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2.整った部屋

その部屋は整っていた。

家具の配置も、被害者が争った形もない。むしろ〝綺麗すぎる″。凛は足を踏み入れた瞬間、背中が震えた。


「なんか、静かすぎない?」


小さく問えば、近くにあったグラスからミラの声がする。


『違うわね、凛。これは〝演出された静けさ″よ。』


部屋の中央には、白いシーツをかけられたベッド。その横に、被害者が倒れていた場所を示すマーキング。凛は足元を見た。


「足跡…逆向き?」


その違和感に凛は五十嵐を見た。五十嵐から鋭い視線が返ってくる。


「これ…本当に自殺?遺体があった場所とは足跡の向きが逆になってるよ。それって矛盾しているよね?」

「…捜査中だ。軽々しく口にするな。」


五十嵐は口をとじ、視線をそらす。

その時、凛は部屋のある一点に目を止めた。

鏡___。

洗面台横の姿見。その角度がほんのわずかに不自然だったのだ。凛は昔からこういった〝違和感”に敏感だった。普通の人間荒木が付かない些細な事。それを周囲の状況と照らし合わせて原因を探る。それはが持って生まれた才能だった。しかし、その才能のせいで凛は幼い頃から人づきあいがうまくいかず「変わり者」として扱われることが多かった。だが、この仕事を始めてからは幾度もこの才能に助けられていることもあり、凛はその直感に確かな自信を持っていた。


姿見の前に立った凛はその違和感をさらに強くする。正面至った凛の姿は半分しか映らず、その角度が、わずかに、ほんのわずかに部屋の死角を映す位置になっている。姿見の足元を見ると埃の形と後からつい最近置き直されていることが分かった。


『凛、これ…。気が付いた。』


鏡から聞こえたミラの声に凛は静かに首を縦に振る。


「うん。…誰かが鏡を〝見ていた″。多分、被害者の姿を…。」


突然言葉に居室を調べていた五十嵐が勢いよくこちらを見た。


「お前、何言ってんだ?」


訝し気に立ち上がった五十嵐に凛は視線を向けることなく鏡越しに話す。


「ストーカーの特徴の一つだよ。ストーカーは被害者の日常を覗き見ることに執着する。」


凛の言葉に五十嵐が眉を寄せた。


「だとしたら、どうやって部屋に侵入した?」


凛は鏡を熱心に調べた後、スッと息を吸った。


「侵入…していないかもしれない。」


その言葉に部屋に沈黙が落ちた。


『凛、言うならハッキリ言いなさいよ。』


凛は振り返り、五十嵐の目をまっすぐ見た後、確信を込めて口を開く


「この部屋、ストーカーに〝監視され続けてた″んだよ。多分、被害者自身が気が付かない形でね。」


五十嵐の顔が途端に険しくなる。


「どういう意味だ、真宮。

「例えば…この鏡の裏に、小型カメラが仕込まれているとか?」


そう言った凛は鏡に触れることなく鏡の裏を覗き込む。しかし、鏡の裏は薄い板の様で不自然なものは何もなかった。


『パッと見ただけじゃわからない、小型内蔵カメラとかの可能性もあるわね。』


ミラの声に凛は頷く。


「五十嵐さん、鑑識を呼んで調べてもらった方がいいかも。」


五十嵐は一瞬言葉を失い、次の瞬間、鑑識を呼ぶために走り出した。


『うっ…ん…?』


五十嵐の背中を見送った凛の耳にミラの苦しげな声が届く。


「ミラ?どうしたの?」

『…大丈夫。少し、頭が痛いだけ…。』


おかしい。今までミラがこんなことを言ったことはなかった。ミラは鏡に取り込まれているのか実態があるのかわからないが、眠いだとか、お腹がすいたとか〝生きている人間″のような感覚があるとは言っていなかったのに。


『それよりも、アンタ…今回は面倒な事件になりそうよ。相手、ただのストーカーじゃない。』

「あ、うん。…恋愛の執着だけじゃない気がする。もっと、こう、歪んだ何かがある気がする。」


ミラの声に視線を戻した凛は改めて姿見からこの部屋を見た。相変わらず静かなのに、そこには得体のしれない〝静けさ″と〝恐怖″を感じる。


『嫌な予感しかしないわねぇ。』


凛は鏡に映る自分とも目を合わせた。


「ミラ、手伝ってね。」

『もちろんよ、凛。』


鏡から聞こえるミラの声だけが凛の震える心を支えていた。



東亜市のメインストリート沿いに立つ東亜警察署はネオン輝く夜の繁華街の中で静かに、しかし圧倒的な存在感で周囲の犯罪を抑制していた。


「こんにちは~。」


東亜警察署刑事課第一係のプレートがかかるカウンターを凛は慣れたように入っていく。複数のデスクが作る島を抜けて凛はデスクでパソコンを叩いていた五十嵐の横に立った。そんな凛に五十嵐は視線だけ向けるとため息とともに言葉を投げる。


「遅かったな。」

「あのね、こんな雨の中のラッシュアワーに急に呼び出してるんだから、待たされることぐらい考えておいてよ。」


被害者のマンションを出た後、ストーカー路線で調査を開始した凛は自宅で被害者のSNSを調べていた。莫大な量の投稿を一つ一つ確認しているときに、かかって来た五十嵐からの電話。「今すぐ、署に来い。」それだけ言って切られた通話に悪態をつきながらスマホを放り投げ、絶対に行くもんか!と啖呵を切ったのはほんの一時間前だ。


