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オンラインゲーム:サンドボックスウォーズ ―画面の向こうの絆―  作者: 黒瀬雷牙
第四章 マルメンの物語

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第二十話 マルホロ・メンソール

 午前四時三十五分。


 暗い部屋にアラームが響く。

 布団から抜け出すというより、転げ落ちるように起き上がった。


 龍臣はカーテンを開けず、薄暗い台所でポットを沸かす。

 お湯を注いだ紙コップのコーヒーは、味というより温度のためだけにある。


 朝食はコンビニのおにぎりをひとつ。

 噛んでも、味はしない。


 玄関を出ると、まだ夜の匂いが残っていた。

 ポケットに手を突っ込み、銀色の箱を指先で確かめる。


 マルホロ・メンソール。


 指で弾いて一本抜き、火をつける。

 真っ白な煙が、冷たい空気に溶けていく。


(……今日も、始まるか)


 煙を吐くと、少しだけ頭が覚めた。


 午前五時十五分、集合場所の倉庫。


「点呼すんぞー! 龍臣!」


「……はい」


 安全帯を締め、ヘルメットの顎紐を固定する。

 背中の筋肉が固まっているのが、触らなくてもわかる。


「今日の現場、昨日のやつの続きだ。片付くまで帰れねぇぞ」


 班長の声は、少しも冗談じゃない。


 現場に入ったらスマホは封印。

 通知が鳴っていても、誰から来ていようと、絶対に見ない。


 龍臣はトラックの荷台に腰を下ろし、無言で現場へ向かった。


 夜明けの倉庫。

 鉄骨の匂い。湿った空気。


「龍臣、ボルト外し! 早く動け!」


「……了解」


 手袋越しでも、手のひらのマメが痛む。

 錆びついたボルトは、怒りと力でしか回らない。


 ぐっ……と力を入れた瞬間。


「っ……!」


 皮膚が裂けた。

 じわりと血が滲む。


「おい龍臣、まだ終わらねぇのか!」


「……やってます」


 言い返す余裕なんてない。

 喋っても、現場は待ってくれない。


 ひたすら、手を動かすだけだ。


 昼。

 弁当を広げる時間もない。


 仲間が笑う声を背中で聞きながら、

 龍臣はひっそりと現場の裏側に回り、ポケットからタバコを取り出した。


 マルホロ・メンソール。


 火をつける。

 胸の奥まで煙を吸い込む。


 白い煙が、疲労と一緒に吐き出される。


(……ああ、やっと呼吸できる)


 スマホは取り出さない。

 開けば、現実に戻らなければならなくなる。


 ゲームのことも、仲間のことも、

 今は考えてはいけない。考える余裕がない。


 一本吸い終えると、すぐに戻る。

 仕事は終わらない。


 日が沈む頃、ようやく作業終了。


 汗と鉄粉の匂いが染みついた作業服を脱ぎ捨て、家に帰り着く。

 シャワーを浴びると、肩から重りが落ちるようだった。


 タバコを取り出す。

 今日、何本吸ったかなんてもう覚えていない。

 またマルホロに火をつけた。


(……入るか)


 スマホの電源を押す。

 ようやく触れる。ようやく、現実が終わる。


 PCを立ち上げ、ログイン。


 《キリキリバッタ 拠点》


【ルミナ】「あっ、リーダーきた!」

【クルス】「おっそーい! 現場?」

【たっちゃんパパ】「お疲れ!早くダンジョン行こうぜマスター!」


 画面の前で、龍臣はようやく微笑んだ。


「……ただいま」


 現実では口にしない言葉。

 居場所は、ここにあった。


【ノイス】「いや〜、塔六階マジでギリギリだったな」

【ルミナ】「オニッシュいないと、こんなに変わるんだね」


 チャットが盛り上がっている中で、

 龍臣は机に背中を預け、疲労の残る肩を回した。


 今日の現場は地獄だった。

 腕は痛む。身体は重い。


 でも、今は――


【たっちゃんパパ】「今日はビールうめえ!」

【金糸雀】「報酬分配どうします?」


 ここにいるだけで、息ができる。


 そのとき。


【琉韻love】「おつー。今日も琉韻様のPVみてたわぁ」


 一瞬、空気が止まった。

 さっきまでの喧噪が、氷の膜でも張られたように静まる。


(……来たか)


 マルメンの内側で、

 小さな不安が、鋭い棘に変わっていく。


 琉韻loveは続けた。


【琉韻love】「オニちゃんまたソロで奈落やってるね、めっちゃ苦戦してるけどw」


 その言い方は、まるで「見ていた」かのようだった。


 本当に?どうやって?

 疑問が、心に刺さる。


【シャイン】「どうしてわかるの?」

【琉韻love】「たまたまだよ。たまたま()()()だけw」


 たまたま。

 偶然。

 そんなわけがない。


(インしてる場所まで…って何だ?()()()…だと?どういう事だ?)


 疑念は膨らむ。

 でも、言葉が出ない。

 画面の向こうから、仲間の声が聞こえてくる気がした。


【金糸雀】「まぁ……いいじゃないですか。勝てましたし」

【ルミナ】「そうそう! 今日は勝利の余韻で寝れん!」


 笑いが戻る。


 マルメンはキーボードに指を置いた。

 打てばいい。

 聞けばいい。


「なんでオニッシュの居場所がわかる?」


 本当はそう打ちたい。

 だが、指は動かない。

 この空気を壊したくない。


 初めて自分が 帰ってきてもいいと思えた場所。

 現実ではどれだけ汗を流しても、怒鳴られても、誰も気づいてくれない。


 でも、ここでは違う。


【クルス】「マルメンさん、次の階は一緒にいこーぜ」


 それだけで救われる。

 マルメンは、たったひと言だけ打った。


【マルメン】「おう、たりめーよ!」


 それだけ。


 本当の疑問は、胸の中で押しつぶした。


(……壊したくねえんだ。ここまで手に入れた“居場所”を)


 自分の心が、誰よりも臆病だということを、

 マルメン自身が一番よく知っていた。

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