第三十二話 綻び
土曜日、午前7時半。
ギルドバトルの布告開始時間。
悠平は暗い部屋でスマホを握りしめていた。
カーテンの隙間から漏れる街灯の光が、頬をかすめる。
冷めたカップ麺の容器が机の端に転がっている。
だが、今の彼にとって現実などどうでもよかった。
(先週は、よくわかんねぇ“焼肉キングダム”とかいうギルドに布告負けしたが……今日はそうはいかない)
画面の向こう。
《サンドボックスウォーズ》の戦場では、すでに各ギルドが布告を始めていた。
《サンドウォール》が西・銅大区画に戦線布告。
《DARK KING》が北西・銅大区画に戦線布告。
《DARK KING》が北東・銅大区画に戦線布告。
《焼肉キングダム》が東・銅大区画に戦線布告。
《王国騎士団》が南西・銅大区画に戦線布告。
そして。
《エターナル》が、南東・銅大区画に戦線布告。
その通知を見た瞬間、悠平の胸が熱くなる。
心臓が高鳴る。
現実ではもう何も感じなくなっていたはずの心が、この瞬間だけは燃えるように鼓動を打った。
(行くぞ……《エターナル》。俺たちの領地は、ここから取り戻す)
ペインは布告ログを確認しながら、画面に目を凝らした。
敵ギルドの配置と動きを読むのは、もはや彼の“本能”だった。
(先週、銅大区画二つ目を狙った《王国騎士団》は、全力で潰されて大区画なし……)
その記憶が頭をよぎる。
二つの銅大区画を同時に保持すれば、次のランクである、《銀大区画》に挑む資格が得られる。
それを全金・銀を独占しているダークキングが黙って見過ごすはずがない。
(もし今週もその“昇格”を警戒しているなら、狙われるのは――既に北西を持っている《サンドウォール》だ)
ペインは指先で画面をなぞり、各ギルドの布告位置を仮想的に並べ替える。
椿やそる、Rainといった実力者が新たに加わったとはいえ、戦力の穴はまだ埋まっていない。
すなっち以外ではカノンや黒王、まろんにすら単騎で全滅させられるだろう。
(となると――)
頭の中で戦場をシミュレーションしていく。
不利な防衛側となる西には、サーバー最強のカノン。
有利な侵攻側となる北西には、黒王かまろんが出てくるはず。
そして、椿たちが抜けて弱体化した《フローライト》の北東を他のメンバーで狙い撃ちにする……。
ペインの脳裏で、戦線が交錯する。
緻密な盤面が浮かび上がり、まるで現実を忘れさせるほどの集中が訪れる。
そして、夜九時。
開戦の合図と同時に、各地の戦況が一斉に動いた。
カノンは西・銅大区画を防衛。
まろんが北西・銅大区画に進軍。
予想通りだった。
(やはりな……)
しかし、ペインの読みには一つだけ誤算があった。
《エターナル》が布告した南東。
そこに現れたのは、まさかの黒王だった。
(黒王……! いや、待て……)
黒王の動きに注目するが、様子がおかしい。
一定間隔で同じ行動を繰り返し、攻撃やスキルの発動に間がある。
(自動防衛か……)
黒王は時折、事前防衛設定による自動操縦をしている。戦線布告があっても、リアルの都合で不在のことがあるのだ。
理由はわからない。だが、レイドや平日夜も姿を見せないことから、おそらく仕事絡みだろう。
(……助かったな)
ペインは深く息を吐いた。
勝機が、ほんの少しだけ見えた気がした。
ペインの号令とともに、各メンバーが一斉に動き出した。
チャット欄には次々と指示が流れ、攻防のログが高速で切り替わっていく。
その全てを、彼は冷静に見極めていった。
【ペイン】「Mira、俺とジェイにありったけのバフを!他のメンバーは取り巻きを抑えろ!」
黒王の動きは、依然として単調だった。
同じ軌道、同じスキルタイミング。自動防衛で間違いない。ジェイがスキル・兜割で黒王の防御力を下げた刹那。
【ペイン】「天魔双乱」
ペインの双剣イビル・イン・ライトが光を放つ。無数の斬撃が黒王の影を刻み、数秒のうちにHPゲージを切り裂いた。
重厚なエフェクトが弾け、巨大な影が崩れ落ちる。
【システム】《黒王 撃破》
【システム】《南東銅大区画 勝者:エターナル》
チャット欄が一気に湧く。
【Mira】「やった!」
【ジェイ】「黒王落ちた!」
【リオン】「嘘だろマスター!!」
【ノイス】「さすが隊長!」
モニターの前で、悠平は小さく息を吐いた。
手が震えている。胸の奥が熱い。
現実では、もう何かに「勝つ」感覚などとうの昔に忘れていた。
【もも】「さすが私のダーリン♡」
一瞬で空気が変わった。
チャットが止まる。
【ノイス】「www」
【リオン】「草」
【Mira】「え?」
【ジェイ】「リアルなん!?」
といった短い反応が続く。
(……やめろよ、そういうの)
喉の奥がつまる。勝利の余韻が、たった一行で薄れていく。
画面の中のペインは、称賛の渦の中にいる。
けれど、モニターの前の悠平は、冷めた部屋でただ黙ってスマホを見つめていた。




