悲しみの旋律よ永遠に
ある学校の話、何か悲しいこと、辛いこと、苦しいことがあった時、不意に聞こえてくる旋律。それはとてもとても……――
「美璃菜! なにぼーっとしてんの?」
「ん? あぁこっちゃんか」
「あぁこっちゃんか、じゃないわよ! あんた、夏休み前のこの時期になると普段ののんびりに輪をかけての~んびり屋さんになるわね。しっかりしなさいよ。こののんびりな!」
「いてて……グーで叩かなくても」
私、九条美璃菜と申します。年は十七、高校二年生です。皆にはよくのんびりな(美は‘び’とも読めるのでのんびりと美璃菜をかけて付けられました)と呼ばれています。中学の頃はこんなんじゃなかったのですが、色々とありまして、挙動が遅くなってしまったのです。高校生になると同時に慣れ親しんだ町とお別れして、遠く離れた場所に来たからなのかもしれません。父の転勤なので仕方のないことですが、やはり寂しいですね。でも、こっちゃんをはじめ沢山のお友達が出来ましたし、前の町のお友達ともよくメールや手紙を交わします。ご安心を、私は元気にやっています。両親もいますしね。
なんて喋り方、本当は割に合わないんだよね。けど、今はそれが楽でもあった。そういう‘性格’でいるのが、気楽でよかった。
「また美璃菜はぼーっとして。全く、そんなんじゃ悪い人に引っかかってどっか連れてかれちゃうわよ。そういえば最近変な噂も聞くし」
「変な噂?」
「お、珍しく美璃菜が食いついた」
「こっちゃん、それはどういう噂なの?」
「こんなぐいぐいくる美璃菜私知らない……。まぁいいや、で、その噂ってのが」
ちょっとホラーっちくな話なんだけど、なんでも学校にいる時悩み事とかで深く考え込んでいると、不意に音楽が聞こえてくるんだって。それが音楽室やスピーカーから聞こえてくるわけではなく、どこからともなく耳に響いてくるような感じなんだとか。とても美しい旋律なんだけど、耳を澄ませて聞いているとなぜか切ない気持ちになったり、憂鬱な気分になるんだって。で、こっからが本題なんだけど、その不思議な音楽を聞いた日の帰り道には要注意。ある人は車に轢かれ全治二ヶ月、またある人は不良に絡まれてボコボコにされた挙句お金を全部盗られちゃったとか。兎に角、死にはしないんだけど何かよからぬことが絶対に起こるんだって。
「まぁとにかく、その音楽を聞いた人は呪われるんだって。でも、危険なことが起こる前触れっていう人もいるわね。のんびりの美璃菜は悩みごととかもなさそうだからよっぽど大丈夫だと思うけどね」
「なんだ、そんなことか。それなら私、いっつも聞こえてるよ」
「ですよねー美璃菜だもんねーって……ええ!!? じょ、冗談ならやめなさいよ? シャレにならん」
「そんな驚かなくても」
実際、嘘じゃない。今だってほら、他の人には聞こえてないんだろうけど……私にははっきりと届いてくる。とても悲しいけどどこか愛おしい旋律。こっちゃんは憂鬱になるとか失礼なこと言ったけど、私はずっと聴いてたいとすら思う。これを聴いている間は、何も考えないでただ浸っていられるから。
「冗談とかあんま言わないのんびりなだもん、ちょっと心配だわ……。本当に、何かあったらどうしよう。そうだ! 今日は家まで送っていくわ」
「いいよこっちゃん、私は音楽を聞いたくらいで呪われたりしないから。それに、今の話だってもしかしたら元々悩んでて暗い気持ちになってる人が更に空耳で音楽が聞こえたような気がして、またはこっちゃんが話してくれたような噂を思い出して聞こえるという錯覚を起こし、もっと気分が沈んで注意力が欠け車に轢かれたり、そんな暗い顔だから不良を引き寄せたりしたんじゃないの? ほら、陰気な雰囲気の人には悪いものがついて行くとか言うし、不良も元気な人よりそういう弱ってる人をターゲットにするでしょ?」
