仙人宅の大掃除
桜も散って葉桜となり、山は若緑色に色付き、木の葉を風に吹かせる季節。
仙人は窓際で読書をし、ちぃは窓から入る日光で日向ぼっこをしていた。
ちぃがくわっとあくびをし、けづくろいを始めた。
そんな柔らかな日差しの午前。穏やかな東屋に、中田さんの悲鳴が響き渡った……。
「きゃあぁぁぁぁぁ!」
二人は頭を上げ、互いに顔を見合わせる。すぐにドタドタと廊下を走る音がし、戸口で止まった。
「大変です仙人さん! 壁を壊してしまいました!」
中田さんが片手にはたき棒を持って駆け込んできたのだ。申し訳ございませんと、土下座をしそうな勢いである。
「……壁?」
そんなもろい壁などあったかと仙人は首をひねる。東屋は築数百年。仙人の力で老朽化は免れているが、どこか綻びが出来て来たのかもしれない。
「それぐらい仙人なら直せるでしょ?」
ちぃはうーんと伸びをして中田さんへと歩き出した。完全に他人事である。
「その壁見たーい」
その上自分勝手好き勝手。猫の本文である。
わたわたとしている中田さんに連れられて、二人は 現場へと赴いた。
中田さんが掃除をしていたのは廊下の突き当たりで、本が山積みになっていたところだ。天井近くまで本が積まれ、向こうに壁があることも分からなかった。
本は廊下の端に避けられ、一つ一つ乾拭きして日陰干しをしようとしたらしい。そして、腰の高さまで低くなった山の頂きのにぽっかり丸く凹みが……。
「あ……それ壁じゃないよ」
「……え?」
「うわっ! これ埃じゃない! きたなーい!」
中田さんはそう言われてもじっくりみると、色は灰色で表面はふわふわとしている。
「どーゆーことですか?」
取り乱した恥ずかしさが怒りに変わって、中田さんは仙人を問詰める。
「ここ、東屋から本殿へ繋がる廊下があったんだ。……長年使わなかったから埃が積もったみたいだね」
それどころの話ではないが……。
「……分りました。掃除してみせます!」
そう言うと中田さんは一度外に出て、何かを抱えて帰った来た。箱型の物体から管が伸びている。
「掃除お助け道具。掃除機です」
ジャジャーンと秘密兵器を取り出し、プラグを仙人に渡した。
ここに電気が無いことなど百も承知である。
「……なんだ?」
プラグを渡された仙人は訳が分らずそれをまじまじと見る。
「仙人さんは電気を起こせると聞いたので」
もちろんちぃからである。
「……は?」
「雷のことよ。体から発生できるでしょ? 昔トースターで試したじゃない」
ちぃがトースターをどこからか持ってきてパンを焼けとせがんだ時に、放電したことがあったのだ。
「……分かったよ」
仙人はプラグを握り、仙術で電気を起こす。それを体を伝わせて掃除機へと送った。
中田さんがスイッチを入れると、掃除機は大きな音を立てて動き出す。みるみるうちに埃を吸い取っていった。
「面白いな」
仙人は電気を起こしながら感嘆する。
そして何度か圧縮された埃を捨てると、扉に行き着いた。
「おぉ……懐かしい。ここに来るのは久しぶりだ」
久し振りも、埃が天井までうめ尽くすぐらいの久し振りだ。
「ここは何なのですか?」
「宝物庫だ。向こうのはガラクタだが、ここのはかなり使える」
だが使わないので宝の持ち腐れである。
仙人は扉を引き、目の前に現れた幕をめくった。
部屋の中は真っ暗で、仙人は着物の袖から手燭を取り出して火をつける。
中田さんとちぃがそっと後ろに続く。
「なんか出そうですね」
「みゃ! そんなこと言わないでよ!」
ちぃはじとっとした目で中田さんを見上げ、さり気なく仙人の肩に登った。
「……ちぃ、重い」
「あ、足が汚れるのよ!」
仙人はやれやれとちぃを肩に乗っけたまま辺りを物色し始めた。あながち何かが出ると言うのも間違いでは無い。物置同様付喪神が生まれている可能性もあれば、曰くつきの何かが埋もれている可能性もあるのだ。
「ここは埃が無いんですね」
「あぁ、特別な結界で守ってあるからな……あ、こんなとこにあったんだ」
と仙人が棚から取り出したのは扇だった。一枚の大きな羽で作られており、風格がある。
「扇、ですか?」
「芭蕉扇だ。私がここに引っ越した時に鍾鈴に祝いとしてもらった」
「げ、あのおかまに?」
「そうだ」
仙人は羽を指でなぞり、満足気にうなずいた。
「あれ……あそこにも戸がある」
ちぃは前足で前方を指した。
「あっちは本殿だ」
仙人はそちらへと歩き、戸に手をかける。
「本殿? 奥にもまだ何かあるのですか?」
「ここはもともと神社だったんだ。昔はたいそう崇められていたそうだが、今では存在すら忘れられている」
「なんの神様なの?」
「知らん。私は神道ではないからな」
「え……家主なのに」
どうでもいいだろ、と仙人は戸を開けた。その先に続くのは廊下。それを渡ると本殿へと出るのだ……が、ここも埃で塞がれている。
再び仙人はプラグを持たされることになった。
「なんでこんなになるまで放置したんですか?」
