第三十一話 堕天
ギルド《エターナル》のメンバーは、ガチャの話題で盛り上がり始めた。
【ジェイ】「マスター、次のガチャ引きました? 今ならSSR排出2倍ですよ!」
【Mira】「また課金煽り~(笑)」
【リオン】「てかペインさん、借金返済どうなったんです?w」
【ジェイ】「あーそれ気になるww」
冗談混じりの空気に、ペインは苦笑した。
もう隠しても仕方ないと、数日前に「課金しすぎて借金中」と自分でネタにしていたのだ。
【ペイン】「今月カード引き落とし10万超えてて草」
【Mira】「え、リアルにやばいやつ!」
【ジェイ】「でもペインさんいなかったらギルド崩壊してたっすよ。必要経費っす!」
【リオン】「経費ってww」
笑いが弾ける。
だが、悠平の胸の奥には笑えない焦燥が残っていた。本当に支払いがやばいのだ。滞納通知のメールが何通も溜まっている。
(……今月、どうしようか)
画面の中のペインは威厳あるリーダー。
けれど現実の悠平は、電気を止められる寸前の男だ。
そんな時、突然通知音が鳴った。
ギルドチャットではなく、個人宛のメッセージだ。
送り主は「もも」。
ギルドに所属しているが、普段はほとんど発言しない女性プレイヤーだった。
【もも】「ペインさんって、おすまいどこですか?」
唐突な質問に、悠平は眉をひそめた。
【ペイン】「え? 東京の○○だけど……何かあった?」
数秒の間を置いて、返事が来る。
【もも】「お金、少しなら貸せるので会ってみませんか?」
画面を見つめたまま、悠平の指が止まった。
心臓がドクンと跳ねる。
まるでゲームの中で突然、クエストが発生したような感覚。
(……貸してくれる? 本当に?)
顔も知らない相手…けれど、ギルドの中では何度も協力し合ってきた仲間だ。
しかも今、この提案に乗らなければ本当に支払いができない。
理性は警鐘を鳴らしていた。
しかし、現実の絶望と、わずかな希望がせめぎ合う中で、悠平の口から出た言葉は一つだけだった。
【ペイン】「わかった。明日、会おう」
送信ボタンを押したあと、悠平はしばらくスマホを見つめていた。
現実とゲームの境界が、また一段と曖昧になっていく。
翌日、指定された駅前のカフェに着いた悠平は、周囲を見回した。
昼下がりの喧騒の中で、スマホを手に立っている女性がひとり。
それが「もも」だった。
白い肌。ふっくらした頬。年齢はおそらく四十代。柔らかそうな雰囲気だが、服のセンスや仕草の端々から、少し生活に疲れたような空気も漂っていた。
「あ、ペインさんですよね?」
笑顔で手を振るもも。
「やっぱりタイプだぁ。そんな気してたんだー」
いきなりの言葉に、悠平は言葉を失った。
周囲の視線が気になる。人混みの中で、まるで自分だけが浮いているような居心地の悪さを覚える。
だが、ここで引くわけにはいかなかった。
金が必要だった。
「と、とりあえず……どこか入りますか」
ももは嬉しそうにうなずき、近くのファミレスを提案した。
窓際の席に座り、ふたりはハンバーグとパスタを注文。食事を待つ間、ゲームの話に花が咲いた。
「ギルドの人たち、ほんとペインさん慕ってますよね」
「……まあ、ゲームの中だけはな」
「中だけでもいいじゃない。あの世界のペインさん、かっこいいもん」
ももの声は柔らかく、どこか本音を含んでいた。
しかし悠平の意識は、話題の裏に潜む目的に集中していた。
料理が運ばれ、数口食べたところで、ももがカップを両手で包みながら上目遣いに言った。
「……それで、今月、どのくらい必要なの?」
喉が詰まった。
「十万くらい……。返すあてはあります」
「そう。十万ね」
ももはしばらく沈黙し、何かを考えているようだった。そして、ゆっくりと顔を上げた。
「ペインさんが本気で困ってるなら、出してもいいよ」
「本当か……?」
「うん。ただ」
そこで、彼女は言葉を切った。表情がほんの少しだけ変わる。それまでの柔らかさに、微かな緊張が混じる。
「……それなりの覚悟は、ある?」
悠平は息をのんだ。何を意味しているのか、言葉にしなくても伝わった。胸の奥に冷たいものが流れ込む。
金が欲しい。
でも、それを代償に何かを差し出すその現実が突きつけられる。
視界の端で、ももの指がテーブルをなぞる。
その仕草一つひとつが、妙に現実的で、生々しく感じられた。
(……背に腹は、かえられない)
悠平は、拳を握りしめた。
自分の中の何かが静かに壊れていく音がした。
数時間後。
薄暗い部屋に、換気扇の低い音だけが響いていた。
安いシャンプーの匂いと、どこか人工的な甘い香りが混じっている。
ももは無言のままバッグを開け、封筒を取り出した。中の紙幣を軽く整えて、ベッド脇のテーブルに置く。
悠平は、その封筒を掴む。
手のひらの中に、確かな重み。
まるで現実そのものを掴んだような錯覚。
ももは、少しだけ笑って言った。
「ペインさん、またゲームで会おうね」
そう言って悠平の頬に口付けをし、ドアの向こうに消えた。
悠平は、封筒を開けた。
紙幣を数える。指の感触、数える音、どれもがやけに心地よかった。
笑いが漏れた。
小さく、そして止まらなくなった。
金を手にした。
現実に。
この手で。
「……俺は、金を手にしたんだ」
声に出してみると、それが何かの呪文のように響いた。借金も、情けなさも、惨めさも、全部どうでもよくなる。
何も問題ない。
そう、何も問題なんて、ないんだ。
窓の外には、夜明け前の空。
光と闇のあいだで、世界がゆっくりと色を失っていく。




