと馬首を返して、さっさと何処かへと行ってしまった。
「ハルマン爺さんは姫さんに手柄を立てて欲しいんでしょ」
いつの間にか側にいたワークノート卿が含み笑いを浮かべながら言った。
「まるで素直になれない頑固爺だわ」
「アン。そーいう言い方はどーかと思うよ。ハルマン小父さんはまだ48だし」
「あれ? そーだっけ? もう60越してるかと思ってた」
ワークノート卿とロッソ卿は死体や負傷者がごろごろ転がる戦場で、しかも、血塗れてたサーベルを手に和やかに雑談しつつ、馬を駆けさせる。キスはその違和感に困惑するしかない。
「あの、そんなふうに雑談してて良いんですか?」
「何? 雑談するより人殺しすれって?」
そんなふうに返されてはキスは黙り込むしかない。彼女が長年過ごした教会では、というよりも、マトモな神経の人なら誰だって言うのだ。殺人はいけませんと。しかし、戦場では殺人者でない者はケツを蹴っ飛ばされるか首を刎ね飛ばされるのだ。
「まぁまぁ、軽いジョークよ」
ワークノート卿はケラケラ笑いながら言い、サーベルで前を差した。自然、視線をそちらに向けるキス。
「ほら、もうジョークも雑談もできないよー」
逃げる農民兵の波に逆らい、掻き分け、数人の騎士が猛然とこちらに向かってきた。
「姫さん、今ばっかりは真面目に本気で戦わないと死ぬからね?」
「それくらい分かります」
向かってきた騎士たちはいずれも群青の鎧に身を包み、濃紺のマントを翻し、顔をすっぽりと兜で覆っている。重厚な鎧といい、手にしている装備は長い槍や大剣。かつては戦場の花形であった重騎士と呼ばれる騎士たちだ。
既に騎士の時代は終わりが見え、騎士は軍人というよりも身分として捉えられ始めている時代であり、それこそ重騎士なんてのは時代遅れも甚だしい兵種であるが、しかし、その鎧は厚く、槍も剣も銃弾(勿論、当時の銃での話)さえも通さない。また、鎧の重さをかけた槍の突きは薄い鎧など容易に貫き、剣は人馬を薙ぎ倒す。白兵戦においては最強と言っても過言ではないかもしれない。
しかも、相手は6騎で、こちらは3騎。
更には、辺りの味方も敵にかかっていて、応援はなさそうだ。
「さあ、いよいよ姫さんの初対決ね」
「のん気に言ってる場合じゃないよ」
ワークノート卿は相変わらずで、ロッソ卿は気分が悪そうだ。キスは覚悟を決めた。
久し振りの更新です。
もう読者さんの殆どは忘れ去ってしまっているかもしれませんねー。




