第三十話 殻を破れ
金曜日、夜九時。
個人ランク戦のテストマッチが開始された。
琉韻はまだ仕事中で不在。
Sランク戦・対戦カード:オニッシュ vs 黒王
【システム】《テストランク戦を開始します》
戦闘フィールドに転送された瞬間、オニッシュの背中に冷たい緊張が貼りつく。
よりによって、相手は黒王。ダークキングのマスターであり、32サーバーでも最強の一角。
【黒王】「……何故キリキリバッタに行った」
【オニッシュ】「……別に。たまたま」
【黒王】「たまたま、ねぇ」
黒王は武器を抜くでもなく、ただオニッシュを見た。視線が重く、逃げ場がない。
【黒王】「答えろ、オニッシュ。何故キリキリバッタに行った?」
いきなり核心。
【オニッシュ】「僕が……好きにしていいだろ」
【黒王】「戦力なら俺のところに来るはず、気に入らないという理由なら王国騎士団。それでもキリキリバッタに行ったのは」
一拍の間。
【黒王】「お前が 篝火紫苑 だから、か?」
オニッシュの心臓が跳ねた。
誰にも言ってない。フローライトやキリキリバッタのメンバーにも。
ましてやネットの中で、自分の本名を隠しているのは当然だ。
無理矢理配信をやらされてはいるが、名前は映らないようにしているし、主観視点だから武器しか見えない。
黒王は一歩踏み込む。
【黒王】「どうせ琉韻ファンのアイツにバレて脅されたってとこだろ?ウチにいた時から琉韻琉韻とうるさかったからな。……で、バラされたら嫌われると思ってるのか?」
全て見抜かれている。胸を撃ち抜かれたようだった。
オニッシュは言葉を失う。何も返せない。返したら、自分の弱さを認めてしまう。
【黒王】「フローライトの連中はそんな薄っぺらい奴らじゃない。お前が紫苑だろうが、関係ないと思うがな」
【オニッシュ】「なんで気づいたの?あなたも琉韻loveと同じで、お姉ちゃんのファンなの?」
【黒王】「ファン?興味ないな。だが、俺は現実で客商売してるんだ。トレンドの話題は全部頭に入れてる。だが、そこじゃない」
黒王の瞳が鋭く光る。
【黒王】「俺はこのゲームが好きだ。奈落に一人で突っ込むアホな配信、見逃すわけねぇだろ。さらに32サーバー上位プレイヤーは全員研究対象だ。動きでわかった。オニッシュと、奈落にソロで挑んだバカな配信者、篝火紫苑の癖が同じだ」
逃げ道はない。
【オニッシュ】「あんたには関係ないだろ」
【黒王】「見てらんねぇんだよ、滑稽すぎて」
【オニッシュ】「……は?」
【黒王】「ビビって殻に閉じこもってる。バレたら嫌われる?笑わせんな」
黒王の剣が、音もなく構えられる。
【黒王】「アホが。自分の殻、破れ」
宣告と同時に、黒王が地を蹴った。
──速い。
視界の端が弾け、黒王の剣がオニッシュを断ち割る。
【オニッシュ】「っ…………!」
息が詰まる。
防御も反撃も追いつかない。
黒王は淡々と、しかし容赦なく斬り伏せる。
【黒王】「殻から逃げてるうちは、何やっても二流だ」
【オニッシュ】「僕は……!」
叫びも虚しく、黒王の最後の一撃が振り下ろされる。
【システム】《勝者:黒王》
画面に結果が表示された瞬間、オニッシュの膝が崩れ落ちる。
黒王は勝利のアピールをしない。
【黒王】「紫苑。フローライトに戻れ、ちゃんと顔を上げろ」
そして、背を向けた。
敗北よりも、黒王の言葉が胸に刺さって離れなかった。
転送エフェクトがほどけ、視界がギルド拠点へ戻る。
見物していたフローライトのメンバーが、ざっとこちらを振り向いた。
【マルメン】「おかえり!オニッシュは勝った?負けるわけねぇかw」
返事がない。
【シャイン】「大丈夫?ひょっとして、やり過ぎて燃え尽きた?」
【クルス】「まさか…負けたのか!?」
優しい声。
心配する声。
責める者なんて誰もいない。
それでも、喉が詰まって声が出なかった。
嫌われる。
胸の奥で、幼い恐怖が叫んでいる。
琉韻の妹だとバレたら。
誰も自分を見てくれない。
「琉韻の妹だから」で注目される。
努力も、勝利も、友情も。
全部、色眼鏡で見られる。
それが、何より耐えられなかった。
【オニッシュ】「…… ごめん。今日は落ちる」
短く言って、ログアウトボタンを押した。
消える瞬間、マルメンが何か言いかけたように見えた。でも、聞けなかった。
ゲームを止めると、部屋の静けさが耳を刺した。
「あああああああああ……っ」
ベッドに倒れ込み、枕に顔を押しつける。
黒王の声が、頭から離れない。
『アホが。自分の殻、破れ』
破りたい。
ちゃんと向き合いたい。
でも……
「……怖いんだよ……」
涙が溢れた。
琉韻の妹だと知られて、嫌われたら。
失望されたら。
いまの居場所が壊れたら。
そんなの、耐えられない。
(僕は……怖がりのままだ)
黒王に叩き切られた痛みは、剣のダメージじゃない。自分で認めたくない弱さを、容赦なく突きつけられた痛みだ。
だけど紫苑は、結局、殻を破れなかった。




