一九 初めての敵
黒髪姫騎士団とアーガスロット王子騎士団合わせて100騎ほどは軍列を離れて、斥候を追うべく馬を駆けさせた。
アーガスロット王子騎士団は神聖帝国の西隣にある帝国の衛星国ライセン王国の第三王子が設立した騎士団であり、今は帝国軍に加わっている。軽装で小銃を装備した珍しいタイプの騎士団である。打撃力にはいささか力不足な感があるが、こういった追撃には適格である。
逃げる斥候は10人いるかいないか程の小規模の農民兵たちだった。おそらく、この辺りの地勢に詳しい者だろう。たった10人ほどと見て油断すると、あっさり逃げられる恐れがある。また、ユットニール准将はできる限り敵の斥候は殲滅して自軍の位置や構成を秘匿したがる将軍であったので、100騎という少々過剰なほどの追撃部隊を派遣したのだった。
逃げる農民兵たちは茂みの中を進み、林を目指して移動する。春の暖かさで急速に茂った背の高い雑草たちは騎馬兵の進軍を妨げ、徒で行く農民兵たちの姿を隠すだろう。
林に入ってしまえば余計に騎馬兵は進み辛く、歩兵は逃げ易く、容易に取り逃がしてしまうことが予想された。
両者の距離が100m程にまで近付いた段階で、アーガスロット王子騎士団の騎士たちが綱を手放し小銃を構えた。小銃には既に装填が為されている。揺れる馬上で小銃を構えて撃ち、なおかつ当てることは容易なことではない。それが逃げる歩兵1人1人が的となれば尚の事である。
それでも、これくらいの距離で撃たなければ、敵が林に飛び込んでしまう。そう判断して騎士団の指揮官は銃撃を命じたようである。
「全兵! 撃て!」
一斉に小銃の引き金が引かれる。この時代の銃は火縄銃よりも次の世代、フリントロック式と呼ばれる銃である。日本語で書けば「火打ち石式」という。つまり、火縄ではなく、引き金を引いたことによって打ち下ろされるハンマーで火打石を叩くことによって点火する機構である。
バババッといくつもの銃声が重なり合った音が鳴り響き、ほぼ同時に銃口からは煙と共に銃弾が飛び出し、敵兵の背中に向かって一直線に音速で飛び行く。
しかし、やはり、馬上から銃を撃つという行為自体が無理に近いのだ。昔の竜騎兵という小銃装備の騎兵も、小銃を撃つときは馬から降りたものなのだ。
やっぱり、命中弾はないようだった。
しかし、火器の用途というのは、何も弾を撃ち出して敵にぶつけるだけではない。その大きな音と衝撃、また、敵に狙われているという心理的作用も含まれるのだ。戦慣れしていない農民兵なら尚の事だ。
案の定、彼らは狼狽し、逃げ足に乱れと迷いと恐怖が混ざった。何をするにもそうであるが、狼狽や混乱をして闇雲にことをなして良いことは何もない。真っ直ぐに行けば林であるというのに、何人かが無意味に曲がったり、進路を変えたりし始めた。逃げているとき、人は何故かしら真っ直ぐ走っていると不安になるらしい。
アーガスロット王子騎士団と黒髪姫騎士団は散開して、それぞれの獲物を追い詰めにかかった。
キスは馬を駆って、2人の農民兵に的を絞っていた。彼女の脇にはロッソ卿、オブコット卿(娘)とモンを始めとするフェリス人傭兵たちがあった。
2人の騎士とフェリス人傭兵たちは馬術に優れ、他の者よりも幾分も速く上手く馬を駆けさせていた。ただ、キスが先頭にあるのは、彼女自身も分からなかった。まぁ、確かに、駆け出したときは指揮官という立場から先頭にあったが、既に彼らに抜かれて当たり前のような気がしていた。
まあ、とにかく、今はあの農民兵に追いつくことが肝心と、彼女は気持ちを入れ替え、馬を駆けさせる。
ぐんぐんと敵の背中が迫ってきて、はたと思う。
「私、追いついて、どーすんだろ?」
思わず口に出して呟く。
普通の兵ならば、まあ、武器で殺傷するか。回り込んで、逃げられないようにして捕獲するかだろうと思う。
しかし、自分に、馬を回り込ませ、逃げ道を塞ぐような芸当ができるだろうか? 自慢じゃないが、馬に乗った経験は多くない。そして、そんなに技術もない。
じゃあ、殺傷するのか? こっちは余計に大変だ。何せ、彼女は未だ1度も人を傷つけたことがないのだ。よくよく考えれば人との接触自体がなかったから、肉体的のみならず精神的にも傷つけたことがないかもしれない。まして、殺したことがあるはずもない。更に、考えてみれば、自分の武装は腰のサーベルだけだ。ユーサーが「ほい」と簡単に投げて寄越したもんで、見かけ品は良いようだが、馬上から攻撃するには、少々心許ない。いや、それよりも何よりも自分にできるのか? そんなことが?
思わず悩んでいると、
「ぐぎゃあっ!」
という悲鳴がすぐ側から聞こえた。
慌てて意識を戻すと、ちょうど、キスの乗馬が農民兵の1人を強引に乗り越えたところだった。おそらく、頭か胴体か、どっか踏まれたか蹴られただろう。
農民兵はべしゃっと地面に倒れ伏せる。素早くフェリス人傭兵たちの馬が取り囲み、逃げれないようにした。
「キス凄い! 馬で体当たりした!」
モンが無邪気に歓声を上げた。キスは微妙な表情で黙り込む。
はた、と思い出して、周囲を見回す。もう1人はどうした?
そのもう1人はロッソ卿が馬上からピストルで銃撃したところだった。距離は10mもなく、明らかに銃弾は農民兵の頭に命中し、敵兵は倒れ伏して動かなくなった。
キスは初めて人が死ぬ瞬間を見た。人が人を殺す場面を目にした。
「こちらは片付きました」
ロッソ卿は無表情で報告した。
ぱーん。銃声が1つ野に木霊した。
走っていた農民兵が頭を撃ち抜かれて倒れる。
かなり遠くから小銃を撃った射手は満足気ににやりと笑った。
そして、呟く。
「うふふ、487人目……」
斥候は8人が殺害され、2人が捕虜となり、後方へと移送された。捕虜のうち1人は脳震盪を起こしており、覚醒に数時間を要した。
かなり久し振りの更新です。
忘れられていないでしょうか?
かなり不安です。