二三 単純なる戦略と巧妙なる演説
ワークノート卿が言うに、つまり、この砦を飛び出して、1万を超える敵陣に突っ込んでやろうというのだ。
「無謀だ」
「下らん」
「阿呆らしい」
「考えるに値しない」
「お前は兵法書を一から読み直せ」
「んなことを考えてる暇があったら剣を磨いていろ」
彼女の意見は年配の騎士たちからけちょんけちょんに貶された。ここまでぼろ糞に言われては彼女もさすがにちょっと泣きたい気分になってきた。しかし、彼女は諦めない。全ては自分の立身出世の為だ。
その為には少しくらいの無理はするつもりだ。ちょーっと怒られたり嫌われたりしたって構やしない。
「卿らは敵の数に臆しているのですか?」
その問い掛けに騎士たちは顔色を変える。
「敵は1万とはいえ、装備も練度も劣悪な百姓上がりの兵どもです。しかも、敵はすっかり油断している。おそらく我々が打って出ることなど想像もしていないでしょう。奇襲するには格好の条件が揃っているとは思いませんか? また、同時に砲兵隊による砲撃を行えば敵は混乱の極みに至りましょう。強襲する価値は十分にあります」
言おうと思えばいくらでも反論は言える。まず、距離も離れ過ぎているし、砦と敵陣との間に遮蔽物は殆どなく、ただまっ平らな草原が広がっているだけなので隠れることもできない。数kmの距離から隠れもせず真正面に突っ込んでいっても、敵には十分に対応する余裕がある。
そして、奇襲をするとしても、こちらの兵力は順次到着する援軍と守備兵を合わせても1500いくかいかないかしかない。最初の一撃を与えられたとしても、すぐに形勢は逆転し、下手をすればそのまま砦への侵入を許す可能性すらある。
更に言えば、こちらは近衛軍団やら教会軍やらたまたま帝都に在住していた騎士団やら傭兵やらの混成軍であり、結束力があるとも言えない。
しかし、彼女の言葉に反論する者はいない。誰もが口を閉じ、気難しげに顔をしかめている。誇り高き騎士たちは最初の台詞が頭から離れていないのだ。
戦いに臆することは騎士の名折れだ。幾千万ともいえど我行かん。
「騎士ならば敵が何人であろうと打って出るべきでありましょう」
最後の言葉が止めになった。
騎士って人種の人たちはそんなもんなのだ。
「馬鹿なことを言うな」
灰色橋砦守備隊司令を任じられたユットニール准将は不機嫌そうに言った。
彼は嫌悪感も露に眼前の騎士たちを睨む。
「そのような愚かな策は許可しかねる」
話はそれまでだとでも言いたげに准将は顔を背ける。
「しかし、准将! 敵は油断しております!」
「我が方は寡兵なれど今ならば敵を打ち破れましょう!」
「チャンスは今しかないのです!」
騎士たちは准将に詰め寄り、口々に強襲論を唱え、説得を試みる。
灰色橋砦に入った騎士団は3個あり、その3騎士団全ての騎士たちがワークノート卿の言い出した強襲論を支持していた。全員が全員黒髪姫騎士団の面々が言われたこととほぼ同じことを言われ、結局、支持するに至った。騎士は勇気と名誉を何よりも誇る生き物なのだ。
しかし、最後の関門が硬い。
「とにかく、そのような無謀にして単純極まりない策は許可できん!」
灰色橋砦守備の最高責任者であるユットニール准将を頷かせなければ作戦を実行することは出来ない。
その准将の頭が硬いこと硬いこと。頑として首を縦に振ろうとはしない。既に騎士たちによる説得は半時を経ている。太陽が沈み始めている。
この様子にワークノート卿はイライラと爪を噛む。このままでは、私の作戦が実行されずに終わってしまう。
「アン。爪」
隣にいるロッソ卿に言われ、彼女は口から爪を離す。爪を噛むのは幼い頃からの癖なのだ。そして、その度に、彼に「爪」と窘められてきた。
「しかし、その突撃強襲戦術って本当に勝算あるの?」
「ある」
イマイチ不安げなロッソ卿に彼女は答える。
「間違いなくあるわ。敵さんを見てみなさい。ちょっと武器持ってたって所詮百姓は百姓よ。ちょっと打ちかかってやれば蜘蛛の子を散らすようにバラバラになる」
「そう?」
「そうなの。だから、この作戦は決行されなきゃいけない」
そこで彼女はキスを見る。キスはやることもなくぼんやりと突っ立っていた。
「そこで姫さんの出番よ」
ワークノート卿はにんまりと笑った。思いっきり悪役笑いだった。
「ふぇ? 私が説得ですか?」
