第八話『死を告げる詩』
・読者さんより投稿されたカードモンスターの性能が調整され登場しています。
大山佑樹はつまらない人間だった。それは周りの人が彼のことをそう言ったのも事実であるし、彼自身も自分自身が面白くない人間だと思ってきた。彼はそれまで普通に生きてきて、普通に生活をして、普通に年をとって、普通にいろんな人に出会い、そして普通に女子高生の後を追っている。
そんな彼の普通さを語るには、おそらく何らかのエピソードをここで語るのが、おそらく普通なのだろうが、しかし彼の普通さを伝えるためのエピソードは、その普通さ故に存在しないのである。
そこまで普通の彼。大山佑樹はしかし、今現在、普通とは対極にある行為に勤しんでいる。右のポケットに入っているカードは、最近知り合った女にもらったもので、その使い方はすでに説明は受けている。その力の強さを聞いている。
故に彼は知っている。
自分が持つ力が、女子高生のひとりやふたりをどうにかするには十分過ぎる力を持っていることを。
だが、正直なところ、彼はその話をあまり信じてはいなかった。「本当に起きれば面白そうだ」程度にしか考えていないし、もし何も起きなかったとしても、女子高生に遅れを取る気は全くなかった。
佑樹の前を歩いているのは、つい先程美容院を出てきたばかりの二人組で、背の高い女子がもうひとりの髪の毛を触って騒いでいる。触られているほうは嫌な顔ひとつせず、むしろ意に介した様子もなく、相づちを打っているのかいないのか、後ろからついていく佑樹にはよくわからなかった。
通行人の数はあまり多くないが、車の往来が多い。道もそれほど広くないこの道は、邪魔が入る可能性も高く、できるだけ目撃者の数は少ないほうが良い。
「そろそろ、か」
周りの視線がほとんど気にならない場所まで進み、佑樹は行動に乗り出した。そこはさっきよりもまだ人通りの少ない通りで、あたりに店やコンビニはあるものの、視線をほとんど気にしなくてもいい場所だった。ふたりがこちらに歩いているのがわかった時から、佑樹はこのポイントに到着するのを淡々と待っていた。
幸い、女から譲り受けたものを扱うのにも、それなりには使えるであろうというポイントが近くにあった。
「あのー」
声をかけたら、女子高生ふたりが同時に振り返った。背が高いほうの子は怪訝そうな目で佑樹を見ている。明らかな警戒を示しているが、それでいて遊び慣れている雰囲気もある。もはや下着と変わらないほどの丈しかないパンツと、タイトフィットのシャツを着ていて活発な印象を受ける。
対して、さっきまで髪を触られていた子は、無感動な目で佑樹を見上げている。髪は首の中ほどまでの長さで、肩までは届いていない。飾り気のない髪型だが、それがこの無感動、無表情な目にはかなり似合っている。完成されたひとつの絵のようでさえあった。そのくせ、着ているものはミニと半袖の赤いジャケット、その下は白のフリルのあるブラウスだというのだから、そのギャップに佑樹は一瞬、驚いた。
「おふたりに助けてほしいことがあるのですが、お願いできませんか?」
佑樹はできるだけ丁寧な言葉遣いを心がけた。普段はぞんざいな言葉遣いだったが、ここでそれを使うわけにはいかなかった。
突然のことで、ふたりは困惑した様子だったが、明るいほうが口火を切った。
「何があったんですか?」
「そこの角で子供がうずくまって泣いているんですが、どうも僕では警戒されてしまって……」
「え? なんでまた」
自分で言っていて無理があると思ったが、しかし食らいついた。しかしそれは元気なほうだけの話で、もうひとりは相変わらず怪訝そうだ。警戒している。あっさりと警戒を解いてしまったこの娘とは、どこか違うようだった。
「わかりません。それを聞きたいから、君たちに手伝ってほしいんですよ」
人通りは少ないとはいえ、屋外のこと。いつ誰が通りかかってもおかしくはない。はやる気持ちを抑えながら、佑樹は薄っぺらい演技を続ける。
「どうする? ましろちゃん」
ましろと呼ばれた警戒を解かない娘は、佑樹と友人の顔を交互に見て、「紗枝ちゃんに任せるよ」と、それでもやはり疑うように言った。
「それじゃあ、その、案内してください」
「ありがとうございます。こっちです」
佑樹はふたりに背を向けて歩き出した。紗枝とましろが佑樹の後に続き、ましろが紗枝に耳打ちをする。