そんな深く考えずにそう口にすると、こっちゃんは更に驚いた顔をして、またぶつぶつと呟いた。果てには私の額に手を当ててきたりした。
「美璃菜がこんなに喋るなんて……熱でもあるんじゃ。やっぱり音楽の呪い?」
「やめてよこっちゃん。私のだってきっと錯覚だよ。だから気にしないで、じゃないとこっちゃんまで嫌な空気に飲まれちゃうよ」
「いいや、ほっとけない。決めたわ、今日は絶対美璃菜と帰る。ちょっと部活休むって先輩に言ってくるからここで待ってなさいよ。絶対ここにいなさいよ!」
「はいはい。こっちゃんは心配性だなぁ」
私は走って教室を出て行くこっちゃんを苦笑いで見送った。部活休んでまですることとは思えないけど、これほどまで心配してくれる友達がいるというのは喜ばしいことなんじゃないだろうか。そんなことを考えていたら早くもこっちゃんが戻ってきた。
「さぁ美璃菜、帰りましょう。先輩も許可してくれたわ」
「何があっても知らないからね」
「またまたぁ、美璃菜はたまぁにそういうこと言うよね」
冗談のつもりでもないんだけど、こっちゃんは信じてくれそうにないので今は黙っておいた。
「美璃菜はほーんとにおっとりでのんびり屋だから音楽とかは置いといても気をつけなきゃだめよ? 世の中そんなに安全じゃないんだから」
「こっちゃんってば、お姉さんみたいね」
「美璃菜が頼りないからよ」
「そうだね。確かに音楽が普段よりもよく聞こえるこの時期はいつも以上に不吉なことが起こるから気をつけなきゃ」
「美璃菜……それは冗談でしょ? いくら私でも、騙されないんだからね」
結局音楽のことは私の嘘だとこっちゃんの中でまとまったらしい。正直信じてもらえるとは思ってなかったからどうでもいいんだけど、私はそれ以上に気になることがあった。今日はこっちゃんと話している時でさえ音楽が鳴り止まなかった。いつもなら人と話したり、他ごとを考えていたりすると音楽は聞こえないのに……なにか嫌な予感がする。これは、気をつけなきゃいけないような。
「美璃菜? みーりな、のんびりなー。空なんか見ちゃって、またぼーっとタイムですか。全く、ほんとに今日はついてきてよか」
「こっちゃん危ない」
私は反射で体が動くのを感じた。実際には私が自分の力で動いたのだろうけれど、ほとんど無意識だ。そのままこっちゃんの体を押し倒して地面に倒れこむと、真後ろで何かが割れるような大きな音がした。道行く様々な人が振り返ったり、足を止めたりする。
「え、っちょっとなに、美璃菜どうしたの」
「植木鉢が落ちてきたの。私たちがさっきまでいた場所に」
現状を理解したのかしてないのか放心状態のこっちゃんを支えて立ち上がると、近くにいた様々な人が私たち二人に声をかけてきた。皆一様に、驚いている様子だ。少しすると例の植木鉢の持ち主が走ってきてものすごい勢いで頭を下げた。
「大丈夫ですよ、見ての通り怪我はありませんし。でも彼女、ちょっと驚いちゃったみたいで歩けないみたいなんです。家に迎えに来てもらうよう連絡はするのでその後を頼めますか?」
私はこっちゃんに携帯を出させ、家につないでもらった。事情説明は私が簡単にして、場所を伝え電話を切る。
「じゃあ私がここにいると良くないから、先に帰るね。すぐお母さんが迎えに来るから安心して、ね」
そう言って肩を離すと、こっちゃんはなんとか自力で立ちながら、私の腕を掴んだ。
「気を……つけてね」
私はただ笑ってその場から去った。
