一七 厄介事が増えてゆく
「そーいえば、出陣前の演説とかってないんですか?」
珍しく、本当に珍しくキスが質問をした。普通に、こんなふうに質問をすることは彼女にしては本当に稀だ。
「普通はある」
ユットニール准将は形の良い口髭を撫でながら言った。
「ただ、私はしない」
「何故です?」
「面倒臭いからだ」
准将の即答にキスは黙り込んだ。
「まあ、確かに、上手い演説は兵の士気を上げる。下手糞な演説は士気を下げるがな。しかし、私は士気を上げることを必要だとは思わんのだ」
キスは首を傾げた。彼女は常識知らずではあるが軍事関係の本を読んだこともあるので、士気が戦闘に与える影響の大きさを、少なくとも知識の上では知っていた。准将はそれを否定しているらしい。
「そもそも、私の隊は砲兵隊だ。士気が上がってやる気になろうがなるまいが、さっさと射角を設定して、砲弾と火薬を詰めて、発砲すればそれで良い。他にやってもらうことはない。ミスを防ぐ為にも頭の中はクールである必要もある。ゆえに無用な士気向上は不要だ」
そんなもんなんだろうかとキスは何となく納得した。
「それに……」
ユットニール准将はそう言いかけてから、少し言い辛そうに顔をしかめた。口を閉じかけて、しかし、キスをちらっと見て、思い直したように彼女にだけ聞こえるように小声で続ける。
「演説をするとなれば大声を出せねばなるまい。私は大きな声を出すのが嫌なのだ。君なら、分かるだろう?」
キスは真顔でこっくり頷いた。
2人の気が合うのは、2人とも人と対するのが苦手ゆえ、何か奇妙な親近感があるせいなのかもしれない。
帝都中央通の真ん中は防衛軍が優先的に通れるように整理されている為、砲兵隊はスムーズに進軍できた。が、先頭の護衛に当たっている騎士団が足を止めた。当然、後続の馬車も速度を落としていき、直に止まる。
「どーいうことだ? 何故、進軍を止めた」
「確認してまいります」
ユットニール准将に睨まれ、副官は慌てて馬を走らせた。
やがて、副官は悩ましげな怯えたような微妙な顔をして戻ってきた。彼がこの顔をしたときは必ず准将にとって機嫌の宜しくない報告を持ってくる。そして、それは今回の場合、副官が口を開かずとも、准将を不機嫌にさせた。
「やぁやぁ、どーも、ユットニール准将殿。お久し振りですねー」
副官に続いてやってきたのは緑色の長い髪に緑の大きな瞳。白い衣を身に纏った若い女だ。彼女の後ろには更に数人の騎士がいる。騎士たちはいずれも白や銀のやたら目立つ輝く甲冑に身を包んでいる。
ユットニール准将は凄まじく不機嫌な顔をした。今にも怒鳴りだしそうな不機嫌な顔をしているが、口を真一文字に結んだまま黙り込んでいる。
「あら? 私の名前、忘れちゃいましたか?」
「いや、覚えている。教会騎士団事務長殿」
「いえ、今は教会軍上級監督官です」
准将は黙った。若い女もにこにこと笑って黙ったまま。
「それは偉くなったのか?」
「ええ」
ユットニール准将の問いに彼女はこくっと頷いた。
教会軍は帝国軍とは全く別系統の別組織で、その詳細については帝国軍幹部もあまり分からないのだ。教会騎士団事務長と教会軍上級監督官の双方の役職がどんな仕事で、どれほどの位置にあるのか分からなかった。
「おや?」
緑髪の女は目をぱちくりとさせた。そして、ずずいとキスに顔を寄せる。キスは自動的に顔を下げる。器用に馬を後退までさせた。
「あら、この子は、今、話題の黒髪姫じゃないですか」
彼女は何だか楽しげに言った。
「ど、どーも、キスレーヌ・レギアンです」
キスは馬をじりじりと後退させながら自己紹介した。何とも消極的で簡潔簡単な自己紹介だ。
「あ、どーもどーも、ご丁寧に。そうそう。申し遅れておりましたね。私、教会軍上級監督官のクローディ・カラサと申します。以後、お見知りおきを」
緑髪の女クローディは愛想よく挨拶した。何故だかユットニール准将が一層顔をしかめる。
「よ、よろしくです」
キスはへこっと頭を下げる。どこまでも低姿勢で消極的なお姫様だ。
「ところで、君は、何の用で、我が隊の前進を止めたのだ? まさか、また戦場に行くつもりか?」
「そのまさかですが? そうそう。ここからは、正式な教会軍上級監督官として申し上げます。我が教会軍四翼天使騎士団及び教会軍帝都歩兵隊、騎兵隊、砲兵隊合計1000名はこれより帝南迎撃隊に合流し、共に反乱軍を撃滅いたします」
「貴様、そんな勝手なことを!」
いつもクールそうなユットニール准将が突然怒声を上げたので、クローディ以外のほぼ全員が驚いた。
「勝手じゃありませんよ。教会軍総督と臨時帝都防衛軍司令、帝南迎撃軍司令の許可は得ております。よって、問題なし」
