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喜劇的な小説家


 ブランド物のスーツを着こんだ男が、タクシーを停めた。空気は乾いていた。男は、運転手に目的地を告げ、深く体をのけぞらせた。カバンの中から、リップクリームを取り出しパキパキに乾いた唇に塗りつけた。タクシーは徐々にスピードを上げ、一回目のメーター表示の変更が行われた。

 男は、これから、ある小説家の所へ行き、原稿をもらわなくてはいけない。このインターネット全盛の時代に、出版社から小説家の家へ出向くことは、珍しいことなのだが。

 小説家は、三年前にある出版社の新人賞を取ったうさんくさい男だった。その新人賞は、内容そのものよりも、作者のキャラクターや何よりを売れることを 重視するので、業界の評判は悪かった 。例えば、この小説家の受賞作は『トマトソースを創る時のように』 というナメたタイトルで。内容も男女のなれそめや日常生活を、イタリアレストランのような文体で書かれたものなのだ。疲れはてて、カスカスのOL たちには、これくらい軽いものでないと、読書自体が体に受け付けないらしい。男の出版社の戦略も、若い女性にしぼっていて、編集長はいつも『文学はファッションだ』と言っている。男は、次々と刊行されるハードカバーのデザインに圧倒されるのだった。文学の内容は薄く、軽く、おしゃれで、大きな文字で書かれたものに変化していていく。もはや新刊本の主役は、表紙のデザインとマーケティングへ移っている。

 そもそも編集長が、担当の男に、小説家の家へ行けと言いだしたのには、理由があった。30才を過ぎて、新人賞を取った小説家は、業界でも有名な遅筆家だ。元々、文章を書く習慣がないだけに、彼自身がかなり苦労しているようだった。ただしそれは、原稿を定期的にもらいに行くことで、以前より随分とましになったのだ。その小説家は、今は、昔の仕事をやめ執筆活動のみで暮らしている。でも男は小説家が、将来もこれで生活できるとは思わなかった。彼が表紙のデザインをやるわけじゃないんだから。

 タクシーが停まり、男が料金を払うと、鉄骨で建てられた2DK の集合マンションを登っていく。

206号室のインターホンが鳴ると、小説家の男がマイクごしに出た。

『新町出版の小堺です。打ち合わせに来ました。』

といやいやだが言った。しばらくして、ゆっくりドアが開くとスウェットにジーンズ姿の30代、凡人がそこにいた。小説家は、

『ご苦労さん。』

といい男を部屋の中へ入れた。

『どうなん、小堺くん、調子は?』

『いやーまあまあですね、先生は?仕事進んでますか?』

と男が聞く。すると、小説家は、先生と言われたことに有頂天になりながら、饒舌にしゃべり始めた。

『いやーダメダメやねあかんは!俺みたいに、世の中に何もいいたくないってことを表現したい作家には、中々、他の人みたいに、スラスラとは、書けませんわ!』

担当の男は、くそみたいな小説しか書いてないくせにと思いながら、

『そうですね。先生のそういう部分を読者は期待してますので。』

とおべっかを使った。

『そうやねんなあ。俺みたいに、否定の作家は大変なのよ。表現したくないってことを表現するみたいな!つまり、愛とか憎しみを表現するんとちゃうねんから。』

とカッコをつけて言った。まったく理屈っぽい男だと思いながら、も。

『そういや、友達の女の子に久しぶりに会ったら、先生のファンだって言ってましたよ』

と彼を持ち上げる嘘をついた。小説家は、子供のようなのを押し殺して、その男に、

『え、まじで、ほんまかいや。めっちゃうれしい。』

と言った。男は、何度もお世辞を言うこと飽きてきたので、仕事の話を始めた。小説家の仕事は、ちっとも進んでなかった。担当の男は、少し怒った声で、でも丁寧に。

『先生、僕と先生は一心同体なんですよ。先生が、原稿をあげてくれないと僕は、クビだし、先生は信頼を失うんですよ。』と


 小説家は低くため息をつき、スランプなんだよ、スランブなんだよと繰り返した。

『そんな、何本もすらすら書けるもんやないねん。一日中、4畳半の部屋で文学と向かいあっとると、そら、メランコリックになんで』

『そうですね。もっとリラックスして書かれたほうがいいですよ。先生は文学に対して思い詰め過ぎてますよ。小説家の中には、そうやって破滅的な生き方をする人も多いんですから。』

『あー確かに太宰治、川端康成、芥川龍之介、ヘミングウェイ、あとノイローゼで発狂した人も入れれば、きりがあらへん。これは、職業病やからなあ。』

『でもまあ、小説家は人間と向き合うのが仕事ですからねえ。』

と担当の男は、小説家のリハビリテーションも仕事のうちなんだよなあと考えつつ、まだ長くなりそうな話をしている小説家の声に耳を傾けた。彼は少し酔っているようだった。

『俺、もうやめようかと思ってんねん。書きたい小説をかいとるわけやないし。今の俺は、小説家として、ただいばりたいために小説を書いとる。これは小説に対する裏切りや。ちやほやされたくて政治家になって、世界の舞台で、肩身が狭く、名誉ある地位を占めたいという理由だけで、戦争に参加する。そんな奴らと似たりよったりや。』

『いや先生。それとはまったく別の話ですよ戦争とは関係がないでしょ。市場経済、競争社会ですから。多少の妥協や、読者が望むものを書くのは、生活の為にしょうがないでしょう』

