二〇 黒髪姫塔に上る
集合拠点である双子鷲城には夕方過ぎに入城した。
双子鷲城は名前の通り、双子のような2つの塔がそびえる城だ。鷲は城主マーカスドット男爵家の家紋に由来する。
マーカスドット男爵は猫背で痩せた中年の小男だ。灰色の薄い髭といい、青白い肌といい、貧相な体格といい、何とも頼りなさそうな男だ。
男爵は、今いる居城が反乱軍の勢力地域と近いこともあり、大変に狼狽し、慌てた様子で城の防備や兵と物資の調達に努めているようであった。
「いや、大変なことになった。全く、困ったことだ」
男爵は落ち着かない様子でうろうろと部屋を歩き回る。まるで檻に入れられた熊だ。
「男爵殿。落ち着きたまえ」
見かねたらしく帝南迎撃隊司令ノース・ユリー子爵が声をかけた。
「いや、しかしですな。子爵閣下」
「危険が差し迫っているとき以外は落ち着いてあるべし。は、当家の家訓だ」
そう言う彼女は家訓を忠実に守っているようで、椅子にしっかりと腰を降ろし、腕を組んで動かざること石の如しとでも表現したくなるような堂々として落ち着いた態度だ。若い頃からこんなんでは、将来どうなってしまうのか少し心配な気がしなくもない。
「まずは、冷静に今の状況を分析せねばなるまい。全てはそこからだ」
彼女は大変落ち着いた調子で言い、机の上に広げられた地図を眺めた。
彼らが今いる双子鷲城は帝南城砦のちょうど真ん中近くにあり、地名的にはエルミット地方という。
城のすぐ東には南方街道が更に南へと続いていて、これを更に下ると十字路に至る。東に行く道はエルミット東道、西へ行く道はエルミット西道。この十字路の側にエルミット十字砦という少し大きめの砦がある。更に南へ進むとノットイール川が東西に流れており、川を越えるとそこはアルバナ地方に至る。
「このアルバナ地方が主戦場になるかと思われます」
参謀長のパーマー准将の言葉に皆が頷く。
アルバナ地方は、北はイットノール川、南は聖キンレー川に挟まれた地域で、農作物がよく育つ豊かな地域で、帝都で消費される莫大な量の食糧を供給する一端を担っている。
「しかし、反乱が農作業を行う前で良かった。麦の刈り入れの直前などに反乱が起きて畑が燃やされては目も当てられん」
男爵がぶつぶつと呟き、まぁ、確かに、と数人が頷く。キスは1人力強く頷いた。丹精込めて育てた農作物が焼かれては生きていけない。農民は食糧的な意味で、キスは精神的な意味で。
アルバナ地方に入るために渡った橋のすぐ東には北アルバナ砦、更に南方街道を行くと、道は分岐する。西に行くアルバナ道だ。この分岐路の側に三本塔城がある。アルバナ道を西に行くと、南へと行くアルバナ南道が分岐する。ここに一帯では最も大きなアルバナ城がある。アルバナ南道を南へ行くと、聖キンレー川にぶつかる。この川を越える橋の側に南アルバナ砦。
一方、南方街道をそのまま行くと、こちらも聖キンレー川に当たる。珍しいことに、この川を越える橋そのものが要塞化されていて、この橋みたいな砦、砦みたいな橋を灰色橋砦という。ノットイール川と聖キンレー川がアルバナ地方の東端で合流した地点には白滝城が聳える。
聖キンレー川を越えるとコルカント地方で、南方街道沿いにバーハード将軍砦、聖ホルタ城が並ぶ。
以上、述べたのがここら一帯の主な地勢であるが、述べた以外にも小さな道や、小さな砦は多く、また、町や村も点在している。
「報告では、コルカント地方の砦の多くは陥落しており、残っている主な城砦はバーハード将軍砦と聖ホルタ城のみ。既に反乱軍は聖ホルタ城を取り囲んで攻撃をしている模様で、バーハード将軍砦にも兵を送っているとの情報もあります」
「では、やはり、アルバナ地方が主戦場となるな」
「聖キンレー川を渡らせないようにするべきではありませんか?」
「となると、やはり、重要なのは灰色橋砦ですな」
会議を始めた将軍や騎士団長たちから少し離れた所、部屋のドアの辺りでキスはぼーっとしていた。
話し合いに加わるったって、戦略とか戦術とかよく分からないし、何かよりかによりやっぱり人がいる所は苦手なのだ。
それに、髪の黒い、悪魔の色の彼女は明らかに避けられている。直接的に何か言われたりされたりはしないものの、それは自分の「姫」という立場によってのみ救われていることを彼女は十分に理解していた。
もしも、自分がただの村娘とかだったら、どんなことになっていたんだろうか? いや、おそらく、生まれた途端に捨てられただろう。我が子とはいえ、悪魔の色の子を産んだと知れれば一族郎党まで良くないことになるのは明白なのだ。
彼女はぼんやりとそんなことを考えていた。ずっと1人で過ごしていると、こーいう良くもない考えを鬱々としてしまうのだ。
「あまり良くもないことを考えておるのだろう」
話しかけてきたのはユットニール准将だった。形の良い髭を撫でながら、キスを見下ろす。
「分かりますか?」
「うむ」
准将は頷いてから、側のドアを開けた。
「わざわざここにいることもない。今日は休息したまえ」
「いいんですか?」
「君がここにいる必要があるかね?」
キスは少し考えて、ないな。と1人で頷いた。
彼女は准将に言われた通りにすることにした。
何だか、やっぱり、居心地が悪いな。と、キスは思った。
城内を歩くと、いくつもの視線が無遠慮に飛んでくるのが分かる。戦の準備や休息をしている兵士たちの視線だ。
彼らが考えていることは、やはり、ただ1つ。髪の色についてだ。教会のいう悪魔の色。
誰も彼も気味悪そうな目で彼女を見ている。恐怖や憎悪に満ちた目も少なくない。
やっぱり、教会の中も外もさして変わらないものだな。と彼女は憂鬱になる。ここのところ、一緒にいた人たちは偶然か必然か彼女の髪のことをそんなに気にしていないか。もしくは、上手に隠していた人たちばかりで、意識していなかったというか忘れていたのだが、やはり自分は、世間から見れば異常なんだなと認識し直す。
こーいう視線は長いこと受けていては精神的によくない。
ここは気分を入れ替えようと彼女は屋上に向かうことにした。
とりあえず、低い塔と塔の間の屋上に上がった。敵が来るであろう南へ向けて10門程の大砲が据え付けられ、兵隊がせっせと砲弾や火薬を運んでくる。やはり、無遠慮にじろじろと見られる。ここも落ち着ける所ではないようだ。
個室に籠もれば1人になれそうだが、そんなことをすると余計に気分が落ち込むような気がする。
ふと、だいぶ暗くなってきた空を見上げる。左右に大きな塔が聳えて立っている。双子鷲城には塔が2つあり、それぞれ東塔、西塔と呼ばれていた。何となく、塔に上ってみることにした。考えてみれば、彼女はこんなに高いところまで来たことがないのだ。
キスは2つの塔を見上げて、どちらに上るが少し考えてから、まぁ、どっちも一緒かと思い、近い方の塔に向かった。
その彼女が上る塔の屋上では、
「ぐ、う、げー」
誰か吐いてた。
なんて終わり方でしょう。誰ぞ吐いてます。最低ですね。
なるべく早く次話を更新したいと思います。