第十八話 話がある
時は少し戻り、前回ギルド戦から三十分後。
戦場の喧騒が嘘のように静まり返る。
マルメンは、暗い部屋の中でモニターに映るギルドチャットを眺めていた。
オニッシュは、自分たちの前であんなにも強かった。巨大なハンマーを振りかざし、敵を吹き飛ばすその姿にマルメンは本気で期待していた。
「キリキリバッタに、あいつが来てくれた。これで俺たちは変われる」
そう思っていた。
だが、琉韻loveの取り乱した叫びと、黒王のあの意味深な言葉が、胸の奥でずっと燻っている。
「臆病な少女が殻を破れば、面白くなる」
少女?
何のことだ。
(いや、違う。“比喩”の可能性もある。だが…)
胸の内側で、嫌な予感が形になり始めていた。
マルメンは小さく息を吐くと、外部チャットツール・ディスコを開き、シャインへ個チャを送った。
【マルメン】「ちょっと話せるか?」
数秒後、通知が返ってくる。
【シャイン】「おつ。なんかあった?」
【マルメン】「VCでいい?」
【シャイン】「OK」
ヘッドセットをつけると、すぐにシャインの声が聞こえた。
「で、マルメン。何があった?」
「……オニッシュのことだ」
短く言うと、シャインの声が一瞬だけ固まった。
「さっきの試合で、オニッシュ…変だったろ」
「変というか……怖かったな。殴りに行く姿勢とか、なんか必死すぎた感じ」
「必死じゃなくて、追い詰められてるみたいだった」
マルメンは、手元のマウスを握りしめた。
「うちに来た時は嬉しかったんだよ。戦力としてじゃなくて、一緒に強くなろうってそう思えた。
でも……今日のあれは違う。あいつ、何かに焦ってた」
沈黙。
シャインも同じものを見ていたのだろう。
「…オニッシュと話してみるべきだと思う。今のままじゃ、あいつが潰れる」
「だよな」
「ただ――」
シャインの声に、ほんの少しだけ緊張が混じる。
「琉韻loveが、オニッシュを異常に気にしている理由がわからない。あれが一番怖い」
その時、モニター右下にSBWからの通知が点滅した。
【ダイレクトメッセージ:オニッシュ】
差出人の名前を見た瞬間、マルメンの心臓が跳ね上がる。
「シャイン……オニッシュから連絡きた」
「内容は?」
マルメンは震える指でメッセージを開いた。
【オニッシュ】「話がある」
その文字の並びに、背筋が冷たくなる。
「話がある、とだけ」
「マルメン、慎重になれ。オニッシュの問題は…たぶん、ゲームの外だわ」
その言葉に、マルメンは息を呑んだ。
もしそうなら、キリキリバッタに来た理由が、居場所がなかったからだとしたら。
マルメンはメッセージに返信する。
「聞くわ」
送信。
画面の光が、真夜中の部屋で揺れた。
その時、まだ誰も知らない。
この会話が、キリキリバッタの運命を狂わせていくことを。
翌朝。
スマホが震えるより先に、胸のざわつきで目が覚めた。
龍臣は、寝ぼけた頭のままベッドから起き上がり、デスクの端に置いた箱に手を伸ばす。
マルホロメンソール。深く吸い込み、肺の奥に冷気が広がる。
ひどく眠いはずなのに、心臓だけはずっと昨日のまま走り続けている。
(……結局、はっきりしたことは何もわからなかったな)
昨夜。
オニッシュと通話した結果、確実に分かったのはただひとつ。
――オニッシュは、琉韻loveに弱みを握られている。
そして 「無理矢理キリキリバッタに入れられた」 ということ。
それがどんな弱みなのか、本人は言わなかった。
聞き出そうとしても、まるで“何かに怯えるように”話題を逸らし続けた。
火を押し当てたフィルターが、じり、と音を立てる。
(確信に触れる前に、通話を切られた)
向こう側で、何かが起きている。
オニッシュの声は終始震えていて、ゲームの話をしているはずなのに、まるで現実に追い詰められた人間の声だった。
龍臣のスマホが、机の上で短く振動した。
ディスコからの通知だった。
【シャイン】「昨日のこと、私たちだけに止めましょう。まだ時期じゃないわ」
(やっぱり、シャインもそう思ってるんだな)
龍臣は返信せず、ただ画面を見下ろした。
胸の奥で、嫌な予感が再び形を持ち始める。
自分たちは思っていたよりも深い場所に足を踏み入れている。
軽いギルド戦のドラマなんかじゃない。
(琉韻love……あいつ、何したんだよ)
吸った煙を吐き出す。
白く揺れる煙が、ぼやけて見えた。
焦りか、怒りか、それとも恐怖なのか。
自分が何を感じているのかすら、わからない。
ただひとつだけ、はっきりしている。
――オニッシュは、救いを求めている。
龍臣は、携帯のチャットアプリを開き、オニッシュに短くメッセージを送る。
【マルメン】「話せるとき、また連絡くれ。俺は逃げない」
送信ボタンを押すと、画面の中のテキストが淡く光を放った。
現実の朝は静かだ。
けれど龍臣の中では、まだ戦いが続いていた。