「……考えすぎじゃない?」
「そうかな? そうかもしれないね」
佑樹には話し声が聞こえていたが、どちらでも同じことだ、と無視した。最期までついてきたら、佑樹の目的は達成されたのも同然なのだから。
一番近い角を折れ、今度は完全に人気のない道に入った。そこは閉鎖的な場所で、子供が迷い込むような場所でさえもなかった。建物の壁が道を断続的に挟み込んでいて、道そのものも入り組んでいる。三人が歩く、コツ、コツ、という足音が、周囲の壁に反響して聞こえた。
「あのーすいません」
おずおずとためらいがちに、紗枝が佑樹を呼んだ。
「なんです?」
「どこまで行くんですか?」
そこには明らかな不信の色があり、さすがの佑樹もこれ以上は誤魔化せないと、その場で立ち止まった。立ち止まった場所は、ちょうど、佑樹が誘導しようと考えていた場所だった。声をかけた場所からはあまり離れていないが、このあたりに来る人はまずいない。
そこは、今は使われていない廃倉庫で、元々ここには建設会社があったようだが、佑樹がここに移り住んだ時にはすでにその会社はたたまれていた。
開けたその場所のほぼ中心に立ち、数歩後ろをついてきていたふたりの方へ向き直る。
「ここまで、だ」
気持ちの悪かった演技をやめて、佑樹が素の自分に戻る。その豹変に紗枝が驚きに目を開いた。
「ここまでって……誰もいな――」
「どういうつもり?」
紗枝の言葉をさえぎり、ましろが一歩前に出る。右手で紗枝のお腹辺りを押し、後ろへ下がらせながら、左手ではいつでもカードを取り出せるように構えている。非常時にカードに頼ろうとしている自分に驚きながら、しかし、可能性として否定できない状況だからと自分に言い聞かせる。
「どういうつもりもなにも、心当たりは――ないか?」
「……」
ましろは答えない。だがそれは、明らかな肯定だった。
置いてけぼりになっている紗枝は、「え? なに? どういうこと?」とふたりを何度も見たが、ふたりはお互いを睨んだまま、紗枝には視線を向けなかった。
「ねえ、ましろちゃん」
「紗枝ちゃんはもう少し、人を疑うことをしたほうが良いと思う」
だから言ったじゃない、とは口に出しては言わなかった。結局、きちんと止めなかった自分も悪いのだ。この結果を全く予想していなかったわけではないのだから。
「そう警戒ばかりするなよ。俺はちょっと仕事を頼まれただけだ」
佑樹は芝居がかった仕草で両手を広げ、くつくつと笑った。自分より弱い立場にある人間を、これから自分がどうとでもできる――なんとも言えない快感が、佑樹の中で渦巻いている。こんな快感は、これまでで初めてのものだった。
「し、仕事って……?」
ましろの後ろに隠れ、ジャケットの裾を掴んでいる紗枝が、震える声で言った。
「仕事は仕事さ。どうも君たちをイジメたいらしくてな」
佑樹はポケットから、女に渡されたカードを抜き出した。カードに描かれたイラストを一瞥し、人差し指と中指でそれを挟んで投げた。回転しながら飛んだカードは光の粒となって拡散し、光はひとつの球体の姿をとった。
「ふん。名前を聞かずとも、召喚すればわかるという話か」
カードには文字らしきものが書かれていたが、それは読めなかった。しかしいざカードモンスターを召喚した今、目の前にいるモンスターの名前を「知って」いた。
「ほら、逃げたいならこの〝ハンプダンプ〟を倒すことだ」
そのモンスターは小さな妖精のようで、サッカーボールくらいの大きさだ。楕円形の体で、細くて短い手足があり、背中(?)からはやはり小さな羽根が生えている。前面(?)には大きく開いた口だけが、不気味に開かれている。ただ、どこか落ち着かない様子で、その妖精はあたりのをきょろきょろと見回している。
「な……なにあれ……」
紗枝がましろのジャケットをつかむ強さが、一気に強くなった。少し離れたところで浮遊する化物。それはお世辞にも直視していたいタイプの生き物ではなかった。
「逃げよう。紗枝ちゃん」
左手はカードに伸びかけたが、いざ戦うとなったら、紗枝の安全を保証することができなかった。相手のモンスターがどんな力を持っているかわからない現状、紗枝を守りながら戦うことは困難だった。
ましろは紗枝の手を引き、佑樹に背を向けて走りだした。それは明らかな愚策だったが、佑樹は余裕の表れからか、油断の結果なのか、背中に攻撃させることはしなかった。その代わり「ダメだな」と嘆息して、「人の話は聞くものだ」と呆れたように言った。
