序 銀の猫の王の黒の髪の姫
銀猫王第4王女キスレーヌ・レギアンの髪は黒かった。
その絹が如き長髪は、まさに漆黒。黒真珠の如き美しき黒。闇の色。夜よりも暗く、瞼の裏よりも完全な黒。
銀猫王国が治めるカロン島及び西方大陸の人間に黒髪の人間はほぼ全くおらず、異教徒の住む東方大陸においても、黒髪は東の端でしか見られない珍しい色だ。勿論、銀猫王家においても、今まで黒髪の者など一人もいなかった。
珍しい。で、済む話ではない。
カロン島及び西方大陸で信仰されている西方教会において、黒は悪しき色。神と対極ある呪われた色とされていた。
物や服、装飾品に黒が使われることはなく、家紋や国章にも黒は使われず、建造物を黒く塗るなどもってのほかである。黒い動物は悪魔の使いとされ、忌避されているし、世界が黒く染まる夜などは悪魔の時間され、人は家に籠もる。
その全ては教会が定めたもので、多くの人々はその定め通りに生きている。教会の定めは法律にも勝った。
教会の権限は絶大で一中堅国程度の力では歯向かうことなど無謀の極み。
また、この時期、科学と学術と文化の繁栄により、教会の威信は少しずつ揺らぎ始め、過去ほどの栄光は見られなくなっていた。そんな状況下ゆえ、教会は力を見せ付けるべく余計に態度を強硬にし、教義や規定に煩くなっていた。
かの黒髪の王女の話は教会の知るところとなり、彼女の命は教会の判断に委ねられることになる。
カロン大司教及び島内にいる10の司教、大陸からやってきた教会法官らの会議において、彼らはこういった結論を導き出した。
「西方教会の教義書曰く、神は黒に白を垂らした。黒と白が混ざり合って人が生まれた。故に人は元は黒である。そこに白―つまり信仰を取り入れれば黒は是正されよう」
銀猫王国は神聖帝国に従属してはいるが、立派な独立国家であり、さほど信仰が強くもない国柄でもあって、教会に強く臣従してもいない。しかも、異教徒の住む東方大陸と接している。
もし、銀猫王国が東方の国に寝返ったらという懸念は常に帝国及び教会内にはあった。銀猫王国が異教徒の尖兵となり帝国に攻め入るということは回避しなければならない事態である。
そこで、教会は黒髪の姫を人質として召し上げようという意図を持っていた。先の結論はこうして導き出されたものだ。
銀猫王としても、無闇に帝国や教会に無意味に反抗する気はなかったし、貸しを作る意味合いもあり、それを承諾し、そのような経緯で、彼女は生まれ故郷であるカロン島を離れ、神聖帝国で過ごすこととなった。
黒髪の王女は5歳のときにカロン島、銀猫王国より離れ、神聖帝国に渡って10年の月日を過ごした。
彼女がいたのは帝都郊外にある聖ケネア教会の離れであった。教会の人々にとって悪の象徴とも言える黒色の髪を持つ彼女は厄介で忌み嫌う存在に他ならなかった。中堅国とはいえ王国の姫である為に丁重に扱われてはいたものの、まるで伝染病の患者に対する扱いであり、腫れ物に触れるような接し方であった。
彼女も、まだ幼い頃にはそのことに理不尽さや寂しさ、悲しみ、憤りを感じたりもしたが、ものが分かるようになった今ではそれもまた仕方のないことだと諦観の域にあった。
離れは、教会や付属大学の区域内の林の中にある。
基礎は石材で固められ、その上に木造の二階部分が建つ堅牢な建物で、幼い頃の彼女にはまるで牢獄のようにも見えたが、今では愛着ある我が家だ。
石材の基礎は丈夫で熱を通し難い為、冬は暖かいし、夏は涼しかった。ただ窓が小さく少ない為に少し暗いので気分が滅入ったし、一人で暮らすには十分過ぎるほどに広かったのは孤独を一層深めたが、まあ、それも仕方のないことだと彼女は達観している。人生の大半をそこで一人で過ごせばそう思っていないとやってられない。住めば都。
一人でいるととても暇なので、彼女は離れの周辺に菜園を作り、夜は勉学をして過ごした。日々育っていく植物を見守ることは彼女を楽しませたし、何より収穫して食べる野菜は美味しかった。また、教会の司祭が「子は勉学が仕事である」と言っていたので、彼女はその通りにしていた。一人で暮らしていた割には捻くれたりせず、根が真っ直ぐ真面目に育ったらしい。
15歳になった彼女の髪は先に述べた通りに長い漆黒の髪で、目は切れ長だが、厳しい印象はなく、どちらかというと温和そうな瞳だ。畑仕事をしているせいか肌は少し焼け、水汲みや薪割りなどの家事労働も自ら行っている為、体には程よく筋肉がついてる健康的な少女だ。一国の姫にはまるで見えない。何処ぞの健気な田舎娘のようだ。
それが、銀猫王第4王女キスレーヌ・レギアン。通称「黒髪姫」。愛称「キス」だった。
「キスってあだ名は止めて欲しいのだけれど……」
彼女はそう言うが誰も止めはしない。
戦記始めてみました。
まだ戦いません。できるだけ早くに戦争させます。はい。