蘇る記憶
精神的な傷は本人が立ち直り、乗り越えて貰うしかない。
人は支え合い生きていく。弱くても手を差し伸べる。
放っておく事は無理だ。傷が癒えるまで見守ってあげよう。
「ジェーンの為に盛大な晩餐会を行おうと、考えたがどうだ?」
「絶対やめてくれ」
眉をしかめる少年は断り嫌気が差す。自分の為にわざわざと思い申し訳なく、静かを好む性質が晩餐会を拒否する。
王は悲しみを隠して強く在ろうと笑う。姿が痛々しい。
「意固地な矜持なんか捨てて、一回泣けば楽になるぞ」
「……」
完全無欠な人間は存在しない。弱さを認める強さがいる。
微かな嗚咽が聞こえてきたのは気の所為だろう。
陽光で光り輝く翠玉の間を出て、ジェーンは扉の背に凭れ掛かり一息つく。
たとえユールが恨んで甚くとしても、受け入れるつもりだった。単なる杞憂に終わって安堵した。
受け継ぎの儀についてもう一度よく思い出す必要がある。記憶は霞みがかり、不鮮明だからだ。
魔術の力を借り鮮明にさせる事は可能だ。それは最終手段にして、ふとしたきっかけで思い出す方法をとりたい。
忽如、風は吹き髪とローブが靡く。凍りついた記憶が騒ぎ、ぴたりと足を止める。
最初通った時は何も蘇らなかった。六歳の頃、今まさに立つこの場でジェーンはアクミスを守ったのだ。
気配は完全に消され、潜む円柱から突然飛び出し姿を現した。
黒いローブを纏い、顔はフードで隠れている。
袖口に仕込んだナイフは手の内にあり、敏捷な動きでアクミスの心臓を狙っていた。
彼を守る為、身を犠牲にするしか間に合う手立てがなかった。
皮膚を突き破り、鋭利な刃が腹部に突き刺さった。
耐える事が困難な激痛。血で染まっていく。刺さる寸前で急所からずらされた。
腹部に突き刺さったままのナイフを握る、男の顔を間近に見た。怒りと憎しみ、悲しげに歪む。少年が知る顔だった。
体中を呪いが駆け巡り、意識は朦朧とし始める。
『済まない』と唇だけが動き、一気にナイフが抜かれ、迸る赤い鮮血。糸を切られた人間みたいに倒れ込む。
半狂乱になって叫ぶアクミスの声が今でも耳に残っていた。
あれから二日間、昏睡状態に陥り、奇跡的にも一命を取り留めたのだ。
呪われし紋様は人を死に至らしめる。その影響を聖なる紋様で抑えた。呪いの強すぎる害は制御しても尚、年に何度か高熱に悩まされる。
王子の暗殺を決行した者をユールは自ら暴き出そうとした。
ジェーンはレベイユの事を決して明かさず、犯人は分からないままになっている。それが最前に思えたからだ。
元より男はリーレ崩壊を望んでいたのだろう。
ナイフ自体に呪いをかけ、刺した瞬間に発動する仕掛けを施し、万一刺し殺せなかった担保を用意していた。
王子を亡き者にしようと企てた事件は、受け継ぎの儀が行われる五日前に起きた。
彼を駆り立てた感情は一体何なのか。望みは?尋ねたい事柄がたくさんある。昔は隔たりなんてなかった。いや、鈍い所為で隔たりを感じなかったのかもしれない。
遠い、余りにも遠い――。あんたはどこを見据えているんだ。
「気分転換に散歩でもするか」
少年の小さく儚い声は風に掻き消された。
セシェムの死を受け入れた。否……。
自分自身まだ期待している。これが悪夢だと。
本当はもう分かりきっていた。現実は残酷だ。
会いに行くと約束したが、行けばどうにか塞き止めるこの感情で壊れてしまう。
ユールと約束を果たす為には勇気と時間が必要である。
感知した気配に一点の空間を睨む。考え事に気を奪われ、早く認識できなかった。
「いつからいた」
「アハハ。ばれてたんだ」
群青色の髪を持つ少年が現れ苦笑する。
「君が翠玉の間から出て来る前だよ」
サロフは真実を述べた。
「じゃあ、見てたのか」
立ち止まり考え事をしている、様子を目撃されたなんて決まりが悪い。
「悩みがあるのなら、相談してよ。僕でよければ力になる」
思い詰めた深刻な表情を目にしてしまい、サロフはジェーンを親身に気遣う。他人でも身内のように扱ってくれる。相手を思う気持ちが隅々まで行き届く。
初めて会ったはずの彼とはどこかで会った。錯覚を生む。