今みたいな話は私にとってよくあることだ。車に轢かれそうになるのも、上から何かが降ってくるのも、変な人に絡まれるのも、もはや日常茶飯事だ。ただ、特別よく音楽が聞こえるこの時期だけは用心が必要だった。といっても今年でまだ二度目だけれど、なぜかこの夏休み前はよく音楽が聞こえた。美しい音、紡ぎ出される切ないメロディー、心地よかった。でも、それは反対に、自らに降りかかる不吉の大きさを予告していた。それに気づいたのが、去年のちょうど今頃だったかな。音楽がよく聞こえれば聞こえるほどより不吉なことが起こった。冬は逆に聞こえない日もあるくらい平和な毎日だった。それは、夏の恐怖を際立てる役割しかないのだが、しかし、私はこの死と隣り合わせ出来事を恐怖だと感じたことは一度もなかった。一時期、このまま死ねるんじゃないかとすら思い、幸せすら覚えたくらいだ。でも結局、私は今日まで生きている。きっと明日も生きている。むしろ生きる事を義務付けられているような気さえしてくる。今日だって、友達がいたとはいえ。上から降ってくる植木鉢に気づくことすら奇跡なのにさらにそれを避けたとなると、人間の防衛本能の素晴らしさを感じざるを得ない。何か他の力が働いてるのではないかと日々疑うくらいだ。いや、多少の根拠はあるのだけれど。
そして今日も、スリルを味わいながら無事帰宅できてしまうのだった。あれだけの体験を日々しておきながら擦り傷一つないところを見ると、きっと私にはかなりお強い守護神様がいらっしゃると見た。
『みーな、元気? あんなことがあってすぐ引っ越しちゃうんだもんみんな心配してるよ。みーなのいない町は少しだけ寂しくなったような気がします。こんなこと言ったら困らせるだけだろうけど、みーなには戻ってきてほしい。みーなのこと大好きだから、顔見て元気だねって確認したい。メールだけじゃ分かんないよ。せめて夏休みでも戻ってこれないのかな? みーなの両親……許してくれなさそう?』
これは、引っ越してすぐ届いた前の町の友達からの手紙の一部。彼女たちは私のことをよく知っている。だから、こんな手紙をくれるのだ。私は彼女たちにとって欠けてはならない存在だったのだろう。今の私とは違う、本来の自分。今の私はきっといなくなってもいつか忘れてしまうような影の薄い存在。むしろその位置に自分で立っていると言えるだろう。消えてしまっても、誰も何も思わないよう、いつ消えてもいいようこの見事な位置を作り上げた。けど正直、疲れた。本来の自分でいれないというのはこれほどまでに辛いことなのだろうか。偽るというのは、これほどまでに罪悪感を感じるものなのだろうか。
「もう寝よう」
私はどうせまた来るであろう明日を恨みながら、眠りについた。
翌日、学校に着くと同時にあの旋律が流れ込んできた。それは今までのないほど悲しくて引き込まれるような快楽を感じる。これは本当に、今日が最後かもしれない。まさに、終業式の名に相応しく、ね。
教室に入るとこっちゃんが不安げな顔でこちらを見つめてきた。いつもなら元気におはようと言ってくるのに、やはり昨日のことで相当気が滅入っているらしい。
「美璃菜、昨日は大丈夫だった?」
「こっちゃんこそ大丈夫? 顔色悪いよ」
「そりゃ、美璃菜のことが心配で心配で……」
「私は大丈夫、慣れてるからね。それより、今日は早く帰ったほうがいいよ。今にも倒れそう」
「でも、美璃菜は? 今日も聞こえるんでしょ」
「大丈夫だって、そんな顔で心配されても逆に困っちゃうよ。こっちゃんは自分の心配をしなきゃ。辛かったら保健室行くんだよ」
「うん……」
こっちゃんとの話を早々に打ち切ると、私は旋律に耳を傾けた。最後かもしれないなら、たっぷりと、聴いておきたいじゃないか。冥土の土産にね。
