7.観察者現象の真実
翌日、凛は警察署に呼び出された。
五十嵐刑事が机の書類を眺めながら眉を顰める。
「これ…篠原蓮の居場所、突き止めたぞ。」
「…ついに…。」
「奴は普通じゃない。観察者現象の再現までしている。お前、気を付けろよ。遅かれ早かれ警察は捜索令状と逮捕状が取れ次第突入する。…蹴りを付けたいのなら…わかっているな。」
凛はその言葉に五十嵐刑事の優しさをしっかりと感じた。自分にお父さんと事件の決着を付ける機会をくれてるんだ。その不器用な思いに胸が熱くなって自然と頭を下げる。
「ありがとうございました。」
静かにそう告げて背を向ければ出口に向かって歩き出そうとした背中に小さな声が掛かった。
「…死ぬなよ。」
その声はしっかりと凛の耳に届いたが、凛は止まることも振り返ることもせずにそのまま警察署を後にした。
『いよいよね…凛。』
「うん。ミラ…私とずっと一緒にいてね。」
『…凛が望むなら、泣いて嫌がったって離れてやらないわよ。』
軽口を返したミラに笑いながら、凛はハッキリとした足取りでメモに書かれた住所へ向かった。
日も暮れ始めた東亜市。
古いマンションの一室の前に凛は立っていた。ミラがいるであろう手鏡を握り締めて呼吸を整える。今日はミラがスマホではなく、より存在を感じられる鏡がいいというので手鏡を持って来ている。ミラの低い声が響いた。
『凛、絶対に一歩も下がらないで。相手は観察者よ。動きも感情も読まれるけどアタシがカバーするから。』
凛は頷く。
震える手でドアを押し開けると長い廊下の先広いリビングダイニングのテーブルに座った篠原蓮がいた。
「…やっと来たか。玄関のカギは開けておいて正解だったな。」
薄暗い部屋で、篠原の目が冷たく光る。篠原の視線は凛の一拳手一投足まで追いかけている。
「ここまで読まれるとは、想像以上だな。」
皮肉なのかどこか楽しんでいるようにさえ見える篠原は凛の手元を見て眉を寄せた。
「鏡…?」
その腹のすぐ近くにも鏡のかけらが置いてある。
『あれは…羽村一成の母親の手鏡!!』
「え?!」
篠原は凛の視線に気が付いて鏡の破片をつかみ取った。
「これを知っているのか?俺の親友の大切なものだった。そいつは…死んだが、鏡だけは残してくれた。俺の唯一無二の理解者だったのに…馬鹿な精神科医にほだされて、付け込まれて…せっかくこの世界の全てを掌握出来る観察者に慣れる機会だったのにな…。」
その瞬間、篠原が握った鏡の破片が淡く光り、その表面にい映った篠原の顔に別の顔…羽村一成の顔が重なった。
「…どう、なっているの?」
『観察者現象の真相は〝鏡”よ。羽村も篠原も心理的に人の動きを読む才能はあるけど鏡が情報を吸収して放つことで異常な精度で読み取れていたのよ。そしてそれを利用して鏡を媒体に人間をマインドコントロールする。』
「じゃあ、ストーカー殺人も…!!」
ストーカ殺人の声に篠原が器用に口角を上げた。目は血走り焦点があっていない。
「あれは、うまくできた。あの女の精神は貧弱で、大した才能もないからすぐに支配できた。うまく自殺させてやったと思ったのに…アンタのせいで台無しになった。せっかくすべてを理想の形で整えたのになぁ…。」
ズっと篠原が一歩凛に近づいた。それに合わせて凛は下がろうと思ったが足がすくんで動かない。篠原の狂気がツタのように絡みついて凛の動きを支配していく。
「ああ、そう言えば。アンタの父親。真宮宗吾だっけ?アイツも珍しく抵抗したよ…。でも、最後はあっけなく死んじまった。俺が殺したんじゃないぜ?自分で頭を撃ち抜いたんだからなあ…ハハハハハ。」
その言葉にカッとなった凛が拳を振り上げようとしてミラの鋭い声が飛んだ。
『ダメッ!凛!!感情に流されないで、しっかりと理性を保ちなさい。』