『あー生活なんて、くそや。少なくとも昔はそう考えてたんや。家族や生活を守るなんておろかや。俺は、そういう大変小さい世界で生きとって、戦争になると家族が殺されるとしか考え人々を見下しとったのに。なあ自分、戦争中に家族が目の前で他人に殺されても、国家の意思で動く他は、100%善人やん。でも、(目の前で家族が殺されても何もしないのか)ということを理由に、戦争をおこす人は自分の意思で、相手国の家族を殺すので100%狂人や。わかるか?』

『いやいや、先生、書きたい小説が書けないのとは別問題でしょ。』

『いや、こういう家族の為とか生活の為とかいってると、脳が腐ってぼけてくるんや。見てろよ。アメリカを殺される前に、殺しに来る人を殺そうとする場合、どんどん怨まれるから、しまいには、殺し続けるはめになる。最後は、同じように考える人に殺されるか。法律的決定によって、世界中から狂人として処分されるわ!』

『じゃーがんばって納得のいく、しかも売れる小説書いてくださいよ。』

『だから、それが才能ないから、無理やっていってんねん。』

『逆切れしないでくださいよ。今、先生の本は売れているんですよ。ご存じの通りうちの出版社は絶好調ですから。マーケティングがうまくいってるんでね。おかげで営業力もついてきたし。世の中、弱肉強食ですから、最後は、資本力、営業力が左右しますよ。』


『あーうんこみたいな論理や。世の中が弱肉強食なんて誰がいったんや。あ、君はダーウィンの進化論を読んだんか。読んでへんやろ。何一つ生物学を知らんし、どこの生まれかも知らへんやろ。適当なことを言って人をだましやがって。』


『まあ、一般論ですよ。あれ、先生アルコール飲んでるんですか』

『あーでも、意識ははっきりしているよ。俺は意見を言うで。戦争をしようと叫ぶ人に進化論をあげる奴がおる。俺はその人に『君はうんこだ。』と言う。弱いものが死に、強いものが生き残ることは、アリンコが生きて、人間が生きていることのいかなる証明にもならへん。あーあの人は、自分が生き残る強い人間だと信じて疑わへん。』

『多くの人は、北朝鮮や中国が攻めてくるというが、侵略して資源のない日本から何をとるというんか。凡人の考えることは、狂気に満ちてるわ。電化製品でも奪われるのかしらん。非常に非現実的や。丸腰の日本を攻めたら、国連軍がすぐにつぶすやろう。世界中に日本中の金をばらまけばいい。日本は相手に戦争の口実を一つも与えてはいけへんのや。』

『いやあ、戦争に関しては僕も似た意見ですよ。憲法に戦力は保持しないと記してる国が、世界で5番目の軍隊を持っている。しかも戦闘地域に出かけていっている。国内法も守れない国に、国際法を守れるのか。法律によって動いていない軍隊は、それ自体が、軍と一部の政治家の暴走ともいえる。世界に日本を攻める百の口実を与えている。ねぇ先生、僕は先生の敵じゃない。先生は今からゆっくり寝て、明日から、また小説を書けばいい。先生は人間と向き合って、小さな話を書けばいいんですから。それが小説でしょう。後、3週間もあるんですから。うまく行きますよ。』

『あー確かに、そうや。あー今日はゆっくり眠れそうや。アルコールなしで』

『先生、最近忙しすぎじゃないですか。連載も多いですし。ちょっと休まれたほうがいいんですよ。では、僕は帰りますので。』





 男は、部屋を出ると、もうあの作家は駄目かもしれないと思った。編集長に言っておかないといけない。もう本は出ないかもしれないって。彼は、あまりにも正常に人間と向きあった為、すべてのバランスを崩している。あー代わりの作家を探さなくては、薄っぺらで、軽い、おしゃれな作家を。知的で男前で、白ワイン仕立ての文体の男を用意しよう。



 2週間後、出版社に訃報が入った。あの小説家が、やはり新築の2Dk のマンションで自殺したそうだ。まだ青白い畳の上で、火縄銃の銃口を口につっこんで、自殺したらしい。4畳半の部屋は、血に染まって足の踏み場がなかったに違いない。担当の男は、火縄銃で自殺するとは、まるっきり考えてなかったので。何も死ぬことはないのにと思った。かなり、肉体的にも、精神的にも追いつめられていたのだろうか。あまりに、逃げ場のない死に方だ。



 正面のデスクでは、編集長が、

『さあー忙しくなるぞ。』

と自身に言い聞かせている。彼の本はこれから増刷されるだろう。『トマトソースを創る時のように』 は、本屋の一等席でどのように映えるだろう。担当の男の目には、彼はもう、『喜劇的な小説家』にしか写らない。




平成5年 1月31日

改行のしかたが分からず、読みにくかったとおもいます。すいません。

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― 新着の感想 ―
[一言] おもしろいですね。 楽しそうな会話から始まるのに、まさかのバッドエンドに驚きです。 これからも小説書き続けてください!
[一言] 小説家は、ひねくれながらも根が素直で真面目そうな印象で、割と好きでした。 改行で印象や読みやすさは変わりますよね、私も改行をどうするかよく迷います。 自作も楽しみにしています。
[良い点] 登場人物の会話が非常に魅力的で引き込まれました。 [気になる点] 少し、最初の文章のテンポが悪く、もったいないなぁと思いました。 [一言] 未熟者ながら感想を書かせていただきました。 もし…
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