式の最中も音を追った。キーンと言わせながら懸命に話す校長先生の話もほとんど耳に入ってこないくらい、音は私の聴覚を支配していた。音以外聞こえてこないわかではない、隣で男子が詰まらなさそうにぐちぐち言っているのは聞こえたし、生活指導からの重要な話はしっかり聞き取れた。ただ、旋律は全身を流れるかのように絶え間なく続いていた。
私は人知れず確信した。今日が最後だ。
クラスメイトが明日からの休みに心躍らせながらバラバラと教室から出ていく。その中にこっちゃんの姿はなかった。式が終わってすぐ親が迎えに来たらしい。そりゃあの様子だし、無理もないだろう。よく式が終わるまで耐えたものだ。私も手早く帰り支度をして、少し心細く思いながらもその旋律に別れを告げた。
帰り道、私はあえていつもの道を通らなかった。よくわからない裏路地に入ったり、入り組んだ道を複雑に歩いたり、家とは逆方向と思われるほうに曲がってみたり。そうしている間になんだか別世界に迷い込めるような気がしていた。
そして案の定、私は道に迷った。また偶然にも、携帯は圏外だった。
「お嬢さん、どうして君は一人でこんなところにいるんだい?」
その時一人の男性が私に話しかけてきた。振り返るとそこには大柄の男が数人、道を塞ぐような形で立っていた。
「道に迷ったんです、あえて」
「そうか、でもここはあえて道に迷ったくらいで来れるような場所じゃないんだけどねぇ」
別の男がわざとらしく首をかしげながら言った。
「つまり、普通なら来れないところってことですか? ここは異世界なんですか?」
「なんて察しのいい娘だ。お兄さん達も驚きだよ。そうさ、ここは普通じゃ来れない、現世の世界軸が狂ってしまった空間だよ。人呼んで、霊界。普通ここに人が入れるなんてことはありえなんだけど、君は特別みたいだ。何かに憑かれているのかな? なぁんて」
「かもしれません。私は一年ほど前から命がいくつあっても足りないような経験をいくつもしてますが、見ての通りピンピンしてます。何かに憑かれているとしか思えません。何か……心優しいものに」
私がそう言うと男たちは少しざわついた。意味がわからないというような顔をする人までいた。
「お嬢さんは、ひょっとすると……死にたいのかい?」
「ひょっとしなくてもそうです」
どっと男たちから笑いが漏れた。そして口々に色々と話し出す。
「こりゃまいった、まさかあちらさんから死にたいなんて言われるなんて。ま、ちょうど良かったのかな。元々生きて返す気はないさ。なんせこっちの世界に来ちまったんだからなぁ」
「実は言うと君みたいに迷い込んできちゃう人がたまにいるんだよね、あとはこっちが干渉しやすそうなやつをわざと迷い込ませたり。どちらにせよ生きてる人間がこっちに来た時点でそいつの死は確定さ。俺らみたいなにのが沢山いるからな、みんな食べちまうのさ」
「生きた人間の魂は美味しいからな。死んで味覚はなくなっちまったが、魂の味だけは鮮明に感じられるんだよ。そして魂が食えない奴は土地に縛りつくか、未練に縋るか、人に憑くかしねぇと消えちまう。憑いたりする奴は気まぐれで人を守ったりもするなぁ。いわゆる、守護霊?」
「でもま、そんなことは今の俺らにゃ関係ない。お嬢ちゃん、君の魂いただいちゃいます。こんな変わった娘のは特別美味そうだ。誰か憑いていようと関係ないね。ここに来た時点で、そいつの力なんて知れてりゃぁ!」
一斉に男たちが飛びかかってくる。いつものように反射で体が動いてしまうことは今日に限ってなかった。私は落ち着いて、ただその場に立ち尽くし醜い男たちを見た。
「覚悟はいいみたいだなぁ!!!」
来る、一人の手が私の肩に触れ――
『みり、目を閉じて』