キスはきょとんとした顔で自分の顔を指差す。ワークノート卿はこっくりと頷いた。
「あなたしかユットニール准将を説得できません。てか、あの准将は姫さんの言うことくらいしかきちんと聞きませんよ。騎士とか貴族嫌いみたいですけど、姫さんは例外みたいですから」
ワークノート卿は帝都からの行軍の途上、キスとユットニール准将が親しげに会話しているのをしっかりと見ていた。
「姫さんだって、この作戦に不満はないのでしょう?」
キスは黙り込む。正直言って彼女は賛同しかねていた。ユットニール准将が言うとおり無謀で単純極まりない作戦だと思っていた。文句を言わなかったのは発言するのに緊張していたというか恐かったというか恥ずかしかったというか。そんな理由だ。
「大丈夫です。姫さんが協力してくれれば間違いなく作戦は成功します。私を信じてください」
キスの手を取って目をキラキラさせるワークノート卿。かなり胡散臭いキラキラだったが、キスはNOとは言えない子だった。
「え、えーとですね?」
そんなわけで可哀相なキスは周りを厳つい騎士たちに囲まれ、ユットニール准将のしかめっ面と向かい合い、1人虚しく説得をする羽目になった。ワークノート卿から説得するためのネタは聞かされたものの、正直言って全く自信がないだけなら、まだしも、人と会話するだけで、人の側にいるだけで、かなり精神的に追い詰められる。
それでも、真面目で心根の良いキスは、かくかく震わえる足をマントの中に隠しながら言うのだ。
「強襲作戦が有効であり、成功の可能性があるということは散々説明されたかと思います」
「あぁ、聞き飽きた」
准将は周りの騎士たちを見やりながら無愛想に答える。
「だが、私はそのような無謀な策には賛同しかねる。ここは防御に徹するべきだ。下手に打って出れば砦を掠め取られるぞ」
「それは間違いです」
キスははっきりと言った。
「防御に徹する? 砦を取られる? それは何の冗談ですか? 防御なんてものは必要ありません」
彼女はきっぱりと言い放った。
「君は何を言っているのだ?」
「准将閣下。あなたは目的を取り違えています」
怪訝そうな准将にキスは言い渡す。
「我々の責務は帝都の防衛であり、この砦を守ることではありません」
「それは分かっている」
「そうでしょうか?」
キスは少し首を傾げる。
「閣下は理解してらっしゃいますか? 聖キンレー川を越える橋はここだけではないのです。東にはアルバナ南道の通る橋があり、西にも橋があります。そして、敵はそこにも兵を送っているでしょう。その橋を越えられては、私たちがこの砦を死守したとしても意味はありません」
当然、灰色橋砦以外の橋が敵の手に落ちてしまえば、敵は迂回して灰色橋砦を南北から挟むこともできよう。または、ここを無視して帝都を目指し北上することもできよう。
「閣下は目的を取り違え、大局を見ていません!」
キスは断罪するかのように言い放ち、地図を載せたテーブルに拳を打ち下ろす。
「私たちがすべきことはここに立て籠もることではありません! もし、そうすることが正しいのならば、我々は帝都に籠もれば良かったのです! しかし、我々はそうしなかった! 我々は帝都の盾とならず、帝敵を貫く剣になったのです! その剣の切っ先が敵の鎧の前に止まることなど許されようはずはない! 鎧を突き破り、敵の肉を引き裂き、骨を絶ち、敵の心の臓を貫かねばならない!」
キスの言葉はその場にいる全ての者に、おのれが迎撃の為に来たことを思い出させた。
「そもそも! 軍人が百姓どもを恐れてよいのかっ!? よいはずがないっ! 我々は余裕で踏み潰せると侮る敵の鼻を叩き折らねばならないっ! 帝国軍の一員として思い上がった百姓どもに鉄槌を下さなければならないっ! 我々は戦をするのではないっ! 断罪するのであるっ!」
場の空気は全てキスの手中に落ちた。この演説の後には、何を言っても説得力を持たないだろう。
ユットニール准将はその場にいる者たちを見回し、キスを苦々しげに見つめてから、溜息を吐いた。
「ここで私が尚も籠城するといえば、私はすっかり臆病者ではないか」
臆病者の指揮官に兵は従わない。騎士はそれ以上に従わない。
准将は軽く両手を上げ、降参の意を表した。
次話でようやくいよいよ本格的会戦となります。
長かった……。