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オンラインゲーム:サンドボックスウォーズ ―画面の向こうの絆―  作者: 黒瀬雷牙
第六章 オニッシュの物語

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第二十九話 涙の跡

 ――話は、約一ヶ月前に遡る。


 あの時、紫苑は琉韻loveからの異常な圧力と執拗なメッセージに追い詰められていた。


 名前を見ればわかる。紫苑が心の底から嫌っている、姉・篝火琉韻のファン。


 今やトップアイドルグループ〈ヤケ酒45〉のセンター。国民的アイドルとして、光そのものの存在。


 ーー紫苑には誰にも言えない過去がある。


 父の顔を、紫苑は一度も知らない。

 母がかろうじて口にしたのは、


「……あの人は、テレビの向こう側の人よ。名前を言ったら、死んじゃうの」


 曖昧で、現実味のない言葉。

 ただひとつ確かなのは、父は芸能界の人間だということだった。


 母は不安定だった。

 まともな食事がある日のほうが少なかった。


 夜になると、冷たい蛍光灯の下で、小さな白い袋が並ぶ。母はそれを弄びながら、震える声で笑った。


「大丈夫よ紫苑。これがあれば全部忘れられるの」


 忘れたいのは、きっと現実だった。


 やがて母は倒れた。テーブルには薬物の空袋と、処方箋の切れ端。


 ニュースになることはなかった。

 父が金で全部を消したからだ。


 調査も報道もなかった。残されたのは、ひとりぼっちの紫苑だけ。


 身元引受人はひとり――

 腹違いの姉、篝火琉韻。


 国民的アイドル。

 笑顔で光に包まれる「完璧な存在」。


 だが紫苑の目に映る琉韻は、檻だった。


「あなたは、私の足を引っ張らないで」


 引き取られて最初に言われた言葉が、それだった。


 本来の紫苑の名字は 三谷だった。しかし、琉韻の事務所が手続きを進めたことで戸籍の「身元引受人」の欄が書き換えられ、篝火紫苑となった。


 アイドルの妹として「都合のいい家族」へ、組み込まれた。


 紫苑の人生は、光を浴びる姉の影の中で始まった。


 紫苑は深く息を吸った。


 机に置いたスマホはまだ熱を帯びている。

 星音とのやり取りが終わっても、胸の奥では何も終わっていなかった。


(……明日、全部終わる)


 モニターには、ギルド〈フローライト〉のディスコ。スマホには星音からのDM。


(逃げられない……)


【Gemini】「マジでオニッシュのおかげ」

【ゆず】「オニッシュさんの攻撃力は半端ない」

【スカイ】「オニッシュさんがいて、助かったよ」


 胸が熱くなった。……一人だった頃を思い出す。

 最初に声をかけてくれたのはスカイだった。


(スカイがいたから、みんなと仲間になれた)


 紫苑は文字を打つ。


【オニッシュ】「少し、話があります」


 一瞬で空気が変わった。


【ココア】「どうしたの?」

【White】「深刻そうな声だな」

【むー】「なんかあった?」


(本当の理由は言えない。脅されてるなんて)


【オニッシュ】「今日でフローライトを抜けます」


 少しの沈黙が走った。


【スカイ】「……え?」

【ゆず】「冗談だよね?」

【Gemini】「理由は?」

【ハルト】「納得できないぞ」

【烈火】「本気なのか?」

【オニッシュ】「理由は言えない。ごめんなさい」


 沈黙。

 そして、Whiteの落ち着いた声。


【White】「そうか……理由を言わなくても責めない。またいつでも来い」


 涙がこぼれた。


【ゆず】「待ってる」

【Gemini】「席は空けておくから」

【ハルト】「また一緒に笑おうぜ」

【タイガー】「これは休暇だと思っとけ」


 そして――


【スカイ】「オニッシュさん……あの時、あなたが来てくれて本当に嬉しかった!ありがとう、またいつか!」

【オニッシュ】「みんな、ありがとう」


 紫苑は脱退のボタンを押した。

 ウィンドウが灰色になる。

 温かかった居場所が、無音のまま閉じた。


(……終わった)


 紫苑は椅子から崩れ落ちる。


「っ……う……ぁ……」


 嗚咽が漏れた。


「嫌だ……戻りたい……みんなと、いたかった……!」


 ――玄関の鍵が開く音がした。


 ガチャ。


「ただいまー。あんた起きてる? 配信準備できてる?」


 紫苑は顔を上げた。

 そこに、姉・篝火琉韻が立っていた。


「何その顔。……またゲームで泣いてんの? きも」


 腕を掴まれ、無理矢理立たされる。


「何泣いてんのよ、キモいな。ほら早く、篝火紫苑としての仕事をしなさい」


 優しさの欠片もない声だった。


 紫苑の涙は止まらない。

 でも、拒否する権利はなかった。


 琉韻はネットで適当に調べて話す。


「なんか奈落とかってとこ話題らしいじゃん。そこクリアしてよ。あんたゲームだけは上手いし」


 そして琉韻が見張る中、配信が始まる。


 琉韻は紫苑の背後に腕を組んで立ち、スマホで配信アプリを開く。


「ほら。サムネ写ってる。笑って」


 笑えない。

 紫苑の指は震えたままだ。


 画面には配信開始の赤いボタン。


(やりたくない……もう無理だ……)


 だけど、押さないという選択肢は、なかった。


 琉韻の手が紫苑の肩に置かれる。

 冷たい指先が、逃げ場を塞ぐ。


「押して。紫苑」


 心臓が跳ねた。


(たすけて……誰か)


 紫苑は画面をタップした。


 配信開始。


 チャット欄が一気に流れ始める。


《きた!琉韻ちゃんの妹!?》

《奈落チャレンジするってマジ?》


 紫苑は呼吸が浅くなる。


「挨拶は?」


 琉韻の囁きは、命令だった。


 紫苑は顔を上げる。

 涙の跡が残るまま、必死に笑顔を作る。


「……こんばんは。篝火紫苑です」


《暗w》

《笑えよ》

《コイツ、姉とは大違いじゃんw》


 心がえぐられるコメントが飛ぶ。

 琉韻はそれを見て、満足そうに頷く。


「そう、その調子。その顔のまま、奈落をクリアしてよね。数字、稼いで?」


 紫苑の手は、キーボードの上で力なく震えている。


 逃げられない。

 もう、自分の名前すら、自分のものじゃない。


(……誰か、助けて)


 だが音もなく、紫苑の願いは虚空に消える。

 モニターの光だけが、涙の跡を照らしていた。

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