翠玉の間
長ったらしい廊下を渡り終えて、これまた長ったらしい階段を下り、三階から一階に来た。
幾つも円柱が並ぶ回廊をジェーンは歩く。華麗な天使が彫り刻まれ、表情は微笑む。
未だ素直に礼を言えた驚きが胸に残る。
「でも、やっぱ圧倒的に嫌な奴だな」
大きな独り言を呟いて激しくなる、鼓動が緊張を認識させた。
ひんやりした鉄製の扉に手の平を置き、落ち着こうと深呼吸する。
指が震え膝も震えている。覚悟を決め力一杯押す。音を立てて開く。
細長い真紅の絨毯が王座まで延びる。床一面色鮮やかなエメラルドグリーン。
天井を石柱が支えて壁は純白。贅沢に様々な種類の翠玉で聖獣が形作られる。
三段ある上には翠玉が埋まる王座があり、そこに鎮座した者こそユール・シャナ・ムーランだ。
髪は藤色、瞳は菫色。白磁のように透き通った肌。寸分の狂いなく整った美麗な容貌。見た目は三十代だが、五十は過ぎている。
堂々と厳かな空気、近づき難いがユールの穏和な人柄に触れれば、忽ち警戒心を解いてしまう。
王の隣には直立不動の男がいた。
髪は枯れ草色で目は吊り上がり、面長の顔。侮蔑と憎しみを剥き出して睨めつける。
オルター・ガストに軽蔑され、しかも憎まれる覚えはない。
しんとした静寂が完全に支配する。口を開けずためらう。時の狭間に囚われた錯覚がして息苦しい。
「ユール王、久しぶりだな」
やっとの思いで言えた。
「無礼者、礼儀を弁えろ!」
「オルター、席を外してくれ」
「……」
無言のオルターは暫く渋っていたが、王に恭しく一礼する。ジェーンなんかに眼も呉れず、去って行った。
王座から立ち上がり、一歩一歩近寄る。現在、翠玉の間にはリミュエールの王とシヴェルティアの魔術師になった少年がいる。
背の高いユールが見下ろす形で、「再びそなたの声が聞けて安心した」と告げた。
対面する事を恐れていた自分が、馬鹿らしくなって気持ちは吹っ切れた。
「我はそなたの接し方が依然として新鮮だ」
「王族にタメ口を使う奴はそうそういないだろ。普通」
敬語を使おうと思えば使えるが、今更型式ばっても窮屈で無意味である。
初めて会った瞬間からこんな感じだった。敬意は心で伝えればいい。自ずとそれは伝わるものだから――。
「十年間ずっと判断を謝った事を悔いてきた。己の愚かさを嘆いた」
「過去なんか忘れろ。あんたを恨んでいない」
ジェーンがユールとの対面を逡巡していた、訳は過去に起こった出来事が複雑に絡んでいる。
「あの日、受け継ぎの儀が失敗した。我の神力は受け継がれるべき、アクミスには宿らず運命の悪戯かジェーンの中に宿った。もはやリーレでは無くなったが、元より国は神力を宿す王が代々統治していた。神がかりの力が合ったからこそ民を敬わせ、抑えつけ二人の王はリュヌの役割を熟し、謀反を企てる愚行を犯さなかった」
「それは違う!」
セオドとシュリンは自分達にないものを見せる、寛大で聡明な彼が光を放つソーレであり、国を統治すべきだと考えた。
神力を恐れ人形のように、従い続けたなんてあるだろうか。
「ムーラン家のしきたりにより、齢八となったアクミスは本来、受け継ぎの儀で我から神力を貰い受け、十二歳に王位を継承する予定だった。しかし、受け継ぎの儀は成功しなかった。ただ頭が真っ白に塗り潰され、無理に思考を働かせた結果、過ちを生んだ」
一瞬今にも泣きそうな顔になった、ユールが感情を消す。理由は弱さを嫌悪し、強くなろうとする信念が邪魔な弱さを許せず拒む。
「我は前代未聞の事態の露見を危ぶみ、そなたを地下牢に幽閉して、儀に立ち合った者へは失敗を口止めした。漏らせば命はないと。数日間も食べ物と水を与えなかった。神力を宿してしまった存在が、悩ましいと同時に疎ましかった」
力なく男が膝を折った。弱々しい姿が居た堪れず、ジェーンは両肩に触れた。
「そなたの死を望んだ。気がつけばそれが正しいと己を正当化していた。過ちを認めた時、ジェーンはもう魔術界から去った後だった。歳月が流れ今となっては時既に遅い。許しを請えぬ立場だが、けじめをつけさせてくれ」
額が床にくっつく程身を低くした。
「やめろ」
頭を上げさせようと体を押す。抗い下げたままでいる。
幼かった自分は悲しみと苦しい飢えの中、訳が分からずユールを恨んだ。かつての怒りと憎しみは疾うに失った。
けじめがついたのか、強張った顔を上げる。
「神力を使えない我が子に王位を継がせれば、後々どうなるか冷静に思考を巡らせて分かった。秘密は一生、王達やシヴェルティアの魔術師、民に隠し通せない。怒りと反感を買う。レベイユがリーレを壊したお陰で、更なる過ちを犯さずに済んだ。リーレは終わってよかった」
耳の奥で最後に述べた言葉が残り、幾度も再生された。
拳を握り気配で身構えたのが伝わる。怒気を帯び、少年は嘘を告げた王の口を摘み引っ張った。
「本当にそう考えているのなら、ユール・シャナ・ムーラン。あんたは零落したな」
口から手を離し俯き、微かな声で「考えていないくせに」と呟いた。
誰よりもリーレを愛していた人をユールの他に知っている。
王妃にセオド、シュリン。もっと大勢いたはずだ。
「元々こんな所で話すつもりは、なかったんだけど」
一拍おいて素直にありのままの胸中を打ち明けた。




