第四十二話 今夜も遊びにいこう
照明の白い光。規則正しく並んだデスク。
パソコンのファンが低く唸る音だけが、静かな空間に流れている。
席につくと同時に、指がキーボードを叩き始めた。
朝礼も、雑談も、誰かの愚痴も関係ない。
決められたタスクを黙々とこなし、必要な報告だけを短く伝える。
同僚の何人かは、そんな彼を「近寄りづらい」と感じていた。
「おはようございます、砂畑さん」
「おはようございます」
淡々と返す声には、感情の起伏がない。
まるで、人間よりも整ったAIのようだった。
会議では、上司の言葉に頷くふりをしながら、心のどこかで無駄な時間だと思っている。
それでも、求められる成果は常に平均以上。
口数が少なくても、コードは正確。
不満を言う者は、誰もいなかった。
「相変わらず、君は空気を読まないね」
課長が苦笑まじりに声をかける。
「効率の悪い空気は、読まない主義です」
そう言って軽く頭を下げ、再びモニターに向かう。
その態度に呆れる者もいれば、密かに羨む者もいた。
画面の中の「すなっち」なら、皆がついてきてくれるのに。
ふと、机の端に置かれたスマホが光った。
ギルドのチャット通知。昨夜のレイドの報告や、次の攻略案が次々と送られている。
ほんの一瞬、口元がわずかに緩んだ。
現実では浮いている異端者でも、
あの世界では仲間を導くリーダーだ。
昼休み、コーヒーを片手に窓際へ。
ガラス越しに見える街はどこまでも整っていて、まるでゲームのロビーのように無機質だった。
「……帰ったら、また集まるか」
つぶやいた声は、誰にも聞かれなかった。
ただ、その静けさの中に、砂畑の現実があった。
夜。
帰宅した砂畑は、ネクタイを緩め、いつものようにノートPCを開いた。
部屋は整然としている。
無駄なものは一切なく、まるで作業場のような空間。
静寂の中、PCのファンが小さく回る音だけが響く。
ブラウザを開き、《サンドボックスウォーズ》のアイコンをクリック。
画面が切り替わる。
暗い背景に、ログイン音が流れた瞬間、その表情がふっと変わる。
「……帰ってきたな」
この世界ではすなっち。
ギルド《サンドウォール》のマスターであり、仲間たちの中心。
【G2】「マスター!もう来てた!」
【ぽよぽよ】「おかえりです~!昨日の動画見返してたら寝不足になっちゃった!」
【みかん】「あれほんと感動したよね……最後の連携、鳥肌だった!」
画面越しに飛び交う文字。
ただの文字列なのに、不思議と温かい。
職場の挨拶よりも、ずっと“人の声”が近く感じられた。
【すなっち】「おつかれ。昨日のログ、確認した。バフのタイミング完璧だったな」
【みかん】「えっ、そんな……照れる……!」
【G2】「ほら出た!すなっち褒めるとみかんが3日テンション上がるやつ!」
【ぽよぽよ】「うらやましい……わたしも褒めてほしい……!」
笑いがあふれる。言葉の端々に信頼がある。
現実では交わらない心が、ここでは確かに繋がっていた。
【すなっち】「ところで無課金勢諸君、君たちもそろそろ探索をサボれなくなってきたな」
【G2】「ひえっ、またマスターの説教タイムだ!」
【すなっち】「課金できないなら、足で稼げ。RPGでもMMOでも、装備は探索で差がつく。地道に素材を集めて、装備を磨け。それが俺たちの武器だ」
【ジャコウ】「……やっぱ現場主義っすね、マスター」
【みかん】「うん、でもそういうとこ好きかも」
【ぽよぽよ】「素材集め、また一緒に行こうね!」
モニターの向こうに、確かに仲間たちの笑顔が浮かぶようだった。
砂畑の目に、柔らかな光が宿る。
「……こっちのほうが、ずっと生きてる気がするな」
小さくつぶやき、マイクをオンにする。
ヘッドセットを装着した瞬間、もう現実の砂畑はいなかった。
そこにいるのは、ギルド《サンドウォール》のマスター、すなっち。
【すなっち】「じゃあ行くか、サンドウォール。今夜も遊びにいこう」
仲間たちの声が重なり、夜がまた動き出す。
こうして、現実と仮想を往復する日々が続いていく。
そして、そんな当たり前の夜を積み重ねるうちに、早くも次の土曜日を迎えた。
そして、午前七時三十分。
ギルド《サンドウォール》は、ついにダークキングの領地・北東銀大区画への布告を完了した。
北西銀大区画には《フローライト》。
中央金大区画には《王国騎士団》。
そして南銀大区画をめぐり、ダークキングが王国騎士団へ布告を行う。
銀区画全体が、一瞬にして戦火の予感に包まれた。
人が離れ、かつての勢いを失った《ダークキング》。
だが、皮肉にもその弱体化した彼らが今、サンドウォール・フローライト・王国騎士団という上位三ギルドすべてを同時に敵に回すこととなった。
もはや逃げ場は、どこにもない。