頭に声が響いてきた瞬間、私は強い光を感じ思い切り目を瞑っていた。そしてそのまま、意識は光の渦に吸い込まれていった。
気がつくと私は暖かな光の中、誰かの腕に抱かれていた。ゆっくり目を開けると、目の前にはとてつもなく懐かし顔が私を見つめ微笑んでいた。
「おはよう、みり。気分はどうだい」
「……最高だわ」
「それは良かった」
私のことをみりと呼ぶ人はこの世にもあの世にも一人しかいなかった。そう、今目の前にいる、彼がけだった。けどそんなはずはない。だって、彼は一年半前に、事故で死んだのだから。
「そんな怖い目で見ないでくれよ」
「悪かったわね、怖い目で」
「良かった、いつものみりだ」
全くなんなんだこいつは……。私はなんとなく気まずくなって彼から離れようとした。しかし簡単に阻止されてしまい私はそのまますっぽりと彼の腕に収まった。
「待ってよ。最期の時くらい傍にいさせて。みりだって、分かってるんだろう」
「分かってるよ。だから、だから私は死に……たかったんだから」
「僕は生きたかったよ」
そんなことを言われると、泣きそうになってしまう。
「ごめんね、僕も辛いけど、残されるほうがもっと辛いんだよね、ごめん」
「謝らないでよ、泣きたくないのに……泣けちゃうでしょ。けんのバカ」
「ごめん」
だから、謝らないでって、言ってるのに。
「うぅ……」
「泣かないで、みり。なんて僕が言えるセリフじゃないけど」
「私は、けんがいないのに生きているのがずっと嫌で、ずっと死にたくて、だからせっかく不吉を引き寄せてるのにけんが邪魔するから」
「バレてた? 俺が守ってたの」
「分かるに決まってるでしょ! 見えなくても、聞こえなくても、触れられなくても、ずっと感じてた。私に生きさせようとする意思」
けんは頬を伝う涙を指で拭って私の瞳をじっと見つめた。少しだけ怒っているようにも見えた。
「分かってるんだったらもう少し生きたいって思ってくれたらいいのに、大変なんだよ? 僕はみりへの未練とみりに憑くことで存在を保っていられたけど、僕が直接守ることはできないからみりの潜在的運動能力と反射神経をうまく使ってみりの体を守るしかないんだから」
そうか、今までのあの不思議な感覚とギリギリで何かに突き動かされたようにも感じたあの行動はそういうわけだったのか。でも、なぜ私をそこまでして守りたいの? 私には分からないよ。
「私は、そんなのいらない。私はけんの傍にいたい」
けんは私のその言葉に困り顔で頷いた。
「それはもちろん、俺だって欲を言えばずっとみりの傍にいたい。けど、それはできないんだよ」
「ねぇ、それはどうして? 今はこんなに近くにいるのに、ねぇ! それともこれは幻覚だとでも言うの?」
「幻覚じゃないよ、でも、実態があるわけでもない。俺は幽霊だから、一時的に力を使って触れられているだけだからね」
「私が、私が死ねば……」
「それはダメだ。きっとみりが死んだらすぐ消えてしまうよ。この世に未練がないからね」
「未練ならあるわ! けんを……けんを守れなかった。あの時私が傍にいればけんを守れたかもしれない、助けられたかもしれない」
「みりが死んだかもしれない」
「それならそれでいいわ、死んでやる。そうすれば私はこんなに苦」
「俺はみりみたいに強い人じゃないから! ……だから、残された痛みを、味わいたくない。ごめんね、これは本当に、俺のわがままでしかないよ。けど、俺は死んだ側で良かったってすごく思う。だって、みりがいない人生だよ? みりが決して選ばなかった行為を、俺はしてしまうだろう。みりの気持ちも考えず、俺は」
