嫌な思い出
彼が正常に部類されたら世界が崩壊してしまう。
「そういう陣は正常なのか」
「琴爽夜より遥かに法魔陣は正常だと、自信を持って命をかけれる」
「お前が正常じゃなかったら、躊躇なく命を差し出せる?」
「そんな命のやり取りをする場面なんて、これから先も有り得ないだろ」
陣は馬鹿馬鹿しくなり笑ったが、爽夜は珍しく無表情だった。
「有り得る可能性だって十分ある。……本気にした?なんちゃって、嘘だよーん」
「ふざけんな」
顔の横で手を広げて舌を出す。間抜け面を作った。
〝ある〟と〝ない〟を決めるのは人間だ。予測不可能な世の中、些細なきっかけで何かが変われば、容易に人と人の関係は変動してしまう。
たとえようのない不安が押し寄せて来る。理由は不明瞭だ。
「陣をぱっと見た瞬間、この世には罪な美しさを持つ、絶世の美少女がいるんだと、心を根こそぎ奪われた。運命を感じて恋に落ちてしまった。心を奪ったお前が男だと知り、どんなに絶望したか。残酷な神は結ばれる、運命を用意して下さらなかった」
「人目を憚らず、抱きついてきた変態を引き離し、同姓だと信じないお前を男だと理解させるのに苦労した。嫌な思い出だ」
過去の出来事を心に浮かべて顔をしかめる。
「嫌な思い出にするなよ。こうして小一から中三まで同じクラスで、同じ高校に入学できた。そしてまたも同じクラス。日々美しく成長していく、ジュリエットを温かい眼差しを向け、微笑ましい気持ちで見守っていた」
同じを三回も連呼され、耳を塞ぎたくなった。どうして自分の人生に少年が組み込まれている。嘆きたい。
「腐れ縁すぎて神の悪意を感じる。毎日うっとうしい奴が視界に入る度、不愉快な気分だった。それが現在進行形」
「憎まれ口を叩き、気を引くつもりだろ」
「気なんか引いていませんけど……。お前といると物凄く疲れる」
ブランコから立ち上がり雪の上を歩く。雪を踏む特有の音が鳴って足音が残った。しんしんと雪は降り続ける。
「寒い」
言っても寒さは和らがず、凍えた手を白い息を吐き温めた。
手袋とマフラーを身につけておけばよかった。体感温度が一度でも上がるのだ。
「抱いて温めてあげようか」
「……」
「無言の承諾!?」
「阿呆爽夜、そんな訳あるか」
間一髪で背中から巻きつこうとした、腕を避け陣は跳び退いた。
「体を動かせば温かくなる。今から鬼ごっこを始めよう。俺が俺ね」
親指で爽夜は自分を指す。勝手に鬼ごっこを始めよう宣言した。
「仮に俺がタッチされたら、どうなるんだ?」
「考えてなかった」
暫し考え込み口元を吊り上げる。
「五日間、絶対服従」
爽やかな笑顔でさらっと口にした。
腹の奥底が恐ろしい。
「お前が負けた場合は?」
「陣様に好きなだけ、絶対服従する」
「どっちも嫌だ」
意思に関係なくどうせ面倒な鬼ごっこは始まるのだ。
「用意、スタート」
二人は対峙して動かず、互いに出方を探っている。
「俺が勝った暁には、陣を可愛く着飾ってあげる」
「嫌がる事をすぐに思いつくよな」
更々負ける気はない。逃げきってやると意気込む。絶対服従なんておぞましい。
「離れていいよ。まだ捕まえる気はないから」
「背を向けた瞬間を狙っているんだろ」
爽夜はにこにこ顔で首を振り、勘ぐる少年は慎重に後退った。
公園に積もる雪は道路と違って、固くなくまだ柔らかい。気をつけて走れば無様に滑らない。
「用心深いなぁ」
陣が後退るだけ前へ足を出しついて来る。
「本当は襲うより襲われる方が好きなんだ」
「お前の趣味を俺に報告するな」