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一 黒髪姫は人より土がお好き

 春はキスにとって好きな季節である。

 彼女は草花が好きな少女であり、春は誇らしげに花が美しさを競う季節であるから、好きであることはもっともである。

 それに、畑仕事大好き人間な彼女にとって春は念願の菜園構築の季節でもあるのだ。今年は何を植えようか。上手に育てられるだろうか。と妄想しながらくわで土を起こす作業は彼女の至福なのである。変な

「しかし、不可思議なことだ」

 青年は、真面目に地味目に、しかし、嬉々として土に汚れながら土起こしをしている彼女をぼんやりと見つめながら、そう呟いた。

 銀色の少し長めの髪に、彼女とよく似た切れ長の、しかし、どこか眠そうな目。彼女とは対照的に病的な程に白い肌で、体つきもまた病的に細い青年だ。年の頃は20代に至るか至らぬかといったところ。

「これだけ草木に囲まれた田舎のような環境で10年もの月日を基本一人で過ごしたというのに。しかも、一国の王女という身分を自覚しているにも関わらず、腐ったり捻くれたりもせず、地味に菜園を営み、真面目に勉学に励むとは。奇怪なことだ。君は本当に私の妹かね?」

 極めて不思議そうに、しかし、どこか気だるそうに彼は言うのだ。

 ずばり、彼はキスの兄なのだ。

 銀猫王国第四王子ユーサー・レギアンが彼の名だ。彼の母は王国貴族の娘であるが、生まれた順では7番目と王位継承順位は低く、宮廷ではそれほど重要な存在でもない。いずれ何処か領土を与えられて公となるか、大貴族の養子に入るか、教会に入って高位聖職者となるか。それが考えられる将来だ。

 将来が何となく定まっているとはいえ、今はさして役割も義務もない宙ぶらりんな状態で、比較的自由な環境にあった。

 彼が「大陸に渡って見識を深めるべく大学で学びたい」と言って、王も王族も貴族も反対しないほどには自由だ。そんなわけで彼は宮廷を出て、島を離れ、神聖帝国に留学している。

 年はキスより2つ上で、互いに最も年の近い兄妹となる。王太子や上の王子たちは既に成人して国の政治や軍事に参画し、上の王女たちは既に近隣国や大貴族へと嫁入りを済ましているし、下の弟妹3人は未だ10にもいかぬという年だった。

 父王は色を好む御仁で、妻愛人多く、当然子も多く。子らの年齢は上は28。下は5。人数は男子6人。女子5人。当時としては、まぁまぁ子沢山ではあるが、極めて珍しいというわけでもない。

 その中でユーサーとキスの兄弟はちょうど真ん中辺りにあり年が近いのだ。

 だが、キスは幼少期の殆どをこの地で孤独に過ごしてきたので、それほど親しいわけではない。彼が帝国に来たのは数年前で、キスの存在を知り、彼女の元へ足を運ぶようになったのは比較的最近のことだ。

「宮廷で生まれ育ち、何不自由ない生活をしてきた私はどうだ。すっかり捻くれて腐った野郎に成り下がってしまった」

 キスの兄ユーサーはさして表情もなく、単調な声でぶつぶつと呟き続ける。

「あの……」

 いつの間にやらキスは少し言い辛そうに迷うような顔で彼を見つめていた。

「何だね? 母が違うとはいえ私たちは兄妹だ。しかも、年の近い兄妹だ。言いたいことは遠慮なく言うが良い」

「……何しにきてるんですか?」

 口にはしないが、何となく迷惑そうだ。

「何か用事がなければ会いに来てはいけないのか? 遠い異国に兄妹2人。ちょっとくらい仲良くしたって良いだろう」

「それは、そうですけど……」

「じゃあ、良いだろう」

 彼はそう言って相変わらずキスの菜園の側にある木のベンチ(キスの日曜大工による代物)にダルそうに座り続ける。

「それとも何か迷惑かね? 邪魔かね?」

「いえ、そんなことはありませんけれど……」

 ユーサーの言葉にキスは申し訳なさそうにぼそぼそと呟くように言う。

 確かに、彼は迷惑なことも邪魔なこともしない。ていうか何もしない。

 たまーにふらりとやってきては、ただベンチに座って妹の畑仕事をぼんやり眺めたり、一緒にお茶を飲んだり、食事をしたり、本を貸したり、剣術を教えたり、毒にも薬にもなりそうもないことをぶつぶつ言ったりするだけだ。

 それでもキスは少し居心地悪く感じるのだ。それはそこにいるのがユーサーだからではない。他の誰であってもそう感じるだろう。

 彼女は物心付く頃から殆ど一人で過ごしてきた。週に一度の感謝日には教会に行って司祭の言葉を聴く機会はあったが、それ以外には人と交わることはなかった。人の声を聞くことさえ稀だった。故に人の存在に違和感を覚えてしまうのだ。側に人がいるということに未だ慣れずにいるのだ。

 そのことはユーサーにも何となく分かっていた。その是正の為に何事かしようとも思っていた。その気持ちは、年の近い妹を想う純粋な兄心からでもあり、長年孤独を友にしてきた彼女に対する同情からでもあり、おのれの抱く野心からでもある。


「やあやあ、やっぱり、君はここでしたか」

 がさがさと藪を掻き分けてまた人が一人増えた。人と接することに苦手意識を持っているキスは静かに嘆息する。近くに人がいるだけで、その人数が多ければ多いだけ彼女の心はかき乱されるのだ。一人で無心に土を耕していたいのに……。

 藪から出てきたのは若い女だった。セミロングの茶髪に、青白い肌、人が良さそうだが表情の読めない細目、薄い唇、小柄な体は細い。上品で高級そうな絹のシャツに、履き易すく動き易そうな綿パン。その上に派手派手な真紅のマント。そして、左目には白の眼帯。その白眼帯には交差する二本の赤いサーベルが描かれている。

 彼女もまたよくキスの元を訪れる人だった。正式名は帝国保安局長官レイクフューラー辺境伯キレニア・グレーズバッハ。これでもれっきとした帝国貴族であり、若いがグレーズバッハ家の当主である。

 辺境伯という爵位は、かつては帝国の辺境地域の地方長官に与えられた役職である。通常の地方長官である伯よりも、強い権限を与えられていた。つまり、辺境伯は伯よりも1つ上の位ということだ。この辺境伯の位は後に候となるが、今はまだ辺境伯と云われている。

「いやはや、探してしまいましたよ」

 マントやら髪やらに大量の草と枝をくっつけた辺境伯はへらへら人の良さそうな笑みを浮かべながらてけてけやって来てユーサーの隣に腰を降ろした。

「やあ、キスちゃん。今日も畑仕事頑張ってますねー」

 彼女は親しげにひょいっと片手を挙げて言った。キスはぎこちなく会釈する。

「こっち来てたのかね?」

「ええ、昨日、着きました」

 ユーサーが尋ねると彼女は人懐っこそうな微笑で応じる。

「辺境領はどうかね?」

「まあまあですね」

 そのまま2人は世間話を始めた。自分らの屋敷とか部屋とか、何処か適当な店とかでして欲しいな。とキスは土を穿り返しながら思っていた。

「ふふふ……。今年の土は良い感じ……」

 喜色を浮かべながら土を掘り返す黒髪姫であった。


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