第三十二話 どうでもいい
土曜日の午後九時。ギルド戦の幕が上がった。
咆哮、怒号、スキルの爆音。
画面の向こうで、プレイヤーたちがぶつかり合う。
ただひとり、紫苑だけが静かだった。
(始まったな)
キリキリバッタは総力を挙げて防衛していた。
だが、結果は残酷だった。前衛が、音もなく崩れていく。
【黒王】「退屈だな。ただの作業だ」
冷たく響く言葉が、胸に刺さった。
(……そうだよ。作業みたいなもんだ)
オニッシュはハンマーを握るだけ。
連携もしない。命令もしない。
これはギルド戦ではない。
ただの処刑だった。
前線で、鬼朱雀の炎が爆ぜる。
【システム】《たっちゃんパパ 撃破》
【システム】《琉韻love 撃破》
画面に浮かんだ文字に、胸がざわついた。
(もう落ちたのか)
たっちゃんパパも。
琉韻loveも。
「私たちコンビ最強でしょ?」
そんなこと言ってたのに。あっけない。
紫苑は、何も感じなかった。
(いい。隣に誰もいない方が楽だ)
戦場の音が遠のいていく。
画面の中ではまだ、誰かが叫んでいる。
【マルメン】「黒王め、人を雑魚扱いしやがって!」
【琉韻love】「オニッシュ、やれッ!」
うるさい。もう期待するな。
仲間なんていらない。
味方も、居場所も、必要ない。
【黒王】「……椿、やれ」
その一声で、空気が変わる。
全員がオニッシュから離れた。
残されたのは、ただの生贄。
椿が刀を抜く。
光が走った。
(……見える)
動きは速い。けれど、フローライトにいた頃なら避けられたかもしれない。
今のオニッシュには、そのための心がない。
【オニッシュ】「ギルドなんてどうでもいい。僕は、戦うだけだ」
椿が目を細めた。
【椿】「迷っている」
一歩。踏み込んだだけで、姿が消えた。
次の瞬間、赤い霧が視界に散る。
左腕が飛んだ。
痛みはない。ゲームだから。
だが、椿の刃が触れるたびに、
仲間だった頃の自分が削ぎ落とされていく気がした。
(私は……何と戦ってる?)
脚が斬られ、膝をつく。
視界が揺れる。
(戻れるわけない。正体がバレたら、嫌われる。笑われる。踏みにじられる)
怖かった。ただ、それだけ。
椿が静かに告げる。
【椿】「その狂気は、弱さの裏返しだ」
弱い。その通りだった。
だから壊してきた。距離を置き、信じるふりをやめ、誰も寄せつけなかった。
守るのが怖かったから。
刃が振り抜かれる。
【システム】《オニッシュ 撃破》
光の粒となって、体が崩れていく。
(私は……何も守れなかった)
最後に耳に届いたのは怒号だった。
【琉韻love】「ふざけんなッ! オニッシュ、何やってんのよ!!」
違う。
(私は、守らなかったんだ)
画面が暗転する。
部屋だけが、静かだった。
その夜、キリキリバッタのギルマス・マルメンから、オニッシュへ短いメッセージが届いた。
【マルメン】「話せる時でいい。また連絡くれ。俺は逃げないから」
紫苑は画面を閉じた。
(逃げないって……こっちは、もう期待してない)
そもそも、仲良くもない相手に弱音なんて吐けない。
相談するほどの関係じゃない。そう割り切った。
――翌日。日曜レイドの前。
「はい、準備! 今日こそ奈落一層ソロ突破するのよ、紫苑!」
姉の琉韻に背中を押され、配信が始まる。
紫苑の無表情さや暗さは、相変わらずウケが悪い。
それでも、彼女の異常な操作技術だけは評価するファンがついていた。
「奈落ソロは狂気ww」
「うちのギルド、20人で行っても無理だったぞ」
「20人で無理は草。お前んとこ弱すぎwww」
「は? 喧嘩売ってんのか」
視聴者のコメントは刺々しい。
紫苑にとって、毎回これが一番怖い。
(ミスったら叩かれる。だから、絶対に失敗できない)
紫苑はギルドチャットの呼びかけを無視し、単身で奈落へ向かった。
(雑魚のパターンは全部覚えた。もう怖くない)
紫苑は無駄な動作を一切せず、冷徹なルートで進む。ソロで奈落を突破していく異様な光景に、視聴者数が跳ね上がる。
(32サーバーのレイド時間。誰も見に来れない。この配信だけは、誰にも邪魔させない)
そして、一層の最奥。
ボスモンスター《懸念の蜘蛛・シャスエティ》が、紫苑を待っていた。
巨大な黒い蜘蛛が、暗闇の天井からゆっくりと降りてくる。無数の赤い複眼が、紫苑を映し出した。
(落ち着け…開幕は必ず《恐怖付与》。回避してカウンター)
紫苑が飛び込む。
だが――
ビュッッ!!
「っ……!?」
光弾ではない。
状態異常《混乱》が、表情のない紫苑を襲った。
操作が逆になる。
足が、勝手に前へ。
(やばい、パターンが…崩れる…!)
「紫苑、距離取りなさい! 一回リセット!」
姉の声は届かない。紫苑は“混乱”のまま、蜘蛛の真下へ吸い込まれていく。
シャスエティが糸を吐く。
絡みつく。動けない。
視聴者が騒ぎ始める。
「おい、操作雑すぎ」
「下手になった?」
「調子乗った結果だな」
(ちがう…違う…動いて…!)
紫苑は必死にキーを叩く。だが画面の中のオニッシュは、ただ糸に絡まったまま震えていた。
次の瞬間、HPゲージが一気に赤まで削られる。
「……っ!」
画面には、無慈悲な文字。
【システム】《全滅しました》
コメント欄が一斉に爆発した。
「やっぱ無理だったかw」
「期待して損した」
「雑魚じゃん」
「いや、お前できんのかよ」
「あ?お前よりはできるわ」
(嫌だ)
紫苑は手を震わせ、配信画面を閉じた。
ただ一言も言えなかった。
琉韻は告げた。
「そこそこ数字伸びたな、次はクリアしてよね」
数字?クリア?
……どうでもいい。
紫苑はそう思った。