中田さんは埃を掃除機で吸い込み、前へと進んで行く。
「ん? だって行く必要ないし。邪魔くさいし」
「そうやってあの東屋が埃まみれにならなかったんですか?」
やっと奥までたどり着き、戸の四隅まできちんと埃を取る。
「あの部屋は仙人の力で綺麗に保たれてるのよ」
ちぃは自分のことのように胸を張って答えた。
「それはすごいですね」
中田さんが感心している隙に仙人は本殿へと続く戸を引いた。ガラガラと重そうな音がする。
「……だよな」
すぐに本殿とご対面とはいかない。埃もこもこ。まだここはかさが低く、仙人の身長(140センチ)ほどだった。
中田さんが溜め息をついて掃除機を構える。それを仙人が手で制した。
「ちぃ、戸と窓の鍵を全部開けて」
「は!? 私に働けっていうの?」
ちぃは仙人の肩をガシガシと叩く。
「ちぃならジャンプしていけるだろ。猫だし、しかも仙猫なんだろ?」
それに仙人は挑むような目付きで答えた。
「そ、そりゃ私の華麗なジャンプであれくらい……」
止め金は全て埃よりちょい上。足場は無いに等しく、止め金の部分だけが辛うじて出っ張っている。
足を踏み外せば、モコモコへ真っ逆さま……窒息しかねない。
「いいわ、私の力見せてあげる! その代わりに成功したら高級ネコ缶買ってね!」
そしてちぃは仙人の返事もまたずに仙人を踏み台にして飛び出した。
「痛っ!」
ちぃは手前の戸に飛び移り、前足で止め金を外すと瞬時に次へと飛び移る。
薄闇の中を黒猫が動き回る様子は、さながら忍者のようだった。
「ちぃちゃんすごいですね」
「褒めると調子に乗って失敗するぞ。いつもそうやって木から落ちている」
「しないし!」
二人の会話が聞こえたらしく、ちぃはクワッと牙を剥いて仙人へと突撃する。
全ての鍵開け作業が終わったのである。
「そして帰ると見せかけてぇ。必殺! テイルアターック!」
仙人目前で体を反転させ、加速がついたしっぽが仙人に迫る。狙いは顔面だ。
「みぎゃぁぁぁ!」
が、聞こえたのは仙人の悲鳴ではなく、ちぃのこの世が終わるような絶叫だった……。
「ばかちぃ」
仙人にしっぽを掴まれプラプラと宙吊り状態で、ちぃは手足をばたつかせていた。
「虐待よ、虐待ぃぃ!」
半眼になった仙人はちぃを中田さんへ向けて、放り投げた。
「きゃあぁぁ! 中田さーん! ひどい! 仙人がひどーい!」
グスグスと嘘泣きをきめ、中田さんにすがりつく。ちゃっかり肩の上だ。
「頑張ったのに、サガのために頑張ったのに」
いじけモード突入。
「はいはい。ありがと、ちぃのおかげで作業が進むよ」
イジイジと文句を言っているちぃを放置して、仙人は袖から先程の扇を取り出した。
「何? 私を扇いで労ってくれるの?」
ちぃがうるっとした目で仙人を見上げれば、
「なんでそんなことしないといけないの」
と仙人が真顔で返した。そしてすっと扇を前に出す。
「これはこうやって使うの」
仙人はふわりと横に薙払う。そよ風が起きるぐらいのゆったりとした動きから、突風が生み出された。
ぶわりと風が埃を押し、もう一薙すると風圧に耐えきれずに全ての窓と戸が開いた。
光が差し込み、埃はそこから吹き飛ばされた。
「何……それ」
ちぃはカパッと口を開け、肩を提供中の中田さんもポカンと口を開けている。
「仙人だからな。これくらい出来る」
「調度品がグチャグチャですけどね」
その通り、埃が無くなったはいいものの、置物や飾り物が無残床に転がっている。飛んで行かなかったのが奇跡だ。
「……適当に直しておけばいいだろう」
ここからは中田さんの本領発揮である。三人は一度東屋に戻り、各々必要な物を持って本殿へ。
中田さんは雑巾とバケツを持ち、雑巾がけを始める。仙人は座布団に座ってずずっとお茶を飲んでいる。ちぃはミニ座布団の上で丸くなっていた。
みるみるうちに床が磨かれ、神社の風格を取り戻して行く。
「そーいえば。こんなんだったな」
仙人はきれいになった本殿を見て、そう感想を述べた。仙人が来た時にはすでにさびれており、隆盛期の姿を見たことはなかったのだ。
「きれい~」
ちぃは本殿を駆け回った。東屋の何倍もあり、壊して仙人に怒られるものは何もない。
ちぃはぴょいっと障害物を跳び越えて、神棚の方へと走る。障害物、中田さんを跳び越えて……。
「中田さん……ここはきれいになったが、自分が力尽きていては意味がないだろう」
「……あと十分で回復します」
吹けば飛びそうな中田さん。仙人は手にある扇に目を落とした。
(いやいや、さすがにそれは)
仙人は首を降って雑念を降り払う。中田さんが可哀相だ。
そして数分の後。
「復活ぁつ!」
と中田さんは起き上がり、夕食の準備をしますと東屋に帰って行った。
「……ちぃ。私たちも帰ろっか」
「うん」
ちぃは助走をつけて仙人の肩に飛び乗る。
仙人は歩き出し、ふと足を止めて神棚へと体を向けた。じっと見つめ、柏手を打つ。
「これからもお世話になります」
「住み着きまーす」
二人は家主に挨拶をし、本殿を後にしたのだった。