苦しいのは私のはずなのに、なぜだろう、けんのこんな辛い顔は見たくない。私はけんの体を思い切り抱きしめた。幼い頃、けんが泣いている時によくやった。けんは優しいけどちょっと抜けてて危なっかしかったから、私がいないとすぐ怪我をしたり、いじめられたりしたから、そんな時いつも抱きしめて、こうして背中をさすってやった。
「みり……立場逆転してる。ていうかまだそんな子供扱い?」
「けんが、辛そうだったからつい」
「泣いちゃうよ?」
「いいんじゃない」
そうだ、これがいつもの私たちなんだ。けど、今回ばかりは、私だって泣けてしまう。そうだよね、優しいけど弱いけんが取り残されちゃったら、ね。私が幽霊になって助けに来ても止められないかもね。
「ごめんね、俺、本当に、みりの心の強さに、感動したよ」
「勇気がなかっただけかもよ」
「違う、みりには生きる力があるんだ。だから俺も力を引き出して、守ってあげれた。宿主の意思に逆らうことだけは憑いただけじゃできないから、本当に、良かった」
「何が良かったよ……そんなに気がかりなら、死ぬんじゃないわよ」
「はは、俺もなんで死んだのかな」
「私の傍にずっといればいいものを」
「俺も、みりの傍で生きてたい」
「忘れないから、だから傍にいなさいよ」
「無理、これが終わったら、俺消えちゃうから」
「……」
「……」
「知ってるわよ、バカ」
そういえばけんが生きていたときもよくバカって言ってたっけな。けんってばいっつも間抜けなことするんだもん何回叱ったことか。でも私は知っている。自分が照れ隠しするときや、辛い時にもけんにバカって言っていたことを。それは、けんだって気づいてると思う。今のバカは、どんな気持ちで受け止めたのかな。
「照れ隠し?」
「違うもん」
なんで考えてること分かるんだよ。ちょっと焦ったじゃないか。
「みりは俺にとって大切な人だからね、そのくらい分かるよ」
「私はけんのことが分かんない」
「それなら簡単だよ」
けんは私の耳元で囁いた。
「今も昔も願いは一つ。俺に生きられなかった今を、みりに生きて欲しい、それだけだよ」
あ、また泣きそうになっちゃう。でも決めたんだ。もう泣かない。そして、死にたいなんて思わない。けんが助けてくれた、この命を、最後の最期まで大切にするんだ。
「良かった」
「なにが?」
「みりの顔が、前みたいに輝いてる。俺が死んでからというもの、死ぬために生きてるみたいな顔してるんだもん」
「実際そうだったからね。……でも、もう違うよ」
「分かってる」
「私、けんの分まで生きていい?」
「もちろん、頼んだよ」
「……」
「もう、行かなくちゃ。それと、分かってると思うけど」
私は少しずつ薄くなっていくけんを見つめて、大きく頷いた。
「言わないよ。言いたいけどもう言わない。だから、さよならだね。でもこれだけは……言わせて。大好き、そして忘れない」
けんも頷いて泣きながら笑った。
「ありがとう、俺も大好きだ! 大好きだよ……だから、これだけは、他の誰にも譲らない」
けんは薄れゆく体で、確かに私に、キスをした。生きている時は恥ずかしがって出来なかったくせに。ここでさらっとしちゃうんだもん。もちろん、ファーストキスだっていうのに。
さよなら、大好きな人。これで本当にもう二度と会えないんだよね。なんだか実感わかないや。だって、幽霊になっても今までずっとそばにいてくれたんだよ? 心のどこかで気づいてたよ。いつも守ってあげてたのに、この一年と半年だけは私が守られてたね。けんからもらった最後の手紙、ずっと離さず持ってたから私はもしかして助かり続けたのかな? そんなことない? でもこの手紙が一種のけんと私を繋ぐ媒体なような気もするよ。今日これを持っていなかったら私はけんと話せないまま魂を食べられちゃったかも。そんなことも、終わってからだから考えれるんだけどね。