「ハハハハハ!見えるぞ!見られるよりも見るほうが楽だ!お前の心、行動、恐怖…全て読める!!」
凛は成すすべなく怒りと恐怖に震える。そして胸元にギュっと鏡を握り込んだ時ふと考えが浮かんだ。
「ねぇ、ミラ。鏡は篠原が持っている鏡と繋がってるんだよね?」
『え?ええ、そうね。私が入り込めればよかったんだけど、そんな構造にはなっていないみたい。』
「じゃあ、鏡が吸収しきれないほどの情報を送れば…?」
『!!そうね!鏡はキャパオーバーで自滅するわ!凛、鏡に集中して!!』
「わかった!」
凛は深呼吸をして鏡を前に掲げた。鏡が夕日の光を反射し、篠原の目に映る。
「な、なんだ…この光…俺の計算が…狂う…?」
篠原の動きが、微妙に遅れ、視線が揺らぐ。凛とミラの集中が重なり、観察者現象の流れが逆転し始めた。
「貴様ッ…鏡を使って…だと!?」
最早人の声とも思えないそれはおぞましく低く、嗄れている。鏡を見ていた長い日々の中で何時しか鏡に飲み込まれていたのかもしれない。様々な人間を観察し続けていた鏡がわなわなと震えだし、ついに篠原の手から飛び出した。
「ぐあぁぁぁぁっ!!」
篠原の視線が混乱し、動線図のイメージが頭の中でグチャグチャに絡まっていく。凛はミラにささやいた。
「ミラ…一緒に、これを止める!」
『ええ…絶対に!』
二人の声が重なり、鏡の光が篠原を包む。篠原は小刻みに震えていたが、しばらくしてピクリとも動かなくなりドサッと床に崩れ落ちた。急速に静まり返った部屋。それに安堵した凛がミラに話しかけようとした瞬間、篠原が持っていた鏡の欠片が突然凛の顔面目掛けて飛んできた。
「え…___?」
『凛ッッ___!!!』
バリンッ!!
凛が欠片の方を振り返ろうとした瞬間、彼女の手によってしっかりと握られていたはずの手鏡が飛び出し、飛んできた鏡の欠片を粉々に砕き、そして自身もまた大きくヒビを入れて割れ散った。
ガシャン!
床に落ちた鏡のかけたは粉々に砕け、手鏡には一枚だけいびつな形の鏡が残っていた。
「ミラッ!!ミラっ!!」
そこに向かって必死に呼びかける凛に返ってきたのはとても弱弱しく小さなミラノ声だった。
『ケガは…ない?』
「う、うん。でも、ミラが…!ミラが…!!」
『泣くんじゃないわよ…。凛を守れてよかったわ。…多分、これが正解なのよ。』
ミラノ声が少しづつ小さく聞き取れなくなっていく。
「何が正解なの!?何よ!なんでよ…!!」
『置いていくのは心残りだけどさ…アンタなら1人でもちゃんと真実にたどり着けるでしょ?』
凛は唇をかんだ。最後に聞いたミラの声は、珍しく静かで、オネェ口調も少しだけ崩れていた。
「約束したのに…。ずっと一緒にって…ッッ__。」
そう震える声で注げても割れた鏡は何も返してはくれなかった。
凛は力なく自宅に上がり洗面台の鏡を見た。いつもの「おかえり」はもう聞こえてこないのはわかっていた。あの後、凛と入れ違うようにして警察が篠原の家にやってきた。凛は五十嵐刑事に事件の説明をして自宅に返ってきていた。
「…何がこれが正解なのよ…馬鹿。」
ミラは私を守ってくれた。そのお陰で私は元気に生きている。明日もこの先も生きていく。ただ、そこにミラの姿はない。そう考えただけで胸の奥が痛んだ。
「ずっと相棒じゃないの…?
言葉は誰にも届かず床に落ちる。千万台の鏡は、ただの古びた鏡だった。指で触れても、冷たいガラスの感触しか返ってこない。
凛はしばらくその場に立ち尽くし、それから静かに背を向けた。振り返らなかったのは、そこにもう〝誰もいない”からだ。
それでも__鏡を離れる直前、ほんの一瞬だけ。割れた鏡の奥で、誰かが微笑った気がした。
ここまで、読んでいただきありがとうございます。次回で最終話です。




