表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オンラインゲーム:サンドボックスウォーズ ―画面の向こうの絆―  作者: 黒瀬雷牙
【第二部】 アップデートされた世界

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

59/98

プロローグ とある課金者の物語

 クレジットカードの請求書を、琉韻は普段ほとんど見ない。

 マネージャーが管理してくれるし、支払いは口座引き落とし。

 だからこそ、その夜の琉韻が珍しく封筒を開けたのは、ほんの気まぐれだった。


「……なに、これ」


 整った眉がわずかに動く。

 そこには、見慣れない明細の羅列。


 “オンライン決済”

 “SBW公式ショップ”

 “追加コインパック×3”


 合計金額、七万八千円。

 先月と合わせて、約十六万円。


「……は?」


 リビングに、紙を叩く乾いた音が響いた。


 その頃、紫苑は自室で静かにログアウトしたばかりだった。

 ギルドの仲間と笑い合った後の余韻に、まだ心が温かかった。

 けれど、その温もりは一瞬で凍りつく。


「紫苑!!」


 琉韻の怒鳴り声。

 まるで爆発のような衝撃に、紫苑の心臓が跳ね上がった。

 足音。ドアが乱暴に開かれる音。


「この請求、なに?あんたでしょ!?オンラインゲームって書いてあるじゃない!!」


「……ごめんなさい……」


「ごめんじゃ済まないの!七万よ!?先月も!!子どもが何考えてんのよ!!」


 琉韻の怒声が、壁を揺らした。

 紫苑は何も言えない。

 あのゲームでしか、自分は存在できなかった。

 “誰か”として見てくれる仲間がいる、唯一の場所だった。

 けれど、そんな言葉を口にすれば、もっと壊れてしまう。


「返してもらうから。いいわね?」


「……でも、わたし、まだ――」


「“大人になったら”なんて、甘えないの!!」


 琉韻は紫苑の肩をつかみ、強く揺さぶった。

 その目は、テレビで見せる輝きとはまるで違う。

 光を失った鏡のように、どこか濁っていた。


「アンタ、私の妹でしょ!? だったら私みたいに稼げばいいのよ!!」


「……え……」


「顔だって悪くないんだから。アイドルでも、配信者でも、なんでもできるじゃない!! やるのよ、紫苑!! その分、全部返しなさい!!」


 息が詰まる。

 紫苑はただ、うなずくしかなかった。


 ――その日を境に、彼女の「現実」は少しずつ歪み始めた。


 翌週。

 琉韻のマネージャーが用意した撮影用のリングライトとスマートフォンが、紫苑の部屋に置かれていた。

 机の上に添えられた、姉の走り書き。


「まずはゲーム配信からね。ちょうどアンタがやってんの、今人気のやつみたいだし。顔は出さなくていいけど、声は明るく。泣いたり暗いのは禁止」


 紫苑は、冷たいライトの前で息を吸った。

 初めて配信開始のボタンを押した瞬間、彼女は二つ目の「檻」に閉じ込められたのだった。


 リングライトの白い輪が、紫苑の頬を照らしていた。

 それはまるで、無機質な月のように冷たい。

 画面の中に映る自分を見つめながら、彼女は震える指で“配信開始”のボタンを押した。


 初めての生配信。


 顔を出さなくてもいい


 そう言われていたのに。


 ドアが静かに開いた。

 琉韻が入ってくる。

 ステージで見せる笑顔のまま、紫苑の背後に立った。


「ちょっと、カメラ、上げなきゃ。これじゃ顔が見えないでしょ」


「え……? だ、だめだよ、お姉ちゃん……」


「なにがダメなの? せっかく可愛いのに。視聴者が見たいのは、あなたの()よ、紫苑」


 その瞬間、画面が切り替わる。

 ライトの下、紫苑の顔がはっきりと映し出された。

 生気の薄い瞳。柔らかく整った髪。

 そして、画面の端には琉韻の完璧な笑顔。


「みんな~こんばんは!」


 琉韻が明るい声で言った。


「実は今日は特別ゲストを連れてきたの。私の妹、紫苑です!」


 コメント欄が、爆発したように流れ出す。


「え!? ガチ妹!?」

「似てる! 超かわいい!」

「この姉妹最強じゃん!」

「琉韻様、家族配信とか神すぎ!」


 琉韻はその反応を見て、さらに笑みを深める。


「ね、可愛いでしょ? でもちょっと人見知りだから、みんな優しくしてね~」


 紫苑の喉は乾ききっていた。

 カメラの向こうの“世界”が、熱狂と好奇で自分を飲み込んでいく。

 逃げたい。

 けれど、琉韻が肩に手を置いた。

 その指先は、氷のように冷たかった。


「ほら、笑って。あんたのためでもあるのよ。フォロワー増えれば、きっと楽しくなるから」


 笑顔を作る。

 ぎこちなく、痛みを隠すように。

 コメント欄にはハートの絵文字が流れ、画面の右上に表示される数字が、秒ごとに跳ね上がっていく。

 視聴者数、1,000人。3,000人。8,000人。


 琉韻が囁く。


「いいじゃない、ねぇ。これが()よ、紫苑」


 紫苑は、その言葉の意味を理解できなかった。

 ただ、リングライトのまぶしさに目を細めながら、胸の奥で何かが静かに軋む音を聞いた。


 琉韻はそんな妹の横顔を見つめ、ゆっくりと口角を上げた。

 照明の反射がその瞳に宿り、まるで炎のように妖しく揺れる。

 その笑みには、もはや優しさの欠片もなかった。

 舞台の上で万人を魅了する()使()()()()()と同じ形をしていながら、

 そこに宿っていたのは、支配と愉悦、そして――


 確かな悪意だった。


 その夜、紫苑は初めて知った。

 ()とは、時に、最も美しい形をした()のことなのだと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