二二 灰色橋砦
翌朝早く、未だ太陽が昇りきらないうちに、黒髪姫騎士団含む3騎士団と3騎兵隊、5歩兵隊合計1000程に緊急に出撃の命令が下った。
命令の内容は灰色橋砦に先行し、砦を確保。守備隊と協力し、本隊到達まで砦を死守せよというものであった。
というのも、深夜のうちに反乱軍との攻防を繰り広げていたハーバード将軍砦からの伝令が双子鷲城に走りこんできたのだ。
彼が伝えたところによれば、ハーバード将軍砦より南の聖ホルタ城が陥落したとのことだった。そして、ハーバード将軍砦も危ういという。
当然、聖ホルタ城が陥落させた部隊はハーバード将軍砦を目指すだろう。今でさえ危うい砦を攻撃する部隊に応援が来た結果、砦がいつまで持つかなど考える意味もない。あっというまに陥落することは目に見えている。
聖ホルタ城に続いてハーバード将軍砦が陥落すれば、反乱軍の全てが灰色橋砦に殺到するだろう。
いや、戦術的に考えれば、陥落寸前のハーバード将軍砦に全ての兵を割り当てることは、兵力の無駄遣いだ。それよりはハーバード将軍砦よりも更に進んだ灰色橋砦に割り当てるべきだ。
帝南迎撃隊の指揮官たちも当然そのことは分かっていて、それゆえの命令だった。つまり、反乱軍よりも先に灰色橋砦を確保する為だ。
この出撃命令は突然のことであり、命令の下った部隊は慌しく準備に取り掛かり、走りながら朝食を食べつつ双子鷲城を出て行った。黒髪姫騎士団は人数の少なさもあり、真っ先に城を出た部隊だった。
以前、述べたが、灰色橋砦は橋そのものを要塞化させた珍しい砦である。
そもそもは、この奇妙な砦も普通の石橋で、その橋が要塞化されたのは、帝南城砦が形成されていた頃のことだ。
川というのは自然の堀であり防衛線でもある。
しかも、聖キンレー川の川幅は広く、流れも速い為、渡河は容易なことではない。自然、そこに架かる橋の戦略的価値は高くなり、近くに砦を建てることとなった。
この砦の設計・建設責任者となったのが、ゲッテル将軍という人物なのだが、そのゲッテル将軍は戦術家として有名な名将であったが、少々変わった人物であった。
彼曰く、
「橋を守る為の砦ならば橋の上に建てれば良い」
とのことであった。
この安直なんだか効率的なんだか分からない発想により、砦は橋の上に建設された。
橋の幅を広げ、橋脚を増強し、その上に塀と塔を建てた。さすがに、橋上だけでは面積が足りないし、あまり施設を橋の上に乗せると橋が落ちる危険性もあるので、橋の両岸にも張り出した形の砦が建設された。砦としては大きなもので、小さな城くらいの規模を誇る。
黒髪姫騎士団は偵察の役割も兼ねて本隊よりも先行し、その日の昼過ぎ頃に、帝南迎撃隊では最も早く灰色橋砦に到達したのだが、そのときには、灰色橋砦の南岸から数km南には既に敵軍が結集していた。今にも攻城が始まろうかという様子だ。軍勢の規模は少なくとも数千はいる。
「わ。たくさんいる……」
キスは石を退けたらうじゃうじゃ出てきた蟻を見たような感じで言った。
「早く砦に入りましょうぞ。狙撃される危険があります」
最年長のオブコット卿が神経質に周囲を警戒しながら言った。カロン人騎士たちは揃いも揃ってキスの周囲に結集する。銃弾の盾となる為であるが、余計に目立つし行動も遅くなって逆効果な気がしなくもない。
しかしながら、敵のイチからは射程外であったこともあり、銃撃はされず、騎士団は無事砦に入ることができた。
灰色橋砦の守備兵は500程で、守備隊長の上級百人隊長は赤髪で壮年の男だった。いかにも歴戦の戦士といった雰囲気がある。
「敵の装備は貧弱そのものです。まぁ、農民が主体ですから無理もないでしょうが。しかし、数はやはり多いです。既に1万程の兵が集まってきているようです」
守備隊長の説明をキスと黒髪姫騎士団の騎士たち、つまり、クリステン卿、オブコット卿、ロッソ卿、ワークノート卿らは砦で最も大きな塔の上で聞いていた。
既に、主要な現状報告をまとめた文書をフェリス人傭兵の1人(ヤンという名前の少年兵)をに渡し、伝令として後方に発している。これで、まず、砦に辿り着き、偵察するという第一目的は無事果たしている。
そんなわけで、彼らはちょっくら高見から敵を視察しているのであった。
キスは守備隊長が言った1万という言葉にピンときていなかった。どれくらい多いのか多過ぎてよく分からない。ただ、多いってのはとりあえず分かる。
反乱軍はテントの設営やら、大砲の据付け、馬車の積荷降ろし、未だぎりぎり現役な投石器や梯子なんかの攻城兵器の組み立てなどを行っている。暇な兵は休息を取っているようだ。かなり遠くなので、見え辛く、装備などはよく分からない。
「えーと、」
「それで、どーします?」
キスが口を開き言いかけたのとほぼ同時にクリステン卿が尋ねてきた。この問いにキスは吃驚してしまう。今、まさに彼女は「これからどーするんですか?」と聞こうと思っていたのだ。
「え、え、えーっと…………」
彼女はおろおろと無駄に手足をわたわた動かしながら、周りの面々を見て、首を傾げる。
「……何したらいいんでしょうか?」
分からないことは聞く。それが一番良い方策だ。
「まぁ、とりあえずは籠城することですな」
クリステン卿が言い、皆が頷く。既に結論は出ているらしい。キスに聞いたのは、まぁ、一応一番偉い騎士団長に形だけ聞いてみたということだろうか。
そのことに、別に不満はないので彼女は黙っていた。
口を開いたのは別の奴だ。
「ここは打って出ましょう」
一斉に視線が声の方に向いた。
「アン! いきなり何言ってるんだ!?」
「まぁまぁ」
皆に見られて、というよりも睨まれてもアナスタシア・ワークノート卿は全くもって動じる様子もない。ただ、じっと見つめていた。彼女が見つめているのは、慌てて幼馴染の出過ぎた真似を抑えようというロッソ卿でも、不機嫌そうに彼女を睨む年長の騎士たちでも、呆れた顔の守備隊長でも、遠くに南に見える敵陣でも、今しがた北からやってきた味方の騎兵隊でもない。彼女はただキスをの黒い瞳を見つめて、不敵に笑う。
「黒髪姫さん、英雄になる気はありません?」