クローディは胸を張った。張る胸もないが。
教会軍は通常異教徒の征伐や異端宣告を受けた国家を征討する役目を持つ教会の私設軍で、兵力は合計で5万以上。そのうち、帝都に駐在する総司教直下の部隊は5000にも及ぶ。そのうち3000は農民や市民で、戦時に徴兵されるので、急の動員には従えない。常備軍2000のうち半分の1000は総司教や帝都にいた聖職者の脱出の護衛に当たり、そして、残った1000をクローディが率いてやってきたようだ。
そもそも、教会はこういった反乱や戦争には、教会や宗教自体に影響が出なければ兵を出すことはしないものだ。
しかし、今回、教会は兵を出すことにしたらしい。反乱軍鎮圧及び鎮圧後に教会の意思を働かせる為だというのは誰もが一致する見解である。即ち、教会幹部は安全に逃げつつも、兵を出したという実績がある為に、帝都を脱出した大貴族たちより強い立場で戦中の作戦や戦後の処理に口を出せるというわけだ。
教会の思惑は分かっているものの、臨時帝都防衛軍としては一兵でも欲しい時だから、断ることもなく、受け入れたようだ。
しかし、ユットニール准将にはそういった上の方の思惑とは別に教会軍というか、クローディ個人を遠ざけたい意向があるらしい。
彼は直も何か文句を言おうとした。
だが、そうは問屋が卸さなかった。
「准将! え、ええっと、ちょっと来て頂きたいのですが!」
今度は後方から士官がやって来て言ったのだった。
准将は渋ーい顔をした。
「いいえ! 行くのです! 行きます! 付いて行きます!」
部隊の後方で1人の少女が喚いていた。きらきら輝く金髪にやっぱりきらきらな黄金色の大きな瞳の人形のような可愛らしい少女だ。
「いえいえ、閣下を連れてなどいけません! 少なくとも准将閣下に許可を得なければ!」
その彼女に対して部隊の士官たちは頭を下げんばかりに説得に当たっている。
そこへ、ユットニール准将とキス、そして、キスの側近となりかけているロッソ卿とワークノート卿、更に何故だかクローディがやって来た。他の騎士団長らは部隊の各地に分散して待機している為、この場には付いてきていない。
「アーヌプリン公です。先の帝国議会副議長です」
誰だかイマイチ分かってなさそうなキスにロッソ卿が小声で申し伝えた。
あぁ、とキスも思い出す。帝国議会の混乱を鎮定できず、キレニアに解任決議されて逆に喜んでいた人だ。
アーヌプリン公は10人もいない部下を連れて、馬上にある。純白の見るからに上級の甲冑に身を包み、白いロングマントを羽織り、腰には銀細工の見事な鞘のサーベルと、世間では出たばかりの高級なピストルを提げている。また、鞍の両側には銃身や柄の細工が見事な小銃が備え付けられている。
「アーヌプリン公。一体、どうなされたのですか?」
ユットニール准将は渋い顔で、馬から降りて問い掛ける。准将に続いてキスらも下馬する。アーヌプリン公の地位は准将や騎士どもとは比べようもないほどに上の地位なのだ。
ところで、彼らが降りたのを見て、アーヌプリン公まで慌てた様子で降りた。何で、あんたも降りるんだよ、と全員が心の中でツッコミを入れた。
「あ! あのあの! 准将殿! 私も此度の戦陣に、ご一緒いたしたく!」
「いや、落ち着いて頂きたい」
何だかハイテンションに叫ぶアーヌプリン公を宥めるように准将は言った。
「一体、どういったことで、御同陣なされるというのですか? 我々は戦争に行くのであって、更には、我が軍は劣勢であり、見物を為される方を連れて行くわけにはいかんのです」
准将は丁寧ながらはっきりと言った。せっかちな彼は行軍を遅れさせられイライラしているのだ。
「承知してます! 私は戦う為に行くのです!」
アーヌプリン公は何だかぎらぎらと瞳を輝かせて叫ぶのであった。
「既にレイクフューラー辺境伯にも許可をもらってます!」
准将は額に手を当てた。頭痛がするらしい。あの隻眼の軍師気取りの素人貴族は何を考えていやがるんだと腹の底で毒づく。大貴族のお嬢さんを1人連れて行くだけで数十人、或いは100人もの護衛を付けなければいけなくなるのだ。ただでさえ兵力が少ないのにだ。余計な負担である以外の何ものでもない。
「大丈夫です! 私の身は私で守りますから!」
アーヌプリン公はそう言うが、実際、戦闘になって、彼女が死んだとき困るのは准将なのだ。
「とにかく! ダメって言われても勝手に付いて行きますからね!」
しかし、このように強硬に主張する大貴族を無理矢理置いていくことができないのも事実。
准将は頭を抱えたい気分に襲われた。
予定通り二〇までには戦争に至りそうです。