8.自称探偵の女と…
鏡がしゃべらなくなってから、三日が過ぎた。
凛はいつもの癖で、洗面台に立つたびに独り言をこぼしそうになり、そのたびに口を閉じた。
静かすぎる…。それが一番の違和感だった。
今回の観察者事件は犯人逮捕という事で無事に幕を閉じた。事件の後に残るのは莫大な寮の資料整理だった。警察からひったくった羽村一成の記録と篠原蓮の記録。整理しながらパラパラとめくっていくとふとミラの記憶が蘇る。断片的で順不同で、事件の説明に混じって現れては消えた過去。
・羽村一成のカウンセリングをしていた
・精神科医
・篠原蓮の言葉
凛は作業の手を止めた。
「…おかしい。」
鏡になった瞬間の記憶はないって言っていた。過去も断片的にしか思い出せないとも。でもじゃあ、ミラは死んでいないかもしれない。肉体はまだ…どこかに肉体があるかもしれない。凛は弾かれたように資料をめくりなおした。当時は見向きもしなかった資料も隅々まで見直していく。そして、ようやく見つけた。事件の関係者リスト、その片隅に残された一行。
【精神科医・原因不明の昏睡状態…三館総合病院】
…!!
胸の奥が酷く静かに鳴った。探偵としての感がようやく形を持つ。これは行方不明事件だ。しかも、これまでで一番身近な。
凛は立ち上がり、しゃべらなくなった鏡を見た。そこに映る自分の顔はやけに冷静だった。
「待ってなさいよ、相棒」
応えは返らない。
けれど凛は、もう独りじゃなかった。
古くさびれた病院の一室は驚くほど整然としていた。埃は少なく、機械の音だけが規則正しくなっている。
東亜市から車で4時間。街を見下ろす丘の上に立てられた古い病院は、この小さな街の守り神のような存在だと医院長から聞いた。そして、数十年間昏睡状態のまま一向に目覚めない精神科医は自分の孫の恩人だからと、無償でいつか、彼の親族が来てくれたらと願い待ち続けたと涙交じりに語った羽村医院長は私の手を緩く握って「よく来てくださった。」と温かい言葉をかけてくれた。
少しの高揚感と緊張を感じながらゆっくりと部屋を進む。
ベッドの上には、男が横たわっていた。
凛より少し年上だろうか。癖のある栗色の髪に、伏せられた瞼を縁どる長いまつ毛。色は白く細身だが身長は大きい。
凛が何度も想像して、何度も考えていた___生身の、人間の顔。
「…本当に、いた…。」
声が震えそうになるのを凛は喉の奥で押し殺した。
記録によれば、長期昏睡・意識障害。規則正しく上下する胸を見れば確かに生きていることがわかる。凛はベッドの横に立ち、しばらく迷ってから口を開いた。
「ねぇ、ミラ。」
呼びかけは、余りにも普通だった。いつもと同じ調子で、洗面台に向かっていたみたいに。
「事件…まだ終わってないんだけど。」
それでも凛は続けた。
「依頼人がさ、行方不明で…今探し当てたんだけど…何も言ってくれないの。」
指先がそっとミラの頬に触れる。…温かい…。
「起きてよ…相棒…。」
ほんの僅か、瞼が動いた。凛は息を止める。次の瞬間、男の喉から掠れた声が漏れた。
「…ちょっと…気安く、触らないでちょうだい?」
その言い方に凛は笑った。
男はゆっくりと目を開け、天井を見つめて、それから凛を見る。数秒の沈黙の後、口角を上げた。
「あら…アタシ、ずいぶん長いこと鏡をやっていた気がするわ。」
凛は答えなかった。
今にもあふれ出そうな涙を必死で不細工な笑顔に押しとどめる。するとふわりと伸びた長い手がしっかりと凛を抱き寄せた。ずっと触れたかった…。ずっと抱きしめたかった。抱きしめられたかった…その願いが叶ってついに凛の目から大粒の涙がこぼれた。
「お帰り、ミラ。」
男は震える声で紡がれた言葉を噛みしめるように、そして一瞬言葉を探すように目を伏せてから、静かに言った。
「ただいま…凛。」
もう鏡はない。
けれど、真実は確かにここにいた。
END
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
リハビリで書いたので、読みずらいところもたくさんあったかと思います。
それでも、ここまで読んでくださった読者様に心より感謝いたします。
ありがとうございました。




