表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オンラインゲーム:サンドボックスウォーズ ―画面の向こうの絆―  作者: 黒瀬雷牙
第三章 椿の物語

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

71/76

第十二話 現実の仕事もさばく

 火曜日、午前九時。

 オフィスのドアを開けると、香ばしいコーヒーとコピー用紙の匂いが混ざり合う。

 藤村紗月は軽くため息をついてから、デスクに鞄を置いた。


「おはようございまーす!」


 明るい声の後輩・美月が元気に挨拶する。

 紗月は微笑んで返す。


「おはよう、美月。朝から元気ね」


「はいっ!でも課長、今日も朝から“全台キャンペーン”やるって言ってましたよ」


「……また、ですか」


 嫌な予感がした。

 営業課長・大林は、契約数さえ増えればどんな無茶も押し通すタイプ。車検すら工場の都合を聞かずに捩じ込んでくるため、他の営業マンが被害を被る。

 昨日も在庫ゼロの車種を「すぐ納車できます!」と豪語して、紗月が夜遅くまでメーカーに調整を頼んだばかりだ。

 毎月10台以上契約を取るため、本社からの評価は高いが、店舗では生きる厄災と言われている。


 風の剣士、現実では書類の嵐を斬る。


 椅子に腰を下ろすと同時に、電話が鳴った。

 相手は早速、例の課長だった。


「紗月くん、例の件、今週中に三台増やしといて!」


「三台ですか? 今月の配車スケジュールだと、最短で来週以降になりますが」


「なんとかして!奇跡の調整力があるって、みんな言ってるじゃない?」


「それ、褒めてるつもりですか?」


「ははっ、頼りにしてるよ~!」


 通話が切れる。

 紗月は静かに頭を押さえた。


(奇跡か……。私、神様じゃないんですけど)


 だが、文句を言いながらも手は止まらない。

 端末で在庫データを確認し、他店舗との調整メールを送る。

 その手際は、まるで剣技のように滑らかだった。


「紗月さん、これ、昨日のキャンペーン分の契約書です!」


「ありがとう、美月。……あ、ここ署名欄、印鑑が抜けてる。後で営業さんに確認しておいて」


「は、はいっ!」


 冷静で、正確。

 社内では「うちの守護神」などと呼ばれているが、本人は苦笑いするばかりだ。


 昼休み。

 食堂の窓際の席で、サンドイッチを片手にスマホを開く。

 通知には、玲からのメッセージ。


「おつかれ。今日のログイン、夜8時に合わせるね」


 その一文に、わずかに口元が緩む。


(嵐の前に、現実の嵐を乗り切らないとね)


「紗月さーん!すみません、課長が“即納OK”って言っちゃったお客様、もう来店されました!」


「……了解。今行きます」


 サンドイッチを一口で飲み込み、立ち上がる。

 冷静な眼差しが、すでに仕事の戦場へと戻っていた。


 午後のショールーム。

 笑顔を絶やさず、トラブルを一つひとつ捌いていく紗月。

 その姿はまるで、現実の剣士。


「納期が早いって聞いたんだけど?」


「はい。正式には9月上旬の予定ですが、社内在庫の再調整で、少しでも早められるよう進めています」


「なるほど、じゃあそれで頼むよ」


「かしこまりました。ありがとうございます」


 笑顔で頭を下げると、背後から大林がひょっこり顔を出す。

 小声で、「助かった~」と呟く課長に、紗月は小さくため息。


「……次は、風任せじゃなく、スケジュールで戦ってくださいね」


 夕方、仕事を終えてオフィスを出るころには、空は橙に染まっていた。


 車の音とネオンが混じる帰り道、紗月はため息をひとつ吐く。

 疲労よりも先に、頭の中に浮かぶのは、あの課長の顔だった。


 夜。

 シャワーを浴びて髪を乾かしながら、スマホを手に取る。

 玲からの通知が届いていた。


「もうすぐインする?」


「うん、あと五分。……その前に、愚痴ってもいい?」


「どうぞw」


「うちの課長マジでないわ。今日も在庫ゼロ車を“即納OK”って言い切ってさ。結局こっちが全部調整。あれで賞与査定Aとか、ほんと意味わからない」


 すぐに既読がつき、返信が返ってくる。


「その課長、給料たぶん紗月の倍あるよ」


「やめて。その事実が一番刺さる。玲の勤めてる工場行こうかな」


「給料、今の紗月の7割くらいになると思うよ」


「それは困るな」


「社会って理不尽ゲーだよねぇ」


「ほんとそれ。努力値、どこに振れば報われるんだろ」


「風属性にはバランス型が多いらしい」


「うるさい。うまいこと言ったつもり?」


「ちょっとだけw」


 笑ってしまう。

 現実の鬱憤が、ほんの少しだけ風に流れていくような気がした。


「……よし。愚痴終わり。今からインする。むしゃくしゃするからガチャで気分晴らす!」



 画面の光が部屋を照らす。

 現実の疲れを引きずったまま、それでもまた剣を取る。サーバーの向こうで、風と水が再び出会う。


【Rain】「なんかいいアイテムでた?」

【椿】「何にも。私が天才だからって現実もゲームも試練与えすぎ」

【Rain】「w」


 現実がたとえどんな理不尽な世界でも。

 玲がいてくれれば、それだけでいい。

 それだけで、幸せ。

 それだけで、私は頑張れる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