ああ、なんだか少し眠いや。そういえば、あの旋律が聞こえる気がする。やっぱり、あれは呪いの音楽なんかじゃなかったんだよ。だってこんなにも心地いい。悲しくて切ない旋律なのに、どこか懐かしくて暖かくて愛おしい。
そして私は、光の底に沈んでいった。
目覚めるとそこはもう光の中なんかではなかった。どこかの公園ということは分かった。携帯を出す。見事に電波が通じている。今の場所を調べると家のすぐ近くだった。私は駆け足で家に帰る。今まで帰り道に感じていた黒い重苦しいオーラーはもう感じない。
「ただいま!」
「おかえりなさい」
リビングでお母さんが出迎えてくれる。いつものことなのに不思議と胸がいっぱいになる。
「お母さん、私決めたよ」
「あら、久しぶりに美璃菜のそんな元気な声を聞いた気がするわ。何か、吹っ切れたのかしら」
「うん、もう立ち止まるのはやめようと思う。昔みたいに、まっすぐ前を向いて進もうと思う。おっとりした私は今日でおしまい、明日からは、中学時代と同じように元気な私になるからね」
「それは……頼もしいわ。ずっとおっとりのままだったらなんだかお母さん寂しいもの」
「ありがとう、ご迷惑おかけしました。それで……」
私は少し間を空け、お母さんをまっすぐに見つめた。
「お願いがあるの。私を、あの町に連れて行って。一人じゃ流石に行けないから、お願いします!」
「まぁ」
私は勢いで頭を下げてしまったのでお母さんが今どんな表情をしているのか分からなかった。どうか、心配させないでいたい。
「嬉しいわ、美璃菜からそう言ってくれるなんて。本当に何があったかわからないけれど、今日だけで強くなったわね」
「じゃあ!」
顔を上げると笑顔のお母さんがそこにはいた。
「早速お父さんとも話して計画を立てましょうね。きっと向こうの友達も喜ぶわよ」
「うん!」
数日後、私は家族三人であの町に戻ってきていた。メールで話をしていた何人かはわざわざお出迎えしてくれた。皆一様に晴れ渡っら笑顔だった。
「みーな、会いたかったよぉ」
「私もよ、皆元気してた?」
「それは私たちのセリフー。でも、一時はどうなるかと思ったけどいい顔してんじゃん」
「これでこそわれらがリーダーみーな様だね」
「様はいいすぎだよ」
私たちは町の近況を聴いたり、ガールズトークに花を咲かせたり、引越し後の話をしたりとネタが尽きることはなかった。次の日には男子も集まってきて小学生時代よく遊んだ場所を回ったりもした。やっぱり私にはこの町の雰囲気が好きだった。今の町もいい場所だけど、この仲間が、私の居場所のような気がした。一番素直な私でいられた。だから私も素直に色々話した。ついこないだまで性格を変えていたことも、光の中でけんと話したことも、謎の旋律も、全てだ。誰も嘘だという人はいなかった。男子でさえも、真剣に話を聞いていた。下手に心配してくる人もいなくて、私は話に集中できた。全て話し終わると、初めて皆喋りだした。少しずつ、言葉を編み出していった。質問もされた。全てちゃんと答えた。皆、信じてくれたみたいだ。
「じゃ、私たちのみーなを守ってくれたあいつに挨拶行かなきゃね」
誰かがそう言って、皆でぞろぞろと動き出し、花を買ってけんの亡くなった場所と、お墓にお参りした。
皆、今まで心配かけちゃってごめんね。もう、大丈夫だよ。だって居場所は、ここにあったんだから。私は生きなければならないんだ。これ以上皆を悲しませないために。
「あ、そういえばさ、さっきの話に音楽が出てきたよね。それって、こんなんじゃなかった?」