走りだしたふたりの前に、あの妖精――ハンプダンプが飛び込んできた。体のほとんどを占める大きな口が開かれ、上下の歯の間で唾液が糸をひいている。
「ひっ!」
紗枝がましろの手を強く握り、ましろは怯える紗枝の手をいっそう強く握り返した。振り返らなくても、後ろには佑樹がいる。ましろは横目で佑樹の位置を確認した。彼はちょうど真後ろの少し離れたところに立っていて、下卑た笑を浮かべている。その佑樹の後ろには、廃倉庫がある。
佑樹はこの状況を楽しんでいた。ふたりの明暗が、生死が、自分の気分ひとつにかかっているこの状況が、佑樹には楽しくて楽しくて仕方がないのだ。
「紗枝ちゃんこっち!」
「え?」
油断して状況を眺めていた佑樹の反応は一瞬遅れた。ましろはまた体を反転させ、すぐさま自分のカードを引きぬいた。そしてカードを前に投げながら、佑樹に向かって全力で駆ける。手を引かれる紗枝は、思考が追いつかずに目を白黒させている。
「そこを退け!〝ハーティ〟!」
突如として現れた、大型の銀狼。銀色の毛並みは、太陽の光を反射して眩しいほどだ。今まで屋外で召喚をしたことがなかったましろは、ハーティの輝きに目を細めた。
「なん――」
間一髪、佑樹はハーティの爪から逃れたが、着ていた服の袖は避け、どろり、と血が腕を滴った。地面にうずくまって腕を抑え、佑樹はハンプダンプを呼ぶ。
「ましろちゃん、あれ……」
紗枝が真っ青な顔でましろを呼ぶ。けれどましろは答えず、ただ廃倉庫を目指して走った。後ろではハーティが喉を鳴らしてハンプダンプを威嚇している。ハーティと対峙するハンプダンプは、しかし、浮遊する体がふらふらと揺れている。
「ハーティ! これ壊して!」
ましろの呼びかけに応え、ハーティがその爪で古くなって錆び付いていた南京錠を粉砕した。間近に見たハーティに紗枝は怯えていたが、ましろは構わずに紗枝を連れて廃倉庫の中に駆け込んだ。ハーティも後に続いて倉庫の中に入り、ふたりの後を追う。
「自分から追い込まれに行ったか」
よろよろと立ち上がり、佑樹は笑った。倉庫の中に逃げ込まれたのは、佑樹にとっては好都合だった。佑樹はハンプダンプを連れて倉庫の中に入ると、倉庫の扉を閉めた。
直後。
佑樹の頭のすぐ横で、金属と金属がぶつかる音がした。甲高い金属音で、佑樹の思考が一瞬止まる。
「ハーティ!」
倉庫内にましろの声が響き、銀狼が主の名を受けて敵対者に飛びかかる。凶暴な牙が佑樹に向けられ、まさにその体を食いちぎらんとした時、ハーティの体は何かに殴りつけられたように地に落ちた。
「――え?」
さっきまでハーティがいた場所――佑樹の正面には、楕円の妖精がいた。ハンプダンプはさっきまでとは違い、水を得た魚のように活発に動いている。立ち上がって頭を振ったハーティに向かって、ハンプダンプが再び襲いかかる。体のほとんどを占める大きな口が、ハーティの喉元に迫る。
「――っ!」
自分の首がなくなった。
ましろはそう錯覚した。けれど首はちゃんとついていて、ましろの目はちゃんと楕円の妖精と退治する銀狼を見ている。
「歌え! ハンプダンプ!」
命がつながった実感を得る間もなく、ハンプダンプが新たな行動に出た。金属をひっかくような甲高い声が、倉庫内を反響した。あまりにも不快な音に、ましろはとっさに耳を塞いだが、直接頭に響いきているように聞こえるその音は、耳を塞いだ程度ではどうしようもなかった。
「…‥ハーティ!」
銀狼はしかし、倉庫内に響く「歌」に翻弄されていた。苦しそうにのたうち、音から逃れようとしている。とてもじゃないがましろの指示を聞いている暇などない。暴れているハーティの体が壁際に積まれていたコンテナに当たり、大きな音を立てて崩れた。
「……円禍の詩第一節『抜け殻の詩』」
こつん、こつん、と足音を鳴らしながら、佑樹がましろに近づく。はっきりとしない頭を働かせ、ましろは佑樹を睨んだ。ましろは今、風邪をひいて高熱を出した時のような状態になっていた。ぼうっとした頭が、正確な思考を阻害している。
そのことを理解している佑樹は、優越感と支配感に言い知れぬ快感を覚えながら、人間はここまで見難く笑えるのかと思えるほどに下卑た笑みで、
「この詩が完結した時、お前の命は終わる」
そう宣言した。