『凛、行った方がいいんじゃないの?今まであのおっさんからの呼び出しなんてなかったじゃない?何か重要な手掛かりがあるのかもよ?』

「ありえないでしょ?あのおっさんは一般人が首突っ込むなー!っていつも怒ってばっかりじゃない。お父さんの部下だったんだから、もっと私に優しくしてもいいのにさ。」

『…だからこそ、じゃないの?』

「…。」


そうやってミラに何とか説得されて、土砂降りの中やって来たというのに。何なんだこの態度は!と凛は内心燃え滾っていたが、スマホからミラがなだめるので仕方なく今にも口から溢れそうな、酷い言葉の数々を飲み込んだ。


「で?急に呼び出すなんてどうしたの?」


凛の言葉に五十嵐は今しがたまで自分が作業をしていたノートパソコンを凛のほうに向けた。


「昼間のお前の言葉が気になってな。癪だが、鑑識を使っても一度あの部屋の姿見を中心に調べてみたんだ。」

「なにかわかったのね。」


パソコン画面には自宅で凛が見ていたSNSの投稿が広がっており、別開いているウィンドウには被害者の投稿に定期的にコメントを残しているアカウントが複数上がっていた。


「今特定できている容疑者候補は3人。どいつも被害者と直接会った様子はないが、他の奴らに比べてかなりの頻度でメッセージをやり取りしている。」


そこまで言った五十嵐は、引き出しからジップロックに入った小さな黒い物体を取り出した。ホッチキスの針箱よりも小さなそれは針金のような物が短く伸びている。


「あの姿見の枠の中からこいつが発見された。超小型カメラ。撮影した映像はこの小っこいアンテナを使ってストーカーの元へ飛ばされていたらしい。」

『凛…もしかしたら。』


五十嵐の声にミラの声が重なった。


「…私の顔がストーカーに見られているってことね。」


凛が静かに告げると、五十嵐が重いため息をついた。


「真宮、お前もうこの事件から手を引け。」

「は?そんなの絶対に嫌。」


五十嵐の言葉に間髪入れずに凛が言い返せば、ドンッと五十嵐の大きな拳が机に落とされた。その音に思わず凛が肩を震わせる。


「いい加減にしろッ!捜査はお遊びじゃない、お前はストーカーに顔が割れているんだぞ?それに、これはただの自殺でではなく、ストーカー殺人事件に変わるかもしれないんだ。そうなったら、次のターゲットはお前かもしれんのだぞッ!!」


鋭い目つきで凛を睨みつけまま、怒鳴った五十嵐に凛はグッとこぶしを握り締めた。


「私は、そんなに弱くないわッ!お父さんが亡くなってからもこの街で一人でやって来たもの!…それに、今は一人じゃないもの。」

『…凛…。』


ポケットの中のスマホを握れば確かに凛の耳にミラの声が届く。それが凛に強い勇気を与えてくれる。


「私はこの事件から手を引かない。依頼主は真相を知りたがっているし、私が次のターゲットだとしたら、逆にそれを利用して捕まえやるんだから!」

「真宮ッ!!」


言い返した凛にさらに何か言おうとして口を開いた五十嵐の前にスッと青いファイルが差し込まれた。五十嵐と凛を遮るように出されたファイルから伸ばされた腕をたどって視線を上げるとそこには穏やかに微笑む、眼鏡姿の男がいた。

少し重めの前髪がアンニュイな雰囲気を漂わせる、長身の痩せたこの男は東亜警察署鑑識課の主任風間裕介だ。五十嵐とは旧知の仲だった。何度か凛とも過去の事件等で会ったことがある。


「これ以上は、周りの迷惑になりますよ。」

「…風間さん?」

『え?どこ?あのイケメン鑑識・風間っち!!私のスイートハート!!』


風間の声が聞こえた瞬間、凛のポケットのスマホから興奮したようなミラの声が聞こえて、凛の怒りも興奮も一気に冷めていった。



「五十嵐警部補も少し冷静になってください。心配をする気持ちもわかりますが、そんなに頭ごなしでは逆効果ですよ。」

「…。」


穏やかな風間の声に五十嵐はきまり悪そうに視線を逸らして再びパソコンに体向けた。そんな五十嵐の姿を見て眉を下げた風間は、持っていた青いファイルを凛に差し出した。


「あの部屋の鑑識結果と容疑者候補にあがっている3の詳細なリストです。」

「おい、捜査資料は持ち出し禁止だぞ。それにこいつは一般市民だ。」

「あれ?僕何か言いました?おかしいな…仕事のし過ぎで記憶があやふやだな。」


突然とぼけ出した風間は凛にファイルを押し付けると誰にも気づかれないようにウィンクを凛に向けた。その意味を正しく受け取った凛は、パッと笑顔になるとファイルを受け取り、風間に頭を下げて逃げるように捜査一課を後にした。


凛の姿が遠くなると五十嵐はふうぅうーと大きなため息を吐いた。空気の抜ける風船のようにため息とともに五十嵐の体がしぼんでいく。


「もう少し、接し方を変えてみてはどうですか?」

「…余計なお世話だ。」

「あのファイルだって、五十嵐さんが用意したものじゃないですか。」

「俺からはうまく渡せんからな。」

「…お疲れ様です。…一つ貸しですよ。」


軽く頭を下げた風間がその場を後にする。その薄い背中に向かって「お疲れさん。」と小さくこぼした五十嵐は椅子から立ち上がるとエレベーターへと向かった。


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