女子で一番仲良かった、あの手紙のこがそんな話を持ちかけた。まさかとも思ったが、もしかしてという気持ちもあった。
ドンピシャだった。
「すごい、まんまだよそれ。なんで知ってるの」
「なんでって、そりゃ……忘れちゃったのかもしれないけどさ、これはみーなとあいつが中三の卒業記念にって二人で一生懸命作った曲じゃない。思い出せない?」
その瞬間、すべての歯車が完璧に組合わさった気がした。そうだ、なんて大切なことを私は忘れていたのだろう。これはけんと作った曲だったじゃないか。だからあんなにも、愛おしかったのか。
「あぁ、そういうことだったのか」
やはりあれは、呪いではなく救いの旋律だったのだ。危険から守ってくれる、天使の歌声。
それから私は、無意識のうちにその旋律を口ずさむようになっていた。ある子はやっぱみーなは歌が上手ねと言って褒めてくれた。いろんな人が私の歌声に聞き入ってくれた。一緒に口ずさんでくれる子もいた。
そして少し時は流れ、夏休みは終わりを告げる。
「おはよう、美璃菜」
「おはようこっちゃん。体調は良くなったみたいだね、安心したよ。終業式の日は本当に辛そうだったから」
「うん、もう全然だいじょう……あれ? 美璃菜、何か変わった?」
「違うよこっちゃん。これが本当の私。今までがおかしかったんだよ」
こっちゃんはやけに戸惑っているようだった。そりゃそうだろう、この学校での私は地味で目立たなくておっとりしてて、快活なんて雰囲気が一切感じられないような人だった。でも、本当は逆なんだよ。
「やっぱ美璃菜、まだあの音楽に……」
うぅん、もう旋律は聞こえてこないよ。だってもう、私はもう自分の身は自分で守れるからね。必要ない、聞きかかったら自分で歌えばいいんだから。
「なに言ってるの? こっちゃん。わたしは通常運転だよ」
気持ちがいいのでなんとなく口ずさんでしまう。あの旋律。
「美璃菜、その曲素敵ね。ちょっと切ないけど」
さっきまで信じられないというような顔をしていたこっちゃんもほらこの通り。この旋律は、本当に素敵なんだ。
「私と大切な人で考えた、世界でひとつの『悲しみの旋律』だよ」
私は忘れない。永遠に。けんも、この曲も、今日という未来ある日も、生きる希望も。
今回ほとんど初のホラー挑戦となります。とは言っても、あくまで(微)ホラーです。本当に怖いだけの話っていうのは、夏にはいいかもしれませんが私の性に合いません。やっぱり、どこかで感動できるところがあったらいいなと思いながら徹夜で一気に書き上げました。
夜中の三時を回るとだんだん自分でも怖くなってくるんですよ。こんな怖くない内容でも。けど諦めて寝たら多分続き書けなくなるなと思って頑張っていたらですね、いつの間にかカーテンの隙間から陽が差し込んでました。これで安心して寝られる。
ま、そんな余談は置いといてですね、今回私はこの作品を多くの人に読んでもらいたいと思っています。そこは作者しだいだろって感じでもありますが……とにかく、最近筆が乗らない私にとってはやっと最後まで書けた作品ですので、今の自分の実力が知りたいのです。ダメダメでもいい、つまらなくてもいい、どんな酷評が来てもいい、まずは自らの現状を知って、それから気持ちを少し入れ替えてまた小説を書く事に熱中したいのです。おもに私のわがままです。でも、ちょっと焦りを感じてて、このままじゃいけない、何も書けなくなる、と。
ですので、もしこんな最後の最後、あとがきまで読んでくださった方は、少しの感想アドバイスと、宣伝をしていただけたら嬉しいです。今回はすべての感想にお返事させていただく所存です。
それでは、また小説がかけると思ったその時に。
2011年 8月15日 春